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<第四章>”長首麒麟”

<第四章>” 長首麒麟(アウドムラ




 大西はナイフを朝奈の真っ白な腕に当てると、それを軽く引いた。すぐに其処からは赤い液体が漏れ出し筋のような線を浮かばせる。

「な、何すんの!?」

 朝奈は思わず手を引いた。

「ふん、喚くんじゃないよ。ちょっと血を借りるだけだ」

 高校の校長室のような部屋の中、大西はその中心まで歩くと、そこにあったテーブルと絨毯じゅうたんを退かした。下からは朝奈と健太がショッピングモールから脱出した時のような、丸いハッチが出てくる。ただしこれはかなり小さく、どう見ても赤子でない限り、人が通れそうにはなかった。

「あんたが誰か知らないがね、どうやらあの黒服はあんたを守りたいらしい。誰が雇ったんだか知らないが、黒服にここの研究情報を渡して堪るかい。あんたには悪いけど、これも世直しのためだ。生贄におなり」

 そう言うと、大西は朝奈の血をナイフからハッチの下へと落とした。

 朝奈は大西の意図が分からず戸惑う。

「ふふん。この建物の地下にはね、『あるもの』を生み出す過程で生まれた化け物が居るのさ。そいつとこの小型ハッチは繋がっている。悪いけど、そいつに今あんたの血を与えた。これでそいつはあんたを死ぬまで追いかけてくるだろう」

「そんな、何で……!?」

「あの黒服やイミュニティーの目を、私が情報を持って逃げるまで反らすためさ。幸い水憐島でも生物災害が発生しているらしいからね。ここに来ているイミュニティーはごく少数だ。今なら逃げられる」

「水憐島? あなたはテロリストなの?」

「テロリストね……平和と人類に悪影響を与えてる存在をテロリストというのなら、どっちかと言えば黒服やイミュニティーの方がその意味にあっているけど。まあ、社会的にはあたしゃーテロリストだよ」

「まさか、この紀行園の悪魔たちも?」

 朝奈は若干先ほどよりも強い調子で聞いた。

「はははっは、これは事故さ! 全く予想外のね。どこのテロリストが自分たちのアジトの一つでテロを起こすんだい?」

「アジト?」

「そうさ、ここはあたしらディエス・イレの最重要施設の一つ『紀行園』列記としたアジトさ」

 大西は心底面白そうに笑った。

「ふふん。あ〜そろそろあたしゃー行くよ。じゃぁ、精々逃げ回るんだね」

「行くって、今紀行園は警察に囲まれてるんじゃん。どうやっても逃げれないよ」

「ここはアジトんなんだよ? いざと言う時の備えもあるのさ。こんな風にね」

大西は含み笑いをしながら右側の壁に掛かっている絵を外す。するとそこに扉のようなものが出てきた。

 大西はそのまま扉を開け、反対側へと行こうとする。

「なっ、待って!」

 朝奈は叫んだ。

「何だい、一度血を垂らした以上、あたしには『あれ』を止められないよ?」

「そんなことは……今はいい。高橋志郎って知ってるの?」

 もしも父がテログループの人間ならば、間違いなく大西は志郎を知っているだろう。これまで父がテログループの人間だという確証がなかった朝奈は、まだ父がそうでない可能性も信じていた。

「高橋志郎? ああ、あのダンディーな博士かい。もちろん知ってるよ。うちの研究員だ。三年前にスカウトしてここに連れてきたね」

「……そう」

「何だい、あんた博士の知り合いかい?」

 朝奈の様子を不思議に思ったのか、大西は尋ねるように聞く。

 その時、激しい音と共に、大きく建物が揺れた。

 朝奈はそのもの凄い振動に倒れ込む。

「くそ、ちょっと長く話しすぎたね! これ以上ここに居たらあたしまであれに殺される。あんたとのお話もここまでだよ。それじゃー、精々頑張るんだね」

 大西は揺れる部屋の中を何とか進むと、隠し扉を開けその中に入っていった。

「……――っ待って!」

 朝奈はすぐに走ってその扉を開けようとしたが、反対側から鍵が掛かっているのか全くビクともしない。

「もうっ!」

 仕方なく近くに落ちていた大西の西洋ナイフを拾い、部屋に入った時と同じ扉から廊下に出た。

 大西の言っていた『あれ』が何かは分からないが、これほどの揺れを起こすような化け物だ。遭遇したら間違いなく自分は助からないだろう。

「截さんー!」

 朝奈は截を何度か呼んでみたが、返事はない。下の階に居るのか、この建物を出たのか。とにかく近くには居ないようだ。

 こうなったら自分だけで逃げるしかない。朝奈はナイフを握り締め階段の方に走りだした。



「ジュラァアアアアィイイー!!」

「こ、今度は何!?」

 遥か下の方から聞こえた奇妙な鳴き声に思わず立ち止まった。

「今の声が……大西さんが言ってた奴?」

 得体の知れない化け物に対する恐怖が湧き上がってくる。聞こえてきた声から推測すると、どうやら化け物はまだ随分下の階に居るようだ。これなら同一階段さえ通らなければ何とか逃げ切れる。そう朝奈は思った。

