表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
四章 魑魅踊る焦土
122/134

砂上のファンタジア*

「ねえお母さん、ルタンド見なかった?」


 料理をする母親に後ろから少女が話かけた。彼女は一度手を止め後ろを振り返る。そこには困ったように眉を下げる少女。母親を見上げる瞳には期待が込められていた。


「見てないわよ」


 短く言葉を返すと少女の肩が落ちる。「おかしいな」と呟きながら踵を返しリビングへと戻っていった。

 少女はそのまま部屋の中を歩き回る。机の下に観葉植物の影、そして丸印の付けられたカレンダーの裏まで確認していた。

 女性はそんな娘の様子に笑みを浮かべた後、作業台へと向き直す。手元には根菜。包丁の刃がまな板を叩く度、子気味良い音が台所に広がっていく。


 その下、調理器具の置かれる収納棚の扉が微かに動いた。隙間から見えるのは少年の顔。部屋を伺うように瞳を動かす最中、母親と視線がぶつかった。眉間に皺を寄せ口を開こうとする彼女に対し、少年は人差し指を口に当てる。揶揄うような笑み、声を潜め肩を揺らす彼にため息を付くと視線を外した。


「またかくれんぼ?」


 母親は後ろで弟を探しているだろう娘へと問いかける。


「そうだよ」


 短い返答の後、カーテンを捲る音。どこを探しているのかだいたい予想が付く。見当違いな場所を探す娘と、彼の居場所を知る自分。見守るしかできないことに小さな罪悪感が胸を刺す。

 わざと外した視線の先、調理場に付けられた小窓が目に入った。日は既に落ちかけ、西の空から緋が広がっていく。エレフ共和国、リベレフ。ここには一般的な午後のひと時があった。


「ルタンドは見つかりそう?」

「分かんない。あいつ隠れるの上手いから」


 少女は部屋を歩き回りながら「外には出てないと思うんだけど」と言葉を零す。この町では外で遊ぶのは危険。子供たちもそれを理解しているからこそ、こうして室内で遊んでいた。リベレフではこれが当たり前のことなのだが、彼らが自由に遊べないことに若干の負い目を感じる。


 それでも、自分たちの家庭はまだましな方。家があり、子供二人を育てるのに十分な余裕がある。

 魔具の会社を営む父親に、仲の良い姉弟と自分。子供たちはたまに喧嘩をし、落ち着かない二人を叱ることがあるが大した問題ではない。小さな幸せがあるのならそれで良かった。


 彼女は止まってしまっていた料理を再開する。包丁をまな板の脇に置き、切った食材を器に移していく。子供たちには不自由な思いをさせている分、美味しいものを食べさせてあげよう。明日は食べたいものを聞いてから作ってもいいかもしれない。

 そして父親が休みの日は彼に子供たちの勉強を見て貰おう。息子は父親の仕事の跡を継ぎたいと話していた。早いうちから魔法について知識を付けるのは悪いことではない。しかし、子供たちに押されそれは途中から遊びに変わってしまうのだろう。いつもの風景を思い浮かべ、女性の口元には笑みが浮かぶ。


 ふとした瞬間、違和感に気が付き母親は顔を上げる。その正体は何か、すぐに思い当たる。先程まで忙しなく聞こえていた足音が途絶えていたのだから。少女が探している人物はまだ見つかっていない。では何故。

 疑問と共に振り返ると少女は窓を見つめていた。正確にはその奥、外だ。少女は普段見ることのない光景に首を傾げる。


「お父さんじゃない男の人がいる」


 娘から発せられる何気ない一言。それがどうしたのかと考え、一瞬で理解する。見知らぬ男性が敷地内にいるその意味を。


 離れて、そう叫ぶ前にけたたましい音を立て扉が開かれた。衝撃で砕かれた取っ手が乾いた音と共に床を跳ね、少女の足元で止まる。次に見えたのは体格の良い男の姿。

 無理矢理侵入してきたそれは流れるような動作で腕を振り被り、少女の顔へと拳を叩き込んだ。軽い体は容易に吹き飛び床へと転がる。


 呆然と立ち尽くす母親の意識は、娘の泣き叫ぶ声で現実に引き戻された。即座に包丁を手に取り男へ走り出す。両手で柄を持ち刃は上へ、目標は男の脇腹。人に刃物を向けた事なんてない、怖い、だが娘を守らないと。この先に予測される事態への恐怖と、娘を傷付けられた怒りが体を突き動かす。


