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 どうぞ、というジョシュアの声を聞いて私は彼の部屋に入った。


 ジョシュアは窓辺に体を向けており、私を振り替えることはない。


 じっと窓の外の夜景を眺めているようだった。


「こんな時間にごめん」


「大丈夫。何か話でも?」


「……うん」


 しばしの沈黙。


 心臓の鼓動が聞こえそうなくらい胸がバクバクしているのがわかった。


「単刀直入に聞くよ、カトリーヌ」


 ジョシュアは神妙なトーンで言った。


 どこか、感情を圧し殺している雰囲気さえあった。


「君、サルバドールの内通者だね」


 ジョシュアの言葉を聞いてドキリ、とした。


 バクバクと暴れていた心臓が一瞬にして止まった錯覚に襲われる。


 同時に全身が凍りつくような感覚。


 ……バレた?


 ……それもジョシュアに?


「……」


 明らかな動揺だ。


 私としたことが動揺した。


 訓練でこのような状況でも耐えられるよう鍛えられている私が、動揺してしまった。


 相手がジョシュアだからか?


「そ、それは……」


 私は咄嗟に答えられなかった。


 喉が乾いていく。


 口も干からびそうだ。


「それはどういう意味ですか……?」


 一旦、明言は避ける。


 しかし、ジョシュアには通用しない。


「言葉通りの意味だよ。君がサルバドールからのスパイか聞いているんだ」


 ゴクリ、と唾が喉を流れた。


「……」


 この場合『違う』と抵抗するのが正解だろう。


 しかし、私は答えられない。


 これ以上ジョシュアに嘘を吐くのが耐えられなかった。


 スパイだと疑われてしまったのならば、もはや一度くらい本物の私を知って欲しいという気持ちが沸き上がってくる。


「まあ、この手紙が何よりもの証拠だけど」


 と、私が黙っているとジョシュアはサルバドールから私宛の手紙を取り出した。


 そして、くるりと私に振り向く。


「悪いけど、さっき君の部屋から取ってきた」


「どうして……?」


 繋ぎの疑問符を投げる。


 嫌な汗が風呂上がりの肌をだらだらと流れていく。


「今日の射的で君のピストルの扱いに意識が向いてしまったんだ」


 しくじった。


 注意していたつもりだったけれど、見抜かれたのか。


「あれはただの女の子ができるものじゃない」


 ゆっくりとジョシュアは私に近寄りながら言う。


「スパイの件について君の国は批判はしない。僕らも同じようなことはしている」


 もはや、話口調からジョシュアは私をスパイだと断定しているのがわかった。


「つい先日、サルバドールに送り込んだスパイから"君たちが使っている暗号"に関する連絡があってね」


「……」


「それを(もと)に君の手紙を解読すると、何気ない友人とのやり取りが諜報活動の定期報告の手紙に置き換わるんだ」


「……」


 なるほど、全てお見通しってわけだ。


 これは観念せざるを得ない。


 さすが軍師様。


「そうね」


 だから私は打ち明けることにした。


「あなたの言う通り、私はサルバドールからのスパイよ」


「……」


 私の告白を聞いてジョシュアは俯く。


「あなたたちの機密情報を盗むために送り込まれたスパイ」


「カトリーヌ……」


「ごめんなさい、本当はアリシアっていうの」


「そうかい」


 カトリーヌは今回の潜入のための偽名。


 本当の名はアリシア・ロンド。


「で、どうする? 私を逮捕する?」


 強がって私は声を張った。


 しかし、本音は泣きたいくらいに悲しかった。


 これでジョシュアとの幸福な日々も終わりだ。


 それが何よりも辛かった。


「いや、逮捕はしない」


 予想外の返事に私は眉を潜める。


「となると拷問かしら?」


「君にそんな酷いことはしないさ。僕の愛した人だもの」


「ーーっつ!」


 こんな状況でそんなことを言われると私の心が余計に痛むじゃないの。


