16. 襲撃(2)
既に閉店時間を迎えた喫茶店には客は誰も居らず、そこには店の雇われ店主とオーナーの姿しか無かった。
始は店のカウンター席に腰を掛け、通が淹れたコーヒーから湧き出る湯気を見つめたま微動だにしない。
カウンターの前では通が閉店時間後も店に居座る、迷惑なオーナーの姿を睨みつけていた。
「…もう閉店時間よ。 さっさとそれで飲んで、店を出ていきなさい」
「…」
「ちょっと、人の話を聞いてる?」
通は私は怒っていますとばかりに、腰に手を当てながら始にむかって店を出るように言う。
しかし通の言葉など全く耳に入っていないのか、始は全く反応を見せない。
そのあんまりな態度に対して、強硬手段に出ることを考えた通は徐に調理用のフライパンへと手を伸ばそうとする。
「…鎧のマモノ、お前はどう思う?」
「…変な顔をしていると思ったら、そんな事を考えてたの。 あの子の訳無いでしょう、あれがそんな馬鹿な真似をする筈は無いわ」
「そうだよな、鎧を着けてるマモノなんてこの世界に腐るほど居る筈だ。 あいつの訳が…」
フライパンの柄を握りかけた所で飛び込んできた探偵の問いを受けて、通は強硬手段を途中で中断する。
どうやらこの強面の探偵は、葉月の家を襲った西洋風の鎧を纏うマモノの事が気になっているらしい。
この場に居る始と通の共通の知り合いらしいとあるマモノ、それが葉月の家を襲ったそれでは無いかと危惧しているようだ。
しかし始の懸念に対して通は、二人の知り合いであるマモノはそんな真似をする筈は無いと否定する。
「相変わらずあんたは、変な所でウジウジ悩む奴ねー。 此処で考えていても仕方ないでしょう、実際に会ってみれば、すぐに分かることよ」
「それはそうだが…」
「ほら、食器が片付かないでしょう。 いい、食器一つ洗うのも結構大変なんだからね。
百目木くんなんて、最近になって漸く食器を割らずに洗えるようになったくらいで…」
深刻そうな表情を浮かべる始を茶化しながら、通はさっさと食器を開けろと命じる。
この喫茶店の雇われ店主である通には、鎧のマモノのことより目の前の食器の片付けの方が重要らしい。
「…そんなに面倒ならいっその事、食器洗い機でも買えばいいだろう」
「はぁっ!? あんな高価な物、おいそれと買える訳無いでしょう!!」
「何時の時代の話だよ…」
食器洗いの手間に悩む雇われ店主のために、この店のオーナーは食器洗い機の導入と言う現実的な案を出す。
しかしその案を聞いた通は、とんでもないとばかりに拒絶反応を示した。
確かに一昔前ならば食器洗い機を導入するためにはそれなりのコストが掛かったであろうが、今は時代が違う。
どうやら通は今時の食器洗い機は、安いものなら数万程度の価格で購入できる事を知らないらしい。
この昭和風のレトロな店内と同じように、相変わらず頭の中が昭和辺りで止まっている雇われ店主の様子に始は疲れたように溜め息を吐いた。
"猫守社"の守りの詳細については、"猫守社"の守護者であるマモノたちも解っていない。
しかしマモノたちは感覚として、この地を覆っている護りを認識することが出来ていた。
伝承によればこの守りは、この猫守者が設立された時に当時の術者によって張られたらしい。
敵意の有る存在を排除すると言う強力な守りの力により、この地に眠る宝は守られているのだ。
一部の例外を除いてマモノには普通の生物と同じように寿命が存在し、それ故に猫守社のマモノたちは遠い祖先の代から脈々とこの地を守護していた。
そして守護者であるマモノたちと寄り添うように、猫守社の守りも今日まで決して途絶えることは無かった。
今日まで…。
「なっ!?」
「おい、これは…」
それは猫守社のマモノたちに取っては、驚天動地の出来事であった。
この地に住まうマモノたちが日常的に感じていた猫守社の守り、それが一瞬の内に跡形もなく消えてしまったのだ。
思わぬ喪失の感覚に守護者であるマモノたちは、見るかに狼狽してしまう。
「っ!? 警戒しろっ、敵が来るぞ!!」
「お、おう!!」
「例え守りが無くとも、この地は我々が守る!!」
今日まで一日たりとも途絶えたことの無い守りが途絶えたのだ、これは只事である筈は無い。
マモノたちの脳裏には自然と、あの探偵が行っていたこの地に眠る宝を狙うマモノたちの存在が頭に浮かぶ。
すぐに状況を理解したマモノたちは、神社内に隣接して建てられた住居から慌てて飛び出していく。
その姿は既に人の姿では無く、彼らのマモノとしての真の姿となっていた。
縁という物は、マモノを語る上で非常に重要な要素である。
例えば百目木と言う人間と葉月と言うマモノは、寝食を共にすることにより互いの縁を深めた。
この縁があったからこそ、この主従は簡易的な術式だけでパスを繋げる事が出来たのである。
