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「こんにちは」


 そう言うなり、投げつけるようにして硬貨を放ってきた女に、ニックはにやりと笑って「これはどうも」とその硬貨を受け取った。

 受け取ったというよりは、投げつけられたものを受け止めた――と言った方が正しかったかもしれないが。


「やっぱり返しにきたか。――くそ真面目だよなァ、お前も」

「そのつもりだったのでしょう?」

「まあな」


 何てことも無さそうにそう口にして、青年は投げられたコインを指先で宙に弾いて遊んでいる。

 青年が弾いて遊んでいるのは、先日、クルクに残された「釣り銭」だ。

 それを叩き返す為にクルクは今日、この真っ昼間から酒場にいる。

 本来ならばこんな行いなどしたくはないのだが、どうせクルースニクの仕事は辺りが暗くなってからでないと始まらない。

 仕事前に一杯――ではなく、一発殴るつもりで、クルクは屑と名高い『同胞』に会いに来た。


 その『同胞』は、彼女の予想通りに酒場に昼間から入り浸り、挙句の上には何本も葡萄酒を開けていたらしい。

 二人がけのテーブルの上に散乱した葡萄酒の瓶。それが雄弁に彼の今日の酒の遍歴を物語っていた。

 それだけ飲んでいながらもなお、酔った様子が見受けられないところがまた何とも言えずに腹がたつ。

 全く以て横暴な意見かもしれないが、酔わないなら呑むなとクルクは心中で舌を打った。


「昼間からアルコール漬けなの?」

「百薬の長っていうだろ? その恩恵にあやかろうと思ってるんだ」


 おかげで『人間』の何倍も長く生きているぜ――と笑うニックに、「クルースニクの特性でしょう?」とクルクは呆れ果てて返す。


 クルースニクは人より遥かに長い寿命を持っているが、それは出来るだけ多くのクドラクをこの世から消すためだ。決してその長い寿命は酒に溺れ、賭博に勤しみ、女と遊ぶ為にあるわけではない。

