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<第九章>大口人間

<第九章>大口人間




 頭では分かっている。悪魔になってしまっては倒すことが困難になり、こちらも死の危険が付きまとう。

 それでも朝奈は美智子を殺すことが出来なかった。

 助けを求めていたから。

 まだ人間だったから。

 泣いていたから。

 どうしても体が動かなかった。

 だが、翆はあっさりと、まるでマナ板の上に置いている肉を切断するように、美智子の首を刎ねた。

 冷酷に。

 機械的に。

 無表情で。

 生存することを第一優先事項と考えれば、翆の行動は全く間違ってはいない。寧ろ正しいと言える。

 朝奈もそれが分かっているからこそ、何も言えずに顔を伏せていた。

「まったく、一般人に構うからこんな危険な目に遭うんだ。今度私にさっきのような真似をしてみろ。背中にナイフを突き刺してやる」

 朝奈に地下通路へ行くハッチを塞がれたことを言っているのだろう。翆は今にも切りかかりそうな雰囲気でそう言った。

「翆さん……今までどうしてたの?」

 朝奈は大勢の人間を死に追いやってしまった後悔の気持ちを押し隠し、静かに聞いた。

「遠くからずっとお前らを見てたよ。截のバイクが有ったおかげで早く戻ってこれたからな」

「ずっと? 何でもっと早く助けてくれなかったの!?」

「自分で私を遠ざけておいてよく言うよ。あんたがどうするか興味があったから……ちょっと見物させてもらったのさ」

 翆はケロッとしたように言った。

「おい、ふざけんなよ! お前がもっと早く来てればこんなに人が死なないですんだのに!」

 美智子の悲しい死体を見ながら健太が叫んだ。

「これだけの死者を出したのは私の所為じゃない。これはおあんたらが招いた結果だ。あんたらを信じたおかげでこの人たちは死んだ。さんざん助けるだの何だのと言っていたが、これじゃあんたらがいない方が良かったかもな」

「何だと!?」

「あんたらは一般市民の計画があまりにつたないと思って行動したんだろ。だけどな、あんたらの計画が優れているっていう保障もなかった。実際あのショッピングモールに居た人間は全滅してしまったようだし」

 翆は馬鹿にしたように二人を見つめる。

「くだらない優しさや正義感からあんな行動をしたんだろうが、私から見れば滑稽でしかないよ。自分ではそう思ってないかもしれないけど、あんたらは心から生存者を助けたいと思ったわけじゃない。悪魔の情報を知っている自分たちがそれを伝えなくてはならないという義務感、見捨てていくことの罪悪感、そう、結局は自分がそれに耐えられなかったから彼らを助けようとしただけ。本当に彼らを助けたいと思ったんじゃない」

「そんなこと……」

 朝奈が否定しようとする。

「違うと言えるか? 所詮「優しさ」なんてものは錯覚に過ぎない。怪我をしている人間を目にしたら多くの人間が彼らを助けるだろうが、それは決して優しさなんて理念だけの存在のことじゃない。助けてあげているという自己満足、怪我を見ていたくないという共感恐怖、放っておくわけにはいかないという罪悪感、理由は無数にあるが、辞書に載っている意味の優しさとは全く違う。どれも自分のための行動だ。お前らが彼らを助けようとした気持ちに一切そんな感情が無かったと言えるか?」

「それは……」

 朝奈は言えなかった。実際に何度も罪悪感を感じて行動していたから。

「それでもお前がいれば、助かる人間が居たかもしれないのは事実だろ?」

 健太が責任を擦り付けるように翆に言う。

「さあな。居たかもしれないし、変わらないかもしれない。絶対に正しい策なんてないんだ。生存者の計画もしかり、お前らの作戦もしかり。自分の方がいい案を考えたと思っても失敗することもある。全ては終わってからにしか分からない。今更そんなことを考えても意味は無いんだよ」

