柴犬とコーヒー
ベランダから追いかけた後ろ姿がまだ
坂の下で立ち往生している。
西日に細められた交差点に、
少し猫背なマスタード色のシャツを捉える。
ゆるくウェーブした黒髪が艶めいている。
あの人はあの日のまま、
まだこの街から帰っていない。
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あの人がじゃあまたとドアを閉めてから、
まだまたは訪れていないけれど、
私の部屋にはあの人の好きなものが
こっそりとディスプレイされている。
あの人を思いたい部屋にやってきたのは
全く別の人で、
新しい私の恋人。
今では新しい彼からの贈り物で溢れている。
今の彼は確実に、今までで一番素敵な人だ。
それなのに、
最低なあの人はまだ居座っている。
早く、追い出さないと・・・。
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この薬指に魔法をかけて
時間を巻き戻したら、
指輪が現れる。
私は過去を気にしない。
液晶ディスプレイに浮かぶ
「み」からのメッセージ。
あぁきっと、女の人だ。
私は今にも干渉しない。
「実家に遊びに来てほしい。
軽い気持ちで大丈夫だよ。」
深い意味なんてきっとない。
私は未来を求めない。
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確かめたいこと、
確かめたくないこと、
不器用な心は上手に処理できずに、
心臓の奥の方へ積み重ねられ、
重々しく拍動する。
見えるものだけ、聞こえるものだけ
信じていようとしても、
その裏側を想像しては闇に落ちる。
あんなに温かいと感じたのに
こんなに好きだと感じているのに
それを信じればいいのに
いつかやもしで陽の光は遮られる。
気まぐれに照らす歪んだ眩しさが
私の行くべき道を惑わす。
「今日も空いてないです」
「じゃあまた今度。空いてる日あったら教えて」
あの人の存在は、
不安を誤魔化すのにちょうどいい。
「わかりました。また今度。」
でも、不安を取り除いてはくれない。
そう、気づく。
交差点の信号を渡るあの人は、
ゆっくりと駅の方へ消えていった。