Fünfzehn.フライハイト本土北方沖海戦2
「美しい船だ……」
ダルラン大将は、超大型輸送艦を前方へ逃がし、舵を切って側面を見せた超大型戦艦の姿を双眼鏡越しに眺め続けていた。その果てに漏らした言葉がそれである。しかし、コンケートでは忌避される敵への賞賛とも受け取られかねないその言葉を責める者は、誰一人として存在していなかった。
その戦艦は、美しいのだ。
滑らかな曲線を描く艦首や、堂々と聳え立つ檣楼や、控えめな後部檣楼や、それらの間にある巨大な障壁展開装置や、四つの巨大な砲塔や、スッと絞られた艦尾や――それこそ美しい箇所を挙げればキリがないと思えるほど、その戦艦は美しかった。
決して芸術的な美しさがある訳ではない。しかし美的センスを疑うような物でもない。唯々実用性のみを突き詰めたような、武骨さの中に輝く美しさという物が見えたのだ。
「オラージュなどよりも余程美しい……その上であの大きさだ。フライハイトでは大人気だろうな」
「人は大きく美しい物に惹かれますからね……それよりもダルラン大将、霧の中から仕掛けなくてもよろしかったのですか?」
「馬鹿を言うな。そんな事をすれば、此方が狙い撃ちにされる」
八回の敗北を経て、コンケートも幾らかの情報を得たり予想を立てたりしている。例えば対障壁砲弾の存在や、水面下を走る槍の存在、一般的な魔導機関とは違う機関の存在などだ。
その中でも、『小型艦でも艦載可能な通信装置』の存在の存在はほぼ確実視されていた。どんなに辺境の島を攻撃しても、たった一隻の警備艇に発見されただけでも、暫く経てば必ずフライハイトの艦隊が姿を現したからだ。
そしてダルラン大将は、『何らかの手法による非視覚的な周辺探知方法』の存在も確実視していた。そうでなければ、水平線の向こう側や新月の夜間に正確無比な攻撃を叩き込める訳がないのだ。
コンケートにそのような技術はない。音声通信装置は駆逐艦以上の大きさでなければ搭載出来ず、一番近い同装置にしか接続出来ない。視覚に頼らない探知装置は、明らかに正確性に欠けている魔力観測機程度しかない。
それらの技術でも、フライハイトはコンケートの遥か先を行っている。そしてコンケートは、それに追い付く為の糸口すらも掴めていない。精々が対障壁砲弾の開発に成功した程度であろう。
「敵の土俵では決して戦わず、此方の土俵に持ち込んで戦う。基本中の基本だよ」
「確かにそうですが……本当に非視覚的な探知装置など、あるのでしょうか?」
クールナン大佐はダルラン大将とは違い、探知装置の存在に否定的であった。現在の魔導技術から考えてもそのような物は到底開発出来ない上に、フライハイトの艦隊も、霧の中では此方に気付いた素振りすら見せなかったからだ。
実際には魔導レーダーという探知装置が異世界よりもたらされた『波』という概念によって完成していたが、フライハイトの新兵達のヒューマンエラーによって気付かれていなかっただけである……が、それに気付けと言うのも酷であろう。
しかしダルラン大将は、クールナン大佐の言葉に首を横に振る。
「いや、あると考えるべきだ。奴らの砲撃命中率が高すぎる。測距義に頼っている訳ではなかろう」
ダルラン大将が非視覚的探知装置の存在を信じるのにはそこに根があった。提出された報告書に書かれていたフライハイト艦隊の砲撃命中率が、ある時期からそれ以前と比べて異様に高くなっていたのだ。
勿論、乗員の成長や新型測距義のような物が開発された事も考えたが、視界が大分狭まる雨の中でも至近弾を連発して来るのだ。まるでそこに居る事が分かっているかの如く、正確な射撃が飛んで来るのだ。
報告書に記されたデータと、各艦隊に忍び込ませている自らの息が掛かった者による報告、そしてダルラン大将自身の勘――それらが全て、非視覚的探知装置の存在を肯定している。
「それがあるとしたならば、霧の中で戦うのは愚策だ。有視界で敵の攻撃を分散させた方が良い」
「しかしそれでは、今までに散って行った艦隊と同じ結果になるのでは」
「ならんよ。奥の手もある」
クールナン大佐の不安を一言で切って捨てたダルラン大将は、双眼鏡から目を離すと海上に響き渡らんばかりの声を張り上げた。
「障壁展開、舵を切れィッ! 隣にぶつからなければ右でも左でも構わん、ジグザグに進むのだァッ!!」
ジグザグ航法。文字通り、右に左に舵を切ってジグザグに航行する航法である。実にシンプルで、移動に使うにはあまりにも効率が悪い航法。しかし、砲撃や水中を走る槍に対しては確実に有効な航法であった。
砲弾は魔導によって砲から放たれ、空中を経由して着弾し、被害をもたらす。槍もまた同じく、筒から放たれて水柱を経由し、被害をもたらす。どちらも着弾するまでに数秒から数十秒の時間を要する為、撃つ側は移動目標に対して攻撃する場合、その時間の間に移動する距離や方向を見越した射撃をしなければならず、撃たれる側はその時間の間に速度や移動方向を変化させれば回避する事が出来る。
それならば、常に自身の速度や移動方向を変え続ければ、敵は狙いを付ける事は出来なくなる。予測した未来位置に着弾する砲弾から逃れ、確実に敵との距離を縮める事が出来る。
勿論、それは言うほど簡単な事ではない。船という巨大な構造物の速度や方向を変化させるには時間が必要であり、敵の砲弾も様々な事象の影響を受けて着弾点を変化させる。距離を詰めれば詰めるほど猶予時間も少なくなり、回避はより難しくなる。
しかし、辿り着く可能性は決してゼロではない。
「ぶつかれば此方の物だ、遠くから笑っている奴らに、我らの力を見せつけてやれィッ!!」
故にダルラン大将は声を張り上げる。手繰り寄せた細い糸の先にある勝利を掴む為に。鬱陶しい上層部の鼻を明かしてやる為に。己を慕う部下達に栄光を見せる為に。
――あの巨大な艦体を見た時から収まらぬ恐怖から逃れる為に。
その内心を知らぬ兵達もまた、雄叫びを上げて自らを鼓舞する。敬愛する大将が導く勝利の為に。あると信じて止まぬ栄光を掴む為に。
彼らは命令の直後に発射された敵の砲弾が障壁を貫き艦橋前に直撃するまで、勇ましい叫びを上げ続けた。