哀愁の背中―プロンプト・ティアーズ―
「いいのか、本当に?」
ゴクリ、と固唾をのむ音が俺達しかいない病室に、低く響いた。
「あぁ・・・覚悟はできている」
「右におなじ」
「古い関係よりも、俺が求めるのは、革命、だ」
三人はそれぞれ首を力強く縦に振った。
ヤバい、目がマジだ。据わってしまっている。適度な「イケるんじゃないか」という期待と「ダメかも知れない」という諦観の念が程良くその瞳を彩っている、んだと思う。単に、ウマく行ったその後の妄想に興奮しているだけなのかも知れない。その証拠に、三人とも鼻息が少々荒い。今脳味噌を切り開けば、きっと18禁ワーズに縁取られた、ピンク色の渦が飛び出てくるに違いない。
「何度も言うが、俺は事後のお前たちの障害や傷害、および生涯について一切の責任を負うつもりはない。たとえ、癒しようのない傷を負ったとしても、こちらは関与しない。ケアや慰め、フォローも一切ないと思ってくれ・・・それでも、いいか?」
三人は、俺がつきあってきて―――っつっても、二ヶ月くらいだが―――それまで見たことがないくらい、そして多分、これから見ることもないだろうというくらいの真剣な表情で、強く頷いた。
「ああ」
「覚悟は出来ている―――結果はどうあれ、俺たちはやるしかない」
「何かを得るには、犠牲を厭わないことも時には必要だ。俺はそう考えている」
・・・そんなに重い話でもないんだよなァ、これ。ただ単にナンパが成功するかどうか、しかも、友達の姉妹を、だ。なんだか台詞のこの部分だけを聞いていると、何かシリアスな展開が待ち受けていそうな感がある。
ぶっちゃけ、俺の予想では弥江か花音ネエと遊び友達になる、というのが精一杯だと思う。澄香は俺以外の男とまともに向き合うことすら出来ないし、有紀ネエは多分奴らに心的外傷を負わせる可能性がもっとも高い。その物言いと冷たい目は、俺と親父以外のすべての男に対して向けられる。俗語で言うツンデレだとか、そんなものなのだろう、多分。親父に対しては普通だし、俺に対しては普段の態度が信じられないほどに甘い声と表情をする。普段からそうしていればいいと思うんだがな。
「でさ、聞くの忘れてたんだが、お前ら、誰がいいんだよ?」
今まで俺は自分の姉妹の存在を大っぴらにしたことがなく、よってこんな風な展開を経験したこともなかったので、やつらの身を案じるあまり(結構マジ)、やつらが誰と仲良くなりたいのか、つまりは誰狙いなのか、というのを聞くのを忘れていた。
「あの背が高いハーフっぽいお姉さん!」
「あ、おれも多分それ」
「俺はあれかな、眼鏡かけてておとなしそうな子かな」
・・・。
三人とも、見事に大ボスを引き当てた。
見た目と中身は必ずしも一致しない、というのがこの世の理であるということを理解しているのはこの中で俺だけなのだろうか。こいつらみたいなのを見ていると、なるほど世界はすでに欺きの上にある、とかいうどっかの学者さんの格言みたいなのも本当なのだと頷ける。
ちなみに、「背の高いハーフっぽいお姉さん」は有紀ネエ、「眼鏡かけてておとなしそうな子」というのは澄香のことだ。ウチの姉妹の中で、どちらかというとこの二人は「モテる」方。弥江や花音ネエは、「好かれる」方。
まぁ、それでも全員、モテることには変わりないんだが、公共の場―――特に海とかテーマパークとか―――に行った時に、声をかけられやすいのは前者の二人。後者の二人はアクティブなタイプで、細い。髪も短く、ボーイッシュ。が、有紀ネエと澄香はグラマーとまでは言わないが―――俺はいまいちああいう言葉の基準がよくわからない―――出ているところが出ていて、ひっこむべきところは引っ込んでいる。一言でいえば、モデルっぽい。外見だけ見たときにどちらが好印象を受けるかは一目瞭然だろう。
有紀ネエは初対面の男に対しても信じられないほど冷たい対応をするからどっかに連れて行かれたりすることはないが、問題は澄香で、知らない男には話しかけられただけで委縮してしまう。彼女もスポーツは得意だが力は強くないので、これまでに何回か脳みその腐った鬼畜に連れて行かれそうになったことがある。ま、その他の四人―――俺も含む―――がすべて未遂にして、そいつを再起不能にするけどな。あえて、男子諸君のためにどことは言わないが、たぶん一生後悔する部位だ。
「あー、えーと、本当に、いいのか?」
が、こいつらに今更そんなことを言っても聞かないだろう。先ほどの諦観はどこへやら、具体的な目標が出てきたからか、その眼はすでに期待だけが宿っている。
「「「俺たちはやるぜ!」」」
ヒャッホーゥ、なんて病人にはついていけないテンションを振りまく。三重奏。
「・・・いいんだな?」
念のためにちゃんと聞いてやっている俺の好意をちっとも汲もうとしない。三人で円陣を組んで、「やるぞ!」「「オーッ!」」なんて気合いを入れている。お前ら、ここは病院だぞ。俺は別にかまわないが、静かにしろってんだ。
