黄藍の交錯②*
木漏れ日が差し込む林道に、土を踏みしめる音が二人分響いていく。青年が前を進み、その数歩後ろを女性が付いてきていた。
突如、青年がため息をつき、その歩みを止める。
「いつまで付いて来る気だ?」
青年──フリットは振り返り問いかける。
コルネリアは自分を疎むような視線を受け、夜明け前を思わせる瞳が半月を描いた。
「ずっと、かしら?」
そう答えると、愉快だと言わんばかりに絵画から出てきたような美貌を歪ませた。彼女の感情に呼応するように木々の間から穏やかな風が吹き抜け、絹糸の様な白金の髪と白いドレスの裾が揺れる。
フリットは彼女の言葉に対して鋭い眼差しを向けた。
「そんな怖い顔しないでよ。そもそも、誰のお陰であの国から出られたと思っているの?」
「それは……」
返答に詰まる。それに対して彼女に恩を感じているからこそ、強く言うことが出来ない。
あの時、竜討伐の翌日。アイクと話す前からフォリシア王国を去る覚悟は決めていた。
ユーフェミアが死亡し、親友と決別した今、あの国に残る必要はない。騎士団に残ったところで、彼女の命を、親友の居場所を奪ったこの国を守る必要がどこにあるのか。
故郷へ抱く想いは激しい憎悪へと変化し、やり場のない怒りだけが取り残されていた。
そんな感情を抱えながら今まで通り暮らしていくことは絶対にできない。だからこそ早々に国を発った。
しかし問題は国境超え。国が混乱していても、国境を超えるのは容易ではない。隣の国がいくら壊滅の危機に陥ろうと、他の国々は通常通りの仕事を行い、他国からの侵入を防いでいるのだから。
コルネリアにはそれを助けられてしまった。
どうやってこの国を出ようか悩む自分に声をかけ隠蔽魔法を使ったかと思えば、高精度の生体感知の魔具が置かれているのにも関わらずそのまま関門を素通り。
コルネリアの魔法は何度も見てきたため今更驚くものではないが、相変わらず常識外れだった。
そして、今二人が歩く場所はジルディア公国。ノトス自治州とフォリシア王国、二つの大森林地帯に隣接するこの国の南部には雄大な森が広がっていた。
「感謝しなさいよ」
揶揄うような口調にフリットの眉が動く。恩を感じてはいるが、コルネリアの言動が癪に障るのはまた別の感情。
「それとこれとは話が別だ。お前が俺に付いて来る理由にはならないだろ」
言葉を吐き捨て正面を向く。突き放すような言動にも関わらず、コルネリアの顔には笑みが浮かんでいた。
「あの幼馴染君には柔らかい口調だったのにあたしには刺々しく当たるのね」
「お前を信用していないからだ。あと話を逸らすなよ」
氷点下の口調で言い放つ。フリットの言葉は根底からコルネリアを拒絶していた。それでも彼女は表情を崩さず、余裕を保ったまま彼を見る。
「だって、あたしにはあの子との約束があるから」
「約束……」
繰り返すその単語が、静かに胸に突き立った。
自分と約束を結んだ者は自分のために亡くなり、もう一人は自ら決別した。そして、約束のために生きていた自分は、また別の約束によって生かされている。
だが、生きている。ただそれだけ。
今の自分は彼女を殺したフォリシア王国への復讐を謀ることもできず、死ぬことも許されず、ただこの熱を冷まそうと彷徨うだけの存在。
自分はこれからどうすればいいのか。何のために生きていけばいいのか。何度も自身へ問いかけるが答えは出ない。
今までは親友と同じ夢を生き、彼が去ってからは自分を必要としてくれた王女を守るために生きてきた。しかし今はもうどちらもいない。去りし二人から残されたものは、空虚な感情だった。
小さく呟いたまま押し黙るフリットを見てコルネリアは喉を鳴らす。その声にさらなる苛立ちを覚えた。
「あの国の一件は片付いたはず。それなのにまだ付いてくるなんて枢機卿というのは暇なのか?」
「あれとは別件だけど、暇なのは事実よ」
平然とコルネリアは答える。揶揄したはずなのだが彼女には微塵も効いていない。そして、枢機卿というのも一切否定しなかった。
振り返りコルネリアを見る。彼女の存在は見れば見るほど異質。人並外れた実力も。教会での彼女の役職も。寒気を覚えるほどの美貌も。何もかも現実離れしていた。
「本当にお前は何者なんだ?」
「質問ばかりね」
思わず投げかけた問いを嘲笑われようがフリットは引かない。
「あの時、完遂出来たら教えると言ったよな」
「アイク、だったかしら。あの子に負けたのに?」
