そんなあの人の怖いトコ〜1
「ぐっ・・・!」
一人。
「が・・・っ」
また一人。
「がふっ」
また一人と、倒されていく。
全て、一撃。
必殺。
まさに、圧倒。
実は強い、怒ると本当に手がつけられない、という噂を何度か耳にしたことはあったが、普段のヤツからそんなイメージを思い描くことは不可能だ。
だが。
甘かった。
普段寝ているのはただ眠いだけ。決してやる気がないわけじゃない。
否。
やる気、というよりコイツの元々のポテンシャルは常人のそれを遙かに上回っている。
才能があるということは俺自身が一番良く知っている。
が、それを認めたくないという気持ちもあったし、何よりここまでの才を発揮するとは思ってもみなかったのだ。
怒ったとしても抑えられる。
怒ったとしても大したことはない。
多勢に無勢は叶わない。
そんな甘い考えが、招いた悲劇。
こうしている間にも倒れていく同志。
ヤツは女にも容赦しない。さすがに男子を倒すときのように腹を狙いはしないが、首筋に研ぎ澄まされた一撃を振り下ろす。確実に仕留めるのに変わりはない。
後ろに跳びすさり、ヤツが放った手刀をすんでのところで避ける。まだ動ける仲間に叫ぶ。
「一旦、退くぞ!」
開け放たれたドア。
それまで10メートルもない。
普段は何の感慨も覚えないその距離。家の中を移動するだけでも踏破してしまうような短い距離。
それが。
こんなにも遠く−−−
一歩一歩を進めるのが遅い。もどかしい。
もっと早く動けと体に命令するも、いつものように動いてくれない。後ろから何かに絡みつかれているかのように。
似ている。
何にだったか。もう記憶に新しくない。
そうだ。
この感覚は、そう。
小さい頃、崖から落ちて、これは助からないなと本能的に感じたときと−−−
「一旦もクソもねえよ・・・お前等はここで終わりだ」
目の前に立ちはだかる敵。
速い。
こちらに精神的な余裕がないということを鑑みても速い。コイツ、何かしら大会に出れば地区記録くらいなら残せるんじゃないか?
揺れるネクタイ。
走る体。
ヤツの何も感じさせない瞳と表情がアップで映し出されて。
俺の意識は、刈り取られた。
目の前が、真っ暗になった。
◆◆◆
「はーっ・・・はーっ」
マズい。
禁断症状だ。
「眠すぎる・・・!」
寝不足の。
昼休み。
三、四限目をフルに使って、かつ俺の脳味噌を総動員しても、たったの三枚しか終わらなかった。くそう、あと80枚・・・途方に暮れてもいいのだろうか、この場合。
自棄になってこのままがむしゃらに課題を進めてしまうか、冷静になって小休止を取るか。
・・・どちらをとっても終わらない気がする。
買い物に付き合うのはどうでもいい。姉たちで慣れているし。荷物持ちだって甘んじて受ける覚悟はある。似合うかどうかを聞かれた際の流し方や褒め方も俺は自分で上手くなったと思っている。
問題は、チョーク。
寝たらチョークを当てられるというのはツラい。おちおち寝てられんじゃないか。
多分、この課題を乗り切らないことには俺の安穏な学園生活 (寝て過ごすパラダイス)は約束されない。
学年が変わってもあの人たちは色々なモノを駆使して俺の担当を外れないだろう。はぁ、なんで俺こんなに女難なんだろ。
「大丈夫? 千葉クン」
あんまし大丈夫じゃねっすお姉さん。
机の上で頭を抱え、陰気なオーラ全開でぶつぶつと得体の知れないことを呟く俺に優しく声を掛けてくれるのは−−−
「扇先生・・・」
高崎さんじゃありませんでした。残念。
高崎さんは扇先生の後ろにいた。
ま、ちょっと声に年がにじみ出てたからおかしいなとは・・・
「ぐぇ」
「何か今とても失礼なこと考えなかったかな? ん?」
「が、がんがべでまぜむ・・・」
首根っこをひっつかまれた。
酷薄に笑う彼女の目は全く笑っておらず、若干つり上がっているようにも見える。
・・・言っちゃ悪いが妖怪みた−−−
「いが!?」
「どぅあれがよぅかいどぅえすぅっとぅえ〜?」
やたら舌を巻くしゃべり方は、聞いているときは何となく意味を把握できないこともないが、こうやって文章にすると表しにくい。何かタイプミスを連発したみたいになる。
・・・ギブギブ。
これ以上やったら死ぬって、マジで。
「あ、あの、先生。千葉クン、死にそうですよ?」
グッジョブ高崎さん。
「あ、あらやだ」
ぱ、といきなり手を離すな。
「いて」
イスに落ちて−−−どすん、と音はしなかったが、それくらいの衝撃がモロにオケツにヒットいたしました。尾てい骨が痛い。
それにしても先生、俺の考えてることよく分かったな。
「あなたの考えてることなんてお見通しよ」
・・・・・・。
無心だ。無心。
「そんなことしても無駄よん。あなたは私から逃れることなど出来やしないのだから」
「・・・地味に怖いんすけど」
台詞が女郎蜘蛛っぽい。
いやまあ、固定観念にすぎないんだけどさ。
扇先生は心理系統の学問に何故か精通しているらしいので、おそらく人心掌握が並外れて上手いんだろう。そういうことだと思う。ていうか、そういうことにしたい。
先生が超能力者だなんて、おちおち夢も見てられない。
「大丈夫よ、私ヒトの夢は覗けないから」
・・・やっぱり超能力なのか?
