Dreizehn.緊急事態
黄昏歴1675年 05月10日
中央洋南部 フライハイト本土北方800キロ
とうとう一ヵ月間の慣熟航海を終えた僕達は、母港であるノルデンハーフェンを目指して南下しつつある。ひたすらに訓練を続けただけあって乗組員達の動きも大分良くなっていて、指示の伝達もそれからの行動もスムーズだ。
……ただ、流石にこの状況では普段通りに動く事は出来ないのか、多少動きが硬くなっている。訓練でもこんな状況を想定した物はなかったし、仕方のない事ではあるんだけど。
「後続艦、ちゃんと付いて来てるのか?」
「シュタールレーゲン、確認出来ています。異状報告もありません」
何故ただの航海の時にこんな確認をしなければならないのかというと、この海域を濃い霧が覆っている所為で視界が塞がれているからだ。今は探照灯を点灯させて互いの位置を示しているけど、それでも細やかな確認は欠かせない。
ぶっちゃけ魔導レーダーを起動すれば一発で事は解決するんだけど、これも訓練という事で起動させていない。この世界には年中濃い霧に覆われている海域とかもあるらしいし、今の内に慣れておいた方が良いって事で。
ただ、例外という物もある。
「オルカーンより通信。進路そのまま」
「了解、進路そのまま」
この艦隊の最重要機密にして、最も重要な戦力であるオルカーンとヴィルベルヴィントには魔導レーダーを起動させ、周辺の警戒と嚮導を任せている。この二艦には周辺の航空機の管制を行う為に高性能な魔導レーダーを積んでいるので、問題は起こらない筈だ。
心配事が挙げるとするなら僕自身が魔導レーダーを確認出来ない事だけど、流石に島を見落としたりはしないでしょう。まさかこんな所に敵が来る事もあるまいし。
そんな訳で、霧中ではあるものの順調に航海を続けている最中、艦長のマンシュタイン少尉が提案をして来た。
「提督。海は凪いでいますし、艦隊の速度を上げませんか?」
「ん? 何で上げる必要が?」
「……何か嫌な予感がするのです。早急にこの霧の中を抜けた方が良いと思われます」
おや、結構合理的な思考をするマンシュタイン少尉が勘を元に発言するとは珍しい。どれほどの嫌な予感がしているのだろうか。
それはさておき、艦隊行動には比較的余裕がありそうだし、速度を上げても特に問題は無いだろう。それに、早くノルデンハーフェンに着けば休める時間も増える。今から速度を上げれば、上陸の時間も捻り出せるかな。
「わかった、採用しよう」
「ありがとうございます。航海長、巡速から第一戦速まで増速。庶務長は全艦に通達」
「了解。巡速から第一戦速まで増速します」
ラムブレヒト少尉が計器を操作し、クレンク少尉が後続の艦に増速するように通達する。任せておいても大丈夫そうだし、一旦部屋に戻って報告書の作成でもして来ようかな。
「艦長、暫く任せる。異状があったら部屋に連絡を入れてくれ」
「了解しました」
マンシュタイン少尉に指揮を任せ、僕の巣である提督室へと向かう。訓練中ではないからか手空きの乗組員が多く、通路で何度も敬礼をされた。
ヴェンデルスで散々に弄られていたせいか、未だに違和感が抜けない。みんな、内地のお偉いさんがいなければ自由時間でそんなに硬くならなくてもいいのよ。
そんな事を思いながら辿り着いた提督室で、数少ない書類作成経験者が大体纏めてくれた、今回の慣熟航行や演習に関する報告書の仕上げをする。部下の昇進や今後の兵器開発、果ては戦略戦術にまで影響する大切な報告書だ。抜けがないか、ミスがないか徹底的にチェックする必要がある。
それが終われば、今度は要望書の作成。今回の慣熟航行で得られた最新兵器の情報やその他を元に、必要と思われる事柄を挙げて行く。
