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<第十二章>東郷大儀

<第十二章>”東郷大儀とうごうたいぎ





「良くここまでこれたな」

「お前がテログループの人間か?」

 高宮の言葉を無視し、三上は質問した。

「ああそうだ、俺は高宮正治。ディエス・イレ紀行園の中央取締役」

「大西さんは?」

 朝奈は高宮が何故たった一人でここに残っていたのか疑問に思った。

「あの女は既に地下へ行ったよ。今から追っても追いつくことは出来ないぞ。ふふ、まあ追いつけないほうがお前らにとってはいい結果になるかもしれないがな」

「どういうことだよ?」

 三上が聞いた。

「大西の夫はシシュフォス、つまり赤鬼の体液を注入されている。これは赤鬼に感染しているということを示しているんだよ。といっても大本の赤鬼ほどの怪物にはなれないがな」

「あなた、それを知ってて大西さんを行かせたの? 何で……仲間だったんじゃないの?」

 当然の疑問を持つ朝奈。

「仲間だったさ。だがあの女は俺たちのリーダー、東郷大儀さんを裏切ろうとした。東郷さんを見捨て、彼が居ないのを良いことにこのディエス・イレの支配をたくらんだ。許せるわけがないだろ?」

「東郷?」

 朝奈は先ほど感覚で見た映像を思い出した。長い癖毛の凛々しい顔つきの男のことを。

「俺たちディエス・イレは、元々イミュニティーが引き起こした事故や実験の被害者の集まりだった。テログループとは違う正真正銘の民間団体だ。発足当時は俺たちもちゃんと抗議活動を行い、イミュニティーの悪事を暴こうとしていたが、その度に妨害に遭い、多くの仲間が影で殺された。何度も、何度も……」

 悲しい過去を思い出しているのか、高宮は拳を握り締めた。

「誰もが諦めかけた。ただの民間団体が国家権力に勝てるわけがないと。そんな時に現れたのが東郷さんだ。彼はいくつか合った反イミュニティー団体を一つにまとめ上げ、ディエス・イレとして強大な力を持った組織を作り出した。国家権力に影響されない強いグループとして」

「じゃあ、ディエス・イレはイミュニティーを倒すために活動しているんだ」

「そうだ。俺たちは東郷さんの立てた『完全な自由』という理想の下に行動している。イミュニティーの支配から逃れるために、完全平等の世界を作り出すために、そして黒服の……」

「黒服? 黒服がどうしたの?」

 朝奈はいきなり黒服の話が出てきたため、疑問に思った。

「黒服は――いや、ただの民間人のお前に言っても分かるまい。今の話は忘れろ」

 高宮は「話し過ぎた」とでも言うように、手を振った。

「国に対して戦ってんなら俺らには関係ないだろ。隠し出口を教えてくれよ。俺たちもお前らと同じイミュニティーの被害者だろ? 助けてくれよ」

 三上は親しげに高宮に呼びかけた。助かると確信しているためか、その表情は明るい。

 だが高宮は醜く口元を歪めると、三上の望みを真っ向から否定した。

「ふははは、何でお前らを助けなければいけないんだ? 昔から一緒に戦ってきた同志でもあるまいし。お前らはこの紀行園から出すわけにはいかない。ディエス・イレの情報がイミュニティーに漏れることは僅かな因子でもあってはならない。俺が逃げずにここに残っていたのは、何も文雄が赤鬼化するからだけではない。お前らを始末するためだ」

「な、なんだって!?」

 笑みを浮かべて立ち上がった高宮に恐怖し、三上と朝奈は一歩退いだ。

「あの黒服の二人に何を頼まれているかも分からないしな。まあ、確かに悪い気はするが、これも運命だと諦めろ。観念してここで死ね」

 高宮は自分の懐から二本の注射器を取り出した。

「これがなんだか分かるか? 生物兵器だよ。もっとも失敗作だがな。この場所はいずれイミュニティーに隅から隅まで調べられる事になる。だから失敗作くらいしか使用できないが……まあ、お前たち相手には問題ないだろう」