 この言葉を聞き、それ以上健太は文句を言うことが出来なかった。

「話は終わりだ。さっさと中央職員用エリアへ行くぞ」

 誰も何も言わないので翆は先へ歩き出す。

 美智子を殺す前に倒したのか、歩いていく途中に車のガラスに埋まっていた悪魔の首無し死体が横たわっている。

 朝奈と健太は言い換えせない悔しさで一杯だったものの、仕方がなく建物の門の前まで進んだ。

 門には相変わらず鎖付きの鍵が掛かっており、とても入れそうにはない。勿論、建物を囲んでいる高圧電流の流れた柵もしっかりと機能しているようだ。

「まいったな。鋼鉄製の鍵だ。これじゃどうしようもない」

 団子頭の前髪を耳に寄せながら、翆はため息をついた。

「他に道はないの?」

 朝奈が聞く。

「探してみよう。あまり私から離れるなよ。いちいち助けに行く気はないからな」

「……分かった」

 翆の性格を大体理解した朝奈は素直に了解した。

 三人でしばらく建物の周囲を捜索してみたが、裏口や非常口のようなものは全く見つからない。朝奈は木の上から中に入れないか実際に登ってみたりもしたが、とても柵の向こう側まで届きそうにはなかった。だが、しばらくそこに居るうちにあることに気がついた。

「……あれ?」

 木の上から遠くの方に何かが見える。

 それは大型のバスだった。猛獣を閉じ込めておく檻のような塗装をしたそのバスは、丁度今居る場所を建物の南と考えれば真西の位置にあたる場所に止まっている。

 何故朝奈がそんなバスに注意を引き付けられたかといえば、答えは簡単だ。そのバスが建物の西側の柵を突き破っていたのだ。

 あのバスが開けた穴を通れば柵の内側に入れるかもしれない。朝奈はその旨を二人に伝えた。

「西側か……はぁー、猛獣ゾーンを通らなくちゃいけないのかよ」

 健太が頭を抱えながら下を向く。それを見た翆は無感情な様子でこう言い放った。

「建物の柵を伝って行きたいが、駐車場の壁が邪魔をしている所為でそれは不可能だ。それにあの柵の穴の手前にも壁がある。多分、一般道からずっと続いてるんだろうな。だったら猛獣ゾーンを通るしかないだろ。覚悟を決めろ」

「分かったよ」

 健太は落胆しながら頷いた。

 疲れを知らないかのように歩き出す翆を、朝奈がふと何かを思い出したように呼び止めた。

「翆さん、あれから截さんから連絡は?」

「全く無いな。電話が壊れたのか無くしたのか、まあそんなとこだろう」

「死んでいるって思ったりはしないの?」

「その可能性もあるさ。だけど……その時は私には分かるから心配しなくていい」

「どういうこと?」

 翆の発言を朝奈は不思議がった。

「……時間がないから短くまとめるけど、私の体にはあいつの臓器が入ってるんだ。あいつの体にも私の臓器が入っている」

「え?」

「私と截は初仕事の時にイカれた上司の所為で二人揃って死に掛けてね。その治療の時にお互いの足りない臓器を、お互いの臓器とES細胞で補完したのさ。ES細胞の作用か、截の細胞の作用か、その時からごく僅かだけ截の存在を感じることが出来るようになったんだ。だから今あいつが生きてるかどうかはすぐに分かる。心配することは無いよ」

「だから、截さんのことを自分自身のようなものだって言ってたの?」

「まあ、もちろんこのことも大きいけど、それだけじゃない。黒服で行動を共にするってことは生死をお互いに預けあうってことだ。お互いの全てを知っておかないといざという時に苦労する。だから私と截はお互いのことを知り尽くしてるよ。癖から黒子の位置までな。あいつを自分自身って例えたのはそういうことだ」

