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<第十五章>自由の肖像(前編)

<第十五章>”自由の肖像(前編)”




 最初は普通の子供だと思っていた。

 何の変哲もないごく一般的な家庭の子供。

 普通に遊び、普通に暮らし、普通に生きる。彼は自分の娘の人生をそう信じていた。

 彼が大学からスカウトされ、研究機関に入って直ぐにその子は生まれた。

 そのころはまだ世界的な地位など何も無いただの有望な研究員でしかなかった彼にとって、自分では手の届きそうにない高値の花のような女性と恋に落ちたことは、まるで夢を見ているかのようだった。

 それが仕組まれた恋だとも知らずに。

 彼は娘に名前を付けた。

 朝奈。

 始まりを意味する朝と、疑問、つまり深い思量ある人間になることを願って奈、『自分で新しい道を考える』という意味だ。

 その子は彼の願い通り立派に成長していった。

 勿論、彼や妻の英才教育も影響していたのだが、多くは自分自身の力で高い学力、身体能力を身につけた。

 彼はそれが当然のことだと思っていた。自分の「あの妻」の子なのだからと。

 だが、ある日彼は知ってしまった。

 娘の秘密を。

 朝奈は確かに高い知能を持ってはいたが、通常では考えられないほどの知識や知るはずもないような情報を知っていることが多かった。

 彼は朝奈が中学生になった頃に、遂にそれが不自然だと気づいた。

 知りすぎていると。

 自分と妻が昨日の夜に部屋で行った会話すら知っているのだ。確かに朝奈は何度も自分たちの部屋に行き来することはあるが、決して深夜に来ることはない。絶対に知らないような内容を彼女は知っていた。

 妻は全く気にする素振りを見せることなく寧ろ喜んでいるように見えたが、彼にとっては朝奈のその言動は不気味なものでしかなかった。

 研究者であった彼にとって朝奈の言動の秘密、異常な知識、それらは一度疑問に持てば頭にくっ付いて離れることは無い。

 盗聴器にでも興味を持ってふざけ半分で仕掛けたのか、何か悪霊が取り付いたのか、外で立ち聞きしたのか、超能力を身につけたのか、ありえないことまで彼は調べ尽くした。それは傍からみれば異常さを感じさせるほどだ。

 そんな彼の話が伝わったのだろう。

 ある日彼の元にとある情報が入った。政府の研究や裏情報に詳しい昔の大学仲間の男からだ。

 その男の話しを聞く中に、彼は超感覚者という存在を知った。何でも特別な感覚を持つ人間のことらしい。

 彼は男の紹介でその内容を詳しく聞くために、偶然一緒になった妹のアヤメと共に北海道のある研究所を尋ねることにした。

 だが、あまりにも酷い吹雪のため、彼はその途中で沖田山荘という所に泊まった。研究所のかなり近い場所にある民間の宿だ。

 そして、彼はそこで全てを知った。

 自分の娘が何なのか。

 妻がどういった人間なのか。

 何故自分が呼ばれたのか。








 紀行園 最下層 午後7:12



「……何も居ないね。建物のどこにも研究員の悪魔がいなかったから、ここに居るのかと思ったけど……良かった」

 朝奈は隠し扉の先にある短い階段と、その先の長い無地の廊下を見てホッとした。

 それを聞いて志郎は気を引き締めるように言う。

「安心は出来ないよ、悪魔は鼻が利く。この建物に居た悪魔は僕やディエス・イレの人間がほぼ倒したけど……時間が経てば臭いを嗅ぎ付けて外の悪魔が集まってくる。そろそろLV.3が出るくらい時間も経過しているし、出来るだけ用心はしていた方がいいね」