 意を決して走り出す。

 だがその瞬間、真後ろの、つい今まで自分が立ち止まっていた場所の床が吹き飛んだ。あと一歩走り出すのが遅れていたら死んでいただろう。

「なっ!?」

 朝奈は激しく鐘のように鳴り打つ心臓の音を聞きながら、背後の何かを見た。手榴弾を爆発させた後のような大量の土煙が蔓延するなかで、それは悠々とこちらを振り向く。

「き、麒麟?」

 それは動物園には必ず居る、あの首の長い愛らしい動物――麒麟だった。

 といっても首だけだったが。

 歯茎が見えるまで歯をむき出しにし、目を真っ赤に血走らせたその灰色の麒麟の首は、どう見てももう愛らしくはない。首だけといえば生首のように聞こえるかもしれないが、別にそういうことではなく、地面の下から首だけが床を突き破り、この五階に飛び出しているのだ。どうやら体を遥か下に残し、首だけが伸びているようだ。

「冗談でしょ……?」

 朝奈は当然驚いた。

 麒麟の首は朝奈を見つけると再び大きく鳴く。

「ジュルァアアアァアア!」

 それを攻撃前の威嚇だと捕らえた朝奈は、攻撃が来る前に走り出し、下の階へと繋がっている階段まで逃げた。後ろを向いても、まだ麒麟の首はこちらを睨んだまま動いては居ない。朝奈は安心し、階段を駆け下りようとした。

