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<第二章>修羅の園

<第二章>” 修羅の園 ”




ショッピングモール 午前11:30 



「何なんだよこいつら!?」

 ショッピングモールの中、健太はガラスの壁から外に見える悪魔の軍勢を、恐々とした目つきで見つめた。

 外では逃げ遅れた客や従業員が手当たり次第に悪魔に襲われ、その数を減らしていく。

 あの焼きそばのおっちゃんもその一人だった。

 おっちゃんはつい先ほど一匹の悪魔に食い殺されてしまったのだ。ちょうどこのガラスの向こう、健太の目と鼻の先で。

雅子まさこ……雅子は無事なのか……?」

 おっちゃんの死を目の当たりにした健太は恋人の身を案じ、すぐに携帯に掛けようとしたが、彼女が電話を持ち歩いていないことを思い出した。

「くそっ!」

 雅子の無事を知ることが出来ない苛立ちからか、健太は携帯を投げ捨てた。薄型という謳い文句に引かれて買った携帯は案の定脆く、地面に叩き付けられると同時に数個のパーツに別れ粉砕した。

 狭いショッピングモールの中に居る所為か、健太だけではなく誰しもが苛立ちや焦り、恐怖を覚えていた。実に頻繁に怒号や鳴き声が屋内に響いている。

 そんな彼らの声を聞きながら、朝奈は父との先ほどの会話を思い出した。


 『今すぐこの紀行園から逃げるんだ、出来るだけ早く!』


 『わけは必ず後で話すから、とにかくここから離れるんだ。時間が無い。多分もうすぐそこにも奴らが現れる……!』

「……お父さん。これに何か関係してるの?」

 父、志郎の言葉は明らかにこの状態を予期していたことを示している。恐らく、奴らとはあの悪魔のような人間たちのことなのだろう。瞬く間に増えていったことを考えれば感染するのかもしれない。実際先ほど揉み合っていたあの妻を殺された男は、そのすぐ後に悪魔化していた。

「お父さんを探さないと……!」

 朝奈の頭では恐怖も十分にあったが、母が志郎の失踪後に罹った病気で死んでいる今、唯一の肉親である父を失う訳にはいかないという気持ちの方が強かった。

 間違いなく父、志郎はこの事件に関係している。


 『父さんは今、ちょっと極秘の研究機関に在籍していてね』


 もしかしたらこれを起こした張本人が父なのかもしれない。

 どうしてもそれが真実か嘘か確かめたかった。

 朝奈は満員電車の中のような人垣を掻き分け、裏口へと向かった。

 裏口の付近ではレジや品物を入れておく棚で作られたバリケードが出来ており、入り口付近よりもより多くの人間が密集している。

 これではとてもここから出ることなどできそうに無い。

 朝奈が困っていると、人が全くいない方向へ歩いていく一人の若者が視界の隅に見えた。ショッピングモールを横長の長方形、入り口をその中心の下と右端、裏口を中心の上と見れば、彼の向かっている方向は丁度左端になる。

 ――あっちは確か職員用の部屋がある場所だ。人がいないのは電気が消えている所為かな。

 出ることも忘れていなかったが、朝奈はその男の動きに興味を引かれ、後を付けその部屋へと入っていった。


 暗くてよく見えない。朝奈は壁を伝うようにしてゆっくりと歩いていく。

「これは……確かにここには居たくないね」

 部屋の不気味さに腰を引きながらもおっかなびっくり進んでいく。

「誰だ!?」

 すると突然横から強い光を浴びせられた。

「うぎゃっ!」

 朝奈は片手で目を隠すようにしてその光を遮る。

「……人間か」

 懐中電灯をこちらに向けたまま、若者は安心したように呟いた。

「ここで何してるの?」

 光に照らされたまま朝奈は聞く。

「関係ないだろ。あっちに行ってくれ。俺は一人になりたいんだよ」

 迷惑そうに手を振りながら若者は言った。それで朝奈が立ち去ると思ったのだろう。だが、朝奈はしばらく黙ったままそこに立ち続けると、不意に若者が予期しなかった事を口走った。

