17. 救援
それは百目木が日課である事務所での修行を終えて、自宅に帰ってきた時の事であった。
時刻は夜の10時を超えており、窓から見える外は闇に覆われている。
百目木は明日に備えてそろそろ寝ようかと考えていた所に、その電話が届いたのだ。
机の上に置かれていた携帯に着信が入り、携帯を手に取った百目木はその着信が公衆電話からの物である事を知って僅かに眉を顰める。
一応は今時の学生である百目木の知り合いは全て携帯電話を所持しており、公衆電話から電話を掛けてくるような者は居ない筈なのだ。
しかし悪戯電話だとしてもわざわざ公衆電話から掛けるとも思えず、百目木は一瞬悩んだ後でとりあえず電話に出てみた。
「電話? この時間に誰から…。 はい…」
「…あ、繋がった!」
「ん、この声…、まさかクレオパトラか!? マモノが電話って…」
「この電話番号を教えたのはあんたでしょう!!」
そして電話を通して飛び込んできた声は、最近百目木がよく耳にする女の声であった。
自らをクレオパトラと名乗るあの猫型のマモノの声だと気付いた百目木は、マモノが電話を掛けてくることに奇妙な感じを覚えていた。
しかし本人が言う通りこの電話番号は緊急の連絡先と言うことで、百目木が自ら自称クレオパトラに教えた物である。
それならば自称クレオパトラから電話が掛かってくるのはある意味で当然であり、百目木の感想の方が間違っていると言えるだろう。
「実はさっき、家の神社の連中から警告があったの…。 暫くの間、神社のある山に近付くなって…」
「はっ、近付くなって…。 そんなことは前にもあったのか?」
「無いわよ、こんなことは初めてよ。 だからもしかして…」
「おいおい、とうとう来たのか…」
自称クレオパトラは明らかに焦った様子で、わざわざ百目木に電話を掛けてきた本題を話し始めた。
その話を聞いた百目木の顔色は一変し、事が動き出したことを理解する。
百目木はすぐさま猫守社の有る街に向かうことを告げて一旦電話を切り、急いで先輩の彼方や師匠の始に対して電話を掛け始めるのだった。
それから数十分後、自称クレオパトラと合流した百目木たちは一路猫守社へと向かっていた。
先頭を掛ける自称クレオパトラは既に本来の姿である猫の状態に戻っており、一切の軽口を叩くことなく駆けていく。
口では猫守社を護るマモノたちのことを信頼していたが、実際に襲撃となると話が別なのだろう。
彼女がマモノとなってかれたの第二の故郷とも言える場所の危機を前に、自称クレオパトラは必死に猫守社へと向かう。
その後方で葉月もまた、自称クレオパトラと同様に鬼気迫るような表情を浮かべていた。
念願の父の仇を打てる機会を前に、逸る気持ちが止まらないのだろう。
「これは…、式紙って奴か!?」
「どうやら連中が現れた事は間違えないな」
山腹に位置する猫守社へ向かうため、長い石段を登り始めた百目木たちは途中で異変に気付いた。
石段のあちこちにちらばる紙切れ、それは人型に切られた和紙が無残に引き裂かれた後である。
百目木たちはこの紙切れに見覚えが有った、式紙、かつて葉月を襲った連中が使役していた人造のマモノ。
式紙たちが居るということは、まず間違えなく此処を襲っているのはあの鎧型のマモノたちであろう。
「式紙の破片は、神社の方まで続いている。 さっさと上に行くぞ」
「はい、師匠!!」
「はぁはぁ…。 も、もうちょっとゆっくりと…」
まるでヘンデルとグレーテルの童話のように、菓子の欠片ならぬ式紙の破片たちが山腹の猫守社まで続いていく。
それはあの鎧のマモノたちの進行ルートを示しており、この先に葉月の仇たちが居るのだ。
恐らく戦場になっているであろう猫守社へ辿り着くため、始は弟子たちに急ぐように命じる。
元体育系の百目木は師匠の言葉に力強く答え、現役帰宅部の彼方は掠れ気味の声でペースを落すように懇願した。
石段を駆け上り猫守社へ辿り着いた百目木たちの目の前に、荒れ果てた神社の光景が広がっていた。
それはかつて襲撃を受けた葉月の神社を思わせる光景であり、その酷い有様に百目木たちは一瞬息を呑む。
鳥居は無残に破壊され、境内に敷き詰められた石段は所々が剥がれてしまっている。
敷地内には式神たちの燃えカスのような破片が転がり、焦げ臭い匂いが周囲に漂っていた。
神社内の建物にもところどころに大穴が空いており、この場所で激しい戦いが繰り広げられた事が容易に想像出来た。
「みんな、大丈夫!!」
「…お、お前は、タマか? 何故、此処に来た、避難しろと言った筈だが…」
「何よこの有様は、この神社のマモノたちは強いんじゃ無かったの!?」