 そのまま注射器を構え、高宮は二人に突進した。

 朝奈と三上は直ぐにそれを避け、部屋の入り口前から窓際へと移動した。

「ふふふ、避けたつもりか? 俺は入り口を押さえたかっただけだ。お前たちにこれを打ち込むつもりは無い。打ち込むのは、俺自身にだ」

 高宮は注射器を二本とも自分の首に刺した。

「な、イカレてんのか!?」

 驚きの声を上げる三上。

「ぐぅうっ――かぁっ! これは、お前たちがこれまで見てきた大口男になるための注射だ。だが、普通とは違い二本刺した。普通の大口男はこの状態になるまで……三十分以上は掛かるが……くっ、二本打ち込むことでその時間を省くことが出来る。見ろ……こ、これがぁ……ぁあ……大口男の感染進行形……だ」

 高宮は耳を劈くような悲鳴をあげると、体を変化させ始めた。

 肌は赤紫色になり、顎の下から腹の上まで大きな口を形成し、腹からは三本の槍のような触手を突き出す。だが、変化はそれだけでは終わらずさらに進行していった。

 二本の足はそれぞれ膨らみ、くっ付くように一つに合わさりだし、腕はゴリラのもの用に長くなり地面に向かって垂れ落ちた。

 目や耳、鼻などの部位は全て消え、顎の下までだった巨大な口は頭の頂上まで裂け、体の上半身は全て縦長の口で出来ているように錯覚させられる。

 また、首がなくなったせいで三角形のような姿を演出していた。

 一見すれば紫のグロテスクな円錐形プリンが扉の前に置いてあるようだ。



挿絵(By みてみん)





「ジャァアアアアア!」

 戦闘開始だとでも言うようにプリン状の高宮は大きく鳴き、それと同時に大量のタンポポ胞子が部屋の中に拡散した。

「こ、こんな密閉された場所で!?」

 朝奈はタンポポ胞子に驚いたが既に遅かった。

 部屋の中はあっと言う間に白い霧に覆われてしまったのだ。

 二人はその状況に恐怖した。










 中央職員エリア地下2階 午後6:19



 大西は自分で歩こうとしない文雄を汗だくになりながら背負い、何とか道を歩き続けていた。

「はぁ、はぁ、あと二階。全く、やっぱり一人くらい部下を連れてくるんだったわ」

 今更後悔しても遅いのだが、年老いた女が自分よりも大きな男を担いで長々と歩くことは厳しい。大西の足通りは遅かった。

 コンクリート製の壁に手を付きながら前を見ると、見慣れた門が目に入る。


__________________


DIES・IRAディエス・イレ


怒りの日、その日はダビデとシビラの予言の通り世界が灰燼かいじんに帰す日。

審判者が現れ全てが厳しく裁かれる時、その恐ろしさは計り知れない恐怖をもたらすだろう。



__________________


「ふふん、何がダビデとシビラだよ。東郷め、どうせあの二人のことを言っているんだろうが、あたしからすりゃー……ダビデはシビラの隠れ蓑でしかないわ。そんなことにすら気づけないから、あんたはこんな目に遭うんだよ。所詮はあんたもあの二人が書いたストーリーの登場人物でしかないってことか」