「武器を探してたんだ……? カッター、包丁、ライター……モップまで?」

「な、何で知ってんだよ、お前いつから見てた!? 全部向こうの部屋に置いてるんだぞ!」

 男は不気味な物を見るよな目つきで朝奈を見た。

「気にしないで。感覚が鋭いの。それよりもここから出る気なんでしょ?」

「だから何で分かるんだよ!?」

 またも自分の行動を見透かされ男はたじろいだ。

「だって、何度も窓を割ろうとしたみたいじゃん。無駄だったぽいけど」

「……お前……エスパーか?」

「だったら良いんだけどね」

 朝奈は少しだけ微笑みながらそう言った。

「――はぁ、俺は鈴木健太。お前は?」

 健太は朝奈をここから遠ざけることを諦めたように言った。二又のような髪が揺れオデコが光る。

「関野朝奈。よろしくね」

 朝奈も自己紹介を返した。

「何でここから出ようとしてたの、ここの方が安全なのに?」

「恋人と連絡がつかないんだよ。このショッピングモールには居ないし、外の死体も悪魔も一通り窓やガラスの壁から見たけど……俺の恋人、雅子って言うんだけど、雅子らしき人間のものはなかった。――っていうかそれは分かんないのか?」

「だって私、超能力者じゃないし」

 朝奈は真面目な顔で言い返す。

「……まあ、何でもいいけどさ。とにかく俺はここから出るから、邪魔しないでくれ。包丁で脅せばあの人たちも扉を開けてくれるだろう」

 健太は隣の部屋から鞄を持ってくると、それに片手を入れ歩きだした。鞄の中で包丁を握っているのかもしれない。

「え〜と健太さん、ちょっと待って」

 部屋から一直線に裏口へ以降と大またに歩いていた健太を、いきなり朝奈が呼び止めた。

「何だ?」

「ここ、もう一個出口が在るみたい。こっち来て……!」

 嬉しそうに歩き出す朝奈。健太は半信半疑のまま取り合えずそれに付いていった。

 先ほどの暗い部屋の隣にある小さな倉庫のような場所で朝奈は止まる。

「ほら、ここ。何か小窓みたいなのが有るでしょ?」

 朝奈は床のマットをどかしながらその下を指差した。そこには確かに緊急用の出口と思われる四角い扉が合った。飛行機の貨物室へ機内から行く為の扉に似ている。

「本当だ……何でこんな所に?」

 まるで見られたく無いように隠されていた扉を目にし、健太は驚いた。

「私もちょっと用事があるの。健太さん、一緒に行くね」

 朝奈はずいずいとその扉を開け下に下りていく。

「お、おい!」

 何故そこに扉があるのが分かったのか? という疑問もうかんだが、それよりも朝奈も外に出る気だということに健太は驚かされた。

 聞く間もなく朝奈は先へ先へと進んでいく。

「逞しい女だな」

 少しでも降りることに躊躇したことを悔いながら、健太もそれに続いていった。






紀行園正面入り口前 午前11:55



 山と森に囲まれた紀行園の入り口の前は、縦横それぞれ二百メートルの広場と国道に繋がる一本の大道路しかない。

 今、その広場と道路に無数の人溜まりがあった。

 細菌テロという名目の元、マスコミも民間人も周囲五キロには近づくことが許されず、この人溜まりに居る人間は警察と政府の人間だけだ。五キロ離れた地点でも警察の封鎖がなされるという、徹底的な行動振りのため、ここに関係者以外が立ち入ることはありえない。

 彼らは大掛かりなテントを無数に門の前に設置した。俗に対策本部と言う場所だ。

 その中心、入り口の正面にあるテントの中、警察服を着た恰幅のいい中年の男が忙しそうに命令を出している。一応木製の長机とパイプ椅子が設置されてはいるのだが、とても座る暇など無いらしく、男は立ったまま歳にしては童顔な髪の無い顔で口を動かし続けていた。今回のこの事件の総指揮を務める宮川義高警部だった。彼はあくまで本庁から人員が来るまでの代理であり、すぐに指揮権を失うことになっていたが。

