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<第八章>生存者VS悪魔

<第八章>生存者VS悪魔



 ショッピングモール 午後4:29



 ショッピングモールの裏手は林が生い茂っているため、見渡しはそれ程よくはないが、それでも悪魔が何匹かいるということだけは分かる。

 窓から外の様子を見ると、M字頭の男性、池田は小声で呟いた。

「やっぱり裏にも結構居るな。……作戦通りやるしかないか」

「まっマジでやるのか?」

 小林の仲間の木下が気弱な声を上げる。それを聞いた小林は叱るように言った。

「もう生き残るにはこれしかねーよ。怖いのはみんな同じだ。朝奈さんみたいな女の子が頑張ってんのに、俺たち大の男がこんな情けない声を出してると笑われるぞ」

「……分かったよ」

 木下は本心では反対だったようだが、場の空気に負けそれ以上文句を言うことは無かった。

 朝奈、健太、美智子、小林、木下、池田の六人は今裏口の前にいる。そして彼らの周りには彼らを囲むようにして、数個の商品棚が檻のように立てられていた。別に誰かに閉じ込められたわけではなく、これはバリケードだ。悪魔から身を守るための。

 朝奈が考えた作戦を一まとめに説明すれば、こういうことになる。

 まず、ショッピングモールのガス栓を全開にして室内に可燃性のガスを満たす。そして悪魔を中に引き入れ、ある程度の数が入ったら、もしくは自分たちがガスで気を失いそうになったら、間近の裏口から逃げ火をつける。

 何故すぐに逃げ出さないのかと言えば、理由は二つあった。

 一つは裏口の悪魔が正面入り口方向へ消えるまで逃げたくても逃げられないという点だ。そしてもう一つは外の悪魔が十分中に入らなければ、この作戦の意味がない。つまり外に居る約二十匹の悪魔の大半を自分たちを囮にして引き入れる必要があるという点だ。

 だから彼らはバリケードを築き、こうして裏口の前に屯している。

「バリケードは完成した。ガス栓も開けた。後は悪魔を引き入れるだけだな。誰がやる?」

 健太は自分がやりたくないためにワザと自分から誰かに聞くように言った。しかし当然誰も手を上げない。

「おっ、俺は無理だ。きっ、きっと入り口を開けた瞬間に緊張して動けなくなる!」

 池田が視線を向けたため木下はどもりながらそう言った。それに対し、池田は責めるように言葉を発する。

「お前ら二人のどっちかがやるのが妥当だろうが、お前らの所為でこんな事態になったんだぞ。朝奈ちゃんはこれからも俺たちが生き残るために必要だ。俺はこの歳だから、扉からここに戻るまでに絶対に悪魔に追いつかれる。だったら残った面子で適当なのはお前らしかいないだろ。現役高校生だしな」

