異世界人:『皇女さまお助けください。こいつに殺されます』現代世界に生きる自称フェミスト:『殺しましょう』(←現代の感覚でSABAKIを下すひと)
子供たちのはしゃぎ声を他所にぼくと『はなみずき』は店の軒先で一寸休憩。
「柵だがお前のいうように確かに無くしても問題がなかったな」
「だろ、皇女様」
ギルドカードなる謎管理技術があるみたいだしな。むしろ何故この世界、この国にあったのかが謎だ。
「おーい! 皇女様ッ! 店長さん! 只今かえりましたよッ」
遠くから自転車に乗った労働者風のおっちゃんがやってくる。常連客だ。
常連客の帰還を喜ぶ前にぼくは彼の自転車のタイヤに眉を顰めてしまう。
この世界というかこの国しかぼくは知らないが、何故か側溝すらこの国にはないのだ。めったなことでは雨が降らず、雨が降れば床下浸水してウンコまみれの床になる。
側溝を掘るだけでかなり道路事情よくなると思うんだが。商売人として提案したい。
「側溝、なんで道路に掘らないのかな」
「意義は理解したが、だれか転ばないのか」
あと、税金が足りないと呟く『はなみずき』。また税金か。まったく。『はなみずき』はまだマシだが、現代人の感覚をこの世界の人に押し付けるわけにはいかないな。
この世界は緯度が日本と違うらしい。三時に太陽が落ちたりする。冬場は寒いなんてもんじゃない。
職場のダッさい防寒着を『はなみずき』が着ている。暖かいらしい。申し訳程度に光を放つ太陽に舌打ちし、子供たちに早く店に入れと告げる。
『かげゆり』がいつの間にか淹れてくれたらしい珈琲の香りより、この世界独特の強烈なゴミと糞尿の臭いに頭が痛い。舌に臭いの味がつきそうだ。
しっかし。
愛嬌のいいおっちゃんの商売の無事に安堵しつつ、ぼくは呟いた。
「(ぼそ)手討ちにされっぞ」
「(ぼそ)店員をやっているときの私は貴様の従業員だ。部下たちにも徹底している」
しかし、なんで王国なのに皇女なのだろう。
何気なく呟いた言葉に『はなみずき』は俯いた。
「す、すまん。言っちゃ悪いこと言ったか」
彼女は苦しそうに呟く。
「『皇家』とは今は無き『魔導帝国』の皇帝の血をのこし、王家の保護を受けている女性の一族。各『王家』とはこの周囲の蛮王だった一族の血を引く一族だ。私たちは王家や周辺国の貴族や王の妻となる定めだ」
結構それって過酷じゃないか? 身分尊き方って大変だな。
「あるいは。……だ」
「うん?」
ここで彼女は言葉に詰まった。
「……のために。……に。なるかだ」
「剣がどうとか聞こえましたが」
その会話を阻む子供の笑い声。
「ごしゅじんさま~!」
ぱたぱた。しっぽがゆれて、はしゃぐ犬娘の子供。「おおかみ」あい。
「……珈琲。冷める」
相変わらず表情は暗いが、口元にかすかな微笑みを持つ黒い肌の娘に腕を振る。
店に戻ろうとするぼくに彼女は呟いた。
「剣になるかだ」
はぁ。よくわからないけれども騎士ってことかな。
「私は魔法が使えない。だが、皇家の力として自らを物品にして永遠の命を得ることができる。
皇家の者には国民のため、大切な人のために剣になれるかを問う儀式が今でもある」
ああ。それであんな幼いときから騎士団長だったのか。彼女は優秀だが、ぼく等が出逢ったときの彼女はまだ中学生くらいの年齢だった。下手をすれば小学生だったかもしれない。外人さんの年齢はわかりにくいが。
「その魔力がこのティアラに」
そう呟く彼女の頭の上の白金の小さなティアラ。魔法の品だったらしい。
「とはいえ、魔力のない私が魔剣になったところで魔力のない魔剣という役立たずになるだろうがな」
言葉も話せず、手足もなく、うごくことすらできない。死んだと同じらしい。
「今の私は剣より、一本の針金になりたい。
力に正面から向き合わず、弱さをあえて晒しあい。
運命に向かって力強く回る車輪の軸を引き合い支えあう針金たちの一本に」
彼女の言葉の意味をぼくが知るのは、かなり先の話だった。
ぼくらはそれから、厄介ごとに巻き込まれる。
「はぁ? 自転車返せなくなった??!」
喉が渇き、胃液が煮え立つ。額が引きつり、身体が震える。怒りでどうにかなりそうなぼくだったが辛うじて笑顔を保った。
隣で子供たちが抱き合っている。
尻尾を縮めて三角の耳をぺたん。かたかた震える娘。
黒い肌に細い腕をモフモフな耳と背に回して長い耳を垂らして脅える娘。
ぼくってそんなに怖いか? 二人には悪いことなどしていないぞ。
『自転車が返せない』『返す気が無い』『タダで貸せ』
実はこの世界では少なくないトラブルだ。
この世界、『借りたものは貰ったもの』もしくは『返すのは気が向いたら』な人間が少なからずおり、携帯電話も電話も郵便もロクにないためトンズラしやすい。
