せいあどうのまき
昔の個人サイトで開かれた「蛙祭り」に参加した読み切り作品です。
旧自サイトで宣言したように著作権を放棄します。(原作者を騙らない限り)改変・再使用はご自由に。
三蔵法師の一行、火焔山の砂漠を抜けて、やがて吐蕃北西の辺境にある天笠山の麓までやって来ました。この辺りは高山地帯で、ツンドラすら所々にしかない岩と残雪の世界です。ぽかぽかと気持ちの良い気候で、野宿には良いのですが、問題は三蔵の乗る白馬の食べる草が生えていない事、弟子の誰かが馬を草の生えている所に連れていかなけばなりません。普通なら悟空が行く所ですが、あたりに人家が無いので、今日は雲に乗って夕食の托鉢に出掛けています。代わりに八戒が馬を草場に連れて行き、残った悟浄は三蔵の護衛をします。
1. 猪八戒のこと
八戒は、ぽかぽか陽気に昼寝がしたくてたまりません。そこで、三蔵一行から見えない所に来るや、白馬の手綱を放して言います。
『おい、お前は勝手に草を探して来いや、おれさま、用事があるんでな』
そうして、さっさと武器のまぐわを放り出して、一人昼寝をむさぼります。本当は馬を見守らなければならないのですが、そんな事はお構いなし。以前、金角銀角の支配する平頂山で昼寝をむさぼって、こっぴどい目に会ったことなぞ(第32回)すっかり忘れています。それが八戒です。
しばらくすると、八戒の傍らに、美味しそうなウシガエルが現れました。八戒は寝ていても嗅覚だけは健在です。寝ぼけながらも
『おお、なんと美味そうな!』
と早速涎を流しました。ウシガエルは逃げません。
2. 白馬のこと
一面の岩山でなかなか草原が見つからず、白馬はひもじい思いをしています。と、目の前にさっきのウシガエルが現れました。八戒のかわりにウシガエルが現れるという事は、八戒の身の上に何か起こった事を意味しますが、それは白馬の知った事ではありません。
ところで、この白馬、元々は龍なのであって、その本性は蛇と変わりません。現に彼が初めて孫悟空に会った時に一戦を交えた際は、最後の避難先として蛇の穴に逃げ込んだ程でした(第15回)。その彼がひもじい思いをしている時に現れたウシガエルです。思わず
『おお、なんと美味そうな!』
と感嘆して、唾を飲み込んでしまいました。ウシガエルは逃げません。
3. 沙悟浄のこと
三蔵は喉が渇きました。まだ悟空も八戒も帰って来ません。そこで悟浄に川から水を汲んで来るように頼みます。三蔵の希望は、真面目な悟浄にとっては命令ですから、さっそく川べりまで降りると、さっきのウシガエルがいます。と云う事は、白馬の身にすら何かあったに違いありませんが、それは悟浄の預かり知らぬ事です。
悟浄は真面目な男ですから、蛙を食べようとは思いません。三蔵に弟子入りして以来、動物を食べる事は名目上は禁じられているのです。しかし、彼は河童の親分ですから、ウシガエルの美味しい事は知っています。思わず
『おお、なんと美味そうな!』
と口にしてしまいました。そうして、自分自身の賎しい発言に恥ずかしくって、あたりをきょろきょろ見回しました。幸い誰も聞いていないようです。
その時異変が起こりました。そうです。悟浄の『うまそうな!』という言葉に感応して、空からでかい舌がぬっと出てきたのです。その舌の先は巨大なウシガエルです。実は、先ほどのウシガエルが一瞬にして百倍に拡大したのです。敵の油断をついて、さっと獲物を取るのは蛙の十八番、その油断を誘う為に、このウシガエル妖怪は、わざと美味しそうな姿で八戒や白馬の前に現れたのです。
八戒や白馬はそうやって釣られました。しかし、悟浄は違います。ウシガエルを食べようと思った訳ではないので、隙がありません。だから、ぬっと出てきた舌を辛くも避け、武器の宝杖を振りかざしました。簡単に巻かれた八戒とは訳が違います。さっそく両者、激しい闘いを始めました。片や河童の化け物で、片や蛙の化け物、その怪談登場率はお互いに引けを取りません。一進一退の見事な闘いです。
とはいえ、所詮、悟浄は西遊記では傍役でしかありません。つまり妖怪を勝てないと相場が決まっているのです。二十合も闘わないうちに、妖怪に援軍が現れました。そうです、大量のヒキガエルです。そのヒキガエルが一斉に悟浄に取り付いたから、さすがの悟浄にも隙が出て、妖怪の舌に巻き上げられてしまいました。
さあ大変、悟浄はウシガエルに食べられてしまったのでしょうか? 八戒や白馬も同じように食べられてしまったのでしょうか?
4. 青蛙洞のこと
ところ変わって、ここは天笠山の中腹の青蛙洞です。西遊記で洞窟が出てきたら、まず妖怪の住処と思ってほぼ間違いありません。そう、この青蛙洞にも妖怪がいます。その名も金華大王。いかにも凄そうな名前です。きっと顔も凄いだろう、と思いきや、意外や綺麗な顔をしています。いや、意外などと言っては妖怪に失礼でしょう。彼等の多くは、何百年・何千年も修行して神通力を得たから妖怪と呼ばれるのです。修行した者に対して妖怪という差別用語を用いて良いかどうかの議論は措くとして、少なくとも妖怪だからと云って差別してはいけません。修行と顔とは関係無いのです。たまには顔の良い妖怪もいます。
さて、この金華大王ですが、今は機嫌良さそうに料理の指示をしています。どうやら食い道楽の妖怪に違いありません。さも無ければ、王様の身分で台所…いえ、洞窟は公共の場所だから厨房と呼びましょう…に立つ筈がありません。もちろん王様なのですから、好きな事をするのは当然です。しかし、ふつう王様というのは金ぴかの陶器製の椅子にふんぞり返るっているものです。中国では陶器の事を玉と言います。ですから、それで出来た椅子は玉座、すなわち王様の座るところです。その王様がわざわざ厨房に立っているのですから、これは単に料理が好きなだけでなく、何か新しい食材が手に入ったからでしょう。それなら機嫌良さそうにしているのも頷けます。
その新しい食材とは? そうです。八戒です。縛られて吊り下げられています。その横には白馬もいます。彼らはまだ食べられていなかったのです。ウシガエルの化け物の舌に巻き上げられたものの、それは捕まえる為であって、食べる為ではありません。第一、八戒は豚ですから生で食べたら病気になりますし、白馬は本性が龍ですから食べる前に鱗を除かなければなりません。そこで、彼らを料理するべく、料理の名人たる青蛙洞の金華大王のところまで連れてきたのです。そもそもウシガエルの化け物は金華大王の弟子です。そして、日本の医学部を見れば分かると思いますが、弟子とは即ち部下であり下働きなのです。捕らえた獲物を勝手に食べる事すら許されません。手柄はすべてボスの名義になると相場が決まっているのです。
さて、金華大王が調味料配合の一番難しい所を調理師に教えていた時、
『ただいま戻りました』
という声がしました。そう、ウシガエルの化け物が悟浄を捕まえて来たのです。
『河童とは久々の珍味。これは手柄じゃ』
金華大王は大喜びです。喜びついでに、大王は尋ねます。
『ところで、唐僧は?』
西遊記に出て来る妖怪、と云うか、修行を積んだ動物植物鉱物の仙人は、その6�割以上が、三蔵法師を食べたくてしょうがない事になっています。何故かと言うと、三蔵を食べると長生き出来るという噂が流布しているからです。いわば健康食品みたいなものです。健康食品の効能が極めていかがわしい事は妖怪達も承知しているのですが、そこは好奇心に満ちた連中ですから、珍味として三蔵を狙っているのです。そもそも、不老長寿の法を身につけたからこそ仙人だの妖怪だのになれる訳ですから、そんな連中に健康食品が必要な筈がありません。でも、珍味となると話は別で、毒でない限り食べたくなるのは人情というもの。とすれば、料理の名人・金華大王が三蔵法師を食べたがらない筈がありません。
大王の要望にウシガエルの化け物は健気にも答えます。
『これから捕まえに行きます』
『気を付けて行って参れ』
そう言ってウシガエルを送りだしました。そうです。大王とは普通は根拠地で待っているものなのです。孫悟空と対決するのが大王の役目ですから。三蔵のような雑魚はウシガエルのような雑魚の仕事なのです。
5. 三蔵法師のこと
悟浄がなかなか戻って来ませんので、三蔵は我慢できずに自ら川を探しにいきました。そう、彼はせっかちなのです。せっかちなだけでなく、方向音痴です。だからこそ、碗子山波月洞では、みすみす妖魔の本拠に足を踏み入れるという過ちを冒しました(第28回)。そんな三蔵が天幕の外に出ると、そこに現れた者がいます。もちろんさっきのウシガエルです。こんな時、悟空は間に合わないものと相場が決まっているのです。あわや、三蔵も八戒や悟浄と同じ運命か?