「ふざけんなよ! 自分が年上だからって俺たちに危険な役目を押し付けんじゃねえよ」

「誰が押し付けてんだ。俺は一番合理的なことを言っただけだぞ。お前らガキみたいに感情的なことはしない」

「はぁ!? 嘘付け、明らかに感情が篭ってんだろ! そんなに俺たちが憎いのかよ。あんたらだってあの時は反対しなかっただくせに!」

 木下は半場泣きながら叫んだ。

 このままでは一向に先へ進まないと朝奈は思ったものの、それでも手を上げられない自分を軽蔑した。

 美智子は揉めあう木下と池田を呆れた表情で見ると、面倒くさそうに手を上げようとしたが、それより早く別の人間が手を上げた。

「……俺がやる」

 ぼそりとそう言ったのは小林だった。気のせいだろうが鶏冠頭が縮こまっているように見える。

「小林さん……」

 朝奈は全ての罪を自分が背負っているかのように暗い顔の小林を見て、哀れに思った。

 小林は確かにミスを犯した。深く考えずに行動した。その所為で多くの人間が死んだのは事実だ。

 だが、それは決して小林だけの所為ではない。池田や他の人間、小林の仲間、多くの人間が彼をはやし立てたことが原因でもある。

 小林はただ作戦を立てただけだ。みんなを助けるために、生きるために、決意を持って行動した。例え考えは甘かろうとその誠意ある気持ちだけは確かだ。

 そんな小林を池田が責めるのはお門違いと言うやつだろう。二人の罪は大差ない。

 朝奈は小林を思い留めさせようとした。

「小林くん、無理しなくてもいいよ。あれは君だけの所為じゃないんだから」

 朝奈の言葉が届いたのか、小林はこちらを振り向いた。

 だが、他の人間はそれを許さない。小林がやらなくなれば自分がその役をやるのではないかといった恐怖、小林に対する憤りといった感情が交差し、獲物を囲んだ狼のように集団で小林を追い詰めた。

「何言ってんだよ朝奈! こいつが一番適当だろ。こいつ以外誰がやるんだよ」

 健太が押し付けるように言う。

「そうだ。朝奈ちゃん、同情することはない。これでこいつも罪を償えるんだ。万々歳だろ」

 獲物を逃がさないように言う池田。

「そっ、そうだよ。俺は小林に従っただけだ。悪いのは小林だよ。俺じゃない!」

 終いには友人であったはずの木下までが、小林を攻め立てた。

 朝奈はその様子を見て驚く。

「みんな……」

 だが、確かに誰かが犠牲に為らなくてはいけない事は避けようが無い。朝奈は小林を引き止める言葉が浮かばなかった。自分も手を上げなかったという恥の気持ちも加わり、棚を退かして入り口までとぼとぼ歩いていく小林の、その小さな後ろ姿を見ることしか出来ない。

「……ごめん」

 ただそう謝るしかなかった。

「朝奈ちゃん。こんな状態じゃしょうがないよ。今更どうしようもない」

 落ち込む朝奈の肩を美智子が優しく叩く。

「美智子さんは……良く手を上げられましたね。凄いです」

「そう思う? 私はただ自棄になってるだけよ。旦那が目の前で食い殺されるのを見たからね。正直もうどうでもいいの」

 自分を慰めてくれたと思っていた美智子がさらりと怖いことを言ったので、朝奈は返事に困った。

「そんなに気にしないで。今は自分が生き残ることが第一でしょ。私とは違ってあなたにはまだ生きる意志があるみたいだし」

「美智子さん……」

「ほら、小林くんが正面入り口まで着いたわよ。そろそろ悪魔に備えなさい」

「はい」

 朝奈は頷いたものの、心なしか元気が無かった。

 小林は暗いショッピングモールの中から外の景色を見た。駐車上の上を徘徊する悪魔。噴水の上で直視できないようなものをしゃぶっている悪魔、しゃがんでは何か赤い物体をしきりに口へ運んでいる悪魔。

 悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔、悪魔……

 美しい休憩場だったフリーゾーンはもはや、血と肉の散らばる悪魔のかごの中と化していた。これからこの扉を開け悪魔を引き入れると考えるとゾッとする。気が高ぶっていたとはいえ、さっきはよく外に出れたものだ。小林は自分の足が震えるのを感じた。

