第9悔 『始まりの後悔士たち』
前悔までの『ファンティーゴ!』は……。
地球暦1121年、春のおわり――
リゴッド皇国第二皇子エンリケは突如として“後悔皇子”と名乗り、皇民に「人類革新の為に後悔する事」を奨励した。
長年の片思いの恋人ノニーが海外留学して意気消沈していたフェルディナンドは、竹馬の友クリストフに誘われ仕方なく“後悔”に興味を示す。
しかし、マウント・ノギのルーム神殿で行われたエンリケ後悔皇子公認の初めての“後悔”は想像を絶するものだった。
“後悔”の為に神殿の石段を転げ落ちた“救国の英雄”エリクソンが瀕死の重傷を負った時、フェルディナンドを含めた皇民は一斉に弾けた。
大後悔時代の幕開けである。
地球暦1169年5月17日――
皇都ルームの戦勝記念広場『みんなの庭』での“後悔皇子”エンリケによる『大後悔宣言』から二日後。
つまり、コン・ゾン山での初めての公の“後悔”の前日……。
〈ドンガラガッシャ~ン! ドテッ!〉
「だんちょ~う! やっぱり無理ですよ~!!」
コン・ゾン山の麓の公園に隣接した陸上闘技場の選手控室に、三銃士一の長身で可愛げもある女性隊員キャスの声が響き渡った。
今、まさに艶やかなる男ロニーを肩車で持ち上げることに失敗し、真っ逆さまに床に叩きつけてしまったところだ。
「はぁ……どうも俺たちはとんでもない仕事を請け負ってしまったのかも知れないぞ」
いかにも、荒くれ者たちが調度品を手荒に扱ってきた、といった感じのズタボロにされたソファに深く腰掛け、異様に長い数本の前髪を指でつまみ、何度も撫で伸ばしてはため息をつく『後悔三銃士』のリーダー、タイタスが呟いた。
昨日からずっとこの調子で稽古が続いていた。キャスが部屋中央の床に座り込み、疲れ切った表情で隊長を睨みながら言う。
「団長~、おなか空いたよぉ! もう辞めて帰りましょうよ~!」
「そうは言っても僕たちにまわって来た空前絶後の大チャンスなんだからさ。報酬も破格だったし……」
逆さまに頭から落ちたままの体勢で艶男ロニーが冷静にキャスを諭す。
「それにな、キャス。団長じゃないぞ。これからは隊長と呼ぶ練習もするんだ」
タイタスが優しく訂正を促した。
そう、三人はほんの二週間前までいわゆるドサ回りの貧乏劇団員であった。
団長のタイタス以下たった五名の劇団。役者三人と裏方二人の小劇団。
その劇団名を『ゴシカ』と言った。地方の公園や広場を回っては自分たちで仮設の舞台を組み、『リゴッド悲喜劇』を中心に公演してきたのだ。
そんなある日の公演後、舞台の撤収をしている役者組のタイタスら三人に「ブラーボ!」と言いながら近づいて来る者があった。
「そこで、諸君らに長期間の公演を極秘で依頼したいのだが」
その右手に杖をつき、穏やかでいて堂々とした存在感の持ち主は名を「トスカネリ」と名乗った……。
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「いや、しかし実際参ったもんだぜ……」タイタスが独り言ちる。
当初、トスカネリから聞いていた話では、あの新進気鋭のファッション・リーダー、今や皇国を代表するデザイナーのクリストフ・コンクーがこの“後悔”とやらを指導する隊のリーダーになって、劇団員の三人はサポートに回るはずだったのだから。
「はぁ、クリストフさんならきっと、隊の素晴らしい決めポーズを思いついたんでしょうね~」
何しろそのポーズを開発する稽古で苦労しているキャスが愚痴った。
『“後悔”を表現する三位一体の革新的なポーズ』――。
「トスカネリ様の一番の要望がそれだものな……」と、ロニーが床に仰向けになったまま呟く。
そういった理由があって『大後悔宣言』以来、三銃士はこのコン・ゾン陸上闘技場の選手控室で、決めポーズ開発のための合宿生活をしていたのだった。
皇子エンリケとその家庭教師トスカネリの代わりに“公の後悔”認可のために立ち合い、しっかりと検分しなければいけない重責を皇子の家庭教師トスカネリ直々に仰せつかったワケだが、初の“後悔”日までにその『革新的なポーズ』を開発することがトスカネリからの厳命としてまずあったのだ。
そして、この件は絶対的な極秘事項として依頼されていた。
そのため、三銃士は誰に相談することも許されず、不慣れな『ポーズ開発』などというものに取り組まねばならなかった。
「こういうのは前衛的な舞踏家に頼んで欲しかったよなぁ……。よくわからないけど」
タイタスがそう言いながらソファ上で横になろうとしたときに、控え室の戸をノックする者があった。慌てて飛び上がる三銃士の面々。
リーダーがポーズの稽古をしている振りをしながら応えた。
「はい、どうぞ!」