「紀行園の全体封鎖は終わったか!? 誰一人中から出すなよ。上からの情報で細菌テロが起きたらしいからな!」

 まだ事態が良く分かっていない部下に何度も同じ指令を伝える。

「宮川警部、二十歳ほどの男性、柵をよじ登って森から逃走しようとしたところを射殺しました」

 隣の長机に席を置いている若い警察官が、淡々とした口調で無線機から流れた内容を伝えた。

「また死人が出たか。おい、ちゃんと拡声器で園から出ないように言っているんだよな? なんでこうも藁々人が逃げ出してくるんだ? それにどうやってあの柵を生身の人間がよじ登ってんだ?」

「分かりません。もしかしたら猛獣がパニックに乗じて自由になったのかもしれません。上はまだ何もするなと言っているんですか?」

 若い警官は眉を寄せ不審下に訪ねる。

「ああ、勝手な行動は控え、ただ細菌の感染者が出ないようにしろの一点張りだ。――全く、その所為で何人の罪も無い民間人を撃ち殺す嵌めになったことか。今頃紀行園の柵の周りの森は死体だらけだってのに」

「先ほど無線連絡で来るといっていた専門家の到着も、まだまだかかりそうですし、当分は私たちの仕事は民間人を撃つことだけですね」

 若い警官は短い髪を掻きながら悲しそうに言った。

「まったく、何から何まで……こんな釈然としない事件には初め合うな」

 急に曇ってきた空をテントの隙間から見上げると、宮川警部は物思いげに腕を組んだ。






地下通路 午後12:05



「どうやら行き止まりみたいだね」

 朝奈は暗い地下通路のなかで呟いた。

「崩れてる……?」

 健太は懐中電灯を使い、隅々まで通路を塞いでいる瓦礫の山を照らしてみたが、どこにも通れそうなところは無い。完全に道が塞がれていた。

「何だ、これもあの悪魔らの仕業か?」

「これは違うと思う」

 まだ隙間を探し続ける健太を他所よそに、朝奈は何故かその意見を否定した。

「何でそう思うんだよ?」

「あっ……そこに上に行ける梯子はしごがあるみたい。健太さん、私じゃ届かないから引っ張って!」

「梯子?」

 自分の問いがスルーされたことで少し眉間に皺を刻みつつも、健太は右の壁に懐中電灯の光を当てた。すると確かに折りたたみ式の梯子が天井から伸びており、地上に出る為のハッチのようなものもある。それは硬いことは硬かったが、頻繁に手入れをされているのか思っていたよりもすんなり下ろせた。

 健太は後ろに居る朝奈を見つめる。

 何故光を当てていないのに朝奈は梯子を見つけることが出来たのか、健太には理解できなかった。

 先刻の自分の準備品のことも然り、隠し扉のこともしかり、どう考えても朝奈は何か普通とは違う感覚を持っている。健太はやはり朝奈が超能力者なのでは無いかと本気で考えた。はっきり言って健太は幽霊や超能力、UFOなどを本気で信じている部類の人間だ。超能力者と名乗る胡散臭い人間にも健康の相談に行ったことがあるほどである。だからそれらを信じていない人間よりは自然にそういった単語が頭に浮かぶ。