普通はそう考えますが、今回はちょっと違うようです。このウシガエルはひたすら、
『おお、なんと美味そうな!』
と三蔵が云うのを待っているのです。というのも三蔵は八戒や悟浄の師匠だからです。つまり、何も知らないウシガエルは、三蔵が強いと思っているのです。となれば、正面から攻めるより、餌と見せ掛けて、相手を油断させようと思うのは当然の事です。
しかし、三蔵は生き物を慈しむ人ですから、ウシガエルを食べるなんてもっての他で、それどころか邪魔をしないように避けて歩きます。近付かない三蔵を見て、ウシガエルは
『これはできる!』
と誤解しました。かくて、方向音痴の三蔵はいつまでも川に辿りつかず、ウシガエルはいつまでもいつまでも待っています。
この膠着状態もついに破れる時がきました。そうです、我らが悟空が托鉢から戻って来たのです。彼には妖怪を一目で見分ける能力がありますから
『師匠、危ない!』
と声をかけるなり、雲の上から飛び下りつつ金箍棒を振り上げました。
驚いたのは三蔵です。いや、ウシガエルも驚きましたが、彼はずっと警戒していたので、三蔵ほどは驚きません。さっと本体に戻るや、ぴょんとひと跳びして、金箍棒を避けます。
と同時に、三蔵の驚く様子を見て、その瞬間に三蔵が木偶の坊である事をウシガエルは悟ったのです。
『ものども、唐僧を捕まえろ』
そう声をかけるや、またも大量のヒキガエルが出てきて三蔵に取り付きました。
かくてウシガエルは体勢を立て直しましたが、相手は悟空です。八戒や悟浄とは訳が違います。目にも止まらぬ早さで金箍棒を続けざまに撃ち下ろし、百も数えないうちにウシガエルの化け物をたたき殺しました。さすが悟空と言いたいところですが、この行為は法治国家では犯罪です。いかに相手が悪くても過剰防衛はいけません。たしかに西遊記は千年以上前のお話ですが、当時の中国は唐という法治国家で、このような行為は罪に問われる事になります。だから、それを戒める為に、悟空の頭には金の輪っかが嵌められていて、悟空が殺生をした時に三蔵や観音様が禁箍呪を唱えるのです。
しかし三蔵は禁箍呪を唱えません。
それは、相手がウシガエルの化け物だったからでしょうか? いくら生物を慈しむ三蔵とはいえ、見た事も無い巨大な動物は殺されても仕方ないと思っている可能性があります。明らかな差別ですが、そこは人の子、仕方ありません。でも、今、三蔵が禁箍呪を唱えないのには訳があるのです。そうです。彼は唱えられないのです。というのも、悟空がウシガエルの化け物と闘っている時に、かの金華大王が三蔵を攫い、更に地の利を生かして、秘密の道から根拠地に帰りつつあったからです。先ほどはウシガエルを送りだしたものの、金華大王は三蔵が1人ぼっちという事はあり得ないと気付いた時に、相手が悟空であることを悟り、慌ててあとを追って来たのです。
三蔵の一番弟子の悟空が恐ろしく強い事は、西遊記の決まり事として妖怪の皆さん御存じです。金華大王とて例外ではありません。ましてや、先ほどから八戒が、さんざん負け犬の遠ぼえならぬ負け豚のヤジを飛ばしているのです。兄貴が来たら只では済まないぞ、と。これでは否応にも、悟空の事が気になります。少なくとも悟空相手ではウシガエルに万が一のチャンスも無い事は予想できます。だから救援に駆けつけたのですが、時すでに遅く、ウシガエルがやっつけられる寸前でした。見れば、目の前に縛られた三蔵が転がっています。ここでわざわざ危険を冒して悟空と闘う必要はありません。ウシガエルはただの弟子、いわば奴隷のような者であり、一部のアメリカ人にとっての日本、一部の日本人にとっての韓国に過ぎません。見殺しても良心の呵責は余り無いのです。だから三蔵を攫うやさっと逃げたのです。
6. 孫悟空のこと
悟空が三蔵のほうを振り返ると、そこに三蔵の姿は見えません。更に辺りを一瞥して、悟空は三蔵だけでなく八戒や悟浄も捕まった事を悟りました。彼は半径数百キロで起こっている事を探知するだけの、望遠鏡顔負けの眼力を持っているのです。しかし、その眼力をもってしても、金華大王の秘密の道は分かりません。そこで悟空は
『お師匠さまあ!』
と叫びました。
三蔵が捕まったら、悟空は取りあえずそう叫ぶ事にしています。何故なら、大声を出すのはストレス発散に最適であり、しかも、こう叫べば土地神がそれを聞きつけて、情報を持って参上する事があるからです。妖怪を住まわせるのは土地神の自由ですが、その妖怪が三蔵を攫ったとなると土地神に連帯責任が出てきます。たとい妖怪が土地神の意見を受け付けない事が分っていても、責任を取らされるのは土地神です。これを土地神は不条理に思っていますが、小学校の規則とはそんなものです。となると、今の状況では、土地神としては、悟空に呪文で呼びつけられるより、早めに自主的に参上した方が叱責が少ないに決まっています。
『大聖どの、土地神でございます』
さっそく天笠山の土地神が現れました。
『こら、妖怪に勝手にさせるとは不行届きもの、ちょっと引っぱたいてやるから顎を出せ』
悟空はいつもの冗談を言います。実際に引っぱたいた事はないのですが、土地神に会う度に同じ事を言うので、土地神たちの間では、悟空は土地神を引っぱたくのが趣味だとさえ噂されています。悟空はそんな噂を逆手にとって、ますます面白がって冗談を続けているのです。何故なら、土地神の言い訳が悟空を楽しませてくれるからです。
『申し訳ありません、あの妖怪はとても強く、大聖様でないととても勝てません』
この土地神は悟空の期待通りの答えをしました。この程度のガキ大将対策レベルのお世辞でも、直ぐに機嫌良く乗るのが悟空です。
『よろしい、ひっぱたくのはお預けにするから、その妖怪について言え』
と、早速情報収集を始めます。
妖怪というのは本性さえ分かれば退治の方法が分かる訳で、これは妖怪に限らず全ての闘いで言えます。苛めっ子にも弱点はあるのです。アメリカにもアキレス腱が沢山あります。その弱点を押さえる事が重要なのです。
『ここの妖怪は金華大王と言いまして、ここから北へ500キロ程行った青蛙洞という処に住んでいます。普段は害虫退治をして、必要な時に雨を降らせますが、僧侶とか道士とかいった普通で無い人間を見ると捕まえて食べてしまうので、地元の人間に色々な意味で畏れられています』
そう土地神が話し終えるや、悟空の姿は見えません。そうです。最後まで聞かずに青蛙洞に向かったのです。これでは妖怪の弱点は分かりません。でも良いのです。これは悟空の性格ですから。
7. 闘いのこと
一方、こちらはくだんの青蛙洞です。金華大王が帰って来るや、息が整わないうちに、
