続きのお話
『お話を再開しますか』 →YES NO
……。
……。
所々獣脂の臭いとヤニの臭いが漆喰の壁にこびりついたその店内。
壊れかけた木の盃は粉をふいていて口当たりは極めて宜しくない。
息をすれば何とも言えない酔っ払いの香りが喉を焼き、瞳を開ければ怪しげな煙が目を燻す。
わずかな明かりは人々の憂さとため息を照らし、
戯れに伸びるてのひらは最近入ったばかりの女給の尻を狙おうとする。
夜も更け、星が空に昇り、分厚い雲の上に輝くころ、人は空の上にあるであろう星を想い、下手くそな歌を歌い、腐った酒の煌めきを友とかわし、昨日の愚痴やグダを笑い話として語り合う。
ここ、『猪熊亭』では閉店前に不思議な詩人が訪れ、一曲を奏でて帰っていく。
平等と正義を掲げる古の天秤の女神の名を持つ美しい女性は素性が解らない。あまりの美しさから本当の神族と信じる客も少なからずいる。
その娘、『ユースティティア』は黒い瞳に黒い髪、血色のよい白い肌。
蜘蛛の糸で織った白いドレスを身に纏って、竪琴を手に今夜も座る。
獣脂の明かりは彼女の白い肌で炎の色に染まり、人々の垢と脂と汗と涙の香りは一時途絶える。
物憂げな彼女の瞳が周囲に注がれると、人々はなけなしの銅貨を草原妖精の少年が持つ帽子に投げ込んだ。
「それは 遥か昔の話♪ 最初の剣士の物語♪ ……」
透き通る歌声が彼らの耳を叩く。竪琴の音色が彼らの心を偉大な英雄たちの時代へといざなう。
「『最初の剣士』が去ってはや数百年。『悠久の風』なる小国の、小さな小さな大きな大きな皇女の娘と彼は出会った♪ ……最初の剣士は蘇り、人びとを車輪の運命に導く……♪」
建国神話の物語を彼女は謳いだす。
「絆は消えたか♪ 」
詩人の声を聞きながら友人たちは盃を打ち合わせる手を止める。
「夢は何処に♪ 」
その竪琴の響きに掌のあかぎれを老婆がこすり合わせる」
「勇気と生きる喜びを♪ 手に取せ 重ねたてのひらの暖かさ 我らは謳う。車輪の王国の物語」
先ほどまで殴り合っていた男たちが両手を繋ぎ合わせ、共に歌いだす。
『我らは謳う。最初の剣士の歌を。我らは目指す。次なる最初の剣士を』
店の窓から歌い声が漏れ、漏れた歌い声を母親がなぞる。
幼子をあやして眠りの空に導く母親は寒さに震えながらも幼子をしっかりと抱きしめ床に就く。
神殿の鐘は控えめになり、人々は眠りにつく用意を固める。
地上の星々の輝きを、空の星々の輝きがそっと雲越しに見守っていた。