「あー、悪い。鵜方、有紀って人と、澄香ってやつを呼んで来てくれるか?たぶん、この階のロビーの自販機の前で四人でたむろしてると思う。 あと、他のやつらは出て行ったほうがいい」
・・・こいつらの死にざまを見ることになるから。
俺が目で語っただけで、例の三人以外のやつは、俺の言わんとすることがわかったらしい。たぶん、こいつらはどうせ駄目だということが分かっていて自薦しなかったやつらだ。
「がんばれよ・・・」
「幸運を祈る」
「骨は拾ってやるよ」
なんて、声をかけていくあたりこいつ等はいいやつだ。
鵜方が率いる、例の三人以外のやつらが出て行って、五分くらいしたあとだろうか。
こんこん、とドアがたたかれる音がして、
「利明、入るよ」
と、有紀ネエの声がして、若干ドアが開けられる。
ふぉおお、なんてさっきの二人の鼻息が荒くなる。
―――たしかに、顔だけ出していると有紀ネエ、可愛いかも。って、そんなことではなく。
「有紀ネエ、ごめん、ちょっと」
「どうしたの? どこか痛いの?」
ちなみに、このときの声と表情は普通の男に向けるものではなく、俺だけに向ける、いわば甘いマスク。それだけを見ているこいつら二人は幸せだったろうにな・・・これから現実を見ることになるなんて。自分で落とし穴を掘って自分で落ちるガキみたいだ。
有紀ネエが、本当に心配そうな顔をして、ベッドに駆け寄ってくる。艶々した漆黒の髪の毛が振りまく甘い匂いは、たぶんシャンプー。俺も同じものを使っているはずなのに、それを発する人が違うとやっぱり感じるものも違う。
「あぁ、いや、そういうわけじゃないんだ」
ベッドの横にしゃがみ、ベッドの縁に手をかけ、やはり心配そうに俺の顔を見上げる有紀ネエに、先の二人のほうを見るように指をさした。
「・・・? どうしたの?」
「えと、あの、大変言いにくいんですが、その・・・」
俺がしどろもどろしているのを見かねてか、そいつらは自分で勝手にしゃべりだした。
「われわれが頼んだのであります!」
「は?」
有紀ネエが意味がわからない、という顔で、二人のうちの右側―――誰だったか、田渕とかいうやつだったか―――のほうを見た。
「われわれが、貴方様にお近づきのチャンスを与えるように彼に頼んだところ、実に快く快諾を・・・」
え?俺、快諾なんかしてない・・・って、有紀ネエ、そんな怖い表情で見下ろすなよ。たしかに悪いとは思ってるけどさ。
「ふうん? あなたたち、私とお友達になりたいとか、そういうお話なのね?」
「は、その通りで―――」
「ごめんなさい、私、好きな人がいるの。そんな話を受けたら、その人を裏切ってしまうことになる」
目の前でね、と有紀ネエは小さく付け足した。
本当に小さな声だったので、たぶんやつらには聞こえていない。目の前で、ってここにはそんなやついるようには思えないけど。というか、有紀ネエに好きな人がいるってこと自体、かなり驚き。
「利明、用はこれだけ?」
立ち上がった有紀ネエが、こちらを見下ろす。さっきの怒気を孕んだ表情は消え去っていて、俺はとりあえず息をつく。
「え、あ、ああ。うん。ごめん、有紀ネエ」
「いいわ別に。このくらい、慣れているし、それに―――」
それに?
「なんでもないわ。うん、なんでもない」
そういって首を振る彼女の顔には、なんとなく笑みが浮かんでいるように見えたが、俺が下から見上げているせいだったのかもしれない。
「じゃあ利明、何かあったらすぐ呼んでね。お友達が帰ったら戻ってくるわ」
そう言って手を後ろ手に振りながら彼女は病室から出て行った。
二人は、あまりにも唐突に、迅速に断られてしまったことを受け入れられないというか信じられないらしく、しばらく呆然とたたずんでいたが、しばらくすると、正気に戻ったようで、二人で肩を組んで病室の隅っこでいじけ始めた。
有紀ネエお得意の「フリーズ・トーク」が出るかとひやひやしたが、そんなこともなく、やつらの傷は最小限に抑えられたようだ。俺は、有紀ネエの「フリーズ・トーク」をくらって本当に精神科医通いを強いられることになった哀れな人間を知っている。
「・・・馬鹿な。おれの無敗記録が・・・」
最初に声を発した、田渕がそんなことを呟いていた。たぶん、ナンパの勝敗記録だろうが、今回は相手が悪かったとしか言いようがない。
「・・・あれ? おれは?」
そうそう。
忘れていたが、澄香は何の話をされるか、呼び出された時点で察したらしく、花音ネエたちと一緒にいたらしい。
話すらさせてもらえなかったそいつも加わって、三人で部屋の隅でいじけ始めた。
哀愁の、背中。
俺は、初めて人の悲しみに共感して涙を流した。
お読みいただき、ありがとうございます。
まだまだ未熟ですので、ご指摘等、あったらお願いします。