『お師匠さまを返せー』
という雷のような怒鳴り声が聞こえました。そう、悟空が既に到着したのです。足の速いのが彼の取り柄で、だからこそ、三蔵は今まで妖怪に食べられずに済んでいます。
対する金華大王ですが、ここは自分の本拠、戦場として一番有利な場所です。早速武器を取って出てきました。
『そこな猿、人の家に来たら、取り次ぎを頼むのが礼儀ぞ』
妖怪の言い分はもっともです。悟空は金華大王が三蔵を連れて行くのを目撃したわけではありません。土地神の説明でも、金華大王が三蔵誘拐の犯人だとは断定出来ません。もしかすると、そこらへんの夜盗が三蔵を人身売買すべく横取りしたのかも知れないのです。にもかかわらず、500キロも離れた洞の主を犯人扱いして怒鳴り込むのは、日本の警察やイエロー週刊誌なみの人権侵害です。
『誘拐犯罪人に取次ぎなんか出来るか!』
悟空は相変らずの剣幕で、何処かの大統領並みの論理を披露しています。
もしも金華大王が悪者に徹するなら、ここは証拠不十分を主張してしらを切るのが正しい態度ですが、いかんせん金華大王は腕に自信がありますから、
『うちと3合闘って逃げなかったら返してやるわ、この刀を食らえ!』
と、あっさり容疑を認めます。しらばっくれない処を見ると、この妖怪はそこまで悪い奴ではないのでしょうか? いや、即断は禁物です。容疑をあっさり認めて、なおかつ謝らない態度は開き直りと言って、現代ではアメリカ政府でしか使えない悪名高い態度です。日本政府もアメリカ政府を真似しようとしていますが、きっと無理でしょう、というか無理である事を願いたいものです。
かくて、売り言葉に買い言葉、
『その言葉忘れるな!』
『覚悟!』
と続き、いよいよ皆さんお馴染みの大立ち回りが始まりました。
悟空の強みは身の軽さですが、金華大王の身軽さも負けていません。特に跳躍力では悟空の上を行きます。軽く三十合ほど手合わせしたあと、金華大王は跳ねた勢いで刀を振り下ろし、悟空の脳天を狙いますが、悟空もそれを金箍棒ではね返すや、そのはね返された刀を持ち直す隙を狙って金箍棒で突きに入ります。それを辛くも避けて更に跳躍する金華大王は、刀を悟空に投げ付けます。悟空もさるもの、それを寸差でかわし、一気に相手の懐に入ろうとしますが、その寸前に金華大王は再び身を移して、お互い再び対峙したときは、金華大王の手元に投げ付けた筈の刀があります。そう、金華大王は刀をバネ尺のような鞭で巻き戻して、相手の油断の隙に斬り付けるのが十八番なのです。今までそれで負けた事がありません。
しかし、今日の相手は悟空です。めざとく刀を認めた悟空は、今度はわざと隙を見せるべく、金箍棒を持ち直します。その隙に誘われて金華大王が刀で三度突きをすると、その呼吸を悟空は読んで、勢いの衰えた三度目の突きの伸び切ったところを、金箍棒で思いきり刀を叩いて、相手の体勢の大きく崩れたところで、再び相手の懐に飛び込みます。そう、金華大王の十八番は悟空の身軽さの前に空しく破れたのです。
とはいえ、勝負は終りません。というのも、悟空が金華大王の右手を素手で捕まえたかに見えた、その次の瞬間、手はぬるりと抜けて、そのまま金華大王が大きく跳躍したからです。そうして、着地するや、再び刀を投げ付けました。素早く走って追った悟空は、今度は刀の柄を目ざとく受け取って我がものにしますが、その隙を狙って、金華大王は、再び先ほどの鞭を金箍棒のほうに巻き付けます。悟空がしめたとおもって金箍棒を引っ張ると、金華大王は鞭を放し、そのタイミングで悟空のほうの跳躍しつつ巨大な蝦蟇ガエルに変身するや、たちまちぬっと長い舌を出して、悟空の体を巻き取ってしまいました。
ところで、良い子の皆さん、この立ち回りの学校では禁止されています。もしも見つかったら、よくて退学、悪くて警察沙汰となって、一生のトラウマになります。大立ち回りの真似がしたかったら、北京の京劇に入門しましょう。
8. 金華大王のこと
勝利を得て青蛙洞に戻った蝦蟇ガエルは、早速悟空を縛って他の連中同様に吊り下げました。そうして、奥の泉に向かいます。そこにはお湯が湧いています。チベットは造山帯ですから、火山がなくとも温泉の湧いている洞窟はあるのです。そういうところが福地洞天と言われるのです。
『良い汗をかいた』
御機嫌な様子でそう言いながら、泉の横のプールというか池というか、そういうところに浸かります。この金華大王は温泉が好きなのです。妖怪は臭いもの・汚いものと思うのは情報操作に乗せられた結果の間違いで、妖怪時代の悟空だって水浴びが好きでした。そもそも、これからグルメを楽しもうと言う時に、汗臭い体では、楽しみも半減します。金華大王は大のグルメなのですから。
一方、こちらは悟空です。
『兄貴まで捕まっちゃったんかい』
『馬鹿、ここからが俺様の腕の見せ所だろうが』
『じゃあ、助けてくれよう』
『しっ』
悟空と八戒がいつもの会話をしています。見張りの隙を見つけて、ニコ毛を身替わりにこっそり縄抜けするのが悟空の十八番です。その芸当をここでもしている訳ですが、良い子の皆さんはこれも真似してはいけません。吊り下げられている時に縄ぬけをすると、重力の法則に従って頭から落ちで軽くて頸骨折、最悪死亡します。そもそも、縛って吊り下げるという行為自体が無期懲役に当る犯罪です。もちろん、豚に限ってやって構わないというのが20世紀までの国際ルールですが、八戒は豚なのかヒトなのか妖怪なのか分からない存在なので、豚だと思ったという言い訳は裁判では通用しません。ましてや猿や河童や馬でやったら、動物虐待という事でクジラ漁よりも大きな国際問題になり、坊主でやると慰謝料を一生たかられます。
縄を抜けた悟空は
『ちょいと偵察してくる』
と言うなり、蟷螂に化けて金華大王が向かった方向に向って行きました。そうです、悟空は、いつも仲間を助けるのを後回しにするのです。これを非情と罵ってはいけません。というのも、これがスパイの基本だからです。
ところで、普段蠅に化けるのが好きな悟空が、どうして今日に限って蟷螂に化けたのでしょう。それは、金華大王の本性が蛙であると分ったからです。さっきのウシガエルといい、ヒキガエルと言い、ここは蛙の妖怪の本拠に違いありません。そこで、蠅に化けるのを止めたのです。そうして奥に進んだ悟空は、やがて、金華大王の浸かっている温泉を見つけます。湯気で大王の姿ははっきりしませんが、蛙の姿で無い事だけは分かります。それでも金華大王だと分ったのは
『豚はトンカツ、みんなに振る舞え♪ 河童は干し肉、旅に使え♪ 馬鹿な悟空は食えないから♪ 煙でいぶって肝だけ食らう♪♪』