境内の中央付近に転がっていたそれは、虎と見紛うほどの巨大な猫型のマモノであった。
その異様は猫に守られていると伝えられている猫守社に相応しい、守護者としての姿である。
しかしその体は全身が血で染まっており、僅かに身じろぎするその様は半死半生と言うに相応しい状態であった。
死にかけの猫型のマモノの姿に気付いた自称クレオパトラ、否、タマは慌ててそのマモノの傍に駆け寄っていく。
「ねぇ、大丈夫! 他の皆はどうしたの!?」
「…やられた、生き残ったのは私だけのようだ」
「そんな…」
この猫守社には守護者と呼ぶに相応しい、数匹のマモノたちが守っていた。
しかしどうやらその守護者たちは哀れにも守護者たちに返り討ちに逢い、生き残ったこのマモノ以外は既に消滅してしまったようだ。
マモノがその生を終える時、その痕跡は世界に残ること無く消滅してしまう。
式神たちのようにこの世界の物を依代にしているならば兎も角、この神社を守っていたマモノたちの肉体は全て自前の物である。
この生き残ったマモノの話が本当であれば、此処に居た他のマモノたちは全て倒されてしまい消滅したのだろう。
「おい、まだ話せるか」
「おお、あんたか…。 どうやら我々は個々の護りを過信していたようだ。
まさか、猫守様の護りを封じられるとは…」
「此処に鎧をまとったマモノが来たんだな、奴は何処に行った?」
姿こそ違えどその声の響きから、この猫型のマモノが始と直接交渉したこの神社のマモノたちのリーダー格であることは解った。
マモノの方も始の存在に気付いたらしく、何処か申し訳なさそうに始の忠告を無視したことを詫びる。
守護者である自分たちの力を過信し、襲撃の予告を受けながら何ら対策をしていなかった猫守社のマモノたち。
その結果がこの様では弁解など出来る筈も無く、猫型のマモノは穴があったら入りたい気持ちであろう。
しかし猫型のマモノの気持ちなど知ったことでは無い始は、周囲に見当たらないこの襲撃の下手人たちの居場所を尋ねる。
「この神社の奥にある宝物庫、我々が守り続けてきた宝が眠る場所に…。
頼む、あれを守ってくれ! あれを奪われる訳には…」
「おい、場所は解るか」
「うん、多分解る。 付いて来て、」
始の問いに対して猫型のマモノは襲撃者たちの居所を伝え、自分たちの代わりにこの神社に伝わる宝を護るように始に願う。
最初に始の協力を拒みながら今更になって頼るのは虫のいいことであるが、先祖代々この神社で宝を守ってきた彼らとしては自分たちの代で宝を奪われることあったら死んでも死にきれない。
猫守社の守護者であったマモノは、恥を承知で始に対して宝の守護を依頼する。
その依頼に対して始はすぐさま快諾し、タマに案内を要請するのだった。
そこはこの神社を訪れる参拝客はまず寄り付かない、境内の奥まった場所に建てられた小さな建物であった。
この神社の設立時から存在すると思われる木造の小さな社、その扉は無残にも破壊されていた。
タマの案内で始たちがその場所に辿り着いた時には既に時遅く、式神たちを引き連れた鎧のマモノが社から出て来る所であった。
体全てを覆う黒い西洋風の鎧に身を包み、顔もフルフェイスの鎧兜で隠しているマモノは耳障りな金属が擦れ合う音を鳴らしながら歩いている。
そしてよく見れば鎧のマモノは掌で掴める程度の小さな木箱を、大事そうに抱えているでは無いか。
状況的にあれが恐らく社内にあった宝であり、それを無事に回収したマモノたちはこれから意気揚々と帰る所なのだろう。
「…ゴレムス!!」
「■■■■■■■」
宝を守るように依頼されたマモノ専門の探偵、十文字 始は即座に己の相棒であるマモノを呼び寄せる。
主の呼びかけに応えて無から飛び出してきたそれは、全長二メートルもの巨体を持つ鋼の巨人であった。
鋼の巨人ゴレムスは声無き雄叫びを上げるかのように、目に当る部分に設けられたスリットから漏れる光が激しく点滅させていた。
「…ちぃ、思ったより時間を掛けてしまったか」
「鎧のマモノ、まさかな…」
社から出てきた鎧のマモノはすぐさま始とゴレムスの存在に気付き、鎧兜の忌々しげに舌打ちを打つ。
どうやらこのマモノは自分たちを追う探偵の存在を既に把握しており、始たちがこの場に現れる前に全てを終わらせようとしたのだろう。
しかし猫守社のマモノの抵抗によって稼いだ時間は、ギリギリの所で始を間に合わせたようだ。
結果的に鎧のマモノたちにやられてしまった猫守社のマモノたちであったが、どうやら彼らの活躍は決して無駄では無かったらしい。
そしてゴレムスを従える始は初めて直に見る鎧のマモノの姿に、何やら怪訝な表情を浮かべていた。