 腕の届く距離、男へ包丁を突き出した。しかし皮膚に届く前、それは男に腕を捕まれ止められてしまう。小柄な女性の、しかも素人の攻撃を止めるのなど容易いもの。そのまま手首を捻り上げられ、関節から打撲音が上がるのと共に手から包丁が離れていく。痛みで体を屈めた瞬間、男のつま先が母親の鳩尾にめり込んだ。体の中心から広がる鈍痛にその場へ崩れ落ち、喉からは狭窄したような喘鳴が漏れる。


 男は鼻で笑いながら床へ持っていた物を投げた。前に転がるそれに彼女は歯を噛みしめる。何故、男が敷地内に侵入してきたにも関わらず警報機が鳴らなかったのか。使い込まれた、おそらく盗品の工具がその理由を示していた。


 体を貫く激痛の中、母親は近くに落ちた包丁に手を伸ばす。先程折られた手首は赤く腫れあがっている。力を入れるのでも、指を動かすだけでも苦しい。けれども、やらなければ。部屋に響くのは娘の泣き叫ぶ声。指先が柄を掠める。あと少し。爪が引っ掛かり僅かに引き寄せられる。

 人差し指の腹に触れ、中指と挟み、持ち手が掌に収まろうとしたその瞬間、その手に男の足が落ちてきた。


 悲鳴を上げるその前に男の足が振られ女性のこめかみに衝突。激しく脳が揺さぶられ全ての動きが止まる。


 男は母親から視線を外し、同じく床に転がる少女を見た。そして彼女の髪を掴み無理矢理持ち上げる。先程殴られた右目は内出血で紫色に変色し、開眼が出来ない程腫れあがっていた。痛みと恐怖で少女はさらに声を上げる。


「うるせえガキだな」


 男は甲高い声に顔を顰めながら右手を振り上げる。次に殴りつけたのは左頬。折れた歯と傷付いた口腔内から流れる血液が少女の口から吐き出された。泣き声が止まったのは衝撃を受けたその一瞬だけ。少女の泣き声は続く。


「や、めて……」


 脳震盪で揺れる視界の中、母親が声を振り絞る。男は女性を一瞥し口を開く。


「金はどこにある?」


 その問いに彼女は答えない。それはこの町で暮らしていくためのもの。奪われたら生活は破綻する。しかし、この状況では。

 男は応答に迷う母親の腹を蹴り上げた。胃を強く圧迫され、女性は激しく嘔吐する。吐瀉物の飛沫が足に付着したことに男は顔を歪めた。汚ぇな、と怒鳴りながら再び咽こむ彼女を蹴る。


 母親に振るわれる暴力を見て娘の泣き声はさらに高く響いていた。耳を劈く高音に男が少女を殴ろうと拳を握った所で動きが止まる。口角を捩じり上げるように歪めると握り絞められた手を解き、見せつけるように少女を掲げた。

 愉悦を刻んだ顔が女性へと向けられる。


「答えないならこいつを犯す」


 その言葉に、男から受けた暴行で膨れ上がった母親の顔から血の気が引いていく。


「それだ、けは……! それ、だけはやめ、て……!」


 曲がった顎から紡がれる掠れた声で彼女は懇願する。踏み潰され、本来の形を失った指を震わせながら部屋の奥を示した。


「お金は、その、棚を。退かした所にあります。だから、娘は」

「そうかよ」


 男は冷笑を浮かべたまま少女を離す。床に落ちる重く鈍い音は娘が解放された証。子供が無事なら財産なんて失っても良い。母親が安堵の表情を浮かべる中、男がその場に屈み込む。少女の襟首に手をかけそのまま服を引き裂いた。


「え?」


 時が止まったかのような一瞬の静寂。娘の叫びを合図に全ての音が押し寄せる。


「やだ、やだやだやだやだ!」


 少女は男を引き剝がそうと必死に手足を動かす。だが、組み伏せられ子供の力では微動だにしない。娘を助けようと藻掻く母親も動かせるのは指先のみ。全身をめぐる激痛がその行動を阻んでいた。肌に叩きつけられる無情な音が部屋に響く。