 だが、その瞬間。今度は階段の下の折れ曲がり地点の壁が爆発したように崩れ、そこから麒麟の首が飛び出してきた。

「うそっ!?」

 幸い朝奈にその頭突きが命中することはなかったが、おかげで階段は崩れ落ちてしまう。

 素早く先ほどの場所に目を向けてもまだひとつめの麒麟の首はこちらを睨んでいる。

「何個首があるのよ!」

 朝奈は全身から冷や汗を噴出しつつ、引き戻って行く麒麟の首を踏み台にして四階へと走り降りた。

 全速力で走り回っている間も休む間もなく、無数の麒麟の首が朝奈目掛けて攻撃してくる。

 窓を割り、地面を突き破り、壁を粉砕して。

 どの部屋に隠れても、どんなに狭い場所に向かっても。

 ありとあらゆる場所から麒麟の首はその頭を伸ばし朝奈を殺すべく暴れ回った。

 いつの間にか、その数はもはや五つにまでなっていた。

 だんだんと朝奈も体力の関係もあり、逃げることが辛くなってくる。

「はぁ、はぁっ、このままじゃ持たない……!」

 この長首麒麟は血を大西から与えられたことで朝奈を追ってきているようだ。と考えれば、臭いを頼りにしていると考えるのが妥当だろう。朝奈も当然そのことに気がついた。

「臭いを消さなきゃ――……確か、香水が有ったはず……!」

 腰に掛けた手鞄を漁り、中から香水を取り出す。朝奈は間を置かずして、一気にそれを自分に噴射した。

 甘い果物のような香りが広がり、僅かに長首麒麟の動きに戸惑いのようなものが見える。

 その隙を逃さず朝奈は女子トイレへと駆け込んだ。女子トイレならば洗剤などの臭いもあり、しばらくは時間を稼げると考えたのだ。

 そのまま一番奥の個室に入り丸くなる。

「はぁ、はぁ、はぁっ――そうだ……! 截さんから借りた予備の電話があったんだった」

 朝奈はパーカーのポケットから、この建物に来る前に貰っていた截の携帯電話を取り出した。当然すぐに電話を掛ける。

「截さんっ、お願い出て――……!」

 ガチャっと電子音が聞こえた。

「朝奈さんか!?」

 截は走っている途中なのか、かなり激しく呼吸をしながら電話に出た。

「截さん、お願い助けて! 今どこにいるの?」

「まだ建物の一階だよ、今イミュニティーの人間から追われている。君はどこにいるんだ?」

「今四階だけど、変な麒麟の首に襲われているの、どうすればいい!?」

「麒麟の首?」

「何かあちこっちから飛び出してきて……首がいっぱい有るみたい。最初は下から声が聞こえたみたいだったから、多分截さんの近くに本体があると思う」

「……なんとか探して見る。それまで隠れてろ。――あと、その首に十秒以上触れるな。悪魔もそうだけど十秒以上触れていると感染するから」

「分かった。どれくらいかかる? こっちはそんなに長く隠れられそうにないよ」

「――五分、五分だけ待ってくれ。その間に何とかイミュニティーを撒いて、麒麟の本体を倒すから!」

「五分ね! 出来るだけやってみる」

 朝奈は電話を切ると、大西の持っていた西洋風のナイフを握り締めた。

 じっとりとした汗が全身に広がり服と肌を密着させる。

 強く握っている所為か、恐怖からか手が震える。

 個室で見える範囲は限られているはずなのに、視線は定まらず左右へと絶えず動いている。

「五分……五分……」

 朝奈は連続して迫り来る死の恐怖に、緊張の極限状態になっていた。

 まだ数十秒しか経っていないはずなのに、もう何分もこうしているような気がする。

「はぁ、はぁ……はぁ――……」

 ――いくら香水を付けていても血の臭いが消える訳じゃない。そろそろ来るかも……!

 朝奈は自分の傷口を見ながらそう思った。

 考えの通り、「ガンッ」という音が聞こえトイレの入り口が開いた。長首麒麟が頭を覗かせているのかもしれない。恐らくこの音はトイレの扉を頭で押し開けている音だろう。

 ガンッ!

 ガンッ!

 バンッ!

 順番に入り口に近い方から扉が開く音と、頭を叩き付ける音が聞こえる。このままではかなりまずい状態だ。

 ――バンッ!

ついに朝奈の隠れている隣の個室までやってきた。もう後がない。

 ――神様……!

 ガバンッ!

 鍵を掛けていたにも拘らず、あっさりと扉は麒麟首の頭突きの勢いで開け放たれてしまった。

 黄色い斑模様が見る影も無くなった灰色の巨大な顔と、血走り飛び出た大きな目が個室に入って来る。

 その醜い大きな目が朝奈の姿を捉えた。

「あぁああぁあっ!」

 その瞬間、まだ麒麟が頭突きをする前に、朝奈はナイフを長首麒麟の鼻頭に突き刺した。

 いよいよ獲物を追い詰め止めをさせると感じていた麒麟の怪物は、思わぬ反撃と痛みに驚き頭を引っ込ませる。

 朝奈はその僅かな隙間を利用して個室の外に飛び出した。

 全速力で走りトイレから出る。

 と同時に三本の麒麟の首が、窓や床を突き破り朝奈の前を塞ぐように飛び出してきた。

「――……くっ!」

 これでは通れる訳がない。朝奈は急ブレーキを掛けると体の向きを反転させた。

 すると待ってましたとばかりに、先ほどトイレの中に首を突っ込んできた麒麟の頭が、正面から急接近してきた。一本道の廊下で挟み撃ちに遭ってしまった形だ。下に行くにも上に行くにも、階段は麒麟の首の後ろにある。ここから逃げるにはどちらかの麒麟を越えて行くしかない。だが、それはあまりにも危険すぎる行動だった。

「――あっ!」

 朝奈の目に何かが止まった。穴だ。先ほどトイレに隠れる前に麒麟の首が飛び出してきた穴が、三体の麒麟首の一歩手前にある。あれを通れば上手く下に逃れられるかもしれない。

