7. パス
マモノ、それは人非ざる物の総称である。
妖怪、悪魔、UMA、あれらを指す呼称は世界にごまんとあり、それは百目木もテレビや漫画などで聞いたことの有る存在だった。
どうやらこの世界には普通の生物とは全く異なる、違う理を持った者たちが居るらしい。
本来であれば一笑に付すべき与太話であるが、昨夜にあの紙人形たちに襲われた百目木がそれを否定することは出来なかった。
「マモノと一口にいっても様々な種類の連中がいる。 あの葉月とか言う犬っころの父親のように、人の姿を取って人間社会に紛れて生活している奴もな」
「えっ、人?」
「坊主はあの辺りの人間なんだろう? それなら、あの神社の神主に会ったことは無いのか?」
「ええっと、小さい頃に一度、あそこの神主に怒られた覚えが…。 えっ、あれが葉月の父親なのか!?」
「力有るマモノが人間の姿を真似ることはよくある事なの、あの葉月って子ももう少し成長すれば人の姿になれるでしょうね」
「葉月が人間に…」
マモノが人間に混じって生活しているという話は、百目木に取って衝撃な事実であった。
しかもかつて神社を遊び場にしていた百目木を叱りつけたあの神主が、どう見ても犬しか見えない葉月の実の父親であったなどとは信じがたい話である。
しかし始の話を聞いた百目木は自然と、つい先程見た夢の光景でを蘇らせていた。
見覚えの有る神主が一瞬で巨大な犬に変貌する、まさしく始の言う人間がマモノに化けている姿そのものでは無いか。
「えっ、じゃああれは夢じゃ無いのか…」
「夢、坊主、一体何の話だ?」
「えーっと、実はさっき夢を見たんです。俺が葉月になって、俺の目の前で神主がでかい犬になった紙人形と戦う夢が…」
「詳しく聞かせろ!!」
「えぇっ!?」
何気なく夢の話を口に出した百目木に対して、始は血相を変えて詳しく話すように要求する。
たかが夢の話に真剣な表情を浮かべる始に困惑しながらも、百目木は先ほどの夢の光景を辿々しい口振りで話し始めた。
始曰く、百目木が見たそれはただの夢では無いそうだ。
それはパスを結んだ葉月の記憶の可能性が高く、パスを通じて葉月の記憶が百目木に流れ込んだらしい。
どうやらパスを繋げると言うことは人間をマモノの距離を精神的により近づけるようで、このような記憶の共有が起きることは消して珍しい事では無いそうだ。
「黒い西洋風の鎧、それが今回の一件の親玉か…」
「どうするの、始さん?」
「…この情報だけじゃ、どうしようも無いだろう。 暫くは地道に足を使って調べるしか無いな…」
百目木の夢の話によって、あの紙人形たちを率いる親玉の存在は解った。
しかし黒い西洋風の鎧だけでは探しようが無く、葉月の家族を狙った連中の正体は未だに闇の中である。
「坊主、とりあえず今日の所はあの犬っころを連れて帰りな。 明日は学校は休みだろう?
