最近おかしなお兄さん
どうもご無沙汰しています。
千葉澄香です。中学二年生なぞをやっております十四才です。以後お見知り置きを。
皆さんもご存じの通り、私は兄さんの妹です。この家の末っ子です。五女です。
今日、晴れて兄さんが退院いたしました。ぱちぱち。
病院に運び込まれたときは助かる見込みはないだろうと言われていたほど重傷だったのですが、兄さんはたった二週間で退院しました。
・・・え? 何です?
それはおかしいんじゃないか、って?
えぇ、まぁ最初は驚きましたよ。
手術室のランプが消えて、中から思い詰めた表情で出てきたお医者さんを見たときはまさか、と思いました。
でも、そのお医者さんが
「手は尽くしたのですが・・・お宅の息子さんはーーー」
と、そこまで言ったところで
「先生! 患者の心肺機能、回復しました! 正常値より少し低めですが、問題はありません!」
と、看護士さんが中から出てきて言いました。
「なに!?」
とそのお医者さんも血相を変えて戻っていきます。
そして、30分くらいたったでしょうか。
「息子さんは・・・ご無事です」
と中から出てきたお医者さんはそう言いました。その顔は釈然としない表情を浮かべていました。
その理由は、いきなりの回復でしょう。
いったんは活動を完全に停止した心臓と肺。
それが回復したばかりでなく、傷ついた臓器、骨までもあらかた修繕が終わったとでも言うように回復していたそうですから。
まぁ、私の家族はおかしいです。その一員である私が言うのもなんですが。
兄さんは、姉さんと一緒で、あまり特徴がありませんでした。二人とも、目の下にほくろがあって、兄さんは右目下に、姉さんのほくろは左の目の下、だった気がします。外見の特徴は、それくらい。
兄さんの特長というのは、その異常な回復力、だったのかも知れません。
それでも少しおかしいというのは私も思いますけれど。
生きていたのだからそれで良かったのではないでしょうか。
しかし、意外と思い当たる節もあるんですよ?
思えば、兄さんの顔には青年期特有のニキビは一つもないし、怪我をしても2、3日すればけろっとしていることが多かった気がします。
それに、二人とも特徴がなかったわけではないです。
二人ともかっこよく、綺麗だったというのは事実です。特に姉さんは、この家で女の中では一番異性にモテる、有紀姉さんよりもモテていた気がします。
姉弟とはいえ、あまり似ていなかったというのもありましたし、二人の仲が睦まじいというのもあったからでしょうか。
二人は、よく恋人に間違えられました。
登下校中の道で、その道草の公園で。
母に頼まれた買い物、その先のスーパーで。
家族全員で出かけた、デパートで。そこで入った、レストランで。
姉さんはそのたびに嬉しそうな顔をしました。
兄さんは・・・困ったように、照れたようにはにかむのがやっとだったようです。
男のヒトは、そういうのが恥ずかしいからしょうがないんだよ、と姉さんは言っていたような気がします。
私は、あの二人が羨ましかった。
有紀姉さんや花音姉さん、弥栄や私のように、才に溢れていたわけでもないーーーふたたび、自分で言うのもなんですけれど。
あの二人は、才などなくても、私たちにはないものを持っていました。
ですから、姉さんがいない兄さんは、前のようによく笑うことはなくなりました。
ふさぎ込むことすらありませんでしたが、泣くことも、嘆くことも、引きこもることも全くありませんでしたがーーー少し、尖った気がします。
自分の中にある何かを追い出すように、自分の体をいじめるようにーーー兄さんは、鍛錬、修練に励んでいました。
あんな兄さん、見たことなかった。
日々増えていく傷と痣。
最初に耐えられなくなったのは、兄さんを一番に心配する、有紀姉さんでした。
「利明、なんでそんなに無茶をするの? そんなことをしたって・・・」
「分かってるよ姉さん。そんなこと、俺が一番知ってる」
「じゃあ・・・」
「でも、だめなんだ。約束を守るには、アイツとの約束をーーー姉さんたちを守るには、いまのままじゃダメなんだよ」
その目は、何というのでしょうね。
疲労で濁ってはいたものの、確固たる意志を感じさせる、強い瞳。
いつも朗らかだった兄さんとは、別人のようでした。
それは、戦う覚悟を決めたものの顔。
彼は、自分の中で、姉さんとの約束を必ず果たす、そう誓ったんだと思います。
ニキビ一つなかった顔には少し生傷が出来ていました。
多分、それからだったと思います。
今まで見せたことのない、真剣な表情を見てしまったその日から。
私は、兄さんを一人の男として見るようになったのだと、そう思います。
それは多分、弥栄も同じだったでしょう。
その次の日から彼女の目は彼の背中しか追っていませんでしたから。
あれから、五年。
兄さんはやっと丸くなってきました。
生傷をつくってくることはもうなくなりました。それだけで、私たちは安心です。
たまに、無茶をして痣をつくってくることはありますが、それはまぁ許容範囲です。兄さんに構う理由が出来ますから、私は歓迎します。
・・・べつに、怪我をして欲しいというわけではありませんよ?