 どっち道このままでは死ぬのだ。やってみる価値はある。朝奈は覚悟を決めると、三体の麒麟首目掛け走り出した。

「ジュルゥウルルラァアア!」

 三本それぞれの首が、雄叫びを上げて頭を突き出してくる。

 その速度は速く、このままでは朝奈よりも先に穴を通り越しそうだ。そうなれば、朝奈は麒麟首が邪魔で穴を通れなくなってしまう。

 朝奈は腰に挿した健太の鞄から取った包丁を抜き取ると、それを躊躇なく真ん中の麒麟首目掛けて投げた。

 志郎から護身術くらいは習っているが、朝奈に投ナイフ技術などはない。これはただの賭けだった。

 だが運がいいことにナイフは麒麟首の片目に命中した。

 真ん中の麒麟首は朝奈の狙った通り、左右の麒麟首を妨害しその速度を遅らせる。

「やったー!」

 その気を逃すべく朝奈は穴の前まで駆け抜けると、細い体を活かしてそれを通り抜けた。この時だけは自分の貧相なスタイルにも感謝したことだろう。

「これで、三階。あと少しで……一階だ……!」

 電話をしてからもう二分は経ったと思うが、まだ麒麟首の動きに変化は無い。

 截はどうやら政府の人間と交戦しているらしい。もしかしたら五分では長首麒麟を倒せないかもしれない。朝奈の中で自分で長首麒麟を倒すという考えが浮かんだ。

「先に地下に着けたら私の勝ち、着けなかったら負けか。ここまで逃げたんだし、最後まで自分で決着をつけてやる!」

 天井からUターンするように現れた五本の麒麟首を確認すると、朝奈は再び走りだした。

 先ほどまでのように下から突き上げるのとは違い、上に上げた首をUターンさせて攻撃してくる為、自然と麒麟首は動きが遅く放漫になる。

 ――なんか下に行くほど攻撃がされ難くくなるみたい。もしかしたら、本体の近くに行けば攻撃は届かないのかも。これなら本当に、下に着ければ私の勝ちっぽいな。

 度重なる攻撃に慣れたことと、先ほどよりも麒麟首の攻撃がゆるくなってきたため、朝奈は僅かに元気を取り戻した。








「どうだ? 黒服は殺したか?」

 能面顔の女性、石井春奈いしいはるなはあっさりとした調子で電話の相手に聞いた。

 こうして定期的に部下と連絡を取り合うことで、お互いの無事を確かめているのだ。

 彼女は部下二人に紀行園正面入り口から左の建物を調べさせ、自分は右の建物に来ていた。

 通常ならばイミュニティーの人間は三人一組から五人一組で行動する。それは悪魔と戦う際に囮、援護、止めと役割分担をしているからだ。

 だが、今この部隊はその戦法を取らなかった。

 彼女が類まれなる実力を持っているということもあるが、大きな理由は相手が人間だからだ。相手が人間ならば、態々(わざわざ)一人相手にそれ程の人員を裂く必要はない。

「何、まだ? こちらは二人だろ。何を手間取っている。さっさと殺せ。次に連絡を取る時勝利の知らせがなければ……お前たち二人、永遠に出世出来なくなると思え」

 冷酷な言葉を発すると、相手の返事を待つこと無く石井は電話を切った。

「さて……――隠れているのは分かっている。さっさと出て来い。私は面倒くさい真似が嫌いなんだ」

 間を置かずして大きく声を発する。

 だが、こんなことを言われて隠れてくる人間が出てくる訳が無い。

 当然、翆も健太も姿を見せなかった。

 二人は今、西側職員用建物の一階ロビー、そこの大階段の後ろに隠れている。正面から姿が見えることはないが、このまま石井が探し回れば時間を置かずして二人は見つかることは明らかだ。

 石井の姿を階段の影から覗き見ると、翆は舌打ちした。

「ち、よりによって能面女か。普通こういう災害発生初期の任務は下っ端が来るのに……なんであれが来てるんだ?」

「知ってるのか?」

 健太が男口調で話す翆に恐る恐る聞いた。

「ああ、あいつはイミュニティー総合監察官……そうだな、一般的な会社で言えば、部長クラスの人間だよ」

「ヤバイ相手なのかよ?」

「さあね。実力的にはそれなりに良いらしいけど、会うのは初めてだからな。まあ、弱くないことだけは確かだよ」

「くそ、早く探さなきゃいけないって時に」

「仕様がないだろ。あいつは冷徹で有名だ。見つかれば一般市民だろうと殺される」

 その言葉に健太はぞっとした。

「この分じゃ、截の方も苦労してそうだな」

 翆は溜息をつくと、窓から見えている向かいの建物に視線を向けた。









 曲がりを曲がった。

 白い壁を挟む様に両側に扉が見える。

 だが、どちらの扉も鍵が掛かっているのか全く開ける事が出来ない。

「くそ、行き止まりか!」

 截は焦った。

 イミュニティーと遭遇する危険を冒してまで、朝奈を探すために一階へ降りてきた截だったが、案の定朝奈は見つからず、二人の屈強な男と鉢合わせしてしまった。

 二対一はまずいと咄嗟に逃げ出したものの、何故か男達は執拗に自分を追ってくる。

 朝奈から助けを求められたこともあり、あまりこんなことに時間を費やしている暇はない。

 截はなんとかイミュニティーの二人を撒こうとしたが、とうとうこうして袋小路に追い詰められてしまったのだ。

 廊下の曲がり角から、褐色に日焼けした若禿げの男がナイフを構えながら歩いてくる。

 ――ちっ……!