多分今日の夜くらいには犬っころが目覚める筈だから、それを連れてまた明日此処に来な」
「えっ、葉月を連れて行っていいんですか? でもまた紙人形に襲われたら…」
「安心しろ、対策はしておく。 連絡先を伝えておくから、何かあったら真っ先に俺の所に連絡を入れろよ」
「わ、解りました…」
葉月の話、そしてマモノの話が終わった所で始は百目木に対して家に帰るように命じる。
しかし百目木は始の元を離れることに難色を示した、またあの紙人形に狙われたら一溜りも無いと考えのだろう。
その懸念に対して始は対策をすると言いくるめ、結局百目木は探偵の言葉に従って葉月を連れて家に帰るのだった。
当然のように無断で外泊をした百目木に対して、彼の両親たちは説教と共に息子を出迎えた。
友達の家で泊まったと言う当たり障りのない言い訳で誤魔化した百目木は、どうにか両親の怒りを潜り抜けて自室へと駆け込む。
そして自室の部屋の窓の下に置いておいた段ボール箱、その中に入れた葉月を引き上げて回収する。
葉月は先ほどの始と名乗る探偵の事務所に居た時と変わらず、段ボール箱の中で眠りについてた。
あの探偵の話が本当であれば、葉月は今日中に目覚めてくれる筈だ。
「…俺も寝るかな」
自室に戻れた事で一安心したのか、眠っている葉月の姿に影響されていたのか。
つい先程まで探偵のビルで寝ていたにも関わらず、百目木の元に睡魔が襲ってきてしまう。
恐らく見知らぬ探偵のビルでの睡眠では、十分な睡眠を取ることが出来なかったのだろう。
どうせ葉月が目覚めるまでやることも無いと、早々に睡魔に負ける選択をした百目木は布団を敷いて横になる。
そして押し入れの中にダンボールごと葉月を隠し、百目木も眠りに付くのだった。
その覚えの有る感覚から、百目木は再び葉月の記憶を見ている事に気付いた。
それは葉月の父親が襲われるより前の、温かな家族の記憶だった。
普通の人間にしか見えない葉月の父親が、犬にしか見えない葉月に優しく語りかける。
それは端から見たらとても奇妙な光景であろうが、この親子にはそんな物など関係無いとばかりに親子の語らいをしている。
「はははは、もう少し我慢するんだ。 もう少し大きくなったら、お前も人の姿になれる。
そうしたら幾らでも、外に出てもいいよ」
「くぅぅぅん」
夢を通して見える葉月の記憶、その全てはあの神社の中の風景であった。
彼女と父親が住む小さな家の中、後は人が居ない時間帯にだけ出ることが出来た神社の境内が彼女の世界の全てである。
どうやら葉月は父親のように人の姿になれるまでは、人に見付からないように隠れて生活をしていたらしい。
しかし葉月はこの狭い世界を消して嫌っていなかった、愛する父親が側にいるだけで彼女は幸せだったのだ。
その幸せが脆くも崩れ去ったあの時まで…。
「"…主殿、主殿!!"」
「…ん、声?」
葉月の記憶を覗き込んでいた百目木は、頬に感じるざらついた感触によって現実へと覚醒させられた。
目覚めた百目木の元に飛び込んできた声、頭に直接語りかけてくるような奇妙なそれは聞き覚えのない声であった。
薄っすらと目を開けた百目木が首を動かすとそこには、自分の顔を覗き込む葉月の姿があるでは無いか。
どうやら先ほどの感触は、眠っている百目木に対して葉月が頬を舐めた事による物らしい。
「は、葉月! よかった、目覚めたんだな!!」
「"主殿もご無事で何よりであります!!"」
「…え、この声は、もしかして葉月の声なのか?」
「"…主殿?"」
頭に直接響いてくる高音の声、小さな子供のようなそれはどういう訳か葉月の方から聞こえてくるようである。
それは葉月の鳴き声と共に百目木の頭に直接響いており、まるで葉月の声が翻訳されているようでは無いか。
一体何事、自分はまた夢でも見ているのでは無いか。
「…葉月、お前はマモノなのか?」
「"っ!? 主殿、どうしてそれを!? えっ、というより、もしかして自分の言葉を理解しているのでしょうか?"」
「ああ、どういう訳か俺はお前の喋っている事が理解できる。 これもお前と結んだパスって奴の効果なのかな…」
「"パス、それは一体…。 それより主様、自分はどうして此処に? あの憎き式神たちはどうなったんでありますか?"」
葉月の喋っている事が理解できる理由、それを百目木は一つしか思い付かなかった。
簡易パス、百目木がこの世界から消滅しかけていた葉月を救うために探偵によって結ばれた絆。