 悪魔に対する恐怖からか、友人に裏切られた悲しみからか、小林の頭の中は絶望で一杯だった。

 自暴自棄になりながら扉に手をかけると、ガラスの扉の向こうにまだ燃えている一台の車が目に入った。方場が乗っていたワゴン車だ。

「方場――……ごめんな。俺の所為で……俺もすぐ行くから……」

 小林は空ろな目で呟くと鎖を外し、両手で扉を大きく開け放った。そして悪魔を引き付けるために叫ぶ。

「うわぁあああぁああああー!」

 それは雄叫びというよりは深い悲しみに満ちた叫びだった。小林自身の目にも涙が溜まっている。一斉にこちらを向く悪魔の群団。

「小林君、戻って!」

 朝奈は小林の身を案じ、大きな声で呼びかけた。だが、小林は生きる気をなくしたように入り口前にずっと突っ立っている。

「小林君!」

 その瞬間、小林がこちらにやってきた。自分の足でではない。悪魔に体当たりをされ吹き飛んできたのだ。

「ぐふううぅうう!?」

 痛みから小林は呻き声を上げる。

「健太さん、早く棚を空けて! 小林君を入れないと!」

 朝奈は健太に向かって叫んだが、健太は棚と棚を繋いでいる鎖の拘束を強めた。

「もう無理だ! 悪魔が中に入ってきた!」

 小林の後ろに立つ悪魔を見て健太は大声を上げる。

「……ぅうう――……」

 小林は呻き声を上げたまま、真正面に立つ悪魔を見た。

 その悪魔に続いて次々と悪魔がショッピングモールの中に入ってくる。

「ギュウウァアアアア!」

 悪魔たちは嬉しそうに鳴くと、小林に覆いかぶさり、その黄色い歯を突きたて始めた。

「うあぁぁぁぁあ!? うわああぁぁぁあぁあっ!」

 小林の悲惨な、壮絶な痛みと恐怖に苦しむ断末魔が聞こえる。朝奈はあまりの光景にピクリとも動けなくなった。

 色白の頬に小林の体から跳ねた赤い水滴が付着する。

「……小林君……!」

 口を赤く塗りたくった悪魔たちが顔を上げると、もはや小林は居なかった。

 そこに居たのは、いや、あったのは、白い骨を覗かせているただの赤い肉と脂肪の塊だ。

 朝奈は悲しみと驚きと恐怖から気を失いかけた。

「――っしっかりして! 来るわよ!」

 倒れそうになった朝奈を支えると、美智子は正面を見据える。

 悪魔たちはその剛力でバリケードの棚々を次々に殴り、引っかいたりしてきた。棚と棚と壁の手摺てすりはポール用の鎖で結んでいるため取れることはないが、このままでは棚自体が持たなくなる。

「池田さん、裏口の様子はどうだ!?」

 健太は汗だらだらの顔で呼びかけた。

「――っ畜生まだ二〜三匹居る!」

 健太以上の湿った顔で答える池田。

「ひいいいい、ひぃいいいい!?」

 そして木下はもっぱら叫んでいるだけだった。

 ギシギシと音を立て割れ目や傷が入っていく棚。

「今どれくらい悪魔が入ってるんだ? ガスと緊張で意識が遠くなって来たぞ!?」

「大体十二ってとこね、裏口のも含めてあと八匹近く外にいるわ!」

 焦りまくりの池田の問いに、美智子は冷静に答えた。

「うなぁあああぁあ!?」

 突然木下の右手が、棚の裏板を突き破って飛び出した悪魔の手に掴まれた。必死にその手を剥がそうともがく木下。

 だが、悪魔の手は一ミリも離れようとはしない。このままでは木下は感染してしまうだろう。バリケードと背面の壁に囲まれたこの狭い場所で木下が悪魔になれば、朝奈らに勝ち目はない。

「このっ!」

 朝奈は大西の物だった西洋風ナイフをその悪魔の腕に突き立てようとした。その瞬間、今度は別の悪魔の手が棚を突き破り朝奈のナイフを握っている手を掴んだ。

「ギュッァアアアゥウアア!」

「キャッ!?」

 朝奈は無我夢中で暴れたが、全く悪魔の手は離れようとはしない。このままではもうすぐ木下が十秒感染をしてしまう。

「たっ、助けてくれぇえー!」

 木下は「ムンクの叫び」のような表情で絶叫を上げた。その様子に気づいた健太は、悪魔の手に瓶の先を割ったものを垂直に叩き付ける。

「ギュウァア!?」

 悪魔はガラスの刃が肉を裂く痛みに怯み、木下の手を離した。

「はぁぅううー!」

 木下はゴキブリのような動きで裏口に背を付けると、自分の手をまじまじと見つめる。その腕は灰色く変色……してはおらず、赤く腫れていた。どうやら感染は免れたらしい。

「やっ!」

 同じように悪魔の手に掴まれていた朝奈はナイフで倒すことを諦めたのか、突然思いっきりしゃがみ、勢い良く立ち上がった。しゃがむことで腕の関節の曲がる方向を下に向け、急に立ち上がることでその腕にダメージを与えたのだ。