 バカ。


「君には僕らのスパイと身柄を交換するための人員になってもらう」


「それはどういうこと?」


「実は僕らのスパイも捕まってしまっていてね。身柄引き渡しの代わりに色々と無茶な要求をされているんだよ」


「なるほど」


 得心がいった。


 その無茶な要求を跳ね返すために私を差し出すわけだ。


「理解が早くて助かるよ」


 ジョシュアは微笑む。


「どうして笑っていられるの?」


「変かな?」


「だって敵国のスパイなのよ、私。普通はもっと警戒するでしょう?」


「まあ、そうだよね」


 でも、とジョシュアは私を見つめた。


「僕にとって君は人生で最愛の女性なんだ。敵国の人間だとわかっていても、それだけは変えられない」


 ジョシュアの言葉に不意に喉が熱くなった。


「それは……」


 唇をぐっと噛んで泣きそうになるのを我慢しながら私もジョシュアに言った。


「私もあなたが人生で最愛の人だった。あなたと一緒にいる時間が一番の幸福だった」


「……カトリーヌ」


「この生活が終わらなければ良いのになって思いながら過ごしてきた……」


 がくり、と私は膝から倒れた。


 両手を床に着く。


 ポタポタ、と涙が零れてしまう。


「私はあなたを愛してた。それだけは本当」


「僕も一緒だよ」


 顔をあげると切なそうに、しかし、優しく私を見つめるジョシュア。


「もっと違う出会い方をしていれば、僕らはちゃんと幸せになれたんだろうね」


 確かに。


 こんな出会いでなければ良かったのに。


 ただの一般人同士として出会えていれば良かったのに。


「泣かないで」


 すっとジョシュアが私に手を差し伸べる。


「どこまでも優しいのね」


 でも、そういうところが大好きだよ。


「ありがとう」


 私は彼の手を取って立ち上がった。


「早速だけれど、事態は早急なんだ。君の引き渡しは明日になる」


「そう。大事になる前に済ませましょう」


「カトリーヌ」


 ジョシュアは再度私を見つめて言う。


 真剣は表情をしている。


「君はスパイだけど、まだ何もしてはいない」


「それは……そうだけど」


 スパイとしては残念ながら、咎められるような悪事までは働いていない。


「なら、君には国を捨てて僕と結婚するという道もある」


「へ?」


 唐突にとんでもないことをジョシュアは言い出した。


「今なら君を咎める者は少ないだろう。亡命者として受け入れてもらえると思うんだ」


「ちょっとジョシュア。自分が何を言っているかわかってるの? それにあなたの国のスパイは?」


「最悪、身代金を払って救い出すさ」


「でも、諜報部員の私が消息を絶ったらサルバドールは大人しくしていないわっ」


 下手をすれば戦争にまで発展しかねない。


「そう……だよね」


 私の言葉にジョシュアは項垂れた。


「わかってるんだけどね」


「……ジョシュア」


「君が好きなんだ。心の底から愛しているんだ」


「それは私も同じ。あなたを愛してる」


 見つめ合う私たちの間に長い沈黙が流れた。


 お互い、この関係をこれ以上維持できないのはわかっていた。


 だから、口を開く。


「終わりにしよう」

「終わりにしましょう」


 別れを選ぶ。


 それが互いのため。


 互いの国のため。


 このまま目の前の愛を選んでも、その先に幸福が待っているとは思えなかった。


 そう信じたい気持ちはあったけれど。


「こんな急に君とさよならするとは思わなかったな」


「私も。あなたに見破られるとは思わなかったわ」


「最後の夜だ。ワインでも飲んで思い出を語り合おう」


「そうね。敵国同士だけど、別れる前くらいは仲良しでもいいわよね」


 こうして、私たちの別れが決まった。


 愛を捨てきれないでいる私たちは最後の夜を共に過ごすことにしたのだった。

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