 扉にかかれた文字を見て、大西はどこかに居るであろう東郷に向かって一人毒づいた。

「よいしょっと、ふう、あと少しだよ。あんた、頑張りなぁ」

「あぅうう――」

 大西が呼びかけたが、相変わらず文雄は奇妙な返事をするだけだった。気の所為かその顔は僅かに赤色を帯びてきている。

「まったく、頭でも打ったのかね。無事に脱出できたら直ぐに脳外科医にでも連れて行こうかい」

 夫の異常な状態に呆れるような溜息をつくと、大西は扉を開け中に入った。

 そのまま瓦礫の山や天井の大穴には目もくれず、先へと進んでいく。そうしてさらに別の部屋に入った所で大西はあることに気がついた。

「あ、ここは超感覚者研究室か。しまった、ここの情報も処分しなきゃいけないじゃないか。あんた、ちょっと待っててね」

 文雄を付近のデスクに寄りかからせると、大西はパソコンの電源を入れた。

 部屋の中には先ほどの大穴のある場所とは違い手術台のようなものは無く、オーブンほどの小さな金属機器や机が並んでいるだけの状態だ。

「あれ、おかしいわね? データーが全て抜き取られてる。一体誰が……」

「僕だよ」

 突然大西の背後から声が聞こえた。

「な!?」

 大西は心臓発作を起こしたよな顔で一瞬驚いたあと、背後を高速で振り返った。

 一体いつの間に背後に回ったのか、そこには高橋志郎が立っていた。

「な、何だ……お前さんかい。やっぱり生きてたんだね」

「大西さんも元気そうで何よりですね」

 静かに微笑む志郎。

「娘とやらがお前を探していたよ。多分今頃、上で探しているんじゃないかい?」

「朝奈が……!? どうして……帰ってなかったのか」

 志郎はその事実に心底意外そうな顔をした。

「その様子からみると、お前が黒服を雇ったっていうのは本当らしいね」

「え、ええ。娘を紀行園から逃がそうと思ったので。少し前から連絡を取り合っていた黒服の者に頼んだのですが。まさか、彼は死んだんですか!?」

「さあね、赤鬼と一緒に職員用建物の下敷きになったらしいが、あんたの娘が生きているのなら心配ないんじゃないかい」

「赤鬼と? 赤鬼はどうなったんです?」

「あれは無事だよ。元気に紀行園中を徘徊している」

「そうですか……」

 志郎はほっとしたように胸を撫で下ろした。

「今は赤鬼を取り戻すのは無理だが、後で準備を整えてから必ず取り返す。だから今は逃げようじゃないか。お前も着いて来な」

「はい、分かりました」

 志郎は素直に頷いた。

「それで、非常用の隠し出口はどこにあるんですか?」

「最下層だよ。最下層の動力室のタンクの後ろから、秘密の地下道路に出ることができる」

 大西はあっさりと白状した。

 これは至極当然の結果と言えるだろう。大西にとって志郎は味方だ。たとえその娘が黒服とつるんでいようとも、志郎自身は完全にディエス・イレの人間である以上、自分に敵対するはずがない。そう確信していたのだ。

「そうですか、それが分かれば十分です。死んでください」

「は?」

 大西が振り向いた瞬間、志郎はナイフを振り上げていた。

「なっ!?」

 咄嗟に体勢を崩し後ろに仰け反る大西。それが幸となり志郎の攻撃は外れた。

「な、何するんだい!?」

 わけが分からず驚愕の目で志郎を見つめる大西。

「何って、ディエス・イレのためですよ。僕を甘く見ないでください。僕はあなたの秘密を知ってしまった」

「ひ、秘密? 何言ってるんだよ!?」

「隠しても無駄です。おかしいと思ったんですよ。何故あれほど完成に近かった赤鬼が突然暴走したのか。疑いはありましたが、先ほどここのPCから監視カメラの映像を見て確信に変わりました。バイオハザードが起きれば誰も監視カメラの映像を見ないとでも考えたんでしょうが、残念でしたね。ここで隠し通路を探している間に僕は偶然見てしまったんです。あなたが赤鬼の調整槽に細工する瞬間を」

「――むぅ……!」

「前々から僕は思っていた。あなたはイミュニティーを倒すためにここに居るわけじゃない。金、ただそれだけのためだとね。でもまさかこんな事態を引き起こすとは思いもよらなかったよ」