 通常とは逆方向に曲げさせられた悪魔の腕は間接が外れたらしく、ガクンと力が抜けた。その隙に朝奈は自分の手を悪魔の腕から遠ざけた。

「――おい、まだなのか!?」

 健太が裏口をチラ見しながら言う。

 その行為に促されるように背後の裏口の窓から外を見た池田は、喜ぶように叫んだ。

「悪魔どもが居なくなってるぜ! さっさと逃げよう!」

「まだ全部中に入ってないみたいだけど……確かにもう限界みたいだね。みんな出よう!」

 ボロボロとなった棚の様子を片目に、朝奈は池田の意見に応じた。

「ねえ、あれ何よ?」

 その時、たった一人冷静に悪魔の集団を見ていた美智子が、二匹の悪魔を指差して朝奈に呼びかけた。

 朝奈がそちらに目を向けると、不可解な姿をしている悪魔が視界に入る。

 血管だらけの灰色の皮膚に、眼球の殆どが飛び出した血走った目、唇が無くなり歯茎と歯が直に見えるようになった大きな口、逆立った全身の毛は言うまでも無く、通常の人間の物とは全く逆に曲がった腕と足の関節。さらには額から突き出るように盛り上がった頭蓋骨の一部。

 仰向けの状態で四つんばいになったような変な形の悪魔が、二匹もいつの間にかショッピングモールの中に入ってきていた。

「な、何あれ?」

 朝奈はあまりにも奇妙なその二匹の悪魔の姿に嫌悪間を抱く。

「とにかく、急いでここから出た方がいいことは確かみたいだわ」

 死ぬことに対する恐怖をなくしたようなことを言っていたが、やはり本心では怖いのか、あの四つ足の悪魔を目にして恐怖が戻ってきたのか、身震いしながら美智子はそう言った。

「ギュルルルァアアア!」

 二匹の変な悪魔の力は四足で突撃してくる分、普通の悪魔よりも強いらしく、棚は一回の体当たりでその大部分が粉砕した。

「もうバリケードが破れる! 急げ!」

 池田が真っ先にそう叫びながら逃げていく。当然、朝奈らもそれに続いて裏口から出た。

 ショッピングモールの後ろは一面林が生い茂っており、その中心に小さな道がぽつんとあった。まるでショッピングモールでその道を隠していたようだ。

 十メートルほど離れた位置までくると、健太が持っていたタバコに火をつけ、それを後ろに大きく振りかぶって裏口の方へと投げた。

「伏せろ!」

 健太が叫ぶと同時にタバコは裏口の前まで到着する。そして、天地を揺るがすような大きな爆音が響いた。

 ショッピングモールが吹き飛んだのだ。

 朝奈らは鼓膜を破らないように耳を塞ぎながら地面に身を沈める。

 数十秒後、瓦礫や火の粉が降り注ぐ中、健太は勝ち誇った顔で立ち上がり、ショッピングモールの跡地を眺めた。そこであるものが瓦礫の中に見える。丁度裏口があったところの真ん前といった場所だ。

