汚吐女さん
──頭痛が痛いとでも言えば伝わりますか?
現実の私はそれなりに平凡に平和な生活をしています。宗十郎さんはだらしなく、脱いだ服は脱ぎっぱなし、財布は部屋の何処かに転がっていて、スマホは服のポケットに入ったまま。当然掃除だって禄にされません。食べたお皿は流しにすら持っていかず、靴下を二度履くのも苦ではないようで、下着を2日履いていると知った時は悲鳴を上げましたとも、ええ。
……今、目の前の人物にはおなじものをひしひしと感じます。
だらしない、脱げかけた白衣にインナーだけの女性。見た目は華やかで装えばそれこそアーデルハイトのように見栄えするだろうに、悲しいかな煤だらけ、ゴミだらけの酷い姿。机の近くには転がるビール缶に吐瀉物が零れた床。おまけにベッドではなくソファー、の手前のカーペットの上でお尻を突き上げる様な形で寝ています。凄く、見ていて、恥ずかしい。ちなみに名前はワクテカ☆ゴッドらしいのですが正直その辺に溜まっているインナーの山よりも価値がない名前なのでさっさと心のゴミ箱に捨てるとします。こんな女性、汚吐女で十分です。
実家の様な安心感と言う言葉がありますが私が今感じているのは間違いなく安心感ではないでしょう。不快感です。
どうしてこうなるまで放ってしまったのか、隣のアルルカンを見詰めるとすっと視線を逸らされました。成程、どうやら見て見ぬ振りをしてた様子。流石にこれは激おこぷんぷん丸です。
無駄に現実的なこのゲームはどうやらクランハウスは設定を弄らない限り定期的に掃除しないとゴミがたまる仕様らしく、その権限を持つ人が、どうにもそれが面倒なのか、弄っていないらしく、そのくせ掃除の一つもしないというのは、ええ。
正直に言いましょう。──手伝わなくてもいいので、三日ほど家に帰ってこないでください。
どうしてこんな現実みたいにだらしのない方々の世話をしなければいけないのでしょう。
思わず頭を抱えたくなる一方で、手は滑らかに動きます。報酬は既に貰っている、というのも大きいのですが何よりもこの埃の溜まった上に換気など一切されていないカビの匂いの染み付いた一室を前にして動きを止めるなんてあまりにも恐ろしい。
レンネットを貰いに来ただけでしたが、これは流石にいただけない。
アルルカンに紹介されたこの女性が胃袋をレンネットへと調合できる生産関係のクラン仲間の方なのですが、……臭い、汚い、キチガイと所謂3K女子でした。──ちょっと待ってくださいアルルカン、掃除は上からが基本です。いきなり下からやっては効率が悪いですよ。
ええ、それはそうとアレですね。この箱に大量にある素材の山はどうしましょうか? ……とりあえずアルルカンに上の階まで持っていってもらいましょう。
……え? この量は持てない? 何のためにインベントリという現実に早く実装して欲しい機能があると思っているんですか? 装備容量が圧迫しているから厳しい? 脱ぎ捨てて後で取りにくればいいじゃないですか。成人男性の全裸なんて見慣れているので気にもしませんよ、というかさっさと動いてください、掃除しますよ?
はあ、私はこのゲームにただはまるんとの癒し生活を楽しみたかっただけなんですが。チーズも未だに作れていませんし、毛糸もまだまだ洗うには一晩立っていません。乗って草原でも歩けば遊牧民ごっこも出来るのにソレだってアーデルハイトのお先ベッド事件のせいで出来ていませんし。……アーデルハイトなら別にいいですけどね、やっちゃった負い目もありますし。そうじゃなくても現実ではお世話になっているので。
それはそうととりあえずまずは転がっているゴミから纏めるとしますか。……吐瀉物の臭いか、それともそれに慣れている現実かは分かりませんが、鼻の中がツーンと涙が出そうです。さあ、頑張りましょう。
◆
──頭に付けていたバンダナを外し、インベントリへと仕舞いました。
ふう、と息をついて周囲を見渡して最終確認を。……どうやら掃除残しは無いようです。
ええ、一安心。さて、それなりに疲れましたが早速貰ったレンネットでチーズでも作りますか。
と言う訳なので何故か部屋の入り口の扉を半開きにしてそこから中を覗いている二人に声を掛けましょう。
「アルルカン、汚吐女さん。部屋もきれいになりましたしチーズを作りましょう」
「あの流れる様な怒涛の鬼畜発言が嘘の様な笑顔だ」
「あっし知りました。ああいうのが怒ると一番こえーんです」
「ふざけてないで早く作りますよ、チーズって結構放置する時間とかあるので作るの難しいんですから」
掃除したばかりの部屋には都合が良い事に冷蔵室や手洗い場があるので活用させてもらいましょう。
材料を一通り取り出して、分量を計測します。それが終わったら、まずはこの……妙に大きな鍋? にはまるんのミルクを入れます。