「どっち道急がないと行けないんでしょ? さっさと行きましょう。立ち止まっている方が何か怖いわ」

 二人の間を掻き分けるように本が進んでいく。

「それもそうだね……行こう、お父さん、雅子さん」

 一番後ろをとぼとぼと歩いていた雅子の手を引くと、朝奈も階段を下りた。

 たくましくなった。

 志郎は数年ぶりに会った朝奈のその様子に感心した。

 この紀行園での経験がそうさせたのか、それとも自分が家から離れた所為か分からないが、確実に朝奈の精神は強くなっている。

 ――自分の知らない中に、これほどまで……。

「苦労かけたね、朝奈……」

 志郎はこれまでの自分の行動と朝奈のことを思い、すまなそうに下を向いた。

「何してるの? お父さんも速く!」

 不思議そうに志郎を振り返る朝奈。

「ああ、今行くよ」

 志郎はその顔を複雑な表情で感慨気に見つめると、歩き出した。

 自分が朝奈をここに呼んでしまった。

 自分がこの世界に巻き込んでしまった。

 自分の所為で苦労をかけてしまった。

 朝奈の後姿を見ながら、志郎は何があっても彼女を守ると心に刻み込んだ。

 自分の愛する娘。

 世界一大切な存在。

 例え自分の命を犠牲にしようとも、絶対に死なせるわけにはいかない。

 そう、何があっても。

 四人の前に大きな両開きの扉が現れた。

 何の変哲もないただ取っ手が付いているというだけの扉だ。

「開けるわよ」

 本は背後の面々の顔色を確認すると、ゆっくりとそれを開けた。

 扉の向こうに出て彼らが最初に目にしたものは、洞窟の工事現場のような開けた場所だった。壊れた機械や、何年も使われていないようなシャベルなどの道具が無数に散乱している。さらにその先には奥が全く見えない長いトンネルのようなものがあり、線路と一台のトロッコとその制御版が設置してあった。

「大西さん……!」

 朝奈はトロッコの前で立ち往生している人物を見つけ、その名を大声で呼んだ。

 大西は面倒臭そうに振り向く。

「まったく、しつこいね。年寄りをいじめてそんなに楽しいのかい」

「ちょと、何か仕掛けをしてたのなら直ぐに解除しなさいよ。もう逃げられないんだから覚悟しなさい」

 本は相手が老人であるということと、大勢で追い詰めたということで元気になり、かなり強気にそう言った。

「あたしゃー何も仕掛けてなんかいないよ。――もうそんな気なんか毛ほども起きないしね。殺したいのなら好きにしな」

「どういうこと?」

 朝奈は大西のあまりの変わりように驚いた。

「私が……この紀行園をディエス・イレに売ったのも、東郷大儀を裏切ったのも、全ては夫の文雄のためだった。ディエス・イレに入ることで存続の資金を得、ここでテロを起こすことであの人の身を守ろうとした。……あの人はね、本当は癌で死ぬはずだったのさ。治療したくてもお金が無かった。もうここまでだと諦めていた。そんな時に、ここを売れば莫大な資金を渡すと東郷に持ちかけられたんだよ。断る方がおかしいだろ?」

 大西は両手を横に広げ、かなり大げさなジェスチャーをした。

「私はその金を使いあの人を治療した。おかげであの人はだいぶ良くなったよ。ディエス・イレの医学的協力もあったしね。例え私のやっていることに反対しようとも、何時いつかは分かってくれると思っていた。何時いつかはまた愛し合えると思っていた。でも……もうあの人はいない。化け物になってしまった。私がディエス・イレに入ったのも、無事にあの人と共に生きるために東郷を殺させようとしたのも……すでに無駄になってしまった」

「東郷を殺させようとした? それが二人で無事に生きる為? わけが分からないよ!」

 朝奈が疑問をぶつける。

「東郷はイミュニティーへの総攻撃を計画していたんだよ。そのためにここの優秀な人員を全て別のアジトへ移そうとしていた。あいつは勝つ気満々だったが、あたしにはそうは思えなかった。ディエス・イレとイミュニティーじゃあその戦力さは明らかだからね。もしディエス・イレが敗北すれば、今までのように高い施設での治療も、それを可能にするあたしの地位や立場もなくなる。だから……あたしはここでバイオハザードを起こすことで東郷の計画を阻止し、あいつを殺そうとしたのさ。あいつさえ死ねば紀行園を失おうともディエス・イレが無くなることも、あたしの地位が無くなることもないからね」

