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岩にせかるる  作者:
14/15

結い合うとき

周と、その背にぴったり張り付いて隠れる鼎は、杉に囲まれる参道の先の開けた場所に足を踏み入れました。父 文武と黒幕らが、神域の陵墓と人域を区切る鳥居の向こうに姿を移した少し後のことです。今し方二人の頭上を通り過ぎていった大神は鳥居の前にあり、その足下には三つ叉の尾裂狐おさきと長鼻の大天狗が平伏ひれふして、微風に吹かれた式神がそこら中に散っていました。

すでに事の真相は鳥居の向こうで文武に告げられました。百舌を蘇らせた黒幕はやはり旧宮家の某家某殿。さらに斎木梛家とも同等の霊力を今に伝える者たちが力を貸していました。鼎の魂をこの陵に吸い寄せ続けてきたのが、ほぼ完成の域に達した反魂の術を扱う望南もなん家、無地の式神を用いて神霊をも使役する西表いりおもて家、国難とも言える祟りを幾度も引き起こしてきた三つ叉の尾裂狐おさき、長鼻の大天狗を鎮める北穣ほくじょう家と国東くにさき家です。

四方家と総称される彼らと文武が対峙したとき、鳥居の上で高みの見物をする百舌はぐつぐつとする笑いが止まりませんでした。あの手強い仇敵を、ありったけの知略を駆使してこの窮地に誘い寄せて、勝利を確信してのそれです。

この邪悪な怨霊を蘇らせた黒幕らは、典範の改正を働きかける、という身勝手な欲得とは違った理由で事を始めたようですが、どんな願望でも怨霊の力を借りて穏便に運んだ例はありません。その願いを尊いと思えば思うほど、付け入られやすいのです。百舌が不穏な動きを見せるなら、尾裂狐や大天狗という些か強力すぎる神霊で抑え込む手筈だったらしく、御しきれる確信はあったそうです。古来そういう慢心が、祟りを招いてきたと知らないわけはなかったでしょうに。並程度とはいえ数百年を生きた怨霊です。たかだか50ばかりの小僧に付け入るぐらいは造作もないことでした。

百舌は黒幕らが満足するように事を進めつつ、彼らの盲点を突きました。指折りに強力な霊力を受け継ぐ彼らも、しょせん俗世の駆け引きには疎いのです。瞬く間にできあがった一団を制御できなくなり、ついには12月24日の事件に繋がりました。取り返しのつかない過ちを一度でも犯してしまえば、あとはその過ちを隠すために過ちを重ねるのが人の性です。冷静に考えれば騙されっこない見え透いた言葉に踊らされていったのでした。典範改正の方針を御霊ごりょうに伺うには、古く深いところの霊魂とも交信できる斎木梛 鼎が必要、正確な位置はかつて御霊を鎮めた斎木梛 岐山しか知らないと唆して、文武の周りから少しずつ人を削り取ろうという魂胆でした。女生徒の中に潜り込んで鼎を釣り出すのには成功しましたが、周の中に潜んだ一件で失敗してとうとう露見したのが今日この日です。

それでも優勢は動かないと思っていました。殺傷禁断の陵墓ではまともな抵抗はできないでしょうし、できたとしても、事の露見を極度に恐れる四方家はもはや百舌に操られる木偶人形も同然で、この両者を咬み合わせて消耗したところを、

「きゃつの肉も霊も魂も儂が頂く」

そういう目論見でした。

ところが、金と銀の粉をまとった純白の大神がこの地に降り立ったことで状況は一変したのです。今まさに文武に襲いかかろうとした式神は微風に流されて散乱し、祟れば国を傾け、そして滅ぼしてきた尾裂狐と大天狗も使令をまったく受け付けません。怨霊の百舌では一目散に逃げ出して隠れるのが精一杯でした。あと一息で成就したであろう目論見が破算したかと思いきや、眼下には大神の存在感に気取られる斎木梛

周と鼎の無防備な姿があるではありませんか……!

事の真相を聞き終えた文武とその父 岐山はため息をつきました。語り終えた旧宮家と四方家は、真相を打ち明ける機会は何度もあったのに、今になるまでできなかったことなど含めて、すまない、すまないと詫び続けています。

「今日までのことはともかく、これからのことを頼みます」

それが遺言であることを誰もが察しました。皇祖神である大神は配慮して皇孫の神域に押し入ろうとはしませんが、約し事を破った文武の命は、この鳥居から一歩でも出た瞬間に失われる定めなのです。手紙は遺してきています。彼らも心の底から非を悔いています。文武は鳥居まで歩んで、すぐ前にいる大神と目を合わせようとしました。目線をそのように動す中で周と鼎の存在に気がついたのです。真上から襲いかかろうとする百舌にも。