 截も二本のナイフを抜いた。

 褐色男は截が若者ということもあり、やや余裕があるように大股で近づいてくる。だが、決してその足取りに油断はない。曲りなりにもプロだ。

 二人の間の距離は一センチも無いところまで狭まった。

 截の基本的な戦い型は待つ、つまり「柔」を中心とする。

 元々あまり筋肉質ではない截は、相手の攻撃を受け止めたり、弾いたりすることには向いていない。もちろん黒服の訓練でそれなりに鍛えてはいる為、普通の一般男性よりは全然筋肉はあるのだが、生まれ持った体質の限界というものはある。

 特に目の前に居るような、筋肉むき出しの大男が相手の場合は力ではとても適いそうにはなかった。

 だがら截は待ちを主体とし、自分の「感覚」を活かして攻撃することが多かった。つまりカウンター攻撃を得意とするのだ。

 悪魔や自分よりも力の強い相手からの攻撃は、手や腰や腕を使って逸らし、受け流し、巧みに外す。

 そしてその隙に相手を攻撃するというのが、いつものパターンだった。

 しかし、今回ばかりはそうはいかない。

 どうやら相手の男も「待ち」が基本の戦い方をするらしい。ずっと様子を伺うように、動くことなく截を睨み付けている。

今の状態を簡単に言えば、拮抗状態ということだ。

 こうなってしまっては、すぐに戦闘を終えることは出来なくなる。

「朝奈……くそっ……!」

 截は朝奈のことを思い、気が気でなかった。









「きゃぁっ!」

 朝奈は間一髪で、麒麟の叩き付ける様な首の攻撃を横にかわした。

 その勢いで目の前に在った階段を転げ落ちる。だが苦痛に苦しむ間も無く麒麟首は追撃を繰り出してきた。

 朝奈は痛みを我慢し何とか立つと、そのまま2階へと降りる。

「はぁ、はぁっ……はぁ……あと、一階……!」

 普通ならば一階まで階段は続いているから、そのまま走り降りればいいのだが、そうは行かなかった。

 麒麟首が階段を塞ぐように飛び出していたからだ。

 廊下を挟んで二つある階段に、それぞれ二本ずつ麒麟首が立ちふさがっている。これを突破することは不可能に近い。

 ――でも、まだ出口はある……!

 朝奈はそう考えると、これまで麒麟首が上に行く為に開けた穴を探した。

 地下から上に首を伸ばすには、必ず階のどこかに穴を開ける必要がある。それを通れば下の階に降りられると思ったのだ。

「あ、あった!」

 廊下のど真ん中に穴を見つけると、朝奈は喜びながらそれに飛び降りようとした。

 だが、すくっと下に落ちていくはずの足が、何故か柔らかいものを踏んでいる。朝奈は驚きながら視線を下に向けた。

 そこには下から塞ぐようにして押し付けられている、灰色の塊があった。麒麟首の首だ。

 上の階ならば首を限界まで伸ばしている為、ただ攻撃を繰り出すことしか出来ない。しかし、下の階に行けば行くほど、攻撃を出し難くなるものの、首の長さに余裕が生まれる。長首麒麟はそれを利用して自分の首で穴を塞いでいたのだった。

「これじゃ――逃げられない!?」

 階段も、穴も塞がれ、朝奈は完全に二階に幽閉されたことになる。もはや下に行く方法はない。

 その姿を確認すると、五本の麒麟首は悠々と朝奈に接近して来た。

「――うっ!」

 朝奈は廊下から真横、右の部屋に入ると鍵を掛け閉じこもった。しかし壁や床をブチ破って現れるような化け物だ。数十秒持つかどうかも怪しい。

「どうしよう……どうしよう……!」

 何とかしてどれかの首を退かさなければ、下に行くことは出来ない。朝奈は頭をフルに回転させ現状の打開策を練った。

 一番確実な方法は首のどれかを倒せばいいのだが、こんな小さなお洒落さだけが取り得の様な西洋風ナイフでは、とてもそんなことは不可能だ。

 ここは二階だしあまり高くないから窓から逃げるということも考えたが、先ほど外に数匹の悪魔が歩いているのが横目に見えた。

 窓から下に降りれば、その瞬間に囲まれて食べられてしまうだろう。こうなるともはや首を退かすしかない。

 時間は刻一刻と無くなっていく。朝奈は必死に考えた。

 バキッツ!