「やったぜ! ……ん? 何だあれ」

「――さっきの四足悪魔だぞ! あいつ、爆発の直前で中から脱出したんだな!」

 木下は近くの木の後ろから両目だけを覗かせ、言葉を発した。

「……二匹ともいる!」

 朝奈はその瓦礫の上で立ち上がる影が二つあることに気づき、後ずさった。

「畜生、逃げるぞ――……!」

 池田が走り出しながら叫んだ。その次に木下、美智子、健太、朝奈の順で残りの面々も逃げ出す。

「ギュぅウウウウェエアアア……」

 二匹の四足悪魔は朝奈らの気配を感じたのか、爆発のダメージも全く無い様子で元気に走り出した。

「速い!」

 木々の間を走りながら背後の様子を見ていた朝奈は、四足悪魔の速度に驚く。

 最初はテレビのリモコンほどの大きさに見えていた悪魔が、もう植木鉢くらいの大きさに見えているのだ。かなりの速度といえるだろう。

「――しめた、建物だ!」

 先頭を走っていた池田は林の先に三階建ての小さな建物が見えたことに喜んだ。しかしその喜びはすぐに無駄になる。

「そんなっ、ふざけんなよ!」

 木下は段々と見えてきた建物の全様にがっかりした。

 林に隠されるようにひっそりと建っているその建物の周りには、動物避けの為か大きな金属製の柵が張り巡らされていたのだ。しかも高圧電流注意といった看板までついている。入り口の扉には鎖つきの鍵が掛かっているらしく、力ずくではどう考えても中に入れそうにはなかった。

 五人は建物の前で止まるしかなかった。

「……こっちだ!」

 健太が入り口左の横道へと走りながら呼びかけた。朝奈がそちらに目を向けると、大きな駐車場のようなものが見える。

 あそこならばいくらか時間を稼げるかもしれない。他に隠れられそうな場所はどこにも無いので、彼らは躊躇なくその中へと入っていった。

 丁度正方形の形をしたようなその五百平方メートルほどの駐車上の中は、職員が建物の中から出ていないのか多くの車がいまだに止められている。

 朝奈らは建物の入り口付近までやってきた悪魔を見ると、それぞれ急いで身を隠した。





 なんとかショピングモールから脱出は出来たものの、多くの悪魔を倒せたものの、結果としてはピンチになっていることに変わりは無い。いくらあのままショッピングモールにいればいずれ悪魔が入ってくるとはいえ、これでは危険度は大差ない。いや、寧ろ上がったといえるだろう。

「これじゃあ小林くんのこと……悪く言えないね」

 目の前を通り過ぎて行く四足悪魔の足を車の下から見つつ、朝奈は自分をさげずんだ。

 顔を前に向けると、歩く悪魔を挟んで向かいの車の下に隠れている池田と目が合う。池田は緊張の所為か体をぶるぶると震わせて縮こまっていた。

 そのまま視線を左に向けると、二つ先の車の下に健太が隠れているのが見える。木下と美智子は遠くに隠れているらしく、朝奈からは確認出来ないが、どうやらまだ無事らしい。叫び声がきこえないからそれは確かだ。

 朝奈は生き残る方法を必死に考えた。

 出入り口はここに入ってきた一つしかないとはいえ、辺りは林だ。別に道を通る必要も無い。逃げれる方向は無数にある。真後ろがその林という位置に居る朝奈は一人だけなら悪魔の隙をついてフリーゾーンまで戻ることも可能だろう。

 だが、朝奈はそうすることはなかった。罪悪感がそれを止めたのだ。自分の作戦でこういう事態になっている以上、ここで自分だけが逃げるのはあまりに無責任だ。その罪悪感から、朝奈はこの駐車場に身を留めた。

 二匹の四足悪魔のうち片方は丁度出入り口から見て右端、建物の側面と繋がっているコンクリートの壁までやってきていた。逆間接の両腕両足を交互に動かしながら鼻を地面に擦り付ける。そしてその際に壁の前にあった、大きな青いゴミ箱に灰色の肩が当たった。

「ひっ!?」

 その瞬間、何故かそこから小さい悲鳴が聞こえる。怪しんだ四足の悪魔は片手を横薙ぎにしてそのゴミ箱を押し倒した。

 するとそのゴミ箱の蓋が落ちると同時に、中から木下が恐怖に引きつった表情で頭を覗かせる。

「ギュルゥルル」

 四足悪魔は舌なめずりをすると、その中に自分の両手を突っ込んだ。

「ひいいぃいいいい!?」

 木下は力の限り暴れてその腕から逃れようとしたが、何しろ体の殆どがゴミ箱の中に埋まっているのだ。傍から見れば磯巾着が二本の触手を上に振り回しているようにしか見えない。