「周! 上だ!」

遅かったでしょう。きっと声が届く最中に襲われていました。気付いていたからこそ避けられたのです。悔しく舌打ちする百舌に、

「街じゃないんだから、怨霊の気配ぐらいずっと前から気付いてたよ」周は倒れ込んだ拍子に浴びた土埃を払い落としながら余裕たっぷりに言いました。「でもね、僕もお前も父さんを大神に連れられたくないと思ってる。小競り合いなんてしたって無駄だと思わない?」

「如何にもだが、相手が大神では痛仕方ない。儂の手で葬ることができんのは悔しいが、せめて倅と娘のお前たちで溜飲を下げようと思っているかもしれんぞ」

「ふふっ。そこまで聞き分けのいい奴が蘇ってまで怨霊のままのわけがないよ。父さんから聞いてたけど、やっぱりお前は失言が多いね」

「く。くくく。なるほど、血は争えんとはやはり本当のようだな」

どうやら百舌は邪魔者を排除していく順番を誤ったことを悟ったようです。暴力とはまったく縁がなく物腰も丁寧なのに、周の内面は若い頃の文武にそっくりなのです。賢く、二度と同じ過ちを犯さず、目的のためには手段を選ばず、仇敵とも手を組むのを厭わない。数ヶ月前に息の根を止めて、今もこの周の背中で怯えているばかりの女子供よりも遙かに手強く、真っ先に抹殺しておくべき対手だったのでした。

「く。く。若いというのはまったく。よかろう。だが行ってどうする。大神を払おうとでもいうのか」

「そんなことはできない。ただ願うだけだよ」

留守番の言いつけを破って勝手に来てしまって父さんに叱られるだろうか、そんな他愛のないことを思いながら周は鳥居の方へ歩いていきました。大神の脇を通った鳥居のすぐそばに、困惑しながらもどこか嬉しそうな父の姿があります。

「父さんっ、どうしてこんな無茶をしたんです!」

周は生まれて初めて父に向かって声を荒げました。でも、その表情にあるのは怒りではありません。僕はもうこれ以上どんな寂しさも悲しみも受け入れられないのにどうして、そう言っているのです。鼎を喪って以来、泣けないで癒されないままの、ずたずたに裂かれた心が表情かおに出ているのです。

「おとうさん、いっしょにかえろう。きょうはね、おかあさんがえほんよんでくれたの。あたし、またみんなでうみいきたいな」

鼎もこう言います。できるのなら、文武だってそうしたいでしょう。

でも、それはきっと無理と思われました。天照大神は太陽の神さまです。誰であっても陽の光から身を隠し続けることはできません。そしてきっと、肉だけでなく霊も魂も連れ去られてしまって、二度とは会えません。

「もう二人とも子供ではなかったんだね。すまない、母さんを頼む」

このたどたどしく喋る幼い鼎と比べると、周と鼎がどれだけ立派に育っていたのか、十分によくわかりました。最期に二人の顔を見れてよかった。文武は二人の肩を抱き締めて、それでもたくさんの悔いを残してゆこうとします。

「待って、父さん」

そういう男を引き留めるには大きな勇気がいります。

「大神に願います。少しだけ時間を下さい」

「願うといっても、お前」

「鼎と一緒に願います。僕ら二人でなら、今みたいに大神が形を象ってるなら、できるかもしれないんです」

「……わたしはお前たち二人に、ごく当たり前の一生を送ってほしいと願っていた」

「文武、何度も言うが、斎木梛の家に生まれた者はどうあってもふつうには過ごせんのだ。儀式の担い手は引き継がれてゆかねばならん。それに、こんな目に遭った上に、さらにお前がこのままいってしまえば、この子らはますます当たり前の道から逸れてしまうぞ」お爺さんは周の意見を尊重するようでした。

式神も狐も狗も扱わない斎木梛家は、この世に留めた先祖の霊魂を用いて、生まれ持ちの霊力や身体能力を強化する家系です。それは代々、親から子、兄姉と弟妹といった近親の間で引き継がれてきました。斎木梛

岐山のように寿命の果てに霊魂となって文武に力を与えているのはむしろ珍しく、大抵は誰かを犠牲にしてきたのです。今ここで文武が大神に連れ去られれば、周と組めるのは祖父か双子の妹だけ。しかし、祖父

岐山はすでに老いて血もやや離れています。逆に、妹の鼎とでは血が近すぎて、ただでも強力な双子の霊力がより一層強化されてしまうのです。文武は日々それを危ぶんでいて、周も承知していました。12月29日のあの日、周がとっさに鼎を口寄せてしまったことは相当に深刻な事態だったのです。それは周と鼎の二人がう前段階のようなもので、あとはもう早いか遅いかでしかなく、その機会は絶体絶命の父を助ける今をおいて他にないでしょう。

鼎の魂は陵墓の中から感じられます。そこに届くように声を、妹の名を呼べば、ついに鼎は戻ります。

「ーーかなえ」


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