あんなボロボロの兄さんはもう見たくない。
守ってくれようとする意志は嬉しいですが、私は兄さん自身も守って欲しい。そう思います。
兄さんがいなくなったら、私たちを守らんとしていなくなってしまうのだとしたら。
私たちは一生後悔します。
その不幸に巻き込まれた自分を、呪うかも知れません。
支え合うのが家族だと、私はそう思うのです。
それでも、あのときの尖った兄さんを思い出してたまに体が疼きそうになる、というのは恥ずかしいので秘密です。
さて、その兄さんなんですが、最近少しおかしい気がします。
最近、といっても入院してから、ですけれど。
独り言が多かったり、出ていった様子はないのに家の中にいなかったり。私の気のせいかも知れませんが、何かを思い詰めるような表情をすることも多くなった気がします。
特に脈絡もなく、
「姉さんやおまえ達は、俺が絶対守るからな」
なんて、あの日の台詞を繰り返してみたり。今までは、態度だけで言葉には出さなかったんですよ? おかしいですよね。
その言葉に花音姉さんや弥栄はただ赤面したり嬉しそうな顔をするだけですが、有紀姉さんは少しおかしいと思っていたようです。さすが。
それで、というわけではありませんが、少し兄さんの動向を探ることにしたわけです。
有紀姉さんは深夜を担当してくれるということですから、私は主にこの時間帯、夕方から夜にかけて、ということになります。
兄さんは日課のランニングをこなしてくる、といったところで私たち全員に止められ、少し拗ねながら部屋に戻っていきました。
なんていうか、アホですね。
他の部分は尊敬に値しますが、自分の体を顧みないところは本当にバカだと思います。失礼ですが。
ということで、兄さんは今部屋にいるはず。
私たちの家は結構お金持ちです。特に姉さんたちはバイトで中々の額を稼いでいるようで、テレビやパソコンが普通にあります。部屋が広いので普通に置けます。ベッドがあっても。
兄さんも夏休みや冬休みにバイトをしていたようで、パソコンを自腹で買って、テレビチューナーを買ってきてそれでテレビを見ているみたいです。今話題の「i」のつく携帯音楽プレーヤーも普通に持ってます。
というか、それに関しては家族全員が持ってます。お父さんが技術士として幾ばくかのテクニックをあの会社に授けたようで。お礼、なのでしょう。人数分のプレーヤーが送られてきました。
兄さんの部屋は三階にあります。兄さんが星を好きになったのも、この部屋の位置が理由かも知れません。ベランダに梯子をつけて、屋根に上がって寝そべるのが好きなんだと言っていました。
・・・たまにそのまま眠ってしまって風邪を引くこともありましたが。
さて、足音を忍ばせて三階へ。
兄さんの部屋は一番奥の右側です。手前の左右の部屋は有紀姉さんと花音姉さんの部屋です。
間にある電話の子機を置いた棚等を避けながら目標に近づいていきます。
目標まで50センチ。
部屋の明かりはついているようです。ドアの隙間から光が漏れているのが目にとれます。おそらく、部屋にいると思います。今日は曇っているので星は見えません。
聞き耳をそば立てようと、ドアに近づこうとしーーー
「何やってんだ? お前」
うひゃあ!?
い、いまのは心の声です。声は出していません。息を呑んだ音は出たかも知れませんが。
見つかってーーーというかバレてしまいましたか?