そして猫守社と言う場所から日々の生気を供給しているマモノ、タマもまた猫守社と縁が深いマモノであると言えよう。
「"この地に住まうマモノたちよ、暫くの間、猫守社へ立ち寄ることは禁じる"」
「"えっ、何よ、これは…"」
それは縁と言う目に見えない繋がりを利用した、一種の通信であった。
タマのように猫守社に世話になっているマモノたちに伝えられたメッセージ、それは明らかな警告である。
どうやら猫守社の守りが消えたと言う異常事態に対して、あの地を守っているマモノたちは他のマモノを巻き込まないように配慮をしたらしい。
聞き覚えの有る声がいきなり頭に飛び込んできたタマは、今日の寝床であった車の下から慌てて飛び出した。
突然の警告にタマは一瞬固まってしまうが、やがてその意味を理解した彼女の脳裏に百目木たちの存在が思い出される。
恐らく彼らが言っていた敵、猫守社に眠っていると言う宝を狙うマモノが現れたのだ。
「"…念には念を入れた方がいいわよね"」
この地に住まうマモノとして、タマは猫守社を守護するマモノたちのことを何だかんだで信頼していた。
警告通りに猫守社に近づかないようにすれば、後は猫守社のマモノたちが敵を追い払ってくれるだろう。
しかし猫守社のマモノたちを信頼しているにも関わらず、どういう訳かタマは嫌な予感を拭えずにいた。
何か悪い事が起きるのでは無いか、それは理屈とは関係無い直感のような物だった。
そしてある決意を固めたタマは次の瞬間に人の姿となり、街中へと走っていった。
守りを失った猫守社は戦場となっていた。
和紙を人型に切り取った薄っぺらい紙人形たちが、指の無い平べったい手足を動かしながら行進する。
かつて葉月の神社を襲った式神たちが、まるで湧いてくるかのように次々と猫守社に現れたのだ。
最早、式神たちを阻む守りは猫守社に存在せず、式神の大群は悠々と石段を神社へ侵攻してくる。
「シャァァァァッ!!」
「貴様ら如き紙切れが、此処を落とせると思うな!!」
しかし式神たちの侵攻は、この地を守るマモノたちによって水際で防がれていた。
既に本来の姿となった守護者のマモノたち、それは猫守社に相応しい猫型のマモノたちであった。
まるで虎と見紛うほどに巨大な猫のマモノたちは、手に備えた鋭い爪を使って式神たちを切り裂いてく。
例え猫守社の守りが無くとも、この地には自分たちが居るとばかりに猫守社のマモノたちは式神を次々に倒していった。
式神一体一体の実力は大したことは無く、猫守社のマモノたちは赤子の手をひねるかのように次々と倒していった。
しかし如何せん相手の数は膨大であり、数に圧された猫守社のマモノたちは後退を余儀なくされていく。
神社へと通ずる石段を最前線としていた筈が、何時の間にか神社の境内にまで下がってしまった。
「ちぃ、切りが無い! 此処なら山火事の心配も無かろう、全て燃やし尽くしてくれる!!」
「建物まで巻き込んでくれるなよ!!」
無尽蔵とも言えるほどに現れる式神たちを、一体一相手をしては切りが無いと判断したのだろう。
猫守社のマモノたちは爪や牙を使用した戦闘を止め、新たな戦法に切り替えていく。
次の瞬間、猫守社のマモノたちの周囲に青白い炎が次々に浮かび上がったでは無いか。
その炎はまるで意思を持っているかのように次々に式神たちへと襲いかかり、その燃えやすいであろう紙の体を容赦なく燃やしていった。
「ふん、この調子で残りの紙切れ共も全部焼いてやろう」
「山火事だけは気をつけろ」
鬼火、それは人間や動物から生じた怨霊が炎となって現れた物と伝えられている。
この地を守る猫型のマモノたち、その遠い祖先は恐らく現代に伝えられてる妖怪変化のモデルと言える存在だったろう。
そしてこの猫型のマモノたちが操る炎もまた、鬼火として伝えられている物の由来であるかもしれない。
猫型のマモノたちが放った炎、それは所詮は紙でしか無い式神たちに取っては天敵と言えた。
この地を守るマモノとして周囲を木々で覆われた石段では使うことが出来なかった手段であるが、広い境内であれば気をつければ問題ないだろう。
マモノたちの放つ炎によって式神たちは次々に燃やし尽くされ、式神たちの侵攻は神社の入り口で防がれていた。
「…ふん、式神共ではこれが限界か」
「鎧のマモノ!? 貴様が今回の襲撃の下手人か!!」
最早、式神たちだけではどうにもならないと判断したのだろう。
満を持して石段を昇り、境内へ姿を現したのはあの鎧のマモノであった。
全身を覆う黒い西洋風の鎧、そして顔全体を覆うフルフェイスの鎧兜。
その姿はあの探偵が語っていたマモノの特徴と一致しており、猫守社のマモノたちは半ば確信を持って鎧のマモノを問いただす。
対する鎧のマモノは言葉の代わりに、腰に佩いた剣を抜くと言う態度で此方の敵意を明確にする。
次の瞬間、鎧のマモノと猫型のマモノたちの死闘が幕を開けた。