「助けて! お母さん! おと、」


 両親へ向けた言葉は不自然な所で途切れる。男は少女に覆いかぶさる体勢のまま彼女の首に手をかけていた。首を絞められ顔が土色に変化していく。空気を貪ろうと開かれた口からは何も得られず、ただ唾液が零れるのみ。

 男が更に力を加えると少女の体が跳ねる。男の腕を掴んでいた手が緩み床へと落ちた。長い息を吐きながら男はゆっくりと娘の体から離れる。少女は何も言わないまま、手足を小刻みに動かしていた。


「あ」


 母親は娘に起こった事を理解する。


「あああああ」


 理解したことで絶望が広がっていく。死後の痙攣を繰り返す娘を前に、彼女は掠れた声で名を叫び続けた。


「玄関に大きさの違う子供の靴が二足」


 男は呟きながら再び母親の前に立つ。


「もう一人いるな?」


 興奮の余韻を帯びた眼差しで母親を見下ろした。男はただ金を求めてきたのではない。そのついでとして振るわれる暴行を心から楽しんでいた。まだこの家の中に子供がいることに気が付き、表情は残虐な愉悦に満ちる。

 幸いルタンドは台所の棚に隠れたまま。この中でも物音一つ立てず身を潜めていた。だからこそ、場所を悟られる訳にはいかない。母親は男を睨みつける。視線は男に固定し、決して目を逸らさない。


「警報の、異常を察知し、て人がもうす、ぐ駆けつける」


 言葉を絞り出す彼女の口に靴がめり込んだ。足を退けると咳込む母親の口から血液と共に数本の前歯が零れ落ちる。


「俺はもう一人がどこ行ったか聞いてんだよ」


 母親の回答が気に入らなかったのか、男は母親の顔を踏みつけた。何度も、何度も。乾いた打撲音が響く。


「ころひてやるっ……!」


 顎が砕け、陥没した顔面。紡がれる言葉は縺れ、意味のない音でしかない。それでも、母親は男から目を逸らさず呪詛を吐き続けた。

 次第に母親の声は消え、足音は粘性を帯びた水音へと変わっていく。




「……ド! ルタンド!」


 自分の名を呼ぶ声。祈りのような、叫びのような、焦燥感を帯びた声に意識を引き寄せられる。薄く目を開くと霞む視界の奥に人の顔が見えた。一度目を固く閉じ、再び開く。明瞭となった視線の先、自分とよく似た顔の男性が映る。男性の瞳には僅かに涙が滲んでいた。


「良かった、お前だけでも生きていて……!」


 男性は体が軋む程強くルタンドを抱きしめる。一体何事か、少年は起きたばかりで働かない頭を巡らせる。確か自分は姉と遊んでいた。台所の棚の中に隠れ、そして──。


 鉄のような臭いが鼻を掠める。臭いを感じた場所へと顔を向けると布があった。それはただ置かれている訳ではない。何かを隠すように覆いかぶさっている。その奥にも小さいが似たようなものがもう一つあった。あれは、そうだ。


 母親と姉だ。


 気が付くと同時にルタンドは叫び声を上げた。全部、全部思い出した。この家に何が起こったのか。蘇る恐怖が声帯を震わせる。

 姉の悲鳴。母親に降りかかる殴打の音。意識が途切れる前に聞いた男の笑い声。全てが鮮明に脳裏に残っていた。


 耳を塞ごうがその声は消えない。絶望の中死んでいった姉の声が。最後まで自分の居場所を伝えなかった母親の声が。耳介を掻き毟るルタンドを男性はさらに強く抱きしめた。


 部屋には数人の警察官。何か書き留めている様だが真面目に仕事をしている様子はない。実際、彼らはすぐに遺体と共に引き上げていった。強盗はギャングの一員だろう、そう言い残して。通りすがりにルタンドと目が合うも、その瞳には何の感情も映らない。



 分かっているのに何故それ以上捜査をしないのか。激しい怒りに駆られると共に、その理由を知っているが故の虚無感が体を抜けていく。

 警察はギャングと癒着していた。彼らは何の役にも立たない。この町、リベレフではそれが常識。

 そして、裕福層を狙った強盗もよくある事だった。だからこそ誰も見向きもしない。誰も助けない。悪意によって循環する町で、これは日常でしかないのだから。


 少年は奥歯を噛みしめる。

 これが普通であってたまるものか。これが常識だと言うのなら、この町は消えなければならない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