「じゃあ、東郷大儀はこの紀行園に居たの!?」

「ああ、居たよ。いや、今はもう居ないかも知れないけどね。後でお前の父にでも聞くんだね。それについてはあたしよりも詳しく知っているから」

「お父さんが?」

 朝奈は大西の言葉に混乱しながら志郎を振り返った。それに構わず何かが吹っ切れたように大西は話を続ける。

「ディエス・イレの掲げる本当の自由なんて……あたしから言わせれば実に馬鹿げてる理想だよ。『あたしは貧乏なのにあの人は金持ちの子として生まれて不平等だ』、『あいつは政治家だから優先して手術を受けれたんだ』……そんな風に考えてる奴らをみると、あたしは反吐が出そうになる。『人は生まれもって同じ生き物なんだ、平等なんだ、だから貧しい人々を援助しよう!』……なんて叫んでる連中も同様さ、実に滑稽だよ。人は完全に平等、自由だからこそ金持ちになる者、貧しくなる者に分かれるんだ。努力の末大金を手にした男の息子が例え何の苦労も知らなくても、それは自由によって父が稼いだ結果でしかない」

 大西は一息ついた。

「全ては過去の行動に基づいた連続される『自由』、『平等』の結果なんだ。もし誰もが等しく金を持ち、家族を持ち、仕事をすればそれは苦痛でしかないだろうよ。それは共通という名に束縛されただけで自由とは全く対極に位置している。卑しい社会を良くしたい、貧しい人々を助けたいからこそ援助するのであって、自由平等だから援助するわけじゃない。自由だからこそ選択により人生において失敗もするし、成功もする。今の社会はそのままで既に完全な自由平等の世界なんだよ」

「何分けわかんないこと言ってるのよ、こんな事件が平気で起きる社会が自由なわけないでしょ!」

 本が怒ったように叫んだ。

「お前みたいな頭の足りない人間には分からないさ。この世は自由だ。だからあたしはこの災害を起こすことが出来たし、……だからこそ大切な夫を失ってしまった」

 朝奈は大西の背後から「どんどんっ」と何かを叩く音を聞いた。

「何の音……?」

 直ぐに視線を向けると、倉庫のような小さな小屋の扉が大きく歪み、音と遭わせるように段々とそれが大きくなっていくのが見えた。

 その音に一向にかまわず大西は最後のセリフを放った。

「そして、これも自由だからこその結末だよ」

 ガガァァーンッ!

 大西の背後にあった小屋の扉が勢いよく開き、そこから赤鬼もどきと化した文雄が飛び出した。どうやら大西が上手くそこに閉じ込めていたようだ。

 人の死体でも使っておびき寄せたのだろう。かなりきつい臭いがそこから中に、急激にあふれ出し始める。

「ま、またあれ!?」

「きゃぁああああああ!?」

 本と雅子は恐怖に歪んだ高い悲鳴をあげた。



挿絵(By みてみん)




 赤鬼は真っ直ぐに大西に駆け寄ると、何の躊躇もなくその鋭い大きな片足の爪を突き出した。両腕で地面を支え、片足で攻撃するという奇妙な光景だ。

「ごふっあっ……!」

 大西は自分の胸を貫いている巨大な足を無視し、口から湧き水のように大量の血を吐きながらじっと赤鬼の瞳を見つめた。

 まるで文雄の面影を必死に探しているかのように見える。

 そしてそのまま満足するように歪に微笑むと、その長い人生を静かに終えた。

「逃げるよ朝奈、トロッコまで走るんだ!」

 志郎は赤鬼が大西の亡骸を投げ捨てた姿を横目に、朝奈の腕を強く握り締めると、一目散にトロッコ目掛け走り出した。

「ゴォォオオオゥウウ!」

 赤鬼は逃げる朝奈、志郎、雅子、本に視線をすえると、その巨大な足を振り回しながら、小さな両腕を交互に動かし、恐るべき速度で四人に近付いていく。

「なっ、鍵が必要なのか!?」

 トロッコの前まで辿りついた志郎だったが、制御版を操作し、トロッコを動かすには鍵が必要なようだった。鍵が無ければ赤鬼を撒くことも、この紀行園から脱出することも出来ない。