恐らくこのパスとやらの効果で、今百目木は葉月の言葉を理解できているに違いない。
とりあえず現状の状態に納得した百目木に対して、葉月の方は何が何やら解らずに混乱しているようだった。
それもそうだろう、恐らく葉月の持っている最後の記憶はあの神社の境内で式神たちに襲われた所で途絶えているのだ。
自分はあの苦境から助かったのか、何故百目木が自分の言葉を理解できているのか。
解らないことだらけの葉月に対して、百目木は自分が知っていることを葉月に対して聞かせてやるのだった。
それは口に出して見れば、決して長いとは言えない話だった。
百目木自身も自分は思った以上に何も知らない事に気付き、愕然とした程である。
分かっていることと言えば葉月と葉月の父親がマモノであること、葉月たちがあの式神たちに襲われた事。
そして自分たちを救った彼方や始と言うマモノ専門の探偵たちは、葉月の父から依頼を受けていた人間である事。
とりえず分かっている事を全て告げ終わった百目木は、黙ってこちらの話を聞いていた葉月に視線を向ける。
「"…探偵、父上がそんな輩に頼ろうとしていたとは"」
「お前はあの探偵、始って言うやつのことを知らなかったのか?」
「"何も知りません。 父上は何時もそうです、自分はまだ子供だからと何も教えてくれない…。"
"あんな連中に狙われている何て事も、自分は全く知りもしませんでした"」
葉月の父親は葉月に対して何も教えなかったらしく、探偵の事も葉月には初耳だったようだ。
何も教えてくれなかった父親に対して思う所が有るのか、葉月は顔を下げて物悲しげに鳴いていた。
「…お前、これからどうするんだ? もうお前の父親は…」
「"勿論、父上の仇を取ります! それが父上から血を受け継いだ自分の使命なのですから…"」
「どうやってだ? 敵が何処に居るかも解らないんだぞ、解ったとしてもお前だけじゃ…
「"うっ、それは…"」
父親の仇を取ろうとする葉月の決意は、決して的はずれな決意では無いだろう。
しかし勇ましく仇を取ると言っても、今の葉月では仇を取るだけの情報も力もない。
百目木の鋭し指摘に口籠った葉月の様子から、彼女には仇を取るための具体的な手段は何もないと言う事がありありと見て取れた。
「…とりあえず、明日、もう一回探偵の所に行こう。 少なくともお前の父親が護衛を依頼した相手だ、多分敵じゃ無いだろう」
「"そうで有りますね、その探偵とやらには自分たちを助けて貰った仮も有りますし…"」
とりあえず探偵との約束通り、明日葉月を連れて再びあの探偵のビルに向かうのが先決だろう。
明日の予定をも決まって話も一段落したところで、百目木は探偵からの伝言を言い忘れた事を思い出す。
「ああ、葉月。 いい忘れてたけど、その腕に括られた紙を取るなよ」
「"ああ、これで有りますか? これは一体…"」
「俺も詳しいことは知らないんだけど、それは魔除けの一種らしい。 それさえ付けていれば、あの紙人形たちはお前の居場所を見つけられないそうだ」
葉月の右の前足に括られたそれ、最初に葉月と出会った時に付けられていた物と良く似た紙きれ。
それはただの紙切れでは無い、探偵によればこれはマモノである葉月の気配を隠す魔除けと言うのだ。
探偵の居ない間にあの式神たちに襲われることを防ぐため、探偵は葉月に対してこれを付けたらしい。
「"魔除けですか!? じゃあ、もしかして父上が自分の腕に付けていた物も…"」
「あの探偵曰く、同じ効果の代物が高いそうだ。 あれのお陰でお前は昨日まで、あの紙人形の目から逃れて…」
「"…あれを外して外を出たので、見つかったと。 すみません、父上、自分は、自分が…"」
「俺も悪かったよ、葉月。 何も考えずに、あれを外してしまって…」
そして始から持たされた情報は、昨日百目木と葉月が式神たちに襲われた理由を示していた。
どうやら葉月は昨日までは、彼女の父上が残した魔除けの効果で式神たちの目から逃れていたらしい。
あの紙切れ自体は葉月は父親の命に守って大切に保管していたが、昨日に外出する時に無くさないように百目木の部屋の押し入れ内の彼女の寝床に置いていったのが失敗だった。
魔除けから距離を置いた頃で葉月は奴らに見つかってしまった、つまり昨日の襲撃は百目木と葉月の自業自得と言うに相応しい結果だったようだ。
思わぬ事実に百目木と葉月は、自らの思わぬ失敗に衝撃を受けて共に落ち込むのだった。