20. マモノ使いの弟子
早朝に目覚めた百目木が最初に感じたのは、自分の右腕に感じる生暖かい感触だった。
布団とは明らかに異なる感覚に焦りを覚えた百目木は、慌てて自身の右腕の方へと視線を寄せる。
百目木の右腕付近の布団は明らかに盛り上がっており、明らかに何かがそこに居たのだ
そして恐る恐る布団を除けた百目木は、自分の布団に潜り込んだ少女と対面することになった。
「…へっ?」
「もう朝よ、ご主人様」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
それは中学生くらいの女の子である、横になっているため正確なことは解らないが恐らく百目木の頭一つ分は小さいだろう。
少し派手な黄色掛かった髪が肩口まで伸び、前髪の部分だけワンポイントで黒く染まっている。
見知らぬ少女が自分の布団の中に入っている異常事態に、百目木の思考は一気に混乱の極みとなった。
変な声を出しながら固まる百目木に対して、布団の中に居た少女はしてやったりとした笑みを浮かべながら朝の挨拶を交わす。
しかし百目木から返事は変えること無く、代わりに驚愕の叫びが百目木の狭い部屋の中で響き割った。
早朝の一悶着の後、息子の悲鳴を聞いて慌てて駆けつけた両親たちを追い返した百目木は疲れたような表情を浮かべている。
そんな百目木の目の前で二匹の獣たち、否、獣の姿をしたマモノが睨み合っていた。
一体は黒と黄色のまだら模様をした猫型のマモノ、一体は茶色い毛並みをした犬型のマモノである。
自室の椅子の上に座っている百目木の前で、二体のマモノたちの激しい口論が始めった。
「"貴様、主様対して何と無礼な…」
「ちょっとしたジョークよ、ジョーク。 まさかあんなに驚くとは私も思わなかったのよ」
「本当にやめてくれよ、心臓が止まると思ったぞ、タマ」
「だ、か、ら! 私はクレオパトラって言っているでしょう!!」
先程、百目木の布団に潜り込んでいた少女、それは自称クレオパトラことタマが人間に化けた姿であった。
あの猫守社の戦いの後、どういう心境の変化かこの猫型のマモノは百目木の元に身を寄せていた。
どうやら世話になった猫守社の宝を守れなかった事に思うことあったらしく、あの一件の犯人であるマモノたちを追う百目木たちに付いて来ることにしたらしい。
最もこの猫型のマモノは余り素直な性格では無いらしく、百目木たちには猫守社の代わりの住いを探しただけと言う解りやすい言い訳のみを語っていた。
「"同じマモノ使いの下についたマモノとして、自分は貴様の先輩で有ります! そもそも貴様は先輩に対する口の聞き方が…"」
「ふん、人間にすら化けれない未熟者が先輩振らないで欲しいわ」
「"す、少しくらい人間に化けられるからって、偉そうにするな!! じ、自分だってすぐに人間に化けられるようになるで有ります!!"」
「ふーん、どうかしらねー」
百目木の目の前で、葉月とタマの喧嘩が本筋から外れてエスカレートしていく。
どうやらこの二匹のマモノは性格的に余り相性がよろしく無いらしく、タマが百目木の元に身を寄せてから毎日のように喧嘩をするのだ。
「はぁ、いい加減喧嘩を止めろよ、二人共」
「"主様、でもこいつが…"」
「ねぇ、ご主人様。 私が来たんだから、こんな役立たずなんてもう要らないでしょう。 邪魔だからさっさと追い出さない」
「"出ていくのは貴様であります。 この新参者が!!」
百目木の仲裁にも耳を貸さずに喧嘩を再開するマモノたちの前で、未熟なマモノ使いである百目木は改めて疲れたようなため息を零す。
この調子では取っ組み合いを始めそうなマモノたちを前に、このマモノ使いの主である自分が何もしない訳にはいかないだろう。
百目木は話の方向性を変えるために、新たな話題を振ることにした。
「おい、タマ。 そんなに葉月が嫌いなお前が、どうしてお俺のマモノ何かになったんだ?」
「私だってこんな馬鹿犬の同僚になるのは嫌だったから、最初はあの先輩とやらに声を掛けたわよ。 けどあいつ、私が従える最初のマモノは予約済みって断られたのよ」
「へー、彼方先輩にマモノが居ないのは、そういう理由があったのか。 俺が知らないマモノと、約束でもしているのかな。
けど彼方先輩が駄目なら、師匠の所でも良かったんじゃ無いか?」
どうやらこの猫型のマモノは、百目木の所に来る前に彼方に声を掛けていたらしい。
既に葉月というマモノを下がている百目木と違い、マモノ使いの弟子でありながらマモノを従えていない彼方に声を駆けるのは自然は選択であろう。
そして彼方はタマの誘いを素気無く断り、消去法で百目木の所に来る羽目になったようだ。
しかしマモノ使いならば自分たちの師匠である始も選択肢に出てくる筈であり、始の元に身を寄せる選択肢があった筈である。
「…完全には信用できなかったのよ。 家の神社を襲った鎧のマモノの知り合いだって言う、あの男のことはね」