「なあ、お前やっぱり超能力者だろ」

 大真面目な顔で健太はそう言った。

「馬鹿なこと言ってないで、健太さん。私先に上がるからスカートの中覗かないでよ」

 ふざけた感じで朝奈は茶化す。

「だ、誰が覗くか! 俺には美人の恋人がいるんだぞ!」

 朝奈の狙い通り、健太は超能力から話を反らした。

 小さく笑いながら、朝奈は降りたときと同じようにスラスラと梯子を上っていき、慌てて目を伏せた健太を他所に外に出た。

「……ここには悪魔は居ないみたいだね」

 素早く慎重に周囲に目を走らせ、安全かどうかを確認すると、朝奈は息を大きく吐いた。

 どうやらここはフリーゾーンからそれ程離れていない、職員用の通路のようだ。歩いてきた方向から考えると、ハート型の道を真上から見たときの左の盛り上がった所だろう。

 足元には短い芝生が生い茂っており、周りに高い木や草が少ないためか、辺りを良く見渡すことができる。左方向には一般客用の道路と、柵に囲まれた歩道が百メートルほど先に見え、右方向には僅かな林を挟んで五百メートルほど離れた位置に、小さくフリーゾーンがあるのが分かる。

 一般道路の方には猿のような悪魔が二〜三匹歩いていたが、この距離ではこちらに気づくことは無いはずだ。

「外に出たはいいが、まずどこに向かう?」

 背後のハッチを閉めながら健太が聞いてきた。

「何が起きているのかは分からないけど、こんな状態だし生きている人はみんなどこかに隠れていると思う。この紀行園で人が隠れられる所といったら、フリーゾーンと職員用の建物だけだよね。まずは職員用の建物の方に行ってみよう」

「そうだな」

 健太は朝奈の意見に従うと、年上の意地を見せるように率先して職員用エリアへ向かって歩き出した。

 職員用エリアは紀行園の一番南、つまり紀行園の出入り口付近にある。扉の右と左に大きく建っているのがその建物だ。

 朝奈は悪魔の襲撃に用心しながらも、健太の後を追う形で道路に沿った細い職員用の通路を歩き続けた。






紀行園前5km 南封鎖地点

午後 12:15



 政府上層部から連絡を受けた警察の対応は、不自然なほど迅速だった。

 紀行園の周囲五キロ地点は事件発生から一時間後には既に警察による封鎖線が引かれ、嗅ぎ付けたマスコミ関係者や野次馬のどのような干渉も一切許すことはなかった。

 そのためこれらの地点では、これ以上進めないことに不平不満を持った数多くの人間がごった返している。

 道路を通ろうとしたトラックの運転手。

 実家に帰ろうとした旅行客。

 事件を聞きつけて集まった報道陣と野次馬。

 その多様さは数えてもキリが無い。

 ここ、紀行園の正面入り口へと続く大道路と、公道をT字路につながるような場所である南封鎖地点でも、それは変わらなかった。

 右の森の中や左の岩場にまで、無数の人間が溢れ右往左往している。

 T字路である分余計に人は多い。

 一応警察は道路を利用する人間を考慮して、紀行園の私道側へと僅かにさがって封鎖をしているのだが、人の壁が人の壁を呼び殆どT字路は機能していなかった。


「はいはい、下がって下がって!」


「危ないからそんなに押さない。――ほらそこぉ!」


「君、もっと離れなさい!」


「奥さん、ちょっ、足踏んでるってっ! あれ、聞こえてるよね? 何でまだ踏んでんの?」


 警官たちはこれ以上先へ進めないように、彼らを食い止めることで必死だった。

 そんな中、今二台の黒いバイクが警官の誘導の下、人垣を掻き分け封鎖線の向こう側――紀行園の私道へと入った。

「すみません、待っていてくださいね。今上司を呼びますから」

 若い警官がバイクに乗ったままの二人に一言入れると、奥の小さなテントの中からこの場の代表を連れてくる。

「すみません。お待たせしました。政府の使いとのことですが……イミュニティー機関でしたっけ?」

「はい」

 先頭のバイクに乗った黒い服を着た男が返事をする。

 その顔はヘルメットを被っているため分からないが、声から推測すればあまり歳はとっていないようだ。

「部下が書類を確認したところ、確かに政府高官のサインでした。どうぞお通りください。紀行園入り口前の対策本部にも連絡しておきます」

 その言葉を聞くと二台の黒いバイクは無言で先へと進んでいった。

 その後ろ姿を見ながら現場指揮の警官は不思議がる。

「こんな時にあんな格好で……しかもバイクで駆けつけるとは、変わった連中だな」

 それを横で聞いていたのか、先ほど二台を誘導した警官が口を出してきた。

「しかもあのバイクは本当なら公道は走れないんですけどね」

「何だ、お前バイクに詳しいのか」

「ええまあ、プライベートで乗っているんで。でも、あのバイクは中々お目にかかることは出来ないですよ。あれは僕が見たところ、間違いなく2500年物のCBR1000RRレースベース車ですよ」