と機嫌良く歌っていたからです。なかなかの美声です。元が蛙だから合唱団に入っているのかも知れません。
横の脱衣所には、悟空の金箍棒が置いてあります。悟空は大喜びです。見張りもいますが、悟空が気にする筈がありません。こうなったら悟空のもの、早速もとの姿に戻って金箍棒を奪い取りました。この騒ぎに金華大王も異変に気付きます。
『卑怯だぞ』
金華大王の言い分はもっともです。正々堂々とした闘いで負けたサルが、闘いの後の入浴中に不意に殴り込んで来るのは、昔の国際合意を一方的に反古にする行為と一緒であり、反対の多い法律を作る為に法律の適用範囲を説明した政府の約束を法律の成立後に一方的に拡大解釈する行為と一緒です。近代国際史や立法史はきちんと合意の原点に戻って勉強しなければいけません。
悟空は卑怯と言われるのが嫌ですから
『おれも男だ、着替えるまで待ってやるぜ』
と言います。悟空としては格好良く決めたつもりです。ところが、意外な答えが返って来ました。
『この、すけべー!』
よくよく湯気のシルエットを見ると、女の形です。
そうです、金華大王の本性はメスの蝦蟇ガエルなのです。脱衣所の服で分からなかったのは、この時代は男女関係なく王様は絹の美しい服を着ていたからです。闘いの時に分からなかったのは、相手が戦闘服をしていたからです。
『げ、俺は女にゃ興味がねえ』
これにはさすがの悟空も面喰らいました。彼は既に1000年も生きているのに、未だに童貞なのです。慌ててその場を離れ、三蔵たちを助けに戻りましたが、騒ぎが大きすぎたのか、彼等の前には妖怪の壁が出来ています。もちろん悟空にとっては木偶の坊のような連中ですが、今の悟空は事の意外さにすっかり戦意を失っています。ニコ毛だけを回収してすたこらさっさ外に出ます。それを見て
『弼馬温の意気地なし!』
と騒いでいるのはもちろん八戒です。八戒が言うからには、意気地なしと云う罵倒には複数の意味が含まれていますが、良い子の皆さんは知る必要がありません。
悟空は洞の外に出ると、再び
『蛙の化け物、勝負だ!』
と叫びます。悟空は化け物という言葉で相手を罵倒した積もりかも知れませんが、これには若干無理があります。というのも、彼自身が猿の化け物であり、21世紀初頭的には、イチローのように人間離れした能力を持つものに対し、羨望の意味を込めて化け物と呼ぶのが普通だからです。そして、男女平等の原則に従えば、これは女性たる金華大王にも当てはまるからです。特に金華大王は美人ですから、その容姿に対して化け物という非難はありえません。つまり、その能力に対して化け物と言ったと看做されるべきです。しかしながら、闘いの場におけるこの種の掛け声には
『よくぞ誉めた』
と答えるより
『てめえの顔みていいやがれ』
と答えるのが常識です。金華大王もその常識に従って、そのまま刀を振りかざして来ました。
今度の闘いは前回と異なり、金華大王の受け刀になりました。というのも、前回、金華大王は奥の手を使い果たして、悟空にパターンを読まれたからです。かの悟空の金箍棒を三十合以上も支えるだけで、それは素晴らしい実力ですが、しかし劣勢は拭えません。そんな時のお決まりが、宝物と呼ばれる秘密兵器です。そう、金華大王も持っているのです。彼女が敢えて攻勢に出なかったのも、この宝物を使うタイミングを狙っていたのです。一方の悟空は、前回の闘いで宝物が出なかったので油断しています。
悟空が勝ちを確信した瞬間、金華大王は小さな壺を取り出して、その中身を振りまきました。香水でしょうか? 香水は確かに武器になります。アレルギーで呼吸困難に陥る人もいる程です。タバコと同じぐらいに他人迷惑で、満員電車やコンサートホールなど、人込みの中で使うべきものではありません。しかし、それは香水ではありませんでした。西遊記の時代には香はあっても香水は無いのです。
金華大王が投げたのは真っ黒な墨でした。それはたちまち悟空の回りを覆って、その身体にべとつきました。そう、煙幕のように広がる特別な墨だったのです。それだけではありません。墨は悟空にべと付いて彼の動きを鈍くするや、直ぐに呪文の羅列となって悟空回りを縄のようにぐるぐる巻きにしてしまいました。丸で耳無し芳一に書かれたお経のようです。
『ふん、動けないだろうが!』
そうです、この呪文の為に悟空は変化すら出来なくなってしまったのです。
『悪猿め。この墨があったら、あたしゃ菩薩様だって怖くないんだから』
恐るべき墨です。
再び勝利を得て青蛙洞に戻った金華大王は、悟空をぐるぐる巻きに縛って他の連中と一緒に吊り下げます。そうして、再び奥の泉に向かいました。もちろん、先ほど中断された温泉気分をもう一度楽しむ為です。悟空は例の呪文墨で縄抜け出来ないようにしていますから、今度こそ安心と云う訳です。
9. 呪文墨のこと
こちら、墨が体じゅうに書き込んだ呪文で変化の出来なくなった悟空です。
『ははは、俺達を助けなかった罰だ』
と笑っているのはもちろん八戒です。どんな苦境でも、悟空が自分より酷い目に会っているのを見ると、八戒はつい嬉しくなってしまうのです。
『馬鹿、このままじゃ俺達全員、御陀仏だぜ』
と悟浄がたしなめます。
『悟空や、なぜ逃げられぬのかい』
『お師匠さま、この呪文が問題らしいのです。それで変身ができません』
三蔵が呪文を読むと、般若心経に続けて「変幻不変実体」と書いてあります。
般若心経とは、三蔵達が烏巣禅師から口伝てに教わった、僅か270字のもっとも基本的なお経です(第19回)。その短さと深遠さから、多くの解釈が可能です。その中でも有名な解釈は、世の中の現象や人間の五感、知覚が総べて幻であるというものです。観音菩薩が色々な姿に変化出来るのも、この解釈を体得しているからと云われていて、それは悟空の変身術にもある程度当てはまります。ところが、変身の全てが幻だと解釈することも可能なのです。それがここでの「変幻不変本体」という意味でしょう。観音様は自らの存在すらを幻とすら思っているフシのある菩薩ですから、この程度の呪文はあまり効かないかも知れませんが、悟空は強烈な自意識と実体意識をもった猿ですから、こういう呪文は悟空を金縛りにしてしまうのです。現代風に云えば、一種の催眠術かも知れません。
読み終わった三蔵は、感心するように
『なるほど、「変化しても実体は変わらない」と書いてあるな。なかなか意味深い……』
とのんびりと言います。緊迫感も何もありません。というのも、彼はお経マニアなので、お経や呪文が関わって来ると、突然、我が身が縛られている事も忘れて、思索に入ってしまうからです。もはや悟空を助ける役に全く立ちません。
では悟浄はどうでしょう?