・・・・・・。
ふぅ。兄さんは部屋から出てきません。どうやら大丈夫だったーーー
「・・・澄香?」
油断していました。
がちゃ、とドアが開いて、上を見ると兄さんが不思議そうな顔でコチラを見ていました。
この表情も、なかなか・・・ではなく。
「なんか用か? 花音ネエがまたなんかやらかしたか?」
「え、あ、いや、そういうんじゃないんだけど・・・」
どうしましょう。いいわけが思いつきません。
普段はほぼ無理矢理理由をつくって兄さんに頼ってます。構ってます。普段の兄さんは失敗などしませんから構う必要は本当のところないですし、私もそこまで抜けてはいませんから、あまり兄さんに頼る必要性がないです。
どうしようかと考えあぐねているとーーー
「あー、なんか、悩み事か? 俺で良ければ聞くけど」
どうだ?という感じで首を少し傾げ、少し微笑む兄さん。
少し微笑む、なんて変な表現ですが、こんなかんじで笑うのが兄さんの常。あまり大笑いしない・・・くすぐられると凄いことになりますが。
「う、えと、悩み事はないんだけど・・・」
少し、お話ししたいかな、と言ってみました。
演技ですが、半分ほど本音です。
「あぁ、別にいいぞ。暇だったし。入って」
・・・あれ?
いやにすんなり通してくれました。
いつもはーーーああ、邪魔者がいるから入れないだけでした。兄さんは別に私たちを拒みません。私たちが皆牽制し合っているだけなのだということに今気づきました。
久しぶりの兄さんの部屋。
あまり変わっていないです。意外とマンガ好きな兄さんは同じくマンガ好きの花音姉さんと割り勘定でマンガを買っています。五百冊以上あるんじゃないでしょうか。ちなみに、蔵書量も割り勘です。そんな事情がありますから、一番気兼ねなく、かつ日常的に兄さんの部屋に入れるのはーーー性格が図々しい、というのもあるのですけどーーー花音姉さんです。
他に増えたものはないようです。
机、デスクライト、コンポ、本棚、机の横についたパソコンデスク、クローゼット、タンス・・・ありふれたものばかりですね。普通です。普通じゃないのは弓くらいでしょうか。洋風な部屋の雰囲気に和風の紋様の入れ物が見事にマッチしていません。ベリー・アンマッチ。
・・・こほん。
英語は苦手です。
「ほら」
兄さんがベッドのところにあったクッションを投げてきました。それをキャッチします。汗の臭いが少しします。洗濯しなければ。
兄さんはイスに座り、机に脚を投げ出しました。行儀が悪いですが、これが一番ラクなんだとか。私も真似してみましたが、腰が痛くなりました。
私はクッションを抱えたままベッドに座り、そのまま横に倒れます。
・・・別にフトンのにおいまで嗅いでみたいとか思ったわけではありませんよ?そんなつもりはまったく・・・すー。いい香りです。毎日干しているのでしょう、柔らかいです。
そのまま兄さんは机を眺めているだけです。
私が話しかけるのを待っているのでしょうか。
あれ?
兄さんを見ていて一つ気づきました。
「ね、そのピアスどうしたの兄さん?」
兄さんがピアスをしているのに気づきました。
はて? 退院したときはつけてなかったような。
「あ、ああ。気分」
そうではなく。そのピアスをどういった経緯で入手したかを聞きたかったのですが。
少し顔を強ばらせましたね? 兄さん。お見通しです。
「自分で買ったんだよ。今日び、貧乏な学生がアクセサリーなんか送ってくれる訳ないだろ」
そうでしょうか。むしろ現代だからこそ送るのだと思うのですが。
「そんなことないんだな、これが。現に、俺お前ら以外からこういうものもらったことないんだ」
それはそうでしょうね。兄さん鈍いですから。
本当に、告白されるまで気づかないっていうのが常なんじゃないかと思えるくらいに。
あ、指輪つけてる。
あの指輪は、私と弥栄で去年の誕生日に送ったものです。小さいですが、ターコイズがあしらってある、結構おしゃれな指輪です。
「ま、他に貰ったとしても、俺はつける気はないけどね(これ高そうだし、外しててなくしたら大変だもの←心の声)」
・・・・・・。
こういうことを恥ずかしげもなく言えるのも兄さんのいいところだと思います。あ、ニヤケてきた。いけないいけない。
まぁ、今のは嬉しかったですね。シスコンなだけかもしれませんが、とにかく私が嬉しかったのでそれでいいです。
あれ、私何しに来たんでしたっけ。
まぁいいや。兄さんが嬉しいこと言ってくれたし。良しとしましょう。
澄香も結構アホです(笑)
天才とバカは紙一重ってやつですかね(多分違う