「レース用のバイクなのか。全く、インテリの考えることは分からんな」

 その言葉を最後に現場指揮の警官は無駄な会話を止め、テントの中へと戻っていこうとした。

 しかしまたすぐに別の警官に呼び止められる。

「警部、政府の使いだそうです。え〜イミュニティー機関だとか」

「またか、一体何人来るんだ。一度にまとめてきて欲しいものだよ」

 苦笑いしながら現場指揮の警官は、丁度誘導されてきた大型の四輪駆動車を見る。

先ほどの二人とは違い、今度は紺色の自衛隊服のようなものを着た屈強な男が中から出てきた。

「はい、イミュニティーさんですね。先にもうお二人来ていますよ。書類は確認済みです。通ってください」

 警官はさっさと指揮に戻りたくすぐに車を通そうとした。

 だが、何故か目の前の男は車内に戻ろうとはしない。

「待て、先に二人来ているだと?」

 突然不思議そうに軍服の男は聞いてきた。

「ええ、黒い服に黒いバイクと何やら全身黒尽くめで」

 それを聞いた軍服の男は急いで車の中に頭だけ入れると、何やら相談を始めた。

「石井さん。今回の作戦に黒服を雇ったという連絡はありましたか?」

 恐る恐るといった様子で聞く軍服の男。その目線の先には黒髪をオールバックに肩まで伸ばした、能面のような顔を持つ女性が長い足を組んで座っていた。

「いや、私は聞いていないぞ? まさか、ディエス・イレの雇った人間か?」

 無表情のまま能面顔の女性は言う。

「――すぐに対策本部に拘束させます。まだ門を通っては居ないはずですから!」

 軍服の男は女性のご機嫌を伺うように、急いで指揮を任されている警官を引っ張り、テントの中へと入っていった。

 それを車の窓から眺めると、女性は冷たい眼差しで呟いた。

「ディエス・イレめ」







紀行園正面入り口前 午後12:17




「いいか、不審な黒いバイクが二台こちらに向かっているらしい。到着しだい取り押さえるぞ。用意しろ」

 宮川警部は「この忙しい時に!」と文句たらたらの様子で部下に銃を構えさせ、テントの後方百メートルほどの位置に、大道路を横切るように横一列に警官を配置した。

 それに合わせるかのように、丁度遠くの方に二台のバイクが走ってくるのが見える。よほどスピードをだしているのか、その姿は見る見るうちに大きくなっていった。

 宮川警部は部下に拡声器で止まるように言わせたが、バイクは一向に止まる気配が無い。

「くそ、仕方がない。撃て!」

 これまで、紀行園から逃げ出してきた灰色の人間を何人も射殺していたため、警部は感覚がおかしくなっているのか、簡単に射殺命令をだした。

 同じく何の疑問もなくその指示に従う部下たち。

 急な射撃を先頭のバイクはまるで予期してたかのようにかわしたが、後方のバイクには何発か銃弾が命中した。搭乗者には当たらなかったようだが、あれではすぐにバイクは転倒するだろう。