「――みんな、散らばってっ!」

 赤鬼がかなり近くまで走ってきたのを確認し、朝奈は慌ててそう叫んだ。

「ゴガァッァアアアッ!」

 赤鬼の大きな足が振り下ろされる。

 朝奈と雅子は左に、志郎と本は右にそれを直前でなんとかかわした。同時に大きく砕けるトロッコ前の地面。

 ――このままじゃ全員殺される!

 朝奈は本能的にそう感じた。

「朝奈、こいつは純粋な赤鬼よりは再生能力に遅れをとる。間隔を開けないで攻撃し続ければ倒せるはずだ。何か使えるものを探そう、こんな場所だ、きっと何か良いものがあるよ」

「分かった、お父さんも気をつけて!」

 赤鬼を間にはさみながら、朝奈と志郎はお互いに呼び掛けた。

 赤鬼は足を地面の凹みから引き抜くと、そのまま志郎と本の方へ体の向きを変える。そして高らかに不気味な大声で叫ぶと、その人間の頭を一撃で吹き飛ばすことの出来る巨大な足を突き出した。

「こっちだ!」

 志郎はそれが本の脳髄を消し飛ばすより早く、彼女を引っ張り赤鬼の腕が直撃するのを避けさせると、この広間の右へ、右へと走り出した。

「雅子さん、あそこの赤鬼が閉じ込められていた小屋の中を探して。私は工事用の道具を当たってみる」

 雅子が返事をしないことにも構わず、朝奈は一方的にそう言うと、すぐに左端に散らばっている壊れた道具やトロッコなどの山の中へ駆け込んだ。

「ちょっ、朝奈さんっ――!」

 雅子は不安そうに遠のいていく朝奈の背を見たが、しばらく呆然とした後に小屋の中の方が安全だと判断したのか、素直にそこへ駆け出した。

「くそっ……僕一人ならまだしも、一般人が多すぎる。これじゃ、守りきれない!」

 志郎は唯一この場で悪魔との戦闘方法を学んだ人間として、他の人間を守るための責任感と恐怖感を感じていた。

「まったく、僕が生み出した化け物に殺されるなんて御免だよ!」

「志郎さん、あそこ!」

 愚痴を言っている志郎の注意を突然本が引き付けた。どこかに向かって真っ直ぐそのしなやかな指を伸ばしている。

 志郎がその指の先に目を向けると、小さな小さな洞窟のようなものが目に入った。洞窟というよりはただの凹みといった方が正しいかもしれないが、三、四メートルくらいはありそうな深さと、縦横一メートルほどの幅を考えれば、洞窟でも問題は無いだろう。

 志郎と本はそこに飛び込むように身を潜ませた。

 その直後、赤鬼の太い足が二人目掛けて猛烈な速度で伸ばされた。

「きゃぁああああっ!?」

 本が絶叫を発する。

 だが、赤鬼の足は辛うじて二人に届くことはなかった。長さが足りなかったのだ。

「ゴォォウッ、ゴゥウオオッ!」

 赤鬼は夢中で二人を引きずり出そうと、その足を洞窟の中で暴れさせたが、どうしてもそれが届くことはない。いくら頑張ってみても精々引っかき傷を与えることが精一杯だった。