「そうなんだ……」

「なんだよ、その変な顔は?」

 朝奈の表情を見て翆は眉を寄せる。

「べ、別に何でもないよ! もう行こう。いつまた悪魔が現れるかも分かんないし」

 朝奈は急に態度を変え歩き出した。

「……変な奴」

 翆は訝しがったが、たいして深くは考えずにその後を追った。








 中央職員用エリア

 ??? 午後4:35



 中央職員用エリアのとある廊下。

 薄い茶髪のロングヘアーに藍色のトップス、長いラフそうなズボン、三十代程の外見、どう見ても一般客にしか見えない女性が歩いていた。

 何故彼女がこんな所にいるかと言えば、その理由は簡単だ。

 今から約五時間前、この紀行園が地獄と化した直後の頃、猛獣ゾーンの悪魔から逃げ切りこの建物へと隠れた彼女だったが、逃げ込んだ場所が悪かったらしく迷ってしまったのだ。

「最悪――」

 廊下の天井に付いた、チカチカと点灯を繰り返す蛍光灯の光を見ながら、彼女はぶるっと身震いした。 迷った最初の頃はすぐに出れると思っていた彼女だったが、この建物の構造がおかしいのか、歩けば歩くほど余計に迷ってしまっている。もはや外に出たいという気持ちが全く失せるほど彼女は疲れていた。

「さっきから階段を下りてばっかりだし、なんでサファリパークの建物にこんなに地下室があるのかねぇ……」

 そう言いつつも、他に道が無いためそのまま飾り気の無い薄暗い廊下を歩き続けていると、突然前方に大きな扉が見えた。

 既にここは職員用エリア内であるため、今更関係者以外立ち入り禁止という札が付いていることは無いが、変わりにその扉には見慣れない文字が書いてあった。英文の下に日本語の訳もある。


__________________


DIES・IRAディエス・イレ


怒りの日、その日はダビデとシビラの予言の通り、世界が灰燼かいじんに帰す日。

審判者が現れ全てが厳しく裁かれる時、その恐ろしさは計り知れない恐怖をもたらすだろう。



__________________


「変なの、隠れた新手の新興宗教かしら?」

 彼女は意味が分からず首をかしげた。

 多少不気味さを感じてはいたが、迷いに迷ってやっとここまで来たのだ。今更引き返す気にはならない。彼女はそのまま扉を開けた。

「何これ?」

 そしてそのまま部屋の異常さに開いた口が塞がらなくなった。

 縦に十メートル、横に八メートルほどのこの部屋の中は、壁や床が崩れ、まるで大地震直後のような景色を作っており、中にあった多くの機械や机などはその殆どが原型を留めてはいなかった。一瞬だけ見れば埋立地のようにも見える。悪魔や人間の死体もいくつかあったが、そんなものはここまでの道のりでも何度か目にしているからそれ程気にならない。彼女が大いに驚いたのは天井の大穴だった。まるでそこから何かが上へと上がっていったように、巨大な爪跡が残っている。これほど大きな爪跡を残せる生物なんてとても彼女には想像が付かない。

「誰だ!?」

 驚いている彼女に向かって突然正面から声が聞こえた。

 彼女が急いで前を向くと、どこに隠れていたのか、先ほどまで姿の無かった見知らぬ男が立っている。 短い白髪と顎鬚、やせ細りくぼんだ頬、下唇の大きな口、汚れだらけの白衣、まるで医者のような井出立ちだ。