 宮川警部もそう考えた。だが――

 あろうことか後方のバイクの搭乗者は、前方のバイクが横につけると同時に、そちらに飛び移ったのだ。

 信じられないような度胸だと宮川は思った。

 二人を乗せた黒いバイクは、警官隊を避けるように右横の林の中に入っていくと、そのまま林の中急な坂道を駆け上がり、道路から三〜四メートルもの高い位置に移動した。

 そして警官たちが何をする気なのか見つめた瞬間、バイクは勢い良く飛び出し、紀行園の門の上を通り過ぎた。

「な、何てやつらだ……!」

 宮川は驚愕の目つきでその正面入口を見つめ続けた。







草食獣ゾーン 午後12:17




 歩き出してから十二分。

 朝奈と健太は草食獣ゾーンに差し掛かっていた。

 といっても道路上ではなく、歩行者用の柵を挟んで反対側の通路だが。

 先ほど地下から出た場所は触れ合いゾーンと言って、猿や兎などの小型悪魔しか居なかったが、ここは大型の悪魔や人間の悪魔が数多くうろついていた。

「一般道路を歩かないで正解だったぜ、もしあっちを歩いてたら今頃囲まれて集団リンチだ」

 首下を震わせながら、健太は身を低くして悪魔の様子を伺った。鹿の悪魔、ハイエナの悪魔、牛の悪魔――……多くの動物が悪魔化していた。その下には、それを超える数の無数の死体が転がっている。

「何で……こんなことになったんだろうね……」

 その光景を朝奈は寂しそうに見つめた。明るく振舞ってはいたが、やはり彼女も怖くて仕様がないのだろう。僅かに手が小刻みに揺れている。

 その様子を見た健太が心配そうに声を掛けた。

「……やっぱり、お前は戻った方がいいんじゃないか? 今ならまだ近いし、送ってあげるけど」

 だが、朝奈は僅かに微笑んで言葉を返す。

「大丈夫、こう見えても私強いんだから。心配しないで」

「なら……いいけどよ」

 明らかに無理をしているようだったが、本人がいいと言っているのだ。健太は少し考えたものの、それ以上何も言わなかった。

「ん?」

 健太は視線を朝奈から前に戻した瞬間、不吉な姿を捉えた。

 飛び出さんばかりの赤く充血した大きな目、黄色い歯、逆立った全身の毛――そして灰色の皮膚。元々は飼育員だったのだろうが、今や見る影もなくなっている男が道の先に立っていた。

「あっ――……」

 朝奈は突然の悪魔の登場に固まる。

 悪魔は両手を肘を曲げたまま左右に開くと、高らかに鳴き声を上げた。

「ギュウウゥアアアァアアアー!」

「ま、まずい!」

 慌てて後ろに向かって走り出す健太と朝奈。

 だが、悪魔の走る速さは二人よりも早く、瞬く間にその距離を詰めてくる。しかも先ほどの鳴き声で一般道を闊歩していた悪魔たちまでこちらに気づいてしまった。それぞれ身の毛もよだつ不快な大声を上げながら歩行者用の柵を飛び越えたり破ろうと激しく暴れだす。