『実体が変わらないとは問題だぜ、縄抜け出来ないじゃないか』
なまじ教養のあるだけに、それが催眠術の一種だと判断する前に、呪文の内容を考え込んでしまいました。彼も悟空の助けになりません。残るは八戒です。
『おいらにも読ませてくれ』
悟空や三蔵に解けない呪文が彼に解けるとは思えませんが、それでも悟空は文字の書かれてある背中を八戒に見せました。
『どれどれ、「どんなに変化しても、それは相変わらず、すべて実体である」って書いてあるじゃないか。兄貴、この文句の何処が問題なんだ』
八戒は誤読と駄洒落の名人なのです。だから、彼ぐらいにいい加減な豚だと、かえってこの手の催眠術は効きません。もっとも豚に催眠術とか洗脳とか元々不可能でしょう。中途半端に頭の良い人が洗脳されやすいのです。洗脳はどんなに気を付けて防げませんから、これを防ぐには、良い子の皆さんは悪い子を親友に持たなければなりません。悪い子なら洗脳されないからです。
果たして、悪い子・八戒の誤読した途端に、悟空の催眠術は解けました。そうして
『賢弟よ、そくぞ言った』
と言うなり、悟空は得意の蠅の姿に変わって縄を抜けました。怪我の功名というのでしょうか、難しい算数の問題もこんな具合に解ける事があります。
縄を抜けた悟空は、姿を戻して三蔵の縄を解き始めました。すると
『おいらのお陰で縄ぬけできたのに、なんでおいらから解いてくれないんだ』
と八戒が大声を立てます。八戒にしてみれば、一番長く縛られていた者から助けられるべきだという気がして仕方ないのです。平等主義に立てば、あるいは信賞必罰主義に乗っ取っても八戒の言い分は正当ですが、しかしこの一行は平等ではありません。学校と同じく、先生から助けなければなりません。これを義務教育と言います。
八戒の大声で、監視の連中が一斉に悟空たちのほうを振り返りました。そう、彼等は下っ端の監視役によくあるように、悟空が逃げた事には気付かなかったのです。というのも、呪文墨の利き目で今度こそ逃げられないと多寡をくくり、御茶を飲みながら雑談をしていたからです。けれども、八戒の大声では気付かない筈がありません。さっそく
『大王さまー!』
と、大声を立て鐘を鳴らします。悟空が解いたのは三蔵だけ。闘いのお荷物にはなっても役には立ちません。のみならず、金箍棒を金華大王に奪われたままですがら、手の施しようがありません。三蔵を見捨てるや、さっと監視役に化け、敵の中に紛れ込みました。そうして、次々に異なる子分の姿に変わって敵の目をくらまします。大変なのは金華大王の子分たちです。誰かが悟空の化けた偽物の筈だと分っていても、騒ぎにあつまった群集の中では全く分かりません。お互いに
『お前、本物か』
『そういうお前こそ怪しい』
と疑い始めました。三蔵を縛るという基本的な事すら忘れる慌てようです。
この騒ぎに紛れて、悟空は注進するふりをして奥の温泉の方に駆け込みます。そう、金箍棒を取りかえす為です。
『大王様、悟空が逃げ出して、金棒を振り回しています!』
すでに鐘と喧噪で異常事態は分っていますから、温泉入口にたむろする侍女と小姓は、悟空の化けたニセ部下の言う事を真に受けます。冷静なのは大王だけです。戦闘服を着込みながら
『はて、あいつは金箍棒を持たない筈だが』
とニセ部下に尋ねます。
『予備でも持っていたのではないでしょうか? あるいは盗んだとか?』
悟空が盗みの名人である事は、世界中に知れ渡っていますから、さすがの大王も不安になって
『盗まれていないか確認しろ』
とお気に入りの小姓に命じます。それを聞いた悟空は心の中でほくそ笑みつつも、そのまま小姓について行っては大王に怪しまれますから、
『大王、急ぎ支度を』
と金華大王をせかしつつ、一旦喧噪の中心に駆け込む振りをして、大王から見えなくなったところで燕に身を変えて小姓を追い掛けました。
小姓が向ったのは宝庫室ではなく、厨房でした。あの棒は餃子の皮を延ばすのに便利とばかり、ここに持って来られたのです。さすが料理の名人、棒の正しい使い方を知っています。棒は人を叩く為のものではありません。人間の役に立てるべきものなのです。もっとも、悟空にとっては命の次に大切な身の回り品です。武器である以前に精神安定剤であり麻薬でありインターネットなのです。そういう意味では棒は確かに悟空の役に立っています。棒を見つけた悟空は、元の姿に戻るなり、
『おれの棒だ!』
と言いつつ金箍棒を奪って、ついでに小姓を叩きます。あわれ、何の罪も無い小姓は、闘いのとばっちりで殺されてしまいました。彼は、金華大王にさらわれ、可愛がられただけの被害者なのです。しかし、今の場合、悟空に殺人罪は適用されません。というのも、さっきの鐘を開戦の合図に、単なる殺し合いを越えて、戦争に突入したからです。中国で鐘と言えば開戦の合図なのです。戦争では殺人罪は問われません。問われるのは虐待と敵前逃亡ぐらいでしょう。
一方の金華大王は既に着替えを終り、同時に点呼の命令を出して喧噪の収拾に当っています。呆然と立ち尽くしていた三蔵も、ようやく縛られて所定の配置に戻りました。三蔵は縛られる為、そして時たま禁箍呪を唱える為だけに、西遊記に存在しているのです。
小姓を殺した悟空は、その小姓に化け、ニコ毛で金箍棒の偽物を作って、金華大王の元に戻ります。
『大王様、金箍棒は盗まれていました』
そう言いつつ、悟空はニセの金箍棒を見せます。
『それは何じゃ』
『偽物の棒です。厨房に置いてあいりました。本物の棒をわたし如きに持てる筈ありません』
と言いつつ、金華大王に渡します。明らかに悟空から奪った金箍棒と重さが違います。しかも相手はお気に入りの小姓です。大王はすっかり信用してしまいました。
『いったい、いつのまに?』
『縛られたと見せ掛けて、こっそり盗んでいたに違いありません』
『奴ならやりそうな事だ』
『大王様の墨壺は大丈夫でしょうか』
そう言われて、金華大王は慌てて墨の小壺を取り出しました。これが悟空の狙いだったのです。
妖怪によっては、宝物を肌身放さず持っている者もいますが、彼女は違います。温泉で身を浄めるのに墨壺をお湯に入れる訳にはいきません。今でこそ戦闘服を着て宝物も懐に入れていますが、平時は書斎に置いているのです。というのも金華大王は女性らしく日記を書くのが好きだからです。そして、この呪文墨こそ、持ち主が念じた事をそのまま紙の上に記してくれるという、モノ書きの最も欲しがる宝物だったのです。しかし、それは悟空の預かり知らぬ事です。悟空は墨壺をじっくり見て、早速ニコ毛を抜いて偽物を作ります。
『大丈夫だ、と思う』
『失礼ながら拝見』
そこはお気に入りの小姓の言葉ですから、金華大王はつい渡してしまいました。そうして、ちょっとの隙に偽物と取り替えます。
『確かに本物のようです』
そう言いつつ、小姓姿の悟空は壺を金華大王に返しました。いつもの手品が成功したのです。悟空のこの行為は、しかしながら、普通には詐欺と云う犯罪に当ります。30点しか取れなかったテストの成績を先生が内申書に書く段階で、80点の答案と名前をすりかえるぐらいに卑怯な方法です。もっとも、悟空はこうやって宝を盗むほうが、堂々と強盗を働くよりも正当だと考えています。時代によって、場所によって犯罪に対する評価は違うのです。現代の尺度で大昔の個人犯罪の軽重を云々してはいけません。
そこへ、別の部下の注進が入りました。
『大王のお小姓が殺されている!』