「あ、私は智崎雅子といいます。悪魔から逃げてる間に迷ってしまって」

 彼女、雅子は男の剣幕にしどろもどろに答えた。

「一般客か。いきなり怒鳴って悪かったね。僕は……高橋志郎だ。よろしく」

 志郎は安心したようにそう言うと、右手に持っていたナイフを雅子の目に止まらないように腰に挟んだ。

「あの、高橋さん。ここは一体何なんですか?」

「志郎でいいよ。ここはね、極秘の研究所だ。世間には決して公表できないような生物関係のね」

「研究所?」

「多分もう遭遇しているだろうけど、灰色の悪魔みたいな人間を見なかったかい? ああいう生物の研究だよ」

「え!? じゃあ、あれはあなたたちが作ったんですか!?」

「……まあ似たようなものだね」

「あなたたちが……あなたたちがこの惨事を引き起こしたのね!」

 雅子は志郎を睨みながら後ろに下がっていく。

「おいおい、僕は別に君に何もしないよ。好きでここに居るわけじゃないんだから」

「……ちょっとまって? あなた、どこかで見たことあると思ったら……もしかしてあの高橋志郎?」

「あのって言うのが何を指しているのか知らないけど、ES細胞の権威として世界的な章を取っている人間を思い浮かべているのなら、それは正しいね」

「だいぶ前のニュースで見たわ。あなたは死んだって……」

「この研究所の連中に捕まっていたんだよ。不本意な研究をさせられるためにね」

「……そうだったの」

 雅子は驚きと同情が混じったような顔でそう言った。先ほどまでのような警戒心は相手の正体を知ったことで僅かに無くなったようだ。志郎もそれを見逃さなかった。

「智崎さん。僕はこの紀行園から脱出したいと思っている。協力してくれるかい?」

「脱出? 普通に正面入り口から出れば良いんじゃないの?」

「これだけ死者が出ているのに全く警察が助けにこないんだ。普通に出入り口にいっても多分門を開けてはくれないよ」

 志郎はため息をついた。

「だから最後の手段を使う。この研究所の連中は研究しているものがものだから、こういった事態にも備えていたはずだ。どこかにきっと秘密の出口があると思う。それを探すんだ。僕もさっきかからずっと資料やパソコンを探ってる。君も手を貸してくれ」

 志郎の言っていることは嘘の様には思えないし、他に方法も無い以上出来る選択は一つしかない。

「……分かったわ」

 雅子はまだ志郎に対する警戒心を解いてはいなかったものの、そう返事をした。







 職員用建物(右) 午後4:45



「……う――?」

 截は自分の頬を誰かに叩かれた痛みを感じ、目を覚ました。

 定まらない視線を動かしそのまま正面を向くと、三人の紺色の軍用戦闘服を着ている人間が目に入る。

「イミュニティー……――ん!?」

 截は急いで腰のナイフを抜こうとしたが、それはかなわなかった。

 腕、いやそれだけではない。全身の殆どが硬い紐で、パイプ椅子に括り付けられていたのだ。丁度瓦礫のど真ん中にポツンと置いてある椅子に座っている形になる。

「お目覚めか?」

 三人の中心に立っていたオールバックの黒髪の女性が見下すように聞いてきた。その顔は能面のように無表情だ。

「……誰だ?」

 截は圧倒的不利なこの状況にも関わらず、冷静にそう言った。

「私はイミュニティー総合監察官、石井春奈だ。お前は誰だ。キツネかと思ったが……違うみたいだな」

「……僕はそのキツネの部下ですよ。一体僕に何の用があってこんなことを?」

 截は目で自分の拘束された体を指した。

「別にお前には何の用も無い。ただ赤鬼が飛び出した跡の瓦礫を捜索していたらお前がのびているのを見つけただけだ」

「じゃあ、開放してください。僕は高橋志郎とその娘を救出しに来ただけだ。あなたたちとやり合う気はない」

「高橋志郎? あの有名な博士のことか? 確か、六角行成が会いたがっていた……どういうことだ。生きていたのか?」

 石井は本心から不思議そうに聞いた。

「え?」

 ――まさか……イミュニティーは博士の生存を知らなかったのか?

 截はその事実に驚く。

「……なるほど、ディエス・イレに拉致されていたということか。道理であの富山樹海で死体が見つからなかったわけだ」

「恐らくあなたたちの目的はディエス・イレの人間の確保とでしょう? 高橋博士は正式なメンバーじゃない。殆ど組織の秘密を知らない彼なら放って追いてもいいはずだ」

「確かに私たちの仕事はその推測で合っているが、手柄を前にして放っておくわけがないだろう。高橋志郎が居るのなら、是非にも手に入れるべきだ。六角行成のためにもな」

 石井は嘲るように截を見て笑った。

 ――くそっ!

