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岩にせかるる  作者:
11/15

怨霊

いきなり肩と首に手を回されて、強く深く胸に抱き込まれる格好で庇われた女生徒は、顔を真っ赤にしたままかちこちに緊張してしまって、乗り換えの日置南駅より先まで送ろうとする好意をしどろもどろに断って逃げるように行ってしまいました。あらら、動揺と有頂天が混じりあってるからICカードをかざし忘れて、改札機に閉じこめられちゃってます。そんな地に足が着かない姿を見送った周は日置南駅をバス乗り場まで歩こうとします。

「あまね」鼎が改まったように呼びます。

「なに?」

「あまねは……どうして泣かないの? あたし、あまねが泣いてるところをまだ見てない」

「ーーうん」

大きく決意して核心を突くような問いに、周の足は止まっていました。

「いつも布団の中で丸くなって、涙も声も押し殺してる……あたしだって、悲しんでるのを見るのは嫌、でも、苦しんでるのなんてもっと嫌だよ」

どうやら女生徒に語られた新たな魂のかけらが取り戻されたようでした。ついさっきまで天真爛漫な女の子のようだった鼎の面影は急に成長したようになって、凛々しく真っ正面から人と接する鼎が現れました。あの女生徒には、鼎と少し揉めたときこんな風に迫られた思い出があったのでしょう。

「泣きたいなら泣いてよ、周。悲しく思ってくれるなら無理なんてしないでよ」

「いやだ」

「泣いてよ、周」

「いやだ。かなえが見てるから、いやだっ」

「……っ、あ、周のばかっ! もう、わけわかんないっ」

鼎に失望された周の顔は、どうしてか少しだけ明るさを取り戻しました。そうです、今のように強情を張り合うような関係こそが、事件直前までのこの双子によく見られたいつもの姿なのでした。

「先帰る。あのことはおじいちゃんに相談するから」

鼎の霊魂は消えるようにいなくなりました。

三月もの間、ほとんど傍を離れなかった鼎がいなくなった直後に周が事故に遭ったのは偶然ではないでしょう。

日置南駅を出てバス乗り場まで20メートル足らずの距離で、たったひとつしかない横断歩道でそれは起きたのです。周は、信号が青になったのを確認してから渡ったのに、車はそのままの速度で突っ込んできたのです。遠くでそれを見ている人は、止まれない、避けられない、当たってしまうと直感して、すぐにも目に映るであろう悲惨な場面を想像して瞼を閉じたり、顔を背けたりしました。

周が車に気付く僅かな間にもうそこまで迫っていました。目を動かして信号の色を確かめることくらいしかできません。青信号の点滅がやけに間延びしているように感じられます。もう10センチもありません。すぐにもとてつもない衝撃が襲うでしょう。この前方からの危機に気を取られた周の意識と体の自由は、襟を思い切り引っ張られたかのように真後ろから引き剥がされてしまいました。

事故の報せを受けた文武が救急病院に急行してみると、意外にも両足の精密検査の結果を残す他はまったく無傷ということでした。車にはねられた、という通報も、周が衝突の直前にボンネットに飛び乗ってさらに宙返りした光景を、当たり前に解釈したもので悪気があったわけではなかったようです。運転手の方も、長女が年末に失踪して未だに手がかりのひとつもない斎木梛家の長男を襲ったわけですから、関連を疑われてかなり厳重な取り調べを受けているらしいのですが、気を取られてしまった、と繰り返すだけなのだそうです。

それでも、文武には事件の様相が少しだけ見えてきたように思えました。真横から突っ込んでくる車に飛び乗るなんて人間離れした芸当は、鼎かあのお爺さんほどの強力な霊力を借りて反射神経と運動神経を強化して怨霊と対抗してきた斎木梛家代々の能力がなければ到底できないでしょう。巷に漂う微少の霊力をかき集めても、自転車に数回足を着いただけで乗れるようになるのがせいぜいです。しかし、2人は事故当時、周の傍にはいませんでした。となれば、脅威を与えて強烈な圧迫を強いた隙に何者かが憑いたと考えられるのです。

文武には心当たりがありました。その手口を得意とし、かつて自分が払ったはずの怨霊がいたのです。

斎木梛屋敷の前で周と車を降りた文武は、

百舌もず!」

と大きな声で強く口寄せました。すると、苦しみ始めた周の口から黒煙のようなものが吐き出されて、それは次第に形を象ります。鼎の霊体が象られたときのようですが、現れたのは、打ち捨てられたまま腐り始めた巨大な鳥の死骸のような怨霊だったのです。多少とも霊感のある者がこの場にいれば、それから漏れ出ている凶々しい雰囲気に押されて、逃げようとするでしょう。

「く。くくく、さすがは文武。ぬしのせがれに潜んで忍び込もうと画したが、こうも早くに気づかれるとは」深い恨みを抱く者が井戸の底から絞り出しているかのような声が風に乗り、辺りの木々をざざざ、と喚かせます。

「性懲りもなく蘇ったか、百舌!」

「蘇りもしようぞ、ぬしの仕打ちを思えばな」

「鼎を襲ったのもお前の仕業だな」

「いかにも」

「な、か、かなえを、お前が!?」

怨霊を吐き出してやっと正気づいた周にきっと睨み付けられた百舌は、ぐつぐつと笑っただけでした。

「あの娘だけでは済まさぬ。次はこの倅を襲ったが口惜しくも今回はしくじったわ」

「答えろ! お前がかなえを殺したのか!」

「周! 屋敷に入れ、今のお前には何もできん」

「でも、父さん」

「くく、くくく。儂も今宵は挨拶だけにしよう。霊脈の真上で斎木梛の者どもとやりあう気はないのでな」

こう言うと、百舌のからだは千々に裂けてひとつひとつが羽音を出し、蚊柱のようなそれが遙か彼方に飛び去ってゆきました。

「待てっ、かなえを返せ! かなえを、返せっ!」

周の叫びは無情にもその空に消え失せるだけだったのです。


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