その言葉に、慌てて悟空は本性を現わします。すぐさま金華大王も
『おのれ、この泥棒猿!』
と言いつつ悟空に斬り付けました。洞内は闘いに不向きですから、両者闘いながらじりじりと洞門の外に出ていきます。一体、宝物を失い奥の手も知られた金華大王が闘い続けるのは不思議に思えますが、そこは怒りの度合いの違いで、互角に闘います。先ほどは三蔵達を略奪した後ろめたさの元で闘っていましたが、今回は壺を盗まれた怒りのもとに闘っています。志気が違います。軍事力で圧倒的に誇る米軍や露軍が、志気の勝るゲリラに手を焼くのと同じ原理です。
金華大王は持ち前の跳躍力を生かし、右に左に撃って出ます。悟空のほうは、とんぼ返りとアクロバットで対抗します。それは一服の美しい絵です。そう、彼は闘いすら美しくなければならないと考えているのです。考えてみれば体操競技やフィギャースケートにも芸術点なる訳の分からない審査基準がある訳ですから、悟空の美意識を笑ってはいけません。彼の態度こそ、単純に勝てば良い訳では無い、というオリンピック精神に相応しいものではありませんか。この演技なら、どんなに裏取り引きのある審査員でも最高点を認めざるを得ないでしょう。
『宝物を返せ!』
『師匠を返せ!』
両者、そう怒鳴りながら闘い続けます。闘いは前回と違って、行きつ戻りつ、五十合ほど続きます。
『騙して盗むとは卑怯者!』
『宝物に頼る方が余程卑怯だ!』
『男なら力で奪え!』
『男にうつつを抜かすのが馬鹿だ!』
『返さぬなら頭を斬らせろ!』
そこまで金華大王が叫んだ時、悟空は大王の刀を金箍棒で支えつつ答えました。
『おう、それならこの頭を出すから何度でも斬って見るがいいや』
そうです、悟空の頭は天界の斬妖剣ですら切れなかった、超石頭なのです。石というより石英と云った方が良いかも知れません。一体、今の今まで闘いできっちり相手の刀を避けていたのは、悟空の美学だったのです。そして、今の今までこの交換条件を出さなかったのは、相手が言い出すのを待っていたと云うより、真剣勝負で汗をかきたかったからです。
悟空が伸ばした頭に金華大王が刀を降り下ろすと、果たして火花だけが飛んで悟空の頭はびくともしません。
『なんちゅう石頭だ』
大王は舌を巻きます。少々怖くなったようです。
『じゃあ、こっちの番だな』
と悟空が金箍棒を振り上げると、戦意を失った金華大王はさっさと洞に戻って門を閉めてしまいました。
10. 蝦蟇蛙のこと
金華大王が息を切らせつつ
『あのサル、なんて強いんだ』
と言っていると、門の外から悟空の声が聞こえてきます。
『馬鹿蛙、出てこい! すべた蛙、師匠を返せ!!』
馬鹿もすべたも今のところ差別用語には登録されてはいませんが、馬鹿はともかくすべたは大っぴらに男性が女性相手に発言した場合、差別用語の使用以上に大問題になり、発言者は社会的に抹殺されます。しかも今の相手は美人・料理上手・奇麗好き・運動神経抜群の4拍子そろった金華大王です。事実に反する発言であるという罪すら負っています。この暴言を聴いた金華大王、一旦は悟空の石頭に魂消て逃げ帰りましたが、むらむらと怒気が湧いてきました。もっとも、この怒り、すべたという非現実的な罵倒用語に対してでなく、馬鹿という罵倒用語に反応したのかも知れません。というのも人は図星を当てられると腹を立てるものだからです。金華大王は墨壺を奪われた事を後悔している最中なのです。
とうとう我慢できずに、頭から湯気を立てつつ出てきます。
『そのへらず口、ふさいでやる!』
そう言うが速いか刀を振りかざして来ました。両者4度目の闘いです。外は既に暗くなり、月明かりの元で金箍棒と刀をぶつけ合います。
しかし、金華大王、今回は疲れを隠せません。と云うのも、怒りのエネルギーをさっきの闘いで使い果たしたからです。今度の怒りは悪口に対するもの、さっきに比べて格が3ランクほど劣ります。かくて、だんだん受け刀になって来ます。
そんな時の妖怪の対応策に三つあります。一つは降伏して三蔵達を解放する事、一つは宝物と呼ばれる秘密兵器を使う事、一つは人間の姿を止めて本体に戻って闘う事です。この3つのうち。降伏する事の損得は現代においてすらはっきりしません。というのも、本土決戦をせずに降伏した日本と、最後まで降伏しなかったドイツと、その双方が戦後同じように発展したからです。ですから、ここで金華大王が降伏しなかったのは別に不合理でも何でもありません。また、宝物は悟空に盗まれたので使えません。悟空が金華大王に向けて使ってくれれば、逆に呪文をかけて悟空を縛る事が出来ますが、悟空も金角銀角の時の幌金縄に懲りていますから(第34回)、同じ失敗はしません。もちろん好奇心の塊たる悟空は新しいものを手に入れると直ぐに試したくなる性格ですが、今回は必死に我慢しています。となると金華大王に残された手段は本性に顕わす事です。
本性を顕わした金華大王、それは巨大な蝦蟇蛙だったのです。1回目の闘いで見せた姿とは比べ物にならない程に大きな蛙です。もちろんウシガエルの化け物とも比べ物になりません。この蝦蟇からなら、いっぺんで油売り1万人に卸すだけの蝦蟇油が採れるでしょう。
『どうだ、詐欺猿馬鹿猿泥棒猿!』
と言うなり、舌を出して悟空を巻き込もうとします。悟空はその隙を突いて背後に回りますが、すぐに蛙は飛び跳ねて悟空の棒を避けます。そうして暫く闘ったあと、金華大王の蛙は呪文を唱えました。するとどうでしょう、むくむくと雲が沸き起こり、雨が降り出しました。既に夜ですから、それこそ真っ暗です。あるのは雲あかりのみ。
雨は本来は天帝が裁可して始めて降らせる事の出来るものですが、規則の厳しいのは人家耕地のあるところで、こういう僻地では多少の雨は勝手に降らせても、天界からのお咎めはありません。そしてこの蛙は近くの湖の龍王を呼びつける術を持っているのです。雨が降れば足元も金箍棒も滑って悟空に不利ですが、同時に蛙には有利です。
『こりゃやばいぞ』
そう悟空は思うや、きんと雲で逃げ出しました。金華大王は3度目の勝利を得て洞に戻ります。
11. 龍王のこと
雲に乗った悟空は、そのまま雨を降らせている龍王のところに言って怒鳴り付けます。
『この角持ちのミミズ野郎、妖怪の手助けをするとは何事か! この棒でぶん殴ってやるから顎を出せ!』
悟空は、その昔、東海龍王のところから金箍棒を半ば奪うように譲り受けて以来、あらゆる龍王に優位な立場にあって、龍王をこき使う事が出来ます。ですから、今、悟空に怒鳴り付けられた龍王はすっかり肝を冷やしました。
『こ、これは大聖さま、申し訳ありません。大聖さまがそこにいらっしゃるとは知りませんでした』
『ふん、見れば闘ってるのが分かるじゃねえか!』
『私どもは、あの蛙の唱える呪文に逆らえませんで、いつもこき使われています。呼ばれた雨を降らせたら、そこに大聖さまがいらっしゃった訳です』
それを聞いて悟空、ふと疑問に思いました。
『天帝からの裁可はいらねえんかよう』
『人家耕地の無い所は、かなり自由なようです』
『じゃあ、ぶん殴るのはお預けにするから、ちょい手伝ってくれ』
脅かしておいて、それをあっさり許す代わりに相手をこき使うのは、かなり高等な外交手法です。悟空もそのつもりで龍王を出合い頭に怒鳴り付けたのです。本当に怒っていたからではありません。
『東海の龍王をお呼びになられた方が、あの蛙の呪文に惑わされる事が無いかと思いますが』