「それは…」
始を選ばなかった理由を訪ねた百目木に対して、タマはバッサリとあの探偵はまだ信用出来ないと言う本音を漏らした。
タマも完全に始を疑っている訳では無い、そうであれば始の弟子である百目木の元になど来るはずが無いからだ。
しかし猫守者を襲った鎧のマモノ、あれが知り合いであると口にした始を完全に信じることが出来ないようだ。
あの戦いの直後、騒ぎを聞きつけて集まり出した野次馬と入れ替わるように百目木たちは猫守社を後にしていた。
どうやら今回の一件の首謀者と思われるあの陰陽師らしき者は、一般人を猫守社に近付けないようにする細工を施していたらしい。
しかし全ての事が終わってあの場所を隔離する必要が無くなれば、細工を維持しておく必要は無い。
どうにか人目に付かぬ内に猫守社から離れた百目木たち、そんな彼らの胸の内には敗北感が押し寄せていた。
「みんな、みんな死んじゃったんだ…」
「"畜生、自分はまたしても父上の仇を…。 自分がもっと強ければ…"」
「タマ、それに葉月も…」
タマの先導でやって来た人気のない駐車場の片隅で、二体のマモノたちが沈痛の表情を浮かべていた。
特に猫守社のマモノたちに世話になっていたタマは、あのマモノたちが全滅したことに強いショックを受けているようだ。
流石にこの状況で名前に拘っている余裕は無いらしく、タマ呼ばわりしても全く反応を示さない。
そして再び父の仇を逃してしまった葉月もまた、自らの不甲斐なさに対する憤りを露わにしている。
「…お前たちは今回の一件に深く関わっているマモノだ。 だから俺は隠し事をせず、正直に話そうと思う」
「始さん…?」
「一連の事件の主犯と思われるマモノ、あの黒い鎧を身に着けたマモノの事を俺は以前から知っていた」
そんなマモノたちの前に近寄った始は、何やら真剣な面持ちで語り始める。
そして始が口に出した衝撃の事実に、百目木たちは心底驚かされることになった。
何とこれまで自分たちが追っていたあの鎧のマモノ、その正体をこの探偵は知っていると言うのだ。
「…それはどういう事よ、始さん? もしかして鎧のマモノの正体を知っていながら、今日まで黙っていたの?」
「否、あれが俺の知るマモノだと解ったのは、ついさっきだ。 直接やりあって、確認することが出来た。
あれは…、あの鎧のマモノは俺の師匠のマモノだった奴だ」
始の師匠が従えていたと言うマモノ、それがあの鎧のマモノの正体であると始は語った。
師匠、どうやら百目木と彼方のマモノ使いの師匠であるこの男も、以前は百目木たちと同じように弟子であったらしい。
此処で百目木は自分の師匠であるこの強面の探偵のことを何も知らないことを知って、愕然することになる。
どうしてこの男はマモノ専門の探偵などをやっているのか、そもそもどうしてマモノ使いに弟子入りをしたのか。
「そ、それじゃあ家を襲った黒幕はあんたの師匠って言うの!! 一体何者なのよ、そいつ…」
「"そいつは何処に居るで有ります!"」
「違う、俺の師匠が犯人の筈は無い。 あの人はもう…」
あの鎧のマモノが始の師匠のマモノであると言うなら、必然的に今回の一連の事件は始の師匠が起こしたに違いない。
マモノたちはすぐさま始を問いただし、その師匠の正体を明かすように詰め寄る。
しかし始は首を振ってマモノたちの予想を否定し、自分の師匠は関係ないことを告げた。
自分の師匠はこの世界に居ない、そう口にした始の悲しげな表情を百目木は忘れることが出来そうに無かった。
自分は怪我を言い訳にしてサッカーから逃げた弱虫であり、そのくせサッカーに未練を持ち続けていた意気地なしである。
そんな百目木を変えてくれたのは、部屋の中で再び喧嘩を再開したマモノの片割れであった。
家族を失ったマモノの子、葉月と共に歩むために百目木はマモノ使いと言う新たな道を進み始めたのだ。
どうやら自分は予想以上に単純な人間だったらしく、今ではあれ程執着していたサッカーの事を余り気にしていないようだ。
今の百目木の頭の中に有ることは謎多き師匠のこと、あの陰陽師たちのこと、そして自分に付いてきた葉月やタマのこと…。
「マモノ使いか…」
マモノ使い、人非ざるマモノを従える者たち。
百目木が踏み込んだマモノの世界はとても深い物であり、今の自分ではとても底が見えない。
マモノの世界に関わっている限り、これからは命すら危ぶまれる危機が百目木に迫るかもしれない。
しかし百目木は今更引く気は無かった、もう自分は二度と逃げたくないのだ。
改めてマモノ使いとしての道を選んだ百目木は、自らの過去と決別するように壁に貼っていたJリーグのポスターを自らの手で剥がすのだった。
マモノ使いの弟子は此処で一旦筆を折ろうと思います。
一応先の展開を考えていたのですが、余り反応がよろしく無いようなので…。
気が向いたら再開するかもしれませんが、暫くは欠番戦闘員の方を優先しようと思います…。
では。