 当然、その抵抗は四足悪魔にとっては抵抗ではなく、木下はあっと言う間にゴミ箱の中から引きずり出されてしまった。

 一瞬夕焼けに細めていた目を大きく開いた瞬間、木下の視界を赤黒い口内と黄色い歯が多い尽くした。

「あぎゅぅぁああああ!?」

 サイレンのような壮絶な悲鳴が駐車場に響く。

 健太は四足悪魔がガツガツと木下を食べている光景をモロに見てしまった。健太の居る位置からはあの青いゴミ箱の場所がはっきりと見えてしまうのだ。

「……くそったっれ……!」

 近くに居る時は姿を隠せる車の下でも、遠くからでは簡単にその姿が分かる。特に四足歩行のあの悪魔には。

 健太は木下を食べている悪魔がこちらを向く前に場所を移動させることにした。

 そろり、そろりと匍匐ほふく前進しながら、朝奈と池田がいる方へと車の下を進む。周囲に目を凝らしたが、今はどこにも悪魔の姿はない。健太は隣の車の下へ移るために、一端今居る車の下から出た。

 そのまま匍匐ほふく蟹歩きと名づけられるような動きで静かに距離を稼いでいく。そして次の車の前に差し掛かった瞬間、自分が身を伏せている周囲の地面の色が濃くなった。影が出来たのだ。

「ギュァアゥウウウ?」

 おぞましい声が車の上から聞こえる。考える間もなく、健太は手を高速連動させ車の下へと急いだ。だが、あの状態で間に合うわけが無い。両足を四足悪魔にしっかりと掴まれてしまった。

「うぁあああああああ、離せ、離せー!?」

 バタ足のように足を上下に動かしてみたが、悪魔の腕は全く離れない。どんどん健太を車の下から引っ張っていく。

 幸いジーパン部分を掴まれているため十秒感染する危険はないが、数秒経てば命を失う危険に直面することになるのは確実だ。健太は無我夢中で足を動かし続けた。

「健太さん!」

 その光景を別の車の下から見た朝奈は、ナイフを握り締めると外に飛び出した。

 健太と四足悪魔に走りよる途中でタイヤを背面に括り付けている車があったので、そのタイヤを取り悪魔に投げつけた。

 朝奈の力では殆ど放ったとしか言えない様な攻撃だったのだが、どうっやら当たり所が良かったらしく、四足悪魔は「キャフン!」といって盛大に体勢を崩した。

「ふぉうぅぅぅう!」

 この隙に健太は変な声を出しながら立ち上がり、悪魔から遠ざかる。

「ギュウウァアアア!」

 その所為で今度は悪魔の近くにいた朝奈の身が危なくなった。

 四足の筋力を生かしながら飛び掛ってくる悪魔。

 朝奈はそれが直撃する前に、反対方向へと走り出した。すると目の前に健太と朝奈を囮にして林に逃げようと駆けだしていた池田が見える。五十代の池田と二十前の朝奈では例え男女といえどもその速度の優劣は分かりきっていた。朝奈はすぐに池田の隣に並んだ。

「こ、こっちに来るんじゃねぇ!」

 池田は細かく息切れをしながら朝奈を睨み付ける。

「そんなこと言っても他に逃げれる場所無いじゃん!」

 朝奈も同じように睨み返した。

 すぐ後ろに四足悪魔の鳴き声が聞こえる。朝奈は牛悪魔の時の経験から瞬時に真横へ飛んだ。もちろん池田を引ぱってだ。そしてその直後四足悪魔が二人の居た位置を通り過ぎていった。飛び掛る勢いが強すぎのか止まれなかったようだ。