 いつの間にか志郎の口調は敬語では無くなっていた。

「――ふふん、東郷に感化されたか? 志郎、お前は誘拐されてここに来たはずだったのに、随分あいつの肩を持つじゃないかい!」

「確かに、僕は東郷さんのことは嫌いじゃない。彼の考え方は非常に共感できる。まあ、少々行き過ぎてる所もあるけどね」

「東郷のためにあたしを殺すのかい?」

「違う! あなたの所為で死んだ人たちのためだよ。ディエス・イレの人間、一般客、多くの人間があなたの赤鬼への細工が原因で死んだ。たとえ赤鬼の暴走でイグマ細胞の流出が起きたとはいっても、元々の原因はあなただ。だから僕は彼らのためにも、あなたを生かしておくわけにはいかない。それに……今ここであなたを逃がせば東郷さんの命も危なくなるからね」

「ふん、理想主義者め! あたしを殺すって? やって見ろ!」

 大西は強気でそう言ったものの、足は震えていた。

「……こんな無防備な人間に攻撃するのは本当は嫌だけど、これも後の世のためだ。さようなら、大西さん」

 勢い良くナイフを振り下ろす志郎。

「ちぃぃっ!」

 大西は自分の死を悟った。



「ゴィイイイイィィイイイ!」

 その瞬間、突然志郎のナイフを何かが弾いた。

 文雄だ。

「な、まさか! シシュフォスの分化液を入れられていたのか!?」

 意外な展開に焦る志郎。

「あ、あああんたっ――!?」

 だが、それ以上に大西もパニックを起こしていた。

 最愛の夫が突然奇妙な雄叫びを上げ、変形し出したのだ。驚かないほうがおかしいだろう。

 文雄の体は赤く変色し、その両腕は猫の足のように前に伸び、地面を支える格好を取った。それと同時に二足歩行をしていた両足は蝙蝠の羽を思わすような形となって、前足と横一列に平行に並び、Mの字に左右に広がった。まるで赤鬼の腕と足の大きさを逆にした形のようだ。

 さらに髪は蛇の様にクネクネとうねり、そこら中に伸び広がりだしている。赤鬼よりは垂直方向に伸びているが、不気味という点では何も変わらない。

「あんた――……そんな……ぅう!」

 大西は文雄がまるで赤鬼の失敗作のような化け物に変化し、自分の目の前に立ち上がった姿を見て、思わず逃げ出した。

「くそっ!」

 志郎も直ぐにその後を追い出だす。

「ゴィイイーアアア!」

 自分から逃げるように走り出した二人を見て、イグマ細胞を持つ赤鬼の本能がそれを許すはずはない。短い腕と長い足を交互に動かし、蛙のような足取りで文雄は二人目掛けて駆け出した。







 中央エリア南 森林 午後6:25



「はぁ……はぁっ、罠はまだなんですか!?」

 截は背後から聞こえる赤鬼の雄叫びの迫力に、背筋に汗を流しながら聞いた。

 密集した林の中を走っているため中々速度が出ず、赤鬼との距離は殆ど離れてはいない。その事が截に恐怖感を与えていた。

「あと少しだ、中央職員用エリアの裏まで走り続けろ。あそこの電線を利用して罠を作ってる。あそこまで逃げ延びれば私たちの勝ちだ」

 恐怖感を抱いていないのじゃないかと疑問をもたれるような無表情で、石井はそう言った。実際は截同様、赤鬼の威圧感に恐怖しているというのに、能面のような顔がそう見せているらしい。

「い、石井さん! 隼人がいません!」

 截の後ろを走っていたオカッパの男が、いつの間にか姿の見えなくなっていた褐色の仲間のことに気づき、叫んだ。

「放っておけ、どうせやられただけだ」

 全く興味ないように言う石井。

「そ、そんな!」

「じゃあ、お前が戻って探しにいけ。それが出来ないのなら諦めろ」

 オカッパの男にとって褐色の男、隼人は親友のようなものだったのだが、この状態でたった一人で来た道を戻ることは自殺行為のようなものだ。歯を噛み締め、仕方が無くオカッパの男は仲間の生存を諦めた。