「お父さん……!」

 朝奈はそんな志郎らの様子をピンチだと勘違いした。遠くから、しかも悪い角度から見たことが影響したらしい。

 急いで近くに散らばっていた物を組み立て、そしてそれを赤鬼に向けると、朝奈は一直線に全速疾走をしながら押し出した。

 朝奈が押しているそれを簡単に言えば槍付きトロッコだ。広間の右端、制御版側から見て左端に置いてあった古いトロッコに、落ちていた木の破片やシャベルなどを紐で結びつけ、特攻用の戦車を作ったのだ。その中には無数の瓦礫やゴミなどを入れ、重さを上げている。これが命中すれば、幾ら赤鬼とて少しはダメージを受ける筈だ。

「お父さん逃げてー!」

 朝奈は志郎達に逃げるように促すと、その押していたトロッコを力いっぱい赤鬼の背中に押し付けた。

 「ズブリッ」っと鈍い不快な音と共に赤鬼の背から黒っぽい血が噴出す。どうやら括り付けていたシャベルがかなり深くまで刺さりこんだらしい。

「ゴァアァアアアアッ!?」

 赤鬼と化した文雄はここれまで感じたことのない、身を裂くようなあまりの痛みに大声で鳴いた。

「お父さん、早く!」

 朝奈はその隙に小さな洞窟の方へ行こうと試みた。だがその瞬間、赤鬼の巨大な右足が真後ろから朝奈の後頭部目掛けて繰り出された。前を向いている朝奈は全くそのことに気がつかない。完全に命中するコースだ。

「朝奈っ!?」

 志郎は小さな洞窟の中からその光景を目にし、一瞬思考が飛ぶ。

「え!?」

 だがその攻撃は命中しなかった。

 奇跡的にも、先ほど朝奈が背中に差し込んだ槍付きトロッコの重さと痛みの所為で、赤鬼が体勢を崩したようだ。赤鬼の右足は朝奈の髪を霞め、志郎と雅子の隠れている小さな洞窟の入り口の上に当たった。

「――っ……お父さん!」

 雪崩のように崩れ落ちる洞窟の入り口。朝奈はそれを見た瞬間思わず声を漏らした。

 あの狭い洞窟のことだ。最悪の場合は志郎と本は瓦礫で頭を打ち死んでしまっているかもしれない。一刻も早く助ける必要がある。

 しかし朝奈が二人を助けることは出来なかった。赤鬼が動きを再開したからだ。折角朝奈が付けた背中の傷ももう殆ど回復し、ほぼ無傷といった状態になっている。

 奪取―逃げないと……殺される!

 茶位色の鋭い瞳で睨みつけられ、朝奈は背筋に冷たい電気が流れるのを感じた。

「……っ――……!」

 赤鬼が再び片足を上げた瞬間、朝奈は走り出した。ただ何も考えず、真っ直ぐに距離を遠ざけようと必死に足を動かす。

 すると目の前に雅子が調べているはずの小屋が目に入った。

「雅子さん、開けて! お願い早く……!」

 朝奈は神頼みするように叫んだ。

「なに……?」

 小屋の開けっ放しの扉から雅子が訝しそうにこちらを覗く。二人の視線が交差した。

 これでとにかく一息つける。朝奈はそう安堵した。

 バンッ!

 だがその瞬間、雅子は怯えた表情でいきなり力強く扉を閉めた。

「な、何してんのっ!?」

 ――いくら赤鬼が直ぐ後ろにいるといってもそれはないよ!

 朝奈は冷や汗を流しながら、扉を強引に開けようと腕に力を込める。しかしその行動の効果は全くなかった。その間も着々と迫る赤鬼。

「雅子さん、開けてぇっ!」

 朝奈は扉をどんどんと叩きながら涙声でそう言った。

「ごめん、無理よぉお!」

 だが、雅子は小屋の中でただひたすら涙を流すだけで、全く扉に近付こうとはしない。完全に開ける気がないらしい。

「ゴォォオオオオオッー!」

 赤鬼は小屋の前に立ち往生している朝奈を目掛け、渾身の蹴りを繰り出した。

 ――死ぬ!?