「池田さん、今の内に隠れよう!」

 朝奈は付近の車の下へ入ろうとしたが、今度は真正面から木下を殺した四足悪魔が走ってきた。同時に真後ろからは先ほどの悪魔がこちらに向かって戻ってくる。

「くぅおおぉおお!?」

 池田は怯えて朝奈にしがみ付いた。

それに対し朝奈はどつくように池田の胸を強く押す。その所為で池田は背後の車の側面に仰け反るように背を付けた。

 丁度その瞬間、二人の間を二匹の四足悪魔が交差する。二匹はお互いの頭をぶつけ合い抱き合うように転がった。

「今だ!」

 朝奈は必死の形相でそこから離れた。当然池田も後に着いて来る。だが、そう何度も上手くことが運ぶわけが無い。池田は背後から四足悪魔に圧し掛かられ倒れこんだ。その気配に後ろを向いた瞬間、朝奈にも別の悪魔が覆いかぶさる。

「きゃぁあああ!?」

 自分の首元に噛み付こうとする悪魔の頭を、朝奈は必死に遠ざけた。しかしそれでは十秒感染の危険が襲い掛かってくる。

 朝奈が悪魔に触れてから一秒,二秒、、三秒……六、七、八、九……

 十秒が経つ直前、走ってきた美智子のドロップキックによって四足悪魔は吹き飛んだ。その頭は朝奈の真横の車のガラスを突き抜け、血だらけになっている。

 美智子の助けで素早く起き上がると、池田は痙攣しながら悪魔に首をしゃぶられていた。周囲は赤い血だらけだ。

「――うっ!?」

 その光景に体の力が抜ける朝奈。

「今のうちよ!」

 美智子はそんな朝奈の手を引っ張ると、池田の亡骸には構うことなく走り出した。そして健太を見つけ一緒に車の陰に隠れる。

「もう二人もやられたぞ! どうすんだ朝奈!?」

 健太は恐怖と怒りの伴った顔で朝奈を揺さぶった。だが朝奈は何もいい案が浮かばないのか、震えながら下を向いている。

「少しは自分の頭で考えたら!?」

 美智子は朝奈のことを考え冷たい声で健太を一睨みした。健太はその言葉でようやく冷静になる。

「あ――……悪い」

 この結果は別に朝奈の所為ではない。健太が朝奈に当たるのは八つ当たりというものだ。

 三人を探して段々と近づいてくる二匹の悪魔。その姿を車の窓を通して見ると、美智子はぼそっと呟いた。

「とても逃げ切れそうにないわね」

 そしてショッピングモールから持ち込んでいた草刈用の鎌を取り出す。

「おい、お前戦う気なのか?」

「だって、逃げられないんだからそうするしかないじゃない。あなたはただ黙って死にたいの? 私はどうせ死ぬなら旦那の敵を取ってから死んでやるわよ」

「で、でもよ……!」

「男の癖にうじうじしないでよ。みっともない!」

「だ、誰がうじうじしてんだよ! 俺だってやるときはやるさ!」

 健太は顔を赤く膨らませながら包丁を取り出した。

「美智子さん……」

 朝奈は暗い顔で美智子を見つめる。

「大丈夫よ。あの悪魔に主婦の火事場の底力をみせてやるわ!」

 本心ではやはり怖いのだろうか、美智子の足は震え、唇は紫になっていた。

 朝奈はそんな美智子の様子に自分だけが怖いのではないと思い直し、池田と木下の死の罪悪感を一時的に忘れナイフを構えた。

「来たぞ!」

 健太が隠れている車の窓から反対側を見て小さく叫ぶ。

 こちらに来た四足悪魔は一匹だけだ。どうやらもう一匹はまだ車のガラスから逃れられずに暴れているらしい。相手が一匹だけなら倒せるかもしれない。

 三人は悪魔が車の影から姿を見せた時を見計らって突撃した。

 朝奈の西洋風ナイフが、健太の包丁が、美智子の鎌が、それぞれ四足悪魔の肉を抉り貫く。悪魔は三人の勢いに押され、向かいの車のボンネットに背中を強打した。

「これで止めだ!」

 健太が包丁を引き抜きそれを悪魔の頭へと移動させる。そしてその切っ先は、悪魔の耳をかすっただけに終わった。間一髪で四足悪魔が頭を反らしたのだ。

「がぁああ!?」

 健太はそのまま四足悪魔に腕を噛まれ痛みの声を上げる。朝奈と美智子は急いで追撃を繰り出そうと試みたが一歩遅く、灰色の腕によって思いっきり突き放されてしまった。それと同時に四足悪魔は口の力だけで健太を投げ飛ばす。