コルネリアが笑い声を発するのと同時に、剣が抜き放たれた。一歩、後ろに下がる彼女の胸の前を容赦のない斬撃が通過していった。
「冗談よ」
刃を避けたコルネリアは足を踏み出し、元の距離感へと戻る。
「じゃあ、何から聞きたいのかしら。あの場から生還したご褒美になんでも答えてあげるわよ」
自分を見るコルネリアの表情は変わらず、嘲るような笑みを保ったまま。しかし、冗談を言っているようには聞こえない。
フリットは手首を返し、舌打ちをしながら剣を鞘に納める。一瞬だけ足を止めコルネリアと並び、そしてまた歩き出した。
「いつからユーフェミア様と繋がっていたんだ?」
「あんたの協力を申し出る前からよ。そもそも、それもあの子の指示だったしね」
フリットはユーフェミアの録音を思い出す。自分の傍に付き、見守って欲しいと。彼女が魔具に込めた言葉は確かにそう告げていた。
おそらく、二人の言動から察するに彼女らが繋がった時期は暗殺未遂のすぐ後。優れた慧眼を持つユーフェミアは、暗殺の首謀者を暴いた時のあの言葉から自分の行動を予測し動き始めたのだろう。何としても、フリットを生かすために。
「ユーフェミア様との賭けというのは?」
軋むような胸の痛みを押さえつけ、フリットは次の問いを口にする。それは連絡通路にてアイクと戦った直後、薄れゆく意識の中で聞いたもの。コルネリアがアイクに向かって零したその言葉は、彼の中で気がかりとなっていた。
「あんな状態で聞いていての?」
コルネリアの笑みが崩れ呆れ声をあげる。フリットの瞳が鋭く細められたのを見て「あらあら」と口元を歪めた。
「聞いていたのなら言葉通りよ」
コルネリアの声色が変わる。
「あたしは世界を揺るがしかねない事柄について介入できない。だから、賭けという条件下でほんの一部の手助けのみ許された」
その声はどこか遠くを見つめるような虚ろさを帯びていた。感情を押さえつけたような無機質な響きが、義務のように静かに紡がれていく。
「あの子はお友達に、あたしはあんたが勝つ方に。どちらも、負けた場合お互いに守ろうとしている者を見殺しにすることを条件に」
説明を終えるのと同時に短く息をつく。紫の瞳は空を仰ぎ、決して隣を見ようとしなかった。
フリットは何も返すことができない。彼女から放たれたのは残酷な真実だった。
コルネリアの言うことが本当なら、自分がアイクを殺していればユーフェミアが生き続ける未来が存在したということになる。
彼女の言う手助け、というのはあの連絡通路で自分を治療した回復魔法のことだろう。そして、コルネリアがアイクの治療を承諾したのは賭けから外れた些細なことだったからか。
どちらにせよ、あの時、あの夜。コルネリアに彼の命を繋ぐことを願わなければ。そうすれば、自分の望みは叶っていた。
憎悪へと置換されたはずの後悔が降り積もっていく。残された親友への感情が最大の足枷となり、そして敗北を招いた。
いくら悔やんでもそれを拭い捨てることは許されない。そのまま背負い、前を向く。
きっとユーフェミアは自分の行動を読んでいたのだろう。だからこそ、アイクに計画を示唆し自分を止めるよう仕向けたのだと思う。
だが、この考察は自分の甘さが招いた結果を誤魔化しているだけ。仕方がなかったと合理化しているに過ぎない。分かっている。本当は何もかも自分が悪いのだと。
しかし今は、こう思うことでしか進むことが出来なかった。
「次は……」
「これ、まだ聞くの?」
次の問いへと移ろうとした時、コルネリアが続く言葉を遮った。形の整った細い眉には若干の皺が寄る。
「そろそろ飽きてきたんだけど」
「なんでも答えると言ったのはお前だろ」
「こんなに一つ一つ聞かれたら埒が明かないわよ」
短く吐き出した呼気の後、彼女はゆっくりと腕を組みしばし宙を見つめた。
「あと一つ。それなら必ず答えるわ」
「……それなら」
フリットはコルネリアの横顔へと視線を向けた。
彼女には不可解な点がいくつか存在する。
魔具を介さず魔法を使う特異体質。何故彼女の接触を図るのに特殊な手段を用いるのか。
そして、彼女の容姿。それは幼いころから何度も読み聞かせられた絵本の中や、そして町の至るところで像や絵画として祭られているとある人物に酷似している。
これが最後の問いかけというのなら、聞くべきことは決まっていた。
「お前の正体はなんなんだ?」
その率直な疑問に対し、コルネリアは待っていたと言わんばかりに表情を歪めた。そして、獰猛な笑みが浮かぶ口が開かれる。
「あたしは──」