「ちょ、それ錬金鍋っす!」
「鍋なんでしょう? 何か問題があるんですか?」
「……間違いじゃないっすけど、どうなっても知らないっすよ」
30℃くらいに温めたら、クランに戻る途中で購入したこちらのヨーグルトを投入します。
〝ヨーグルト(山羊)〟乳製品。山羊乳を使用して作られたヨーグルト、牛乳で作った物と比べると独特な匂いがあり、賛否が分かれる。尚、牛乳アレルギーは現実でも仮想現実でも山羊乳や羊乳ではタンパク質の性質が違う為、アレルギー反応が出にくい(ならないわけではない)空腹度+5
その後よく混ぜます。そしたら一時間くらい室温で放置します。
その間に冷蔵室にあった綺麗な水があったのでこちらにレンネットを混ぜます。
「……あのリーダー、あれあっしが集めてきた〝千年樹の朝露〟なんっすけど」
「後で手伝うから今はそっとしておこう。ほらまあ、新入りさんの入会記念だと思えば」
「……まあ、朝早く集めればいいだけっすけどね」
〝千年樹の朝露〟千年を生きると言われる精霊樹の葉に溜まった朝露を集めた物。葉から漏れる魔力により、特殊な魔力を有している。稀少性は高くないが、数少ないマジックポーションの原材料の一つである為高騰し易い。
混ぜたものを冷蔵室に戻して後の時間は庭に移動してはまるんの毛に飛びついておきます。
かわいいふわもこなのにサイズが大きすぎて屋敷に入れないはまるん本当に可愛そうです。でもまあ、サイズ的にサイとかカバくらいはありますししょうがないですか。……いつか小型になれないでしょうか。ベッドの上で抱き枕とかに出来るとすっごく嬉しいんですが。
まあ、それはそうとぼんやりしているとアーデルハイトが現れました。……妙に早いな。
「おはようアーデルハイト、今日はさぼり?」
「おはようドゥムジ、今日は爺さんが腰を痛めたので臨時休業になったのでした。……いや、マジで予想外ですわー」
「慎二のお爺様が腰を痛めるとは、……ちょっとびっくりだね」
となりの毛をポンポンと叩くと、意図を察したのかアーデルハイトはすぐさまこちらへと移動した。
隣に腰掛けた彼は、あに濁音を付けたような声で長く息を吐くと、はまるんベッドにすぐさま身体を投げ出すのでした。
まあ、現実の彼はそれはもう辛い修行を終えた後、後継者というのはいつも辛いのでしょう。頑張ってね。
それはそうともう1時間立ちそうだ。急いで部屋に戻るとしよう。
戻るとそこにははまるん印のミルクを飲んで妙な顔をしている汚吐女さん。……羊乳は牛乳と比べるとタンパク質と脂質が大きいから飲みにくいらしいですよ? それにそんな風に呑むよりも1リットルに砂糖60gを入れて、貴方の素材の中にあったケフィア菌と同じ働きをする物を少量加えてかき混ぜて作れる羊乳酒の方が美味しいのでは?
「え、マジっすか。ヒャッホー自家製の酒が造れるとか貴方は天使じゃないっすか!」
「いえ、羊飼いです。……ちなみにお酒を使っていいのなら別のレシピもありますが」
「羊飼いってすげー!」
いえ、リアル技能ですが。
まあ、それはそうと先程溶かしたレンネットを鍋の中に入れます。……後は室温で一晩放置なので、まあこれは明日からの楽しみにしましょう。
「ではこちらの方に置かせていただきますね」
「ういっす! 大事に保管するっすわ!」
「ありがとうございます、それではついでにお酒も作っちゃいましょう」
「ヒャッハー!!」
まずは瓶にミルクを入れます。砂糖を入れます。そこにこのケフィア菌モドキをいれます。
〝酒樹の樹液〟お酒造りに欠かせない特殊な樹木の樹液。葉にはアルコールの度数を高める効果が、樹は樽にすれば芳醇な香りと味の熟成速度を上げる効果があるのは知られているが、樹液が糖分を分解してアルコールに発酵させる効果があるのはこの世界でも知っている者はあまりいない。それこそ自分でこの樹液を採取しない限り明かされない情報である。
よくかき混ぜて、こちらも明日以降ですね。
次は完全密封出来る瓶にミルクと、お酒と、砂糖、……ついでにレモンも入れておきましょう。
入れたらざっとかき混ぜたら蓋をして、あとは冷暗所に放置ですね。それからは一日ごとにかるくかき混ぜる必要があるので気を付けなければいけません。
「あとは後日になりますのでどれだけ頑張っても飲めるのは3日後ですね」
「大丈夫っす! あっしは結構酒溜めてるんで!」
「……次吐瀉物を放置したら酒禁ですよ? むしろ嫌になるまで飲ませましょうか?」
「すんませんしたあぁッ!」
……もしかしてですが、このクランには奇人変人の類しかいないのでしょうか。
まあ、疲れたのでとりあえず庭に戻って寝ているアーデルハイトの隣に座りながらログアウトしました。
……もう、12時ですか。結構立ちましたね。