『それも一理あるな。よし、ちょっくら行って来る』
悟空がきんと雲に乗れば東海竜宮は瞬きする間についてしまいます。チベットと東海では4時間の時差がありますから、竜宮は既に夜半を過ぎています。やがて龍王が起きてきて
『これは大聖どの、こんな時間にどうされました。まずはお茶でも』
と挨拶しました。何があってもお茶をすすめるのが竜宮のしきたりです。しかし、そこはせっかちな悟空の事、単刀直入に用件を言います。すぐに東海竜王は如雨露を取り出して悟空と共に青蛙洞に向かいました。
入口に着くや、悟空は門の外から悪態をつき始めました。
『間抜け妖怪、出てこい! この、すべた、男たらし、化け物、寝取られ女、、』
相手を怒らせて門から外に出そうと云う魂胆です。相手を挑発するのは戦争の常套手段で、別に悟空だけの専売特許ではありません。悪口ごときで怒る方が馬鹿なのです。それは水滸伝を見ても三国志演義を見ても分かるでしょう。もっとも、近年では悪口のみが厳しく取り締まられるようになり、宝物を盗んだ罪は宝物を返せば執行猶予のつく犯罪ですが、悪口はたといそれがどんなに図星であっても、相手に弁護士や政治屋がつくと数千万円の慰謝料を取られます。気を付けなければなりません。
一方の金華大王、悟空を追っ払って、三たび癒しの温泉に浸かっています。半分うつらうつらです。侍女が注進に来たのはその時でした。そして事もあろうに、侍女は悟空の言う悪口をいちいち金華大王に伝えます。相当馬鹿な召し使いと言うべきでしょう。こういう時は入浴が終るまで、もっと言えばそのあとの仮眠が終るまで門の外で待たせるのが正しい対応法です。
またも妨害された彼女は、仏の顔も三度という形相で
『いつまでも懲りない猿め』
と言うなり、急いで外に出ます。そして、いきなり本性を顕わしつつ怒鳴ります、
『三度も負けた癖に、人の邪魔をとは何事か!』
『卑怯な勝ち方で勝ちと言えるか!』
かくて両者5度目の闘いです。
金華大王は疲れていますから、さっさと決着をつけようと呪文を唱えます。ところがどうでしょう、雲ひとつ起こりません。この呪文は、ちょっと格の低い湖の龍王には効いても、東海龍王には効かないのです。それが分かっていますから、悟空はにやにや笑って
『下司女、腐れ鰯、蛇の餌、どうした。何も出来ないなら師匠をかえせ』
と罵りつつ、金箍棒を縄にかえて蝦蟇ガエルに投げかけます。相手は呪文を必死に唱えているところですからジャンプできません。見事に縄に捕まって、縛られます。前回ぬるりと抜けられた教訓に、金箍棒を縄には滑り止めのギザギザがあります。動物虐待を地で行くような縛り方です。
かくて悟空が一安心した次の瞬間、金華大王は小さなアオガエルに変身して縄抜けするや、そのまま洞内に逃げ込み、門を堅く閉めました。悟空顔負けの縄ぬけで、閉まった門には蟻の這い入る隙間もありません。
『大聖どの、門を閉められてしまいましたが、どうしましょう』
東海龍王が残念そうに声を掛けます。こんな時、すぐに次のアイデアが浮かぶのも悟空の強みです。
『ちょっと雨を降らせてくれないか。そしたら洞の中の連中の多くは元々が蛙だから、門を開けて出てくるだろう。その隙に俺様が洞の中に入って師匠を助け出すってのはどうだ?』
『しかし、外は真っ暗ですし、明日の朝になさっては如何でしょう』
『あのな、朝になって泥棒に入る馬鹿が何処にいると思う? 師匠を助け出したら、それこそ安心して眠れるってもんだぜ』
そう、悟空は三蔵たちを助け出す事を優先する戦略に切り替えたのです。しかしながら、この案は問題があったようです。
『大聖どの、この時刻では、いかに雨の音でも蛙は寝てますよ』
『それもそうだな、じゃあ、俺たちもひと休みするか』
こうして、ようやく悟空は休みました。金華大王の方も温泉につかる元気なくバタンキューです。とても料理どころではありません。龍王もひとまず竜宮に戻ります。
12. 決戦のこと
翌朝、東の空が白み出すや、悟空は呪文で東海龍王を呼び出します。
『敖広参上!』
直ぐに龍王が如雨露を持って現れます。2度目はわざわざ竜宮まで行かなくても呪文を唱えれば良いのです。現代ではこれを携帯呼び出しと言います。呪文を教えるのは携帯番号を教えるのと同じ事だからです。このように携帯は緊急の時に使うもので、決して長話閑話をするものではありません。長話をしたかったら、ネット電話か固定電話を使わないと、小遣いがいくらあっても足りません。そんな金があったら、良い子の皆さんは中国の古典文学を買って読みましょう。
悟空のもとに現れた東海龍王は、さっそく雨を降らせます。その音を聞いて、果たして妖怪達が外に出てきました。
『げろげろげろおー、あめだあめだ』
『けろけろけろおー、ほんもののあめだあ』
『くえくえくえー、うれしいな』
『げーこ、げーこ、あめふりおつきさん』
羽目を外してはしゃいでいます。どうやら東海龍王と湖の龍王とでは降らせる雨も味が違うのでしょう。それもその筈で、この近くの大きな湖と言えば、イシク湖という塩湖で、とっても辛いのです。それに比べて東海龍王の雨は、甘露と云う名前がつくほどの雨です。蛙が喜ぶのも無理はありません。
この無邪気なはしゃぎ方を見ては、如何に悟空といえ、殺す気にはなれません。彼は何処かの超大国の軍隊とは違います。悟空は、はしゃいでいる部下の一人に化けて洞内に潜入しました。しかし、三蔵たちは見つかりません。それもその筈、悟空の泥棒ぶりは超有名ですから、昨日の闘いのあとに金華大王が命じて別の部屋に移したのです。
こちら金華大王、昨日の疲れで熟睡していますから、妖怪たちが騒ぎだしてから目を覚ましました。見ると部下の半数が消えています。すわ、悟空が夜に忍び込んで部下を殺したのかと一瞬不安になりますが、洞内の嬉々とした様子を見てひとまず安心すると共に不思議に思います。
『はて、今は戦争中の筈だが?』
しかし、そこは大王です。空気の湿気をすぐさま感じて海洋性の大雨が降っている事を察します。
『おかしい! なぜ、東海龍王がここに!』
さすが金華大王です。昨日、呪文が効かなかった事を思いあわせて直ぐに事情を察しました。悟空の差し金に違いありません。そこで気を引き締めて悟空との闘いに備えます。こっちに有利に雨をわざわざ降えあせているからには計略があるに違いませんが、この湿気はそういう不安を吹き飛ばすだけの活力を金華大王に与えてくれます。着替えを終えるや洞の外に向いました。
外に向かう金華大王を見た悟空はほくそ笑みます。というのも、これで下っ端妖怪の代わりに金華大王に化ける事が出来るからです。化けたまま悟空は奥に行き、侍女に向って
『唐僧達を連れてこい』
と命じました。
普通の人間なら今し方出て行ったばかりの大王が直ぐに戻ってこのような命令をする事を不思議に思って、「何故ですか」の一言ぐらい聞くものですが、この侍女は昨日の例にもあるように、単に命令を実行するだけのマニュアル人間に過ぎません。不幸にして、こういうマニュアル人間に限って、駄目教師から、「素直で良い子」と誉められるものなのです。良い子の皆さん、そこで焦って先生に気に入られようと思ってはいけません。そういう先生は、質問攻めで虐めるのが正しいのです。考えても御覧なさい、もしも、くだんの侍女がそんな良い子ならば、質問で悟空から珍解答を引き出して、読者ともども楽しめた違いありません。しかし、侍女は命令どおりにさっそく三蔵たちを閉じ込めている部屋に向いました。これには読者のみならず、珍問答の好きな悟空にとっても残念な事です。