 数メートル先の地面に転がった健太の下腕部は大量の血を流し歯形を残して一部分が消えていた。

「ギュルルルァアアア!」

 四足悪魔は一番近くに倒れていた美智子に近づいていく。

「や、止めて!」

 朝奈は車のフロントに強打した傷みに顔を歪め、必死に叫んだ。

 美智子は自分を何度も助けてくれた。

 慰めてくれた。

 短い間だったが、心から信頼できた相手だ。

 そんな美智子が死ぬのを見過ごすことなど出来る筈がない。

 四足悪魔が美智子の腕を掴み彼女を持ち上げた瞬間、朝奈は地面を蹴り、悪魔目掛けてナイフを斬りつけた。それとほぼ同時に健太も包丁を突き出す。

 四足悪魔は攻撃を避けようとしたが、美智子が強く腕を掴み引っ張ったためそれは実現しなかった。

 朝奈と健太の刃はその瞬間、しっかりと悪魔の胸を貫いた。

 灰色の化け物は血走った目で二人を睨み付け、右手で殴りかかるような動きを見せたが、その前に力尽き地面に沈んだ。

「や、やったぜ!」

 健太が歓声をあげる。朝奈も胸に手を当てて取り合えず安堵した。もう一匹同じ化け物が居るが、まだ車のガラスに引かかっているようだ。あれならば逃げ切れるだろう。

「ちょっと――……何よ、これ!?」

 美智子は喜びの声……ではなく奇妙な感想を言った。

「そんな!?」

 朝奈は美智子に目を向けた瞬間、何が起きたのか悟った。美智子の腕が灰色に変色し出しているのだ。その範囲は徐々に全身へと広がっていく。もはやどうしようもない。

「美智子さん……!」

 朝奈は涙を飲んでナイフを振り上げた。だが美智子と目が合ってしまい、そのまま固まってしまう。

「わ、私感染したのね……嫌よ、嫌! 死ぬことは怖くなかったけど、化け物になんてなりたくない! 朝奈ちゃん、助けて……!」

 美智子は大粒の涙を流しながら懇願した。

 朝奈は何度も掲げたナイフを振り下ろそうとしたが、どうしても出来ない。健太も同じようだ。例え化け物になると分かっていても美智子の目はまだ人間だ。しかも泣いている女性である。心では分かっていてもどうしても体は止まってしまうらしい。

 その間も見る見る中に美智子は灰色く染まっていく。それはとうとう顔の部分にまで達していた。

 朝奈は涙を流しながら美智子がそれ以外のモノになるのを待つ。悪魔になった瞬間に殺す気だったのだ。

 しかし、朝奈がそれを実現することはなかった。

 突然美智子の首が切り落とされたからだ。それもまだ人間の状態で。

「馬鹿じゃないの? なんでさっさと殺さないんだよ」

 いつの間に来ていたのだろうか、美智子の真後ろに冷たい目をした翆が立っていた。その手には警棒の刀バージョンのような一メートルはありそうな刃が握られている。

 それは拳銃のようなグリップに、Lを二つ重ねたような鍔が付き、その先から折りたたみ式の長い刃が延びているものだった。






今回はかなり展開に悩んだ末の投稿ですが、今だにあまり納得できてはいません。ですが、先の展開を考えるとこれ以外の展開は思い浮かばないので投稿しました。

面白い話を書くのは難しいですね・・・。

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