黄藍の交錯③
「アイク君はなんの仕事してんの?」
女性はそう言って身を乗り出す。波立つ髪が視界の端で揺れた。名はクロエ、赤茶色の肩までの髪は可愛らしい彼女の顔立ちをさらに引き立てる。大きな茶色の瞳は爛々と輝きアイクを見つめていた。
「えっと……」
アイクは言葉を詰まらせる。返事を紡ぎ出そうと半分だけ開かれた口から結局答えは出ない。助けを求めるように小声で「スヴェン」と俺の名を呼び横目で見るが無視。笑みを浮かべそのまま顔を逸らした。
「スヴェンとはどんな知り合い?」
クロエの質問は続く。
夜の酒場、そこに俺達四人はいた。橙色の照明は照度を落としているらしく店内はやや薄暗い。演奏再生魔具により落ち着いた曲がかけられているが、酒が入った客の陽気な話し声でほぼかき消されている。
馴れない酒の席に戸惑うアイクを肴にするためにグラスを取ると、微かな笑い声が聞こえた。声は正面から。見ると黒髪の女性が俺をまじまじと見ている。たしか彼女はルーシーと名乗ったはず。
光沢のある長い髪に、青い切れ目の瞳は落ち着いた印象を受けた。淡い色で纏められた服装も、控えめな装飾品も、彼女が身に纏う雰囲気と合致している。
俺と目が合うと、ルーシーはゆっくりと微笑んだ。
「こういった場は慣れているんですね」
「まあな」
そのまま飲み物を口に含む。
これはそこに居るクロエから持ち掛けられた飲み会だった。俺に紹介したい人がいると言われ、四人なら行っても良いと承諾。つまりアイクは急遽参加させられた数合わせだった。
暇そうだったから誘ったが勿論断られた。しかし次の話題でノトスでの一件と指を折ったことを話したら何故か突然行くと言い出した。不思議だなぁ。
当の本人はクロエに気に入られたらしく、熱心に話しかけられている。質問攻めにされ困惑する姿はなかなか面白い。
もっと見ていたいが会話に間を空け続けるわけにはいかないので再びルーシーへ目を向ける。
「それで、俺に会ってみたかった聞いたけど」
「そうなんです。クロエからよく話を聞いてて」
簡単な相槌を打ちつつグラスを置く。元々俺とクロエはよく二人で会う程度の仲。クロエからは碌でもない男と思われてそうなのに、彼女らの会話の中でどうして俺の話が出るんだ。
「あいつから話聞いてよく俺に会いたいって思ったな」
「面白そうだと思ったから」
ルーシーは青い瞳を柔らかく細めつつ、その奥で値踏みするように鋭く光る。
「私、つい最近仕事の関係でこの街に引っ越してきたんです」
「へぇ。そりゃ大変だったな」
彼女の話は何もおかしい所はない。この街はミルガート合衆国の中でも中規模の都市だったが、グラウスの拠点が置かれたことによって急速に発展を遂げた。仕事を求めこの街に移住する奴も多いくらいだ。増え続ける人口の中に彼女がいても違和感なく溶け込んでいく。
「クロエのお店は職場までの通り道にあって通っているうちに仲良くなったけどそれだけ。全然知り合いもいないからさみしくて」
俺から視線を逸らさずそう告げた。そういうことね。
「彼女はいないんですか?」
「いないよ。いたら君と会ってない」
答えるとルーシーは予想外と言わんばかりに首を傾げた。
「見た目より誠実なんですね」
「遊んでそうに見えるって?」
俺の問いに答えはしないが小さく笑う。その所作は同意を示していた。彼女の疑問は尤もなので俺も笑って流す。
「よく言われるよ。がっかりした?」
「いえ、素敵だと思います」
ルーシーは髪を耳にかけるとグラスに残った酒を飲み干した。
「それに、こうやって気軽に話せる人に出会えて嬉しいです」
若干俺から視線を逸らしつつそう述べる。やや紅潮する頬は酒気のせいか、それとも別の理由か。どちらにせよ、俺が言うことは一つ。
「俺に関わると碌なことないよ」
「変なこと言うんですね」
俺の言葉を冗談だと、ルーシーは笑い飛ばす。本当のことなのに。
「次はないからな」
飲み会は解散となり、二人と別れた帰り道。春から夏へと移り変わったばかりのこの季節の夜はまだ肌寒い。そこへ、更なる冷たい声が投げかけられた。予想していた言葉なので笑って流しておく。
「悪い悪い。でも助かったって」
アイクは凍えるような瞳で一瞥した後、目を伏せ溜息をついた。
「無理矢理俺を連れてこなくてもスヴェン一人で良かっただろ」
「んー、なんかあった時のためだからさ」
言いながら軽く空を仰ぐ。夜も更け、通りに並ぶ店は殆ど閉まっている。星が殆ど見えないのはこの煌びやかに並ぶ街灯のせいだろう。
それでも、都市なだけあってこの時間でも人通りは多い。酒を飲んだ帰りだと思われる千鳥足の男。集団で談笑しながら歩く若者。肩を寄せ合い仲睦まじい姿を見せつけながら歩く恋人達と様々。それも、グラウスへ近付くにつれ少なくなっていくのだが。
俺の発言の意味を考えていたのか、少し間を空けてアイクは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「まあ、その話は置いといてさ」
あまり会話を広げるべきものではないため、無理矢理話題を逸らしアイクを見た。
「気分転換くらいにはなったか?」
「なってない」