 その時、とうとう部屋の扉が破られた。真正面から三本の麒麟首が猛進してくる。

 朝奈はそれをコンマ数秒の差でかわすと、部屋から飛び出した。勢いのまま階段の真ん前まで一気に走っていく。背後からは二本の麒麟首が、伸びた首を引っ込めるように接近し、自分を攻撃しようと狙っている。

 階段を塞いでいる二本の首の目の前まで来ると、朝奈はそこで自分の腕を深くナイフで切り裂いた。

 鮮血が飛び散り、階段から飛び出している二本の首の根元が赤く染まる。

 そのまま朝奈は、麒麟首が階段のある場所の凹んだくぼみに顔を覗かせる前に、三階へと上った。

 直後二本の首が角から現れた。

 「そこ」には獲物の臭いが大量に感じられる。首を戻すような動きの為、目は前を向いており、それが朝奈本体なのか飛び散った血なのか、麒麟首には区別できない。

 自分の首の根元にある獲物を攻撃するには、九十度直角に首を曲げる必要がある。麒麟首の骨格でそんなことが出来る訳が無い。

 一端攻撃位置を変えるために、長首麒麟は首を引っ込ませた。

「今だ!」

 朝奈は上の階段の中腹から飛び降りるように、一階への階段に着地した。同時に背後から麒麟首が上に向かって突き出される。あと一秒飛び出すのが遅かったら直撃していただろう。

「これで1階……後は本体を探すだけだ」

 長首麒麟の本体が地下にあろうと、あれだけ首を振り回せばその天井は無事な状態ではないはずだ。間違いなく、大きな穴が開いているだろう。

 朝奈はその穴を探すため、限界に近い体力を振り絞って駆け出した。

 もはや麒麟首は首を曲げられないのか攻撃してこない。朝奈の行動を邪魔するものは何一つなかった。

「あった!」

 朝奈は体育館のような部屋に入った瞬間、それを見つけた。

 天井に向かって伸びている五本の首、そして大きな穴の開いた床の下には、無数の細い足を生やした麒麟の体があった。

 それぞれ右を向いた足が前に進もうとするため、どうやら円形に回転するようにしか歩くことが出来ないらしい。なんの鎖などの束縛もされていないのは、それが分かっているからだろう。

「ジュラァアアアアィイイィイ!」

 長首麒麟は全ての首を元の長さに戻すと、大きく鳴いた。伸びたままでは角度の問題から攻撃できなかったのだが、どうやら首を戻すことでそれをできる様に調整したらしい。

 五本全ての首が恐ろしい目つきで朝奈を睨みつけてきた。

「さっきの赤い奴に比べたら、全然怖くないよ」

 朝奈は恐怖感が麻痺してしまったかのように呟くと、ナイフを前に構えた。

 ダダダダダ……

 背後から誰かが走ってくる音が聞こえた。

 朝奈がナイフを向けながらそちらを向くと、截が息切れしながら立っていた。

「……はぁ、はぁ……よかった! 無事だったか」

「截さん! イミュニティーとかの人たちはどうしたの?」

「ああ。はぁ、はぁ……二人とも部屋に閉じ込めてるよ。しばらく出て来ることはない」

「そう、良かった」

 朝奈は截の登場で一層やる気がでてきた。

「ここからは俺の仕事だ。朝奈さんは、マッチかライターと油を探してもらえないか」

「……あいつを燃やすのね。分かった」

 あれほど大きな怪物だとナイフで殺すのは不可能だ。

 朝奈は截の考えを瞬時に悟った。急いで必要な道具を探しに部屋から出て行く。

 截は長首麒麟に向き直ると、二本のナイフを引き抜き、向かい合った。

「はぁ、はぁ……さぁ、やるか」







 倉庫、会議室、ロビー。朝奈は数多くの部屋を走り回った。

 ライターはすんなりと見つけることができたが、どこにも油などはない。恐らくここの職員はフリーゾーンか、紀行園の外で食事をしているのだろう。給仕室にもコーヒーを入れるためのポットしかなかった以上、この建物の中で油類を手に入れることはかなり困難だ。