 朝奈は恐怖と相手の攻撃の速度から、赤鬼の攻撃を見極めることが出来ず、咄嗟に頭を抱えるようにしゃがみこんだ。

 赤鬼の足は朝奈の首を吹き飛ばし――……はしなかった。

 運が良いことに、咄嗟にかわしたおかげで朝奈にはかすっただけで済んだのだ。

 ドゴォォオオー!

 しかしその代わりに、朝奈の背後の小屋の入り口は吹き飛んでいた。全体がまるで戦車の砲弾を受けたように歪に歪んでいる。

「きゃぁあああああっ!?」

 安全地帯だと思っていた場所がいきなり危険地帯となり、雅子は鐘の音ような大きな声を上げた。

「――っう!」

 朝奈は赤鬼が再び攻撃を出すような素振りを見せたので、急いで小屋から離れ、赤鬼の左側へと逃れた。

 そうなると当然赤鬼は自分に近い場所に居る雅子に狙いをつける。

「い、いや! 来ないで……!」

 雅子は足をガクガクと震わせながら小屋の隅っこへ後退していく。それが自分で自分を追い込んでいることだと気づきもせずに、ただ無我夢中で隅にへばりついた。

「そこじゃ逃げられない……早く前に飛んで、早くっ!」

「助けて……助けて! 誰か、お願いっ……!」

 朝奈は何とか雅子を助けようとしたが、肝心の雅子はパニックを起こしているためか、朝奈の声など毛ほども耳に入っては居なかった。

 朝奈は一か八かで赤鬼の注意を引き付けようとした。

 だが、その瞬間。赤鬼の足が一気に小屋の中へ突き出された。









「何だここ? 超感覚研究室って書いてるから、どんなもんがあるかと思えば……ただの理科実験室みたいだな」

 翆はつまらなそうに唇を尖らせた。

 その後ろからはぜいぜいと息切れする声が聞こえる。

「……截、お前ホントそのバイク置いてけよ。邪魔でしかないだろ」

「今は邪魔でも役にたつかもしれない。何があるか分からないんだ。はぁ、はぁ……もしかしたら隠し出口の先は道路があるかもしれないし」

「ふん、道路なんかあるわけないから。あんたはただそのバイクを捨てたくないだけだろ? まったく、黒服のくせに物に執着しやがって……だからあんたはいつまで経ってもキツネの下から抜け出せないんだ。少しはあいつを見習え。物も人もゴミクズみたいに捨てて行くぞあいつは」