とりあえず、各艦の艦長や艦橋要員の昇進は早めにしてもらわないと。能力的には全員問題ないどころかかなり有能だから、功績さえあればすぐに認めてもらえると思う。
それと、オルカーン級に積んであるシュヴァルベ用の武装から魚雷を減らして、代わりにロケットと爆弾を増やしてもらおう。わざわざ速度を落として低空雷撃するよりも、高速のまま打撃を与えた方がよっぽど良い。
その他にも細々とした物を纏め、要望書は完成。パイプに香草を詰めて一服しながら時計を見ると、短針が右斜め下を指していた。艦橋を出たのが昼過ぎくらいだったから、かれこれ四時間は書類と格闘していたのか。
「さて、そろそろ戻って様子を見るかな」
慣熟航行を終えたとはいえ、彼らはまだ卒業したての新米乗組員だ。目を離した隙に致命的なミスでもやらかされたら堪った物じゃない。
まぁでも、マンシュタイン少尉が見ているなら問題はない。センスは僕の数段上を行っているし、彼女が嫌いだからと命令を無視するような行動を取る乗組員もいない。まだ経験不足な所はあるけど、普通に航行している時にヘマをやらかしたりはしないだろう。
……そんなフラグ臭い事を考えていたからか、今鳴りはじめた呼び出しアラームの音が死神の呼び声に聞こえてならない。
「……何があった」
《提督、緊急事態です! ヴィルベルヴィントのレーダーが、艦隊を追尾するコンケートの艦隊を捕捉しました。距離は最後方艦から二十二キロ!》
「は? 何故そこまでの接近を許した!?」
《レーダー観測員が見落としていたようです……申し訳ありません》
後方中二十二キロとかもう目前じゃないか! 今から艦列を整えても、アウトレンジを保って攻撃するには間に合わないぞ……畜生、何でこんな所に来るんだ。
「総員に第一種戦闘配置を命令! 魔導レーダー起動、進路そのまま、機動部隊は最大戦速で離脱、防空艦隊はその護衛! 他の艦は第三戦速で第二縦列陣形を組み、迎撃態勢を整えるように通達!」
《了解しました、提督!》
通信を終え、軍帽を掴んで艦橋へ走る。アラームが鳴り響く艦内では乗組員達が慌ただしく走り回っていて、初めての本格的な戦闘への緊張で僕に敬礼をする暇もないようだ。
そんな慌ただしい艦内の空気とは対照的に、艦橋の空気は緊迫した硬い物だった。戦闘の大まかな指揮を執るアイヒンガー少尉が怒号に近い声で妙な指示を下し、クレンク少尉が間断なく届く僚艦からの通信の対応に半泣きになっている。
比較的余裕のあるラムブレヒト少尉とマンシュタイン少尉がフォローしているから何とかなっているものの、まるで焼け石に水だ。これでは艦を統率する事など夢のまた夢だ。
「いい加減にしなさいッ!」
「あァッ!?」
加えて僕が飛び込んだ瞬間、堪忍袋の緒が切れたマンシュタイン少尉がアイヒンガー少尉に対して怒鳴り、アイヒンガー少尉もそれに怒鳴り声で返す。いよいよ殺伐とし始めた空気の中、クレンク少尉が遂に泣き出してしまった。
……時々忘れそうになるけど、彼らはまだ戦争を経験していないんだ。ラジオのニュースで戦況を聞いても、士官学校で軍人としての在り方を学んでも、厳しい訓練を乗り越えても、それは何処か遠い場所の事でしかなかった。
それが今日、突然破られた。それもこの艦隊の強みである遠距離戦闘が出来ない距離まで接近された状態で、突然に。エリートだからこそ理解出来てしまうこの不利な状況が、彼らの混乱に拍車を掛けてしまっているんじゃなかろうか。
……だとしたら、実戦経験者で艦隊司令である僕のやるべき事は一つ――
「――総員、傾注ッ!!!」