 このままでは不利にしかならない。截はそこで芝居を打つことにした。

「……分かった。どうしてもというのなら博士は渡します。変わりにその娘だけは僕に確保させてください。本来はその娘の救出が任務だった。高橋博士の救助は僕にとってもオマケの点数稼ぎに過ぎない。博士から娘救出の代金を頂ければ、僕からは何の文句も無い」

 日頃からキツネの嘘や騙し方を見ている截は、俳優顔負けの迫真の演技でそう言った。

「娘だけか。さてどうするかな」

 腕を組み何かを考える素振りをする石井。

「石井さん、こいつの話なんて聞く必要な無いですよ。さっさと殺しちまえばいい」

 褐色の男がちょっと前に石井に踏みつけられていた腕を擦りながら截を睨む。すると石井は男の耳元に口を近づけ小声で話しだした。

「この男の実力は確かだ。お前らが二人がかりでやられるほどなんだからな。どうせならその腕を利用させてもらおう」

「利用って、一体何にですか?」

 石井の意図が分からないというように小声で聞き返す褐色の男。

「私たちの本当の目的……赤鬼の捕獲にだよ。ディエス・イレの粋を集めて作られた不死の化け物だ。我々だけで上手くいくとは思えない。なるべく早く捕獲しなければ、あれはこの紀行園の壁を破って逃げてしまうぞ」

「確かに……そうですね」

「それに、さっきの高橋志郎の生存を聞いて確信した。私は個人的にあいつに、キツネについて聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

「お前には関係ない。深く詮索するな」

 石井は体を褐色の男から遠ざけると截に向き直った。

「ふふ、運がよかったな、キツネのコピーくん。お前に提案がある」

「何ですか?」

 截は緊張した様子で聞く。この石井の言葉によって自分の生死が分かれるからだ。それが分かっているからか、石井は間を大きく溜めてから楽しそうにこう言い放った。

「手を組もう」









 中央職員用エリア

 最上階 午後5:02



「あんた、大丈夫かい? もうすぐ紀行園から出られるからね。何とか我慢しておくれ」

 大西は涙目で夫、文雄のやせ細った細い顔をさすった。長年閉じ込められた所為で、文雄の長い灰色の髪は柳のように垂れている。その影響で表情は見えないが、なにやらしきりに唸り声のようなものをあげていた。

「あ――ぅううう……」

 大西はそれを傷の痛みから来るものだと判断し、そのまま文雄を椅子の上に休ませると、ゆっくりと立ち上がり後ろを振り返った。

 サラリーマンが汗水流して働くような無数のデスクがあるこの部屋の隅で、場違いな作業服の格好をした数人の男が立っている。もちろん大西の部下、つまりディエス・イレの人間だ。

「情報削除は済んだのかい?」

 夫に対する顔とは打って変ったような冷酷な瞳で、大西は彼らを見回した。

「はい、全て終わっております。あとはもう脱出するだけです」

 スポーツ狩りの男がすぐに返事をする。

「そうかい、良くやった高宮。だが、脱出の前にやっておきたいことがる」

「何でしょうか?」

「あの黒服の若造がああも高橋志郎に固執してたことが気になる。志郎は赤鬼の製作主任だ。イミュニティーや黒服に渡ってはまずい。奴らの手に渡る前に捕獲するか出来ないならば……殺せ」

