平成と私【終わる平成に寄せて2】
『平成』を生きた私は、今度、『令和』に生きる。
でも、『平成』は最初慣れなかった。
突然だったからだと思う。
昭和天皇の崩御という、国の根本が、大黒柱とも言った方が良いのだろうか、それがポッキリと折れたと言う人もいた。
ちなみに、硬貨で見たことがあると思うが、昭和64年がある、それも7日まで。
そして、正式には元年は年末に大正天皇が崩御されたので、年が明けると2年となったので、実際年数は、日本書紀などの書物に残る伝説の天皇を除いて、62年と10日余りという最も長期間天皇位に在位なさっておられた。
それに、父君の大正天皇が病弱だったので、お若い頃から摂政、執政として、代理職務に励まれていた。
現在の今上天皇は、特にお忙しかった上に、晩年の昭和天皇が体調を崩されてからは、摂政として皇太子としての職務を行なっていた。
しかし、今思うと昭和天皇は大黒柱なら、今上天皇は京都の糺の森の連理の賢木のことを思い出す。
皇后陛下と二人で、歩いている姿を思う。
ところで最初、『令和』の額を見た時、皆さんは何と呼んだだろうか?
私は素直に、『りょうわ』と呼んだ。
「『急急如律令』からとったのかと思って」
と言うと、妹に、
「姉ちゃんの、雑学オタクいやー!萬葉集って言ってたよ!」
「萬葉集……あぁ、うちにあるなぁ……古事記、日本書紀、古今和歌集、今昔物語集、源氏物語」
「オタクな姉ってウザイ!」
「知識のない馬鹿になりたくないねん。情報の電波を張り巡らせておかな。それに薄っぺらい情報じゃ、この世界生きていけんわ」
と返した。
ちなみに『急急如律令』は、元々中国の古文書の末尾に書かれていた文字で、『律令の如く急ぐように』『急々に律令のごとくに行え』と言う意味で書き添えた、一種の命令である。
律令は、律が刑法、令はそれ以外の行政法、経済などを指す。
急を重ねることで、物事を優先させよ、急げと言う意味なのだ。
後に、呪文の終わりに陰陽師などが唱える言葉となった。
三国志も好きだが、陰陽師も好きな私には、萌える文言である。
だから、『りょうわ』でも良いのになぁと思ったのだ。
でも、それを病院で知り合いにいうと、
「令和は、『れいわ』が良いと思うよ?だって、りょうだったら昭和と似てるでしょ?りょうわとしょうわ」
あぁ、そういう風に思えるんだ。
視点が変わると素晴らしいと思った。
ともかく、平成になって私がはまったのが、テディベアを作るのと修復である。
本格的に習いにテディベアの学校に通いたいと思いつつ、平成は終わる。
平成は私にとっては停滞の時期。
令和は翼を広げようと思う。