しかも今覗くって言ったし。そういう自覚はあるらしい。
一方的なテレパシーはデリカシーに欠ける・・・なんか言いづらいなこれ。言い間違えそうだ。
「で、何か用ですか?」
いちいち気にしてても仕方がないので、こちらの考えを読まれることを承知で(読まれないようにすることを諦めたとも言うが)、話を進めることにした。とっとと飯食って課題やんないと。
「たぶん君でも終わんない・・・いやいやなんでもないわよ?」
何か今凄いコトバが聞こえた気がするんすけど。
「気のせいよ。ほら、今眠いんでしょ?」
眠気のことまで把握されている。
「それはそうですけど・・・じゃなくて、何か用ですか? 用件があるならとっとと済まして欲しいんですけど」
「何よ、ツレないわね」
いや、ツレないも何も。
ツレたことないでしょ。少なくとも俺の記憶にはない。
俺の学校での記憶といったら昼休みか体育の時間か工芸の時間だけだな。あとは八割方寝てる。先生と話してるときはこのように起きているので、記憶にあるはずなのだが、ないということはそういうことだ。
それに。
本人はあまり気づかないのかも知れないが、休み時間、生徒が動き回っている時分に教師が教室にどかどかと入ってくること自体おかしい。そこだけ空気が違ってしまって異世界のようになる。
休み時間、教師が教室に干渉できるのはドアまでだと俺は勝手に思っている。たぶんみんなもそうなんじゃないかと思うんだが。
実際、今俺の方へかなりの視線が男女問わず投げかけられているし。
それは羨望だったり(主に男子)、疑惑だったり(俺は別になにもしてないけど)、不審だったり(だから俺はなにもしてないっつの)する。
俺は視線にさらされるのが嫌いだ。目立ちたがりというわけでもないし、どちらかというと日陰、孤独の方がラクと感じる方。
誰だ今根暗っていったの。
根暗じゃねぇよ・・・多分。オタクっぽいヤツが集まることで高名な天文部に俺がいるのも、星が好きな、だけ・・・。
・・・・・・。
マズい、自分で考えてて俺ってそっち系の人間なんじゃないかと思ってきた!
「大丈夫よ、きっと。そっち系の人間だったらあんなにモテないわよ」
そういう問題か?
ていうか、ちゃっかり心の声は聞かれている。
「すいません、これで三回目なんですけど・・・」
「ああ、何か用か、ってんでしょ? 別に、用はないわ。あなたの顔がみたくなっただけ」
(空白)
「・・・・・・は?」
生徒に向かって堂々となに言い切ってんですかアンタ。
しかもそれ、恋人に対して言う言葉かも知れないけど、高圧的にいうとニュアンスが違ってくるような。
しかもそういうことをデカい声で言わないで下さいよ。
男子の視線は物理的に痛いし、女子の視線は精神的にイタい。
「あなたが私と裕理で出した課題でどれだけ苦しんでるかなー、って」
あ、そっちか。紛らわしい。違ったニュアンスで良かったわけだ。
要するに、俺の苦しんでる顔を見たかった、と。
・・・サゾが!
俺はマゾじゃねえ!
え、いや、「じゃあサゾなの?」って言われても困るな・・・まだそっちに目覚めてないっていうか。
関係ないけど、裕理、ってのは多分竹中先生の名前だ。扇先生って下の名前なんて言うんだろ・・・別に興味ないが。
「ご期待通り、苦しんではいますよ」
あ、今度は読まれなかった。
「でも、さすがにクール・ビューティーね。顔に全く出てないわ」
いや、クール・ビューティーって。
男に使うもんじゃないでしょ。しかも俺ビューティーなんだ? 男としちゃまだハンサムとかの方が褒め言葉として受け止められる、っていうか。
「冗談よ。でもクールなのは本当でしょ? 女の子に告白されても顔色一つ変えなかったって話じゃない?」
それは単に姉や妹で女というモノに慣れているからで、ある程度耐性が出来ているからだ。アイツら、恥というモノを知らんのか知らないが、普通に俺に一糸まとわない姿を見せつけることもしばしばだ。
まぁ、見せつけるようにする時点で恥を知らないというより、それを承知の上でのことなんだろう。最初は食器を落とす、イスから落ちる、鼻血を垂らす、などリアクションを取っていたが最近はもう慣れた。
告白なんてしょっちゅう。本気でなくても十分色っぽいから最初は惑わされそうになったが、それも慣れ。
それに、言っちゃ悪いが姉や妹たちはランクが異常に高いので、一般に可愛いと言われるヒトも俺には普通に見えたりする。美人だと逆に俺が引いてしまうしな。
というわけで、俺はよっぽどのことがない限り顔色は変えん。色恋沙汰に関しては特に。
まあ高崎さんという例外はあるがとりあえずそれは置いておくことにして。
「ま、精々頑張ることね」
「はぁ」
なに言ってんだ。
自分が元凶のくせに。
じゃあねー、と手を振りながら去っていく先生。仕草が若いな・・・まぁ実際若いんだが。
「あ、そうだ」
不意に、何かを思い出したように彼女は立ち止まって上半身だけをこちらに向けた。
俺ではなく他の生徒に何か用事があるのかと思ったが、彼女の双眸は明らかに俺を捕らえていた。
そしておもむろに、
「椎香」
などとのたまった。
はい?
しいか? 詩歌? 恣意か?
わけわからん。
「シイの木の椎に、香るって書いて椎香、よ」
「え、それ俺に言ってんですか?」
意味が分からないですね。
「私の名前よ。覚えて置いてね」
・・・・・・。
えーと。
やっぱり読まれてたってことか。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
怖っ!
続きます。今までは一話ずつ切ってましたが。