「健太さん急いで!」

 朝奈は恐怖から前を走っている健太に叫んだ。

 だが、何故か健太は突然立ち止まった。

「な、健太さん!?」

 朝奈は前に進みたくても健太が邪魔で進めない。かなり焦った表情で健太を見た。そして、何故彼が止まったのかすぐに理解した。

 目の前にゴリラの悪魔が立ち塞がっていたのだ。

 確かにゴリラならあの柵を上って、こちら側に来ることができる。いとも簡単に。

「そんな!?」

 朝奈は血の気が引くのを感じた。

「ギュウウォオオオォウ!」

 悪魔どもは嬉しそうに呼応しながら、どんどん近づいてくる。このままでは間違いなく二人とも死んでしまうだろう。

「健太さん、フリーゾーンの給仕室から取ってきた包丁は? あれを貸して!」

 朝奈はそれでも生きる希望を捨てず健太に呼びかけた。

 だが健太は恐怖から、放心したように悪魔を見たまま動けなくなっていた。

 それを見た朝奈は奪い取るように健太のかばんを引っ張ると、中から包丁を取り出した。

「はぁ、はぁっ……!」

 左右の悪魔に潤んだ目を走らせる。

 じりじり……じりじり……と二匹の悪魔は接近して来る。彼らとの距離はもう二メートルも無い。

 包丁を両手で持ち悪魔に向けてはいたが、朝奈は腰を抜かしたのか、それ以上腕を動かせずにただ見開かれた目で悪魔を見ることしかできなかった。

「 ゴォオォオァァアアァアア!」

 悪魔が二人に跳びかかろうとした直前、太い大地を割くような大きな声が鳴り響いた。

その声はかなり近いところから聞こえた。

「な、何!?」

 今度は一体なんだと言った様子で朝奈は怯える。

 バキ、バキ、という音を鳴らし「それ」は左の林の中から現れた。

 人間を二倍にしたような胴体と、その胴体を中心に巨大なローマ字のMを書くような太い両腕。腕の肘は蝙蝠の羽のように尖り、手は縦横一メートルはあるかというような物凄い大きさだった。手といっても人間の手の形ではなく、四本の指の下――人間で言えば、手のひらの中心に親指があるという変わった形だ。腕の全長だけ見れば胴体よりも長く、肘は頭よりも上の位置にある。

 逆に足は打って変って小さく、多少太いものの、一般的な人間の大きさほどしかなかった。ただし逆間接なのを省けば。

 そしてもっとも印象的なのがその頭だ。

 歯茎が無いかのように全てをむき出しにした歯、眼球を縁取るように目の周りを囲んでいる丸い黒色の溝、そしてその中にある充血した白目と緑に近い茶位色の瞳。極めつけは蛇のように縦横無尽に浮かんで蠢く二メートルはありそうな長い無数の黒髪だった。



挿絵(By みてみん)




 全身を赤に近い灰色に染めた、その赤鬼のような怪物を見ると、飼育員の悪魔も、ゴリラの悪魔もまるで子犬のように震えて一歩一歩下がっていく。

「こ、こいつは一体!?」

 健太はその突然現れた赤鬼のあまりの不気味さと、周囲の空気を凍らせるような圧迫感に座り込んでしまった。

「健太さん……――今しかないっ、逃げよう!」

 朝奈は健太を無理やり立たせると、赤鬼が二匹の悪魔に注意を取られている合間に、一般道の方へと走り出した。

 この赤鬼の登場の所為か、一般道には既に悪魔の姿は一匹もいない。今なら何とか逃げられるはずだ。

 赤鬼は自分の姿を見たことで怯えたときに吼える犬のように鳴き続けるゴリラの悪魔を、ギョロリと睨み付けた。

 そしてその左腕を振った瞬間、もうゴリラの悪魔の声は聞こえることはなかった。

 首から――いや、腰から上が爆弾で吹き飛ばされたように消えていたからだ。

「ギュウァアアアウ!?」

 飼育員の悪魔はそれを見ると、しり込みしながら後ろに下がっていく。

 だが、赤鬼は軽く飛び上がると、一瞬でその悪魔の背後へと回った。

 悪魔は赤鬼に片手で鷲掴みにされると、肉まんを思いっきり握り締めた時のように飛散した。

「うっ、うわあああ! な、何なんだよあいつは!?」

 走りながら後ろの光景を見ていた健太はあまりの恐怖に体が硬直することを通りこし、気絶しそうになった。だが、雅子を助けたいという強い思いのおかげで何とか意識を繋ぎとめると、先を走っている朝奈の後を必死に追う。

「ゴゥウウゥウウ……」

 赤鬼は柵に向かってちょろちょろと走っている二人を見つけると、小さく唸りながら駆け出した。

 幸い足が小さい所為かその速度はそれ程速く無いが、朝奈と健太は柵の前についてからそれを登るという動作が入るため、徐々に赤鬼との距離は近づいていく。

「おい、早く登れって!」

 健太は汗だらけの顔で、先に半円柱状の柵を登っている朝奈に怒鳴った。

 朝奈は何とか柵の頂上に着くと、既に赤鬼がかなり近いところまで接近していることを知る。

「健太さん、早く!もうそこまで来てる!」

「くそぉお!」

 健太は朝奈から伸ばされた手を掴み取ると、その力を借りて一気に柵をよじ登った。二人は間を置かずしてそのまま一般道路に飛び降りる。と、同時に柵の前に到着した赤鬼は、難なく柵を紙を引きちぎるように破り、こちら側の道路へと出てきた。