 朝奈はロビーで立ち止まり考えた。

「フリーゾーンまで戻れば油はあると思うけど、そんな時間は無いし……」

 視線を意味も無く周囲に走らせていると、あるものが目に入る。

「車?」

 電気自動車でない車があれば、その中にはオイルがある。タンクに穴を開ければ簡単に取り出すことが出来るはずだ。

 朝奈は外に出ようとしたが、大きな問題に気がついた。

 建物の外には悪魔が数匹徘徊しているのだ。今の朝奈の力では、正面から戦って生き延びることは出来ない。

 慎重に、かつ迅速に、悪魔に気づかれることなくオイルを取るという、かなりデリケートな作業が必要とされる。

「何とかしてバレずにオイルをとらないと……!」

 軽い準備の後、冷や汗を流しつつも、朝奈はゆっくりと外へ繋がる自動ドアに近づいた。

 自動ドアの開く音が鳴る。

 その場でしゃがむ様に身を低くし、じっと辺りの様子を伺った。どうやらまだ悪魔は気づいていないらしい。こちらを見ている者は居ない。

 小さな溜息を吐いた後、朝奈はその低い姿勢のまま一昔前の泥棒のように、チョコチョコ歩いて建物の前にある大型の車の横まで辿り着いた。

 給仕室から持ってきていた掃除用の蓋付きバケツを横に置き、その中へ繋げたホースを車の下に忍ばせる。そしてオイルを流す為のパイプにナイフで穴を開けた。

 幸いにもタンクいっぱいに入っていたのか、オイルは勢い良く流れ出てくる。これならば満杯とは行かないまでも、ある程度の量はバケツに溜まるだろう。

 後は時間との勝負だけだ。

 ジャリッ――

 車の正面に一体の悪魔が近寄ってきた。朝奈の気配を感じているのか、鼻をスンスン言わせている。

「あっ! さっき思いっきり香水付けたんだった!」

 悪魔は回り込むように車の右側面へと歩き出した。これはかなりまずい状況だ。

 まだオイルは殆ど溜まっていない。今の量では到底あの長首麒麟を仕留めることなど出来ないだろう。

 朝奈はそーっと物音を立てないように車の下へと滑り込んだ。

 ――気づきませんように……!

 狭い隙間から悪魔の足が見える。そしてそれはすぐに真横、バケツの前までやってきた。

 今の朝奈には気配を伝える為の要素が数多くある。

 香水、汗、腕の出血。

 一応、腕の傷口はハンカチで縛っているので今は血が止まっているが、臭いだけはどうしようもない。悪魔は何かを確信するようにその醜い頭を車の下へと覗かせた。

 恋人のように見つめ合う一人の女性と、一匹の化け物。まるで美女と野獣のような素晴らしい絵図だ。唯一の問題は、片方が片方を食いたがっていることだけだろう。

「ギュウウゥァァアアア!」

 歓喜の雄叫びを上げると、悪魔は激しく両腕を車の下に伸ばし出した。

「あわゎわわ!」

 朝奈は腰をくねらせ、何とか反対側から逃れようとする。だが、今度は仲間の声を聞きつけた別の悪魔が反対側にやってきた。そして同じように両腕を伸ばしてくる。この獲物は自分の物だと主張するように。

「ギュルルルラァアアアア!」

「きゃぁあぁぁああっー!?」

 激しく揺れる車。朝奈はその下で出来るだけ体を縮込ませながら、無我夢中で悪魔の四本の腕から逃げ続けた。

「怖い、怖いよ……!」

 截に助けを求めようにも、今彼は長首麒麟の本体を相手にしている。ここに来れる訳がない。幾ら怖がっていても、自分自身の力で乗り越えるしかなかった。

 悪魔が暴れた所為でバケツが倒れ中のオイルがこぼれる。大分溜まっていたオイルの全てがこれで無駄になってしまった。

 ガッシッ! 