 その頃。自分の生存が否定されたにも拘らず、隼人はまだ生きていた。だが、そういえるのも今だけだろう。今彼の目と鼻の先には赤鬼が立っているのだから。

「くっ……来るなぁあ!!」

 ナイフを目の前に振りながら後ずさりする隼人。しかし赤鬼はそんな抵抗など目に入らないようにのしのしと歩を進める。

「うっ――ぉおおおおおぉおお!」

 隼人は窮鼠猫きゅうそねこを噛むといった状態を期待して、死ぬ気で赤鬼に向かって走り出した。 両手で力強く大型のナイフを掲げ、目を見開いて向かいに立っている化け物に殺気を飛ばす。

 隼人のナイフはしっかりと赤鬼の心臓を貫いた。イミュニティーの人間なだけありその狙いは寸分の狂いも無い。

 だが赤鬼は歯茎が無いかのようなむき出しの歯を大きく開け、黒色の溝に包まれた充血した茶色の瞳で一睨みすると、何事も無かったようにその太いM字に広がった腕の一方で隼人を突き飛ばした。

「うぃいああ!?」

 赤鬼からしてみればただ押しただけの突きだったのだが、隼人にとってはハンマーで殴られたことに等しい。隼人は後ろの木に激突すると、赤鬼の拳があった部位を押さえ地面に尻を着いた。

「グゥウォオオ――」

 ゆっくりと隼人に歩み寄る赤鬼。その表情は憎しみも、怒りも、何も篭ってはおらず、ただ本能のままに獲物を漁っているといった様子だ。

「はぁ、はぁ……」

 隼人は見下すように前に立った赤鬼を見上げた。

 そして、その瞬間。

 バっシュッという音と共に、土の上に褐色の死体が一つ生まれた。








 中央職用エリア 午後6:26



「あった! 翆さん、これじゃないかしら。地下への入り口って」

 中央職員用エリア一階の奥。紀行園の入り口を南と見て、丁度西の位置にある非常用階段の裏。そこで本は指紋認識装置のようなものを見つけた。

 直ぐに翆が階段の横から顔を覗かせる。

「良く見つけたな、モトミチ。普通こんな場所に指紋認識があるなんてありえない。ここで間違いないだろう」

「直ぐに朝奈さんたちに電話しましょう」

「ああ、そうだな。……ん? ちょっと待って、今何か聞こえなかった?」

「えっ、別に何も聞こえないわよ?」

「ォォオォォォオオ――……」

「あ、な、何か聞こえた!」

 本は遠くの方で何かが叫んでいる声を聞いた。

「――っ赤鬼だ……! こっちに向かってるみたいだな。くそ、何でよりによって私たちのいる方に来るんだよ」

「赤鬼?」

「モトミチ、朝奈に連絡したら直ぐに下に逃げる。今の内に使えそうなものを集めておけ」

「わ、分かった」

 本は赤鬼が何なのか分からなかったが、翆の慌てようからかなり危険な化け物だと判断した。

「――出ない……悪魔にやられたか!?」

 何度もコールしても繋がらない電話を諦め、翆は顔を曇らせ携帯電話をしまった。

「指紋でここを開けることは出来ない。こうなったら朝奈の感覚でマスターコードを入力するしかないな。おい、モトミチっ、上に行くぞ!」

「え、使えそうな物を集めるんじゃないの?」

「そんな暇はなくなった。いいから来い!」

 翆は本の腕を引っ張ると、急いで階段を上り始めた。








 ここがもし一般的な若者の部屋ほどの大きさしかなかったのなら、二人ともタンポポ胞子によって人間としての形を失うことになっていただろう。

 だが、幸いなことに自己顕示力の強い大西は園長室にかなりの間取りを使っていた。高校の教室を二つ繋げたほどの大きさと言えば、分かりやすいだろうか。

 部屋の入り口前の床にイソギンチャクのような足を密着させ、体と地面を固定しながら永遠とタンポポ胞子を出し続ける大口男LV.2の姿を見ながら、朝奈は窓際に三上と共にへばり付いていた。