「はぁ、はぁ、あいつの名前を出すな……胸糞が悪くなる。ただでさえ今日は石井に散々聞かされたんだ」

「はは、相変わらずキツネが嫌いなんだな」

 心底憎そうな表情でバイクを押す截を見て、面白そうに翆は笑った。

「――ん? 翆、そこの画面……」

 截は翆の背後で光っているパソコンの画面を見つめた。志郎が最後にチェックしたまま電源が消えていなかったらしい。

「何だ? 朝奈たちでも居たか?」

「いや、それだったら良かったよ」

「な、何だこれ!?」

 画面を見た翆はゾッとしたように両手をビクンと体に近づけた。

「……どこかで見たことがあるような展開だな」

 暗い、怒りに満ちた顔で画面を見つめる截。



『逃げろおおおおぉおおっ!』


『まるで神話に出てくる悪魔そのものだな』


『下田さん、俺があいつらを食い止めます。その間にヘリを飛ばしてください』


『……鈴野……』



「悪魔LV,3が……来る……!」

 截は静かに呟いた。

 その視線の先にある画面には、無数の悪魔LV,3が中央エリアへと物凄い速さで走り込んでいる姿が映っていた。

 まるで群れを成す魔物の大群のように。

 餌に群がる蟻のように。

 人、犬、猿、牛、鹿、ハイエナ……

 おびただしい数の悪魔LV.3が、この中央エリアを目指して集まりつつあった。










「雅子さん!?」

 朝奈は叫んだ。

 だが、一向に返事はない。まるで小屋の中にはもう「生きた」人間が居ないかのようだ。

 赤鬼がゆっくりと足を小屋から引き抜くと、それは真っ赤な血で染まっていた。

「そんな……」

 朝奈は思わず口を押さえた。

「グォォオオゥゥウウウウッー!」

 嬉しそうな大声を上げる赤鬼。それを聞いて、朝奈は雅子が死んだと確信した。

 その時だ。

「……ぅう……?」

「――雅子さん!?」

 突然小屋の中から声が聞こえ、朝奈は我が耳を疑った。すかさず小屋の中に目を向けると、二人の人間がうずくまっている姿が見える。

 雅子と三上だ。

 雅子は赤鬼の足が腹部に命中したらしく、お腹から真っ赤な鮮血を流しながら必死にその痛みに耐えている。一方三上も、赤鬼にこの隠しエリアへ引きずり込まれた時に出来た怪我の所為で殆ど動ける状態ではないにしろ、まだ辛うじて生きていた。

 純粋な赤鬼ではなく感染体のため、筋力が通常体より弱かったおかげかも知れない。

 二人とも瀕死の重症には違いないが、間違いなくまだ生きていた。

「……ゴォォオオ……」

 そのことに気がついた赤鬼は眉間に皺を刻み、不機嫌そうに小屋の中を睨んだ。

「――っ止めて!」

 朝奈は西洋風ナイフを取り出すと、後先考えずに無意識の中にそれを赤鬼の左足に刺した。

「ぎゃあっ!?」

 だがそんなものは勿論、赤鬼にとっては爪楊枝つまようじで刺されたような感覚でしかしない。案の定、朝奈は思いっきり吹き飛ばされ、広間左のゴミ溜まりの中へ身を沈ませた。

 結果として赤鬼の注意を引き付けられたことは良かったが、今度は逆に朝奈がピンチとなってしまった。

「ゴォオオーオオオオオッ!」

 頭から湯気が出ているかのような恐るべき表情で、痛みから身動きの取れない朝奈に迫り寄る赤鬼。その迫力は尋常ではない。例え相撲取りのような大男の殺人鬼が両手に包丁を持って笑顔で走ってきても、ここまでの迫力はでないだろう。