「どんだけすげー力だよ!」

 驚愕の目で赤鬼を見つめる健太。

 自分たちよりも素早い悪魔を一瞬で二匹も殺した相手だ、こんなに近い所からではとても逃げ切れるとは思えない。今度こそ朝奈は死を覚悟した。

 怒りか、憎しみか、羨みか。

 赤鬼は人間には理解出来ない表情を作り、片手を高く持ち上げる。あれを叩き付けられれば二人とも絶対に即死は免れない。何しろ悪魔を握り潰すほどの強力なのだ。

「お父さん……!」

 朝奈は父のことを思い、両目をつぶった。











 何かに引っ張られた。

 目まぐるしく景色が回転する視界の中で、黒いバイクと手が見える。

「掴まれ!」

 朝奈は突然現れた真っ黒な扶桑をした男に、バイクの後ろへと乗せられたのだ。

「――ぇ……!?」

 いきなりの予期しなかった状況に頭が真っ白になる朝奈。バイクは赤鬼から少し離れた位置、一般道から紀行園の外側に向かって草原へ入った所で止まった。

 朝奈は何かを聞こうとしたが、バイクの運転手はそれに構うことなくあらん方向に言葉を発する。

すい、そっちの男を頼んだぞ! このデカイ奴は俺が撒くから!」

「分かった。出来るだけ私から遠ざけろよ」

 いつの間にか健太を赤鬼の攻撃から引っ張るようにして救出していた人間が答えた。先ほどまで今自分が座っている位置に居たのか、足元には飛び降りた時に出来たような摩擦跡が見える。

 服装はバイクの男と同じものだったが、そのスタイルのいいラインからは女性だと言うことが分かった。顔はヘルメットで見えないものの、透き通るような声がとても魅力的だ。

「掴まってろ」

 バイクの男は朝奈にそう指示すると、方手で足首から細いナイフを抜き取り、赤鬼目掛けて投げつけた。そのナイフは寸分の狂いもなく赤鬼の眉間に刺さる。

「ゴォオオァアアァア!」

 その攻撃に怒りを覚えたのか、赤鬼は耳を劈くような大声で一鳴きすると、こちらに向かって突撃しだした。

「行くぞ!」

そ れを横目にバイクの男はハンドルを強く握り締め、紀行園の入り口の方に向かってバイクを走らせる。

赤鬼は翆と呼ばれた女性と健太には構うことなく、朝奈の乗ったバイクを追って来た。しかし最初こそ後ろに着いていたものの、数分後にはこのバイクが早すぎるのか、赤鬼が遅いのか、その恐ろしい姿は消えていた。

 背後には柵と草原しか見えない。

「……しまった、もう撒いたか。――あとで翆に殺されるな」

 男は小さく呟くと、バイクを一般道路の歩行者用の柵の横に止めた。

 煩いエンジン音が消え周囲は静かになる。この辺りは今は悪魔が居ないらしく、シーンと静まり返っていた。

「大丈夫だった?」

 心配そうに男が聞いてくる。

「だ、大丈夫」

 朝奈は実際のところ追って来た赤鬼の顔を見て死ぬかと思ったが、強がってこう答えた。

 安心したように朝奈を見ると、男はヘルメットを外した。

 セミショートの長さの緩やかな癖毛の黒髪、男にしては大きな目と長い睫、そして僅かだけ一般的な男性よりは太い眉毛。二十代前半と思われる整った顔だった。百七十チョイの身長と合わせると、モデルのようにも見える。

「あの、ありがとう。助けてくれて」

 朝奈は男がどう見てもこういった場に慣れているように落ち着いているので、やや不信感を持ちながらも礼を言った。

「気にしなくていいよ。俺は――……巳名截しいなせつだ。よろしく」

 声は優しいのだが、あまり感情を感じさせないような暗い冷たい雰囲気で男は名乗った。






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