 この位置ならばギリギリで胞子の拡散エリアの範囲外となる。

「あいつ……なんで十秒以上たってんのに胞子を止めないんだよ!?」

「さっきこの人は大口男の進化形みたいなことを言ってた。だから多分移動能力を失う代わりに感染能力に特化したんだと思う。そのために入り口の前で注射を打ったらしいね」

「冷静な分析なんていらないから何とかしろっ! このままじゃ何時かは感染しちまうぞ!?」

 自分で考えもせずに三上は朝奈に怒鳴りつけた。

「……分かった。水持ってる? 持ってたら貸して」

「水? 水なんかどうすんだよ!」

「私に頼んだんだから言うこと聞いてよ」

 朝奈は若干怒った様子で言った。

「ほらよ」

 健太は鞄から一本のペットボトルを取り出す。

 朝奈は自分の腕の傷口に撒いていたハンカチを四つに裂くと、それにペットボトルの水を掛け、濡らし始めた。

「何してんだ?」

「あの大口プリンを倒すには今の武器じゃ接近戦でやるしかないから、耳と鼻と口をこれで塞ぐの。ほら、三上さんもやって。私一人に戦わせる気?」

 朝奈はペットボトルを突き出しながらそう言った。

「本当に大丈夫なのか。こんなもんで感染を防げるのかよ」

「長くは無理だろうけど、短い間なら大丈夫だと思う」

 両耳に小さな濡れたハンカチを積め、口と鼻をマスクのような格好に濡れたハンカチで覆うと、朝奈が自信ありげに答えた。

「はあ、仕方ねーな」

 三上はため息をつくと、同じような格好に自分もなった。

「あの大口プリン、動けないから罠戦法も効かないし、正面を向いているから背中への攻撃も出来ない。だけど前からの攻撃はあの三本の鋭い触手が邪魔してくるから……正面も攻撃できそうにないね」

「後ろさえ向いててくれりゃー、動けないから只のサンドバックでしかねえのにな」

「こうなったら、左右から攻撃しよう。いくら動けないと言っても体の向きを右左にねじることくらいは可能だと思う。……三上さん、左から近づいてあいつの注意を引き付けて、その間に私が右から止めを刺すから」