もっとも、彼女の行為そのものは悟空を喜ばせました。というのも、第一に三蔵たちが無事だったのが分かり、第二に彼等のいる場所が分かったからです。三蔵たちの無事が分かった以上、侍女の戻るのを待たずに悟空は外に向いました。彼は金華大王ともう一度武闘をしたくて、うずうずしているのです。悟空にとって、闘いとは命のやりとりで無く、気分転換の運動競技に過ぎません。この競技で相手を降参させてこそ気分がスッキリするのです。
燕になって素早く出て行くと、入口のところで
『陰険猿、隠れるとは卑怯だぞ』
と金華大王が外に向って叫んでいます。そこで悟空は本性に戻るなり
『間抜けガエル、おめえの洞は乗っ取ったぜ』
と金華大王の背後から答えました。
かくて両者6度目の闘いが始まりました。悟空の出て来たのを見て龍王は雨を降らすのを止めていますが、気合いの入った金華大王は刀と巻鞭とで金箍棒と互角に渡り合います。五十合ほど闘ったところで、金華大王は本性を顕わし、更に闘い続けましたが、決着がつきません。とはいえ、この両者、闘いだけなら悟空のほうが少し上です。やがて、悟空は目くらましで金箍棒を3本に分け、2本で叩くと見せ掛けるや、隠しもった本物の一本をジャンプ途中の蝦蟇蛙の足に見事に当てました。怪我をした蝦蟇蛙はあわてて洞に戻ります。怪我をしたとはいえ、そこは金華大王、跳躍力に優れた蛙です。悟空よりも早く洞に入り、いそいで門を閉めようとします。ここで閉め出しを食ったら元の木阿弥、悟空はなんとかしなければなりません。
ここで悟空は必殺技を出しました。なんと、蠅に化けたのです。これは一種の賭けですが彼には成算があります。
蛙に蠅。結果は知れた事です。金華大王は舌を伸ばすや蠅の悟空を捕まえましたが、そこは蛙の性の悲しいところで、これが猿なら捕まえるだけですが、蠅の姿をしていた為、悟空を飲み込んでしまいました。これは条件反射と言うより生理的反射です。いかな修行した仙人とて止める事は出来ません。否、金華大王は優秀な妖怪ですから、冷静な時なら飲み込むのを我慢できたかも知れませんが、今は慌てています。そのタイミングを悟空は狙った訳です。
金華大王が
『しまった』
と叫んだ時は時既に遅し、悟空は待ってましたとばかりに金華大王の胃の中で暴れます。あとはお決まり通り、ねを上げた金華大王が謝りましました。
『孫お祖父様、お許し下さい』
彼女は日記を書くだけあって古典の知識は抜群ですから、お祖父様と言えば腹痛が収まるかも知れない事を知っています。日本でこそ年寄りは少ない年金と不十分な介護で迫害されていますが、昔の中国では長老は極めて尊大な存在だったのです。だから、お祖父様と呼ばれた悟空は暴れるのを止めました。
『では、師匠たちをほどいて、お茶でも飲ませろ』
『そうします、そうします』
一体、こんなに簡単に決着がつくなら、何故始めからこの手を使わないのかと不思議に思う読者もいるかも知れません。論理的にはその通りですが、そんな疑問に悩むような子は悟空の冒険物語を読まなくてよろしい。もちろん、悟空が武闘を純粋に楽しむとか、彼はギリギリまで名案を思い付かないとか、龍王というギャラリーの手前勝って見せたとか色々理屈はつくかもしれませんが、本当の理由は、悟空がさっさと勝ってしまっては面白くないからです。それでは西遊記は成立しません。
13. 菩薩のこと
かくて一件落着と言いたいところですが、では、この金華大王はどうなったのでしょう? 妖怪のまま、この洞に残るのでしょうか? それでは西遊記ではありません。そうです、金華大王が
『そうします、そうします』
と答えている時に、雲に乗ってやって来た者がいるのです。
『悟空や、わしじゃ、文曲じゃ』
悟空は胃の中にいますから外は見えませんが、その声には聞き覚えがあります。
『文曲菩薩さまが、なんでこんな所にいらっしゃるのです』
文曲菩薩とは文曲星の事、文章を司る神様仏様です。
『実は、この妖怪を取り押さえに参ったのじゃ』
『それは御苦労さまで。でも、すでにみどもが取り押さえましたよ。苦労しましたぜ』
『それは見事な功績じゃ。いや、本当に立派だった。礼を言う。だから、わしの顔を立てて許してくれまいか?』
いつものパターンです。こうほめ殺しに言われては、悟空も金華大王を許さざるを得ません。そこで悟空は蛙の外に飛び出します。見れば、巨大な蝦蟇ガエルは文曲星の前でしゅんとなっています。文曲星が主人に違いありません。
『一体、この蝦蟇ガエルは菩薩様の何に当るんです?』
この疑問はもっともです。良い子の皆さんも不思議に思っているでしょう。
文曲星は蝦蟇蛙を指差しながら呪文を唱えます。すると、あれ不思議、かの巨大な蛙は、蝦蟇蛙の置き物になりました。しかもその足は3本です。
『これは青蛙神と言うてな、わしの書斎の大切な置き物なんじゃ』
青蛙神とは聞きなれない名前かも知れませんが、中国南部にいるという噂のある霊験ある神様で、別名、金華将軍とも言います。
『置き物がどうしてところに来るのです』
『わしの書いた物を読んで霊力をつちかったと見えるな。それが逃げ出したので、どこかの物語に隠れているのだろうと捜し回っておったのじゃよ。まあ、これも三蔵の受けるべき受難とおもって諦めてくれ』
ここまで先回りして説明されたのでは悟空も文句の出しようがありません。
『事情は分かりましたが、武器は元々は何です?』
妖怪の武器は、主人から奪った物と相場が決まっています。
『刀は、大切な文字を刻む為のもの、巻鞭はこいつの2枚舌の1枚、墨壺は、わしが小説の巻き物を綴るものじゃ。墨壺だけ見当たらないのは、おぬしの盗んだのであろう』
盗んだ、と図星を言われて、はいそうですと宝物を差し出す悟空ではありません。
『そんなもの盗んでいませんよ』
としらばっくれます。しかしそこは知恵の神様・文曲星です。
『返してくれんと、おぬしの存在すら幻になってしまうぞ。わしが書かねば西遊記なぞ存在しなかったのだから』
と脅します。
文章の神様・文曲星は中国では何度も下界に降臨して、その度に水滸伝や西遊記を生み出しています。だから、文曲星にこう言われては悟空もグーの音も言えません。彼は存在意識が強いのです。
『分かりましたよ。でも、盗まれないようにして下さいよ、この墨壺のせいで酷い目にあったんだから』
と言いつつ、悟空は渋々返します。たしかに、この墨壺こそ文芸・裁判の神様文曲星にふさわしい持ち物でしょう。ちなみに、この菩薩様、うつし身の姿は 青蛙堂の主人にそっくりだったとか。
文曲星と別れを告げて、悟空が三蔵たちを助けた話は、いつものパターンで書くべき事は何もありませんが、その時になっても三蔵が例の呪文という意味を考え続けていた事だけがちょっぴり違うのかもしれません。先生というのは、子供にとって過ぎた話にいつまでもこだわり続けているものなのです。
ーーー終りーーー
written 2005-6-25 ~ 2005-7-16
注) 青蛙神ならびに青蛙堂については岡本綺堂が書いております。詳しくは青空文庫の図書カード:No.1307(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1307.html)を参照下さい。