 体が吹き飛ばされた衝撃で動けない朝奈は、より一層その赤鬼の迫力に恐怖した。

 死の象徴のような真っ赤な怪物が自分を目指して駆けて来る。

 茶色の瞳に溢れんばかりの憎悪と苦しみを燃やしながら。

「……お父さん……!」

 朝奈は目を瞑り、死を覚悟した。

 数年間、全く連絡の無かった父からの連絡は心臓が爆発するのでないかと思うくらいビックリした。

 生きていると知って本当に嬉しかった。

 また会えると思ってわくわくしてこの紀行園に来た。

 小さい頃の父との思い出がたくさん詰まっているこの紀行園に。

 一緒にお土産を選んだショッピングモール。

 麒麟に餌を上げた草食獣ゾーン。

 ライオンの顔が怖くてずっと父にしがみ付いていた猛獣ゾーン。

 ありとあらゆる思い出が鮮明に頭に浮かんでくる。

 あのときはいつも笑顔だった。

 誰もが笑顔だった。

 自分も、お父さんも、母も。

 幸せだった。最高に楽しかった。

「何で……こんなことになったの……?」

 間近に迫った赤鬼の全様を見ながら、朝奈は一筋の涙を浮かべた。

 こんな目に遭うためにここに来たはずじゃない。

 また父に会えるから、また家族仲良く暮らせると思ったから。例え元通りの仲良し家族とまでは行かなくても、全員がそろって朝ごはんを迎えられると思っていたから。

 だから、朝奈はこの紀行園に来たのだ。

 嬉しさと、期待と、喜びと複雑な思いを胸にしながら。

 ただ家族との再会を望んで。

 それだけのために。

 涙目のまま朝奈は顔を上に上げた。

「ゴオオオオオオオ!」

 その瞬間、赤鬼は渾身の力で左足を朝奈の頭上に振り下ろした。







 赤子の鳴き声が手術室に木霊した。

 高い生き生きとした大声が部屋の隅々に溢れかえる。

 そんな赤子とそれを大切そうに抱く女性を見ながら、彼は本当に嬉しそうにずっと笑顔で微笑んでいた。

 自分と愛する妻の子供。

 身を分けた自分たちの結晶。

 大切な、大切な存在。

 彼は女性に確認をとると、割れ物を触るような優しい、そっとした手取りで慎重に赤子を抱えた。

 その感触はまるで大きなプリンを抱いているかのようだった。

 少し力を込めるだけで壊れてしまいそうな、消えてしまうような、そんな感覚が彼の腕に溢れる。

 彼の様子があまりに慎重すぎたため、ベットに横になっていた彼女はおかしそうに笑った。

 本当に幸せそうに、楽しそうに。

 愛情に溢れた瞳で愛する夫と自分たちの子を見つめながら。

 彼はそんな妻の笑顔が好きだった。

 その笑顔を見るだけで疲れが吹き飛び、全身に暖かい光が満ちてくる。

 いつかはこの子もこんな素敵な笑顔で笑うのだろうか。

彼 は娘の成長した姿を想像し、ふにゃけた笑顔でぼーっとした。

 そして、彼は決断した。

 何があってもこの笑顔を守ろう。たとえどんなに辛いことがあろうとも、決してこの子には暗い顔をして欲しくはない。

 妻のように明るい笑顔で、毎日ずっと笑い続けて欲しい。

「絶対に、僕が守ってあげるよ」

 彼は何度も言い聞かせるように腕の中の赤子へ呼びかけた。

 自分の愛する、大切な娘に向かって。







「朝奈っー!」

 赤鬼の足が空気を切る直前、志郎は朝奈を吹き飛ばした。

「――あっ!?」

 朝奈はいきなり横から来た衝撃にビックリし、目を見開く。

「生きるんだ……!」

 志郎は優しい微笑みで朝奈を見た。

 そしてその直後、その顔は真っ赤な何かに上から押さえつけられ、朝奈の視界から消えた。

 あっさりと、あっと言う間に。

 何の間もなく。

「い、いやぁああああああ!?」

 朝奈の悲痛な悲鳴が広間に響き渡った。








=番外編予告=


尋獄E1(DEGAUSS JAIL)


水憐島。

そこは巨大な水族館としての面を持つ人口島だった。

ここでアルバイトをしていた沖田悠樹はある日双子の弟である敏と父大助を呼んだ。バイト中に手に入れたチケットをあげたのだ。

だが、彼は知らなかった。それが自分達の運命を大きく変えてしまうことに・・・。


悪魔ではない全く新しい感染生物、新たな敵、セカンドブラックドメインの存在。

バイオハザードが発生したこの島で、果たして彼らは生き残ることが出来るのだろうか。

イミュニティーの国鳥友も参戦し、ストーリーは大きく進んでいく。

尋獄2と同時に起きていたもう一つの尋獄2、是非ご覧下さい!




尋獄E2(BLOODY STORAGE)


誰も受けることがなかった身元不明の男からの依頼。

黒服のメンバー安形はそれに興味を持ち、指定されていた場所へと赴いた。

だが、一方で他の黒服メンバーにも別の依頼が入っていた。それは安形の依頼主の捕獲という仕事だった。

黒服対黒服。

スラム街で発生する謎のバイオハザード。

悪魔ではない”何か”に感染した襲い来る”人間の集団”。

依頼主を助けようと奮闘するうちに、安形は黒服の闇、依頼主の本当の正体、そして白居学という男の存在を知るのだった。



尋獄4の重要なつながりとなる話です。こちらも見てみてください。

一応同時連載を予定しております。

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