 享楽に溺れながら永い時を過ごすクルースニクは、後にも先にもこの青年だけだろう、とクルクは確信している。


 更に言うなら、クルクが『クルースニク』として生まれた頃には既にこの青年は『三拍子揃った屑』として、同胞の中で名を馳せていたはずだ。

 つまりは、かなりの年月をこの堕落した生活に費やしているということになる。

 見た目では判断出来ないが、クルースニクの中でも『古参』なのではないか――クルクはそこまで考えて、それを放棄した。


 古参だろうが何だろうが、屑はあくまで屑なのだから。


「じゃ、答えは出たってことか?」


 人の話を聞く気があるのかないのか、ニックは器用にコインを宙に弾きながら、空いている片手で葡萄酒の入っているグラスを傾ける。

 紅い液体のそれは、まるで血のようで。

 クルクの喉は、小さく上下した。


「――私は、クルースニクよ」

「どうしてその結論に?」


 答え合わせでもしようか――と、屑と名高いクルースニクの青年は面白そうに笑う。



「『クルースニク』の定義」



 クルクの声は少し震えていたものの、青年はそれをあげつらって笑ったりはしなかった。

 ただ純粋に、クルクの出す答えを、楽しみにしている。


「それはきっと、『クドラクを狩るか否か』に因ると思うわ」


 へえ、とにんまりと口の端を吊り上げたニックが、葡萄酒が少しだけ残ったグラスをテーブルに置いた。


「クドラクを狩るのが『クルースニク』なら、私はその定義に当てはまる」

「ごもっともだな」


 他のクルースニクに比べて、クルクがクドラクをより多く始末しているのは、ニックも知っていた。

 クルクの生来の生真面目な性格に加え、血に対する飢えもあるのだから、当然といえば当然ではあるのだが。


「それに、貴方は私に『俺より、よっぽどクルースニクだ』、と言ったわ」

「そうだな」


『頭のガッチガチなお嬢ちゃんへのヒント』。


 つまりそれはクルースニクたる存在が、羊膜云々には左右されないことを指していた。

 何でありたいのか、何であるのか。

 それは周りからの評価ではなく自らの意志で選び取れ、と。そういうことなのだとクルクは理解した。

 見た目だけならクルースニクであるニックが、到底クルースニクとは思えないように。


「自分が何者かであるかは自分で決めろ、と云うことよね」

「何だ、やれば出来んじゃねえか」


 満足げに笑い、ニックは葡萄酒を煽る。そこに容姿と同じような優雅さはない。

 赤い液体が、一滴も残らずにニックに飲み干される。ぷは、とおやじ臭く息をついてから、ニックは目元をやさしく緩める。


「血を吸おうが何しようが、お前は間違いなく『クルースニク』だよ。狩りをしない俺に比べれば、遥かに立派だと思うぜ?」

「……」

「そもそも、そういうのって面倒だろ?」


 なりたい奴が勝手に【クルースニク】だと名乗れば良いことだ――ニックはそう言って、にやにやとしながら続ける。


「世の中には、俺みたいに堕落した生活をするクルースニクもいれば、教会で説教を聞いて、日に当たるクドラクもいるんだよ、クルク」

「嘘でしょう」

「流石の俺も、こんなに真面目な話で嘘を吐くほど屑じゃねえ」


 そういう固定概念が駄目なんだ、と真面目くさって言ったクルースニクの青年は、直ぐにその真面目な顔を崩した。


「あんまり物事にとらわれずに生きてみるのも面白いぜ?」


 俺みたいにな。

 余計な一言を添えて、ニックは新しい葡萄酒を杯に注ぐ。


 ――貴方みたいになるなんて冗談じゃないわ。


 そうは思いながらも、クルクは黙ったままそれを見ていた。


「俺に兄がいるのは知ってるか?」

「……いたの?」

「双子なんだけどな」


 ニックと全く同じ見た目の青年が、寸分違わぬ軽薄な笑みでニックの隣に並んでいる想像をして――クルクは顔を歪める。

 彼によく似たクルースニクなんていただろうか? 軽薄に笑うクルースニクをクルクはこの男しか知らないのに。


 一人でも始末に負えないのに、それが二人となったら面倒なことこの上ないだろう。

 クルースニク全体の信用にも関わりかねない、とクルクは知らず知らずのうちに顔を渋くしていた。


「すげえ見当違いで失礼な想像してるだろ、お前……」


 残念ながらそれは外れだとニックは肩をすくめる。


「俺が二人いたら、世の中もう少し愉しそうだけどな」

「私は楽しくないわ」



 ハハ、と愛想笑いのような胡散臭い笑顔を浮かべ、「クドラクなんだよ」とニックはさらりとクルクに告げた。

 意味がわからず、クルクはニックに聞き返す。「どういうこと?」と。


「クドラクなんだよ、俺の双子の兄は」

「え――」

「きっと、俺以外には殺せない。俺を殺せるのはあいつだけだろうし、あいつを殺せるのも俺だけだろうな。そんな双子の兄弟だよ」


 流石に何と言っていいのか分からず、口を噤んでしまったクルクの顔を見て、クルースニクの青年は噴出した。

 アルコールが入ったせいかどうかは良く分からないが、同胞の中でも屑だと名高いその青年は、愉快そうに腹を抱えて笑っている。

 からかわれたのかとクルクはむっとし、それを見て「信じるかどうかもお前次第だ」とニックが続け、先ほど注いだ葡萄酒を飲もうとしたところでそのグラスを引っ手繰った。


「あ、おいこら」


 クルクはそれを一気に煽る。

 渋いような甘いような苦いような――一気に流し込んだせいで、酷くむせた。


「まっずいわね、これ」

「この美味さが分からないようじゃ、まだまだ“お嬢ちゃん”だな」

「一生分からないわ、きっと」

「そういうのが良くねえって、さっきも言ったろ? 物事にとらわれすぎ――というか、決め付けてかかりすぎなんだよ。酒だって用法、容量を守って正しく楽しめば【素敵な人生の友】になるっつうのに」


 まずは知ることからだとクルースニクらしくないクルースニクは言う。


「話が出たついでだ、【変わり者のクドラク】の面でも拝みにいかねえか?」

「は?」


 今頃はどうせ家だろうと、一人でしきりに頷くニックは、クルクの動揺を他所に、さっさと帰り支度をしている。

 待ってよ、とクルクはニックの外套の裾をつかんだ。なんだよ、とニックが振り返る。


「拝みにいくって――」

「喧嘩は吹っかけないほうが身のためだぜ、クルク。――正直なところ、お前じゃあいつには敵わないだろうからな」


 それじゃあ何しにいくの、退治ではないの――と聞き返したクルクに、ニックは悪戯っぽく笑った。


「『まずは知ることから』だ。お前のそのガッチガチのつまんねえ世界に、風穴開けてやるよ」


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