 右側の悪魔の片腕が朝奈の白いパーカーを掴んだ。とうとう捕まってしまったのだ。

「いやぁああ!?」

 朝奈は必死に手を離そうとしたが、悪魔の力は物凄い。いつの間にかパーカーは破れ、ボロボロになってしまった。

 だが、その所為でパーカーのポケットにしまっていたライターが地面に転がり落ちた。それは丁度朝奈の目の前で止まった。

「あ!?」

 幸いなことに、オイルは朝奈の居る車の下には流れてきていない。一か八かの賭けのつもりで朝奈はライターを手に取った。

「もう――どうにでもなれえー!」

 「ボウッ」という音と共に火の蛇が生まれ、悪魔の足元にその体を絡みつかせる。

「ギュウァウァアア!?」

 右側の悪魔は一瞬で火達磨になった。

 突然もの凄い炎が立ち上がったのだ。左側の悪魔もそれに驚き、逃げるように遠くへ走っていった。

 今しか生き残るチャンスはない。朝奈は車の下から這い出てると、その大型車の中に乗り込んだ。そして奇跡的に鍵のかかっていたその車のエンジンを入れる。

 運転手が車に乗ろうとしたところで悪魔に襲われたのかどうか知らないが、朝奈にとってはこれ以上ない幸運な出来事だ。

 朝奈はそのまま車を建物の自動ドアの前まで動かし、入り口を塞ぐように横に停車させた。

 素人運転だったが、車が大きかったこともありそれはぴったりと入り口を塞ぐことができた。これで悪魔も中に入っては来れないだろう。後はオイルを急いで取るだけだ。

 ダッシュで再び給仕室まで走りバケツを取ってくると、急いでオイルをそのの中に入れた。もうかなりの時間が経っている。截の身が無事かどうかも怪しい。

 朝奈は体力の限界にあるにも関わらず、バケツを抱えて力の限り走った。

 すぐに先ほどの大きな部屋の入り口が見えてくる。

「截さん!」

 朝奈は倒れこむようにその部屋へと入った。

「……え……?」

 するとそこには元気に走り回っている截と、首が二本なくなりおびただしい血を垂れ流している長首麒麟が居た。

「はぁ、はぁ――……あ、朝奈さん。やっときたか。早くあいつに油をかけてくれ……! 流石に体力的にまずい」

 截は息切れをしながらそう言った。

「ど、どうやってあの首を?」

「あぁ、隠れながら反撃したり、罠とか地形を利用したり色々と……――それよりいいから早く油を!」

「あ、う、うん!」

「俺があいつの前に飛び出すから、その時に思いっきりバケツの中身をぶちまけるんだ。頼んだぞ!」

「任せて」

 截は癖毛の髪を風に靡かせながら、一直線に長首麒麟の前まで走り出した。

「ジュラァァアアアィイイイ!」

 截に大切な首を二本も斬られていた長首麒麟は、怒りに満ちた目で残り三本の首を総動員し、頭突きを繰り出してきた。

 ゴムのように伸び縮みする材質は、伸ばせば伸ばすほど体積の関係で細くなっていく。そしてそれはこの麒麟首も例外ではない。

 縮まっていたときは密度が高いため切れ難かった麒麟首も、伸びた状態では密度が大きく下がる。つまり切れやすくなるのだ。截はそれを狙って二本の首を切り落としていた。

 迫り来る麒麟首を感覚を活かしてかわし、その内の一本を白柄ナイフで切り上げる。切断とまではいかなかったものの、それは深い傷を与えた。

 今の特攻は完全に一回限りの技だ。人間の身で正面から怪物とやりあい続けることはできない。これまで壁や床を活かして隠れながら戦っていた截がここまで強引な行動をとったのは、全て朝奈のためだった。

 敢えて自分を仕留められる状況を作り出すことで、長首麒麟の注目を一心に引き付けたのだ。

 切り上げたと同時に倒れこんだ截に向かって、上から四本の麒麟首が振り下ろされようとしている。

「朝奈っー!」

 截は叫んだ。

 バシャァー!

 バケツ一杯のオイルが一階から地下にある長首麒麟の本体へと掛けられた。長首麒麟は不思議そうにその液体を見ている。

「さようなら」

 朝奈はそれを冷たい目で見ると、ライターで火を点けた紙を投げ落とした。

「ジュァアアアアァアアアア!?」

 フライパンの上でのた打ち回るウナギのように、長首麒麟はもがき回る。しかし円を描く様にしか歩けない足の所為で、地下の炎熱地獄から逃れることは出来なかった。無論、オイルは長首麒麟の本体に掛かっているから例えまともに歩けても意味は無いのだが。

 しばらくした後、長首麒麟は焦げた魚のような臭いを発しながら動かなくなった。

「……やったな」

 截があまり口を広げずに朝奈に微笑む。

 その微笑を見て、朝奈もやっと終わったと悟り床の上に座り込んだ。

「ん?」

 黒い服が、朝奈の背に掛かった。警察の特殊部隊の服と、カジュアルなジャケットを混ぜたような服だ。

 後ろを向くと、截が視線を泳がせながら立っていた。

 上着を脱いだ所為で、上半身の服装が変わっている。それは黒いロングTシャツに、薄い灰色の防弾チョッキを着たような格好だった。

 朝奈が何か光るものに気を取られると、截の首元に銀色の十字架のネックレスが輝いているのが見えた。

「あ、ほら。そのカッコで歩き回るのは嫌だろ?」

 朝奈のパーカーは悪魔に引きちぎられボロボロになっている。しかも所々中に着ていた服にまで爪が届いていたらしく、下着が見えていた。

「きゃっ!?」

 朝奈は急いで截の黒服の上着を纏うと、顔を赤くして両手を前に交差させた。

「……――見ろ、地下室だ。もしかしたら、博士もあそこに居るかもしれない」

 截は変な空気を紛らわす為に下に指を指した。

 まだ燃え続けている長首麒麟の死体の横、丁度二人から見て真正面の地下の壁に、小さな扉があった。

「あれは?」

 朝奈は期待感と不安交じりの声で聞く。

「多分、研究室だな」

 截も何時ものような冷たい雰囲気に戻り、それを見つめた。








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