戸を開けて顔をのぞき込ませたのは『後悔三銃士』に選ばれなかった劇団の残り二人。タイタスの弟で脚本担当マーカスと、劇団では様々な楽器で劇を彩る音楽家志望の最年少のトラネキだった。
「兄貴、おつかれ! 差し入れだよ!」とマーカスが紙包みを右手で掲げ、トラネキが愛用の角笛を〈プパァーッ!〉と吹きながら元気に挨拶した。
「わぁ!」と喜ぶキャス。
「なんだ、お前らかぁ!」タイタスも安心した様子でまたソファに崩れる。
この合宿の存在を知っているのは、依頼人のトスカネリ以外にいなかったはずなので三銃士は一瞬、緊張したのだ。
「どう? “後悔”ポーズは出来た?」
無邪気なトラネキがマーカスの下から顔をのぞかせてみんなに聞く。
「ぜ~んぜんさ! 安請け合いした自分たちを呪いたいくらいだ」と笑いながらロニーが答えて戸まで小走りで駆け寄ろうとすると、マーカスが包みを雑に投げてよこした。
何とかキャッチしたロニーが尻もちをついてキョトンとする。
「実家の特製ミートパイだよ! それでも食べながら“後悔”しな――いや、“後悔”ポーズを完成させな」
マーカスが張り付いたような笑顔で言うと、彼と一番仲の良いキャスも若干の違和感を覚え始めた。
しかし、肝心の兄タイタスは異変に気づかずに「ハハハ! 実際、後悔し始めてるよ、俺たちは! しかし、こいつはありがたい。ちょうど腹が減りまくってたんだ! やっぱりコレがなきゃな!」と言ってロニーから紙包みを受け取ると、テーブルの上に広げて手づかみで食べ始めてしまった。
「うん、うまい! ほら、ロニー、キャス!」と呼び込むと、やはりちょうど空腹で疲れ切っていた二人も夢中で食べ始めた。
「ホント! とってもジューシー!」とキャスもミートパイに舌鼓を打つ。
ロニーもそれに同意した。
「うん! この新鮮な肉の歯ごたえがまた最高だね!」
その間、戸から顔をのぞかせたままの笑顔で微動だにしないマーカスとトラネキ。
「どうした? いつまでもそこに突っ立って。お前らも中に入って休めよ」とタイタスが言うと、戸に立つ二人は無言で〈ドバシャ!〉と崩れ落ちた。
「?」三銃士の頭に疑問符が浮かんだ。
「え? どうしたの?」とキャスが二人に寄っていく。
すると彼女は戸を開けた瞬間、今まで食べていたパイをすべて吐いてしまった。それを見て釣られて吐くロニー。キョトンとした顔のタイタス。
腰砕けのキャスが、この世のものとは思えない声で叫ぶ。
タイタスとロニーが慌てて駆け寄ると――
戸の裏にはどうやって切り落とされたのか不明の、下半身がすっかりないマーカスとトラネキの遺体が横たわっていた。二人とも満面の笑みのまま絶命していた。
トラネキはロニーの年下のパートナーであった。
マーカスはタイタスの弟であり、キャスの恋人でもあった。
トスカネリとの約束で、このコン・ゾン陸上闘技場での合宿は極秘事項になっていたはずだった。
しかし、三人とも身内だけは別だろうと勝手に思い込んでいた。ロニーはトラネキにこっそり話し、キャスも恋人に「他の誰にも言っちゃだめだよ」と話してしまった。タイタスも家を離れるので、妻にだけは教えていた……。
トスカネリとの約束を破ってしまっていたのだ。三銃士の三人ともが……。
――これは……何らかの報復なのか?
タイタスは、脳裏にあの恐ろしい威圧感を放つ男を思い浮かべながら呻いた。
「な、なんてことをしてしまったんだ、俺たちは……」
――と、その時だった。
天井裏から何者かの声が響いてきた。
《 “後悔”したね 》
――と。
それから三銃士が“後悔”ポーズを完成させるまで時間はかからなかった。
まさにあの瞬間の、絶望の淵から奈落の底にたたき落とされた、まさにその瞬間のそれぞれの姿勢を“後悔ポーズ”として組み合わせただけなのだ。
翌朝になってトスカネリが小屋を訪ねてきたとき、一睡もできなかったキャスは後ろ手で短剣に手をかけ、いつでも飛びかかれる体勢で彼を迎えた。
ロニーはトラネキの形見のウィンド山羊の角笛を握りしめ、タイタスはひたすら震えていた。
トスカネリの隣には、タイタスの妻グィネスがいたからだ。
何も知らない彼女は夫に誇らしげな笑みを向けていた。
「注文通りの良いポーズが出来たようだね?」と、顔色一つ変えずにトスカネリが問う。その手はグィネスの肩に置かれていた。
――妻を人質に取られた!
タイタスはトスカネリに深く頭を下げながら血の涙を流していた。
タイタス&ロニー、キャス――
彼らはその生涯を終える日まで、差し入れのミートパイの味を忘れることが出来なかった。
三銃士の面々はエンリケ後悔皇子による『大後悔宣言』のあと、エリクソン・シンバルディより早く初めての“後悔士”となったわけだが、それは当然、非公式のものとなった。
第9悔 『始まりの後悔士たち』 おわり。:*+゜゜+*:.。.*:+☆