「分かりました。あれを使っても良いでしょうか?」

「あれか、どうせ失敗作だ。好きにしろ。あ、散布するのなら紀行園中に撒いておけ。時間稼ぎにもなる」

「はい、ではディエス・イレの、いや、『東郷大儀』さんのために」

 スポーツ狩りの男、高宮は短く大西にお辞儀をすると駆け出していった。







 猛獣ゾーン 午後5:15



「――つ……?」

 職員用通路を歩いていた朝奈は、この猛獣ゾーンに差し掛かった途端に何かを感じた。

 ノイズ交じりの景色の中、過去に起きたであろうイメージが浮かんでくる。

 その映像は最初は薄く、段々とはっきりとしてきた。



 ジージャン姿の男が歩いている。猛獣ゾーンの生存者だろうか。一体今までどこに身を伏せていたのか綺麗な汚れの無い身なりをしている。

 男は悪魔の影に気をつけながら慎重に先へ先へと進んで行く。どうやら正面出入り口へ向かっているらしい。

 男の前に突然黒い影が現れた。

 男は悪魔かと焦りながら顔を前に向けたが、すぐに安心するように笑顔になった。影は人間のものだったからだ。

「あんたも生き残りか?」

 男は嬉しそうに正面に立っている従業員服の人間に聞く。

 するとその人間は無言で近付き、いきなり男を殴り飛ばした。そして倒れた男に馬乗りになる。

「な、何しやがる!?」

「これも世直しの為だ。悪く思うな」

 作業服の人間は素早く男の腕に何かを注射した。

「はあっ? ――がっ!?」

 いきなり苦しみ出す男。

 作業服の人間はその様子を確認すると飛び下がった。

「こんな状況下でこれを散布するのは初めてだからな。上手くいけばいいが。せめて大西さんが逃げ切るまで時間を稼げいでくれよ」

 そのまま祈るように苦しむ男を見つめる。

 苦しんでいた男の顎が「バクン!」と裂けた。いや、顎だけではない。首から下、腹筋の間近にまでその裂け目は広がっていく。普通なら大怪我といえる状態だが不思議なことに血液は全く出てはいない。

 その裂け目に徐々に白い鮫のような歯が生えてくる。まるで鼻の下から腹の上に大きな口があるようだ。

 そうして大きな口が形成されると同時に、男の皮膚はどんどん紫色に変色していき、さらに腹から三本の槍のような触手が飛び出してきた。

「どうやら成功みたいだな。さっさとずらかるか」

 作業服の人間はほっとしたように胸を撫で下ろした。

「ジュウウウウウッア!」

 しかしその瞬間、大口人間とかした男の全身から、タンポポの種のようなふわっとした胞子が無数に周囲に飛散した。それは当然作業服の男の周りにも飛び散る。

「しまった!」

 油断していた作業服の男はその胞子を思いっきり吸ってしまった。

「ぐううううう!?」

 すぐに強烈な苦しみが全身に走り、目の前の化物同様、口が割れる。

「くそおぉおお――……ジュウァアアア!」

 そして、作業服の男も大口男と化してしまった。



「どうしたんだ? いきなり立ち止まって?」

 頭を抱えている朝奈を見て、不思議そうに健太が聞いた。

「……何か、この先に変なのが居るみたい」

 朝奈は目を開けると、今見た事実を急いで二人に話した。

 それを聞いた翆は面倒臭そうに頭を掻く。

「ディエス・イレの生物兵器だな。くそ、あいつら面倒な真似をしやがって……」

「生物兵器?」

 朝奈が聞きなれない言葉に聞き返す。

「医療関係の技術にイグマ細胞を使っているイミュニティーと違って、ディエス・イレはテログループだから、兵器としての研究に力を注いでいるんだ。より有効な感染方法、より強い化け物を作ろうとな。今の話から察すると……この先に居る大口男とやらは悪魔と違って、どうやら空気感染能力を持ってるっぽいな。厄介な相手だ」

「でも、ここを通る以上、避けて進むことは出来ないよ。幸い先に情報を得れたんだから、逆にそれを利用しようよ」

「何かいい案があるのか?」

「……見た感じだと、タンポポ胞子をずっと出し続けることは出来ないみたいだった。多分、一度出してから次の胞子を出すまで十秒間くらいの休憩期間があると思う。その隙なら感染しないで倒せるかも」

「十秒間くらいって……まるで悪魔の十秒感染の遠距離版みたいだな」

 健太が思いついたように言う。

「それなら何とかなりそうだ。先に知れてよかった。截もそうだけど超感覚者ってのはホント役に立つ」

 翆はニヤリと笑った。










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