冷えた感情を取り繕うことなく紡がれる迅速な回答。それ程嫌だったのだろう。意外に人見知りするよな、こいつ。
一年前、知り合った時も少し壁を感じたのを覚えている。面白がって話しかけているうちに打ち解けていったが。
「クロエはお前の事気に入ってそうだったけど」
先程の様子を思い出す。俺には適当な態度のくせにアイクには積極的に話しかけていたっけ。
たしかに、アイクは傍から見れば害のなさそうな好青年ではある。傍から見れば。躊躇なく人の骨を折ってくるくせに。
柔らかな雰囲気をまとう彼の顔が一瞬だけ歪んだ。
「……今は相手を作る気にはならないよ」
すれ違う人々の話し声にかき消されそうな程、小さい声でつぶやいた。
「最近あったことのせい?」
アイクがそう思う理由を率直に聞く。彼は俺を見て口を開くも、そこから続く声は出ない。発声を諦めたのか、口を引き結ぶと俯き大きく息を吐きだした。
「そんなに分かりやすいか?」
アイクは自分の顔を触りながら言う。自分でも表情に全て出るというのは分かっているようだ。だが、今回は違う。
「顔に出てるとかじゃなくって。そう言ったら前よりも明るく見えるよ」
1ヵ月程前からか、彼の表情は以前と比べ大分余裕がある。だが、アイクの性分によるものなのか。多少気になることはある。
彼の顔を見据えると萎縮したのか一歩だけ離れた。
「でも、少し焦ってるようには見えるかもな」
指摘に対して顔を顰め、そして俯いた。
「……そう、かもな」
アイクは静かに同意する。
「俺が魔具を壊したせいで長期任務から外されて他の班に負担を強いてる」
手を握りこみ言葉を続けた。
「それで、何もしてない気がして。この期間で出来ることはないかって医術師の資格も取ってみたけどやっぱり落ち着かない」
言葉の端から零れるのは静かな燻り。しばし無言で歩く俺達の間を無機質な足音が埋めていく。酒で上昇した体温はすっかり冷めていた。
「なんもしてないって。仕事はしてんだろ」
「フォリシアの、故郷に帰った時の仕事でさ。元部下が亡くなったんだ」
最後に、消え入りそうな声で「俺のために」と呟いたのを聞き逃さなかった。
フォリシアの内乱から竜の発生。それは世界的な事件となり最早誰でも知っている。そして途轍もない数の死者が出たことも。
あの期間、緊急任務として駆り出されていた彼らは間違いなくそれらに関わっている。ならば、目の前で知人が亡くなっていても不思議ではなかった。
少しの間を空けて、アイクは言葉を続ける。
「それなのに一ヵ月も立ち止まって。報いることが出来てるのか、不安なんだ」
声は建物の間を通り抜ける夜風に溶けていく。グラウスが近くなってきたせいか、いつの間にか通行人は俺達だけになっていた。
彼の抱えるものは重たいものだった。他の誰かが肩代わりすることはできず、ただ一人で向き合い続けなければならないもの。
いくら何かが吹っ切れたかと言えども、それが軽くなることはない。燻れば燻るほど責任として、義務として、重量を増していく。
俺と違ってそういうものとして受け止められず、割り切ることなどできないまま、いつまでも背負い続ける。アイクはそういう人間だと理解していた。
「これからだろ」
俺は彼の肩を軽く叩く。
十分頑張っている、なんてありふれた言葉はかけない。アイクは苦悩しながら、それでも前に進もうと足掻いている途中なのだから。
「新しい魔具がきたらどうせすぐ仕事も前と同じになんだろ。そしたらもっと働いて俺に楽させろ」
言いながら笑いかけた。
アイクに必要なものは慰めではなく激励。たしかに、時には優しい言葉も必要だろう。
だがそれは、足掻こうと、進もうとする彼の意思の足枷にしかならない。それに、その言葉をかけられることを望んでいないと何となく分かる。誰かの死を合理化してしまうことは決して許さないはずだ。
だから哀憐の情を表す言葉は、彼が折れそうになる直前まで取っておこう。
俺達には時間がある。先が見えない程長い時を、この仕事に費やさなければならないのだから。死ぬまで、そして、許されるまで。
強張っていたアイクの表情が緩み、薄い笑みを浮かべた。
「俺達が復帰してもスヴェンの仕事に影響はないだろうけどな」
「お前……」
皮肉で返しやがって。しかも的確に痛い所をついてきた。
彼が持ち直すのはいい事だが、それとこれとは話は別。言われたままでは気が収まらないため言い返そうと口を開く。
最初の一音を発声した所で甲高い悲鳴が耳に入った。
勿論それはアイクにも聞こえており彼は立ち止まる。そして、聞かなかったこととして過ぎ去ろうとする俺の腕を掴み制止させた。仕方なく、というか強制的に俺も歩みを止める。
「今、悲鳴が聞こえたよな」
呟き、そのまま押し黙る。空を仰ぎ悲鳴が発生した方角を探っていた。
「こっちだ」
素早く特定しアイクは走り出す。そこは大通りから外れ、入り組んだ路地の入口。
なぜ勤務時間外まで面倒事に首を突っ込まなければならないのか。
荒事になるならアイク一人でも大丈夫だろ。それに俺は今魔具を持っていないし、行っても足手まといになるだけ。
「早く!」
悠長に歩いて向かおうとすると先から怒声が投げかけられる。やるしかないのだろう。
仕方なく街灯の光も届かない細道へと駆け出した。