「了解」

 三上は覚悟を決めたのか、珍しく素直に了解した。

 大西のものと思われる大きな机を倒し、盾のように自分の前に構え、チョビチョビと大口プリンに向かって進んでいく。

「机があるから素直に引き受けたのか」

 朝奈は三上のズルイというか賢い策に感心しながら、自分も右に歩き出した。

「ジュウウウァアアア……」

 タンポポ胞子をばら撒き、二人に注意を向ける大口プリン。目が無い体でどうやって位置を調べているのか知らないが、その様子からはかなり正確に特定できているようだ。

 三本の触手が三上の押している机に連続して刺突を繰り返した。だが大西が高い机を買っていたのか、内部に金属が入っていた所為か、中々机は壊れない。

「どうだ、朝奈!?」

 三上は自分が大口プリンの注意を引き付けられたことを確信し、そう聞いた。

 答えれば大口プリンの注意が自分に向いてしまう。朝奈は三上の言葉に構うことなく相手の右に忍び寄ると、西洋風ナイフを一気にその背に殴り落とした。

「ジュウウォオオオ!?」

 脊髄に強烈な痛みを感じた高宮もとい大口プリンは、苦痛の雄叫びを上げると触手を朝奈の方へ打ち付けてきた。

「――っ!」

 朝奈はそれを窓際の方へ逃げてかわした。

「ォオオオォォ……」

 大口プリンはそれ以上攻撃することは無く悔しそうに身をもだえさせると、一瞬ピクリと動いた後に死んだ。

「随分あっけなかったな」

 三上が拍子抜けしたような表情で朝奈を見る。

「……たぶん、この人は時間稼ぎをしたかったんだと思う。一応殺意も合ったと思うけど……」

「時間稼ぎ?」

「大西さんが逃げるまでの時間稼ぎか、それとも……」

「それとも何だよ」

 三上はわけが分からないといった様子で聞く。

「ゴォオオオオオォォオオ!」

「な、何だ!?」

「この声っ!?」

 突然建物の付近から響いた声に、二人ともどきもを抜かした。

 大口プリンが死んだおかげで胞子は既に消えている。朝奈はハンカチを金繰り捨てると、窓から外を見た。

「――截さん!」

 窓の外、中央職員用建物の真南の方向に赤鬼から逃げるように截と二人の人間が走っているのが見えた。

 大分暗くなってきた所為ではっきりとは見えないが、朝奈は先頭の人物を截だと確信した。

「良かった……本当に生きてたんだ!」

 その生存に対する安堵の気持ちと喜びが溢れてくる。

「お、おい何だよあの赤い奴!?」

 だがその安心感も直ぐに緊張感へと変わった。三上の言葉で截の背後に赤鬼の姿を見つけたからだ。

「――……何とかしなきゃ!」

 このままでは今度こそ截が殺される。朝奈は截を助けるために園長室を飛び出した。

「ちょ、待てって!」

 三上も慌ててその後を追う。だが自分の前に置いていた机につまずいて転んでしまった。

「痛って!?」

 その衝撃で机の中から鍵のようなものが出てくる。

「何だこの鍵? あ、おい、置いてくな! あ~取り合えず取っとくか」

 三上は念のためにそれを懐に入れると、既に先へ進んでいる朝奈を急いで追いかけた。







 二階の廊下、数対の大口プリンの所為で先へ進めなくなっていた翆と本も、赤鬼の声が間近から聞こえたことに気がついた。

「くそ、もうここまでやって来たか!」

「急ぎましょう」

 背後を通れば襲われることが無いことに先ほど気がついた二人は、まるでパズル迷路のように大口プリンの隙間を抜けて行く。

「そういえばモトミチ。三上の持っていた麻酔銃は?」

「え、もう使わないと思ったからさっきの医療室に置いて来たわよ?」

「馬鹿、何で置いて来るんだよ! あれは相手の動きを鈍らせるのに役に立つ。くそ、お前朝奈に指紋認識装置のことを教えに行け、私は麻酔銃を取りに戻る」

「え、私一人で!?」

「甘えるな、赤鬼が来てる今、こっちも死活問題なんだよ。早く行け!」

「わ、分かった」

 本は翆の剣幕に押され走り出した。それを確認すると翆も急いで今来た道を戻りだす。

「間に合え……!」

 ただ焦りの表情だけがその顔に浮かんでいた。






「避けろ!」

 截はオカッパの男を押し倒しながら叫んだ。

 その直後二人が立っていた地面の土を、赤鬼の大爪が抉り取る。

 截、石井、オカッパの男の三人は、とうとう中央職員用エリアの目の前まで到着していた。

 オカッパの男を立たせると截は赤鬼と向き直った。

「キツネもどき! 二分だけ耐えろ。その間に罠を起動させる」

 石井が截に向かって叫ぶ。

「二分? 手動の罠なんですか!?」

「ああ、死んでもいいから時間だけは稼げ」

 截はそれには答えなかったが、石井は無言で柵の前についている何かの機器をいじり出した。

「二分か。はぁ、仕方が無いな」

 赤鬼相手に二分間も、何の罠も為しに戦闘行動を取ることなど自殺に等しい。截はこの為に石井が自分と手を組んだということに気づいた。

 白柄ナイフと、黒柄ナイフ。

 二本の特殊ナイフを掲げ、截は目の前に立ちふさがる赤鬼と視線を合わせる。

「オカッパの男も同じようにナイフを構えた。截とは違ってその腰は引き気味だ。

「ゴォォォオオオォオオ!」

 赤鬼が押しつぶさんばかりの大声を二人の目の前であげる。

「行くぞ……!」

 截はその瞬間勢い良く駆け出した。








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