回収したら泥棒の泥棒の泥棒の泥棒が『俺のものだ』と殴りこんでくることも少なからず。
まぁ預かり金が王国金貨一枚でバカ高いので、返して王国銀貨一枚のほうがお得なのだが、貴族とかに限らず返す必要とかその辺を理解していない。
抜本的に教育が違うというか、商売の概念が薄いのかも知れない。
八の鐘が鳴ったら銀貨一枚追加も『暴利』と取られている。
「ずっと借りさせろ。十日越えたら一日銀貨二枚などお前は魔族か」
そう叫んだ男は流石に投げた。ここは魔族の子供を養女にする店主の店である。
閑話休題。
「弁償代、王国大金貨一枚は無理だ。まけろ」
常連のおっちゃんの顔面にパンチしたくなったが。
きゅ。
ぼくの腕に膨らみかけた胸を押し付けてくる影。『かげゆり』だ。
「むにゅー」
口で言うな。『つきかげ』。
ぼくの腰にまだ肋骨の浮き出た胸を押し付ける半犬の「おおかみだもん」少女にため息。
「だいたい、壊したら壊したで持ってきてくださいよ」
ここで彼は驚愕の台詞をはいた。
「橋代で持っていかれた」
「橋代? なんですかそれ」
橋? おっしゃる意味がまったく。
「うむ。命か、橋代かと言われてな」
話を聞くと橋代を請求する『トロール』なるヤツに持っていかれたという。
ぼくは拳をパキパキと鳴らす。
幸い、今日は『はなみずき』がいないしな。あの皇女様は色々と忙しい。
「とりあえず、返せないなら出入り禁止」
「死ねと言うのかッ?!」
おう。人様から借りたものが返せないなら死んで良いぞっ?!
殴りかかってきたおっちゃん。応戦するぼく。
この世界の連中は血の気が荒く、暴行罪という概念もほとんどない。『つきかげ』と『かげゆり』の二人の従業員に止められ厄介で頑固な皇女さまが城から出張ってくるまでぼく等は激しく殴り合っていた。
「皇女様。お助け下さい。コイツに殺されます。王国大金貨一枚支払うか、一生『自転車』に乗るなと言われました」
王国大金貨一枚如きで何を。呆れるぼくを尻目におっちゃんは城から騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた『はなみずき』に泣きついた。
汗と油と、地面を転がってついたウンコだのなんだのにさすがの『はなみずき』も嫌そうな顔をしている。
というか、この世界の人間は総じて臭い。衛生概念が薄いのだ。風呂にも入らない。水そのものが汚いし。
飯屋で水を頼むと茶色の水が出てくればいいほうだ。飲むと腹を壊す。
「王国大金貨は出せないが、うちの娘を」
一瞬、『はなみずき』の圧が増した気がする。
「阿呆ッ?! ……そりゃ、最近ご無沙汰……ゴホンゴホン。この世界の娘に手は出さないぞ。本当だぞ。俺は日本に帰るんだからな」
ぼくを睨む『はなみずき』に、二人の子供たちの冷たい瞳が重なる。接客をしている娘のぱたぱた動いていた尻尾がピンと立ち、三角のふわふわの耳がこっちを向く。同じく場内整理を行っている黒い肌の娘の長い耳がこちらの方向に。ウサギか。
「魔族です」
すみません。
「おおかみだもん」
何も言ってないし思っていない。
どたばた。拳で地面を叩き、おんおん泣き出すおっちゃん。
「死ぬッ! 殺される! 自転車に乗れないなら俺は死ぬしかないっ?!」
暴れる男を宥め、『なんとかするから今日は帰れ』と告げた『はなみずき』はぼくを店の裏に連れ出した。
「貴様の『店』の約款。……契約書の威力だが」
「うん? なにかありましたか」
「徐々に王国の法より強力になっている。いや、はっきり言う。王国の法の届かぬ各神殿よりも『強い』法になりつつある。もしや意図してか」
ぼくは沈黙をもって返答とした。
この王国、路地は恐ろしく狭い。自転車が通れない以前だ。主要道路もまた狭く、露天商が邪魔だし道路事情も悪い。ウンコまみれだし石畳などまだ珍しい。あちこちボコボコで危ないし当然黄色い線の内側にとかそういうものはない。
「前は柵から柵までの移動だったが、今、この街は各階層を隔てる柵がない」
一日に数キロからよくて五キロかそこらの距離を移動していた人間達は一日二十キロ以上を『自転車を借りる』だけで移動可能になる。
「しかもだ」
『はなみずき』は唇をかみ締めながら呟く。
「見ろ。貴様の店の周りは王城周囲より発展しているではないか」
一日縛りで必ずこの店に自転車を返却する。
ぼくはさっさと持ち金や借金を駆使して、周囲の家やアパートメントを押えてしまった。
道路が広いほうが楽だし舗装もあったほうがいい。
必ず返却する以上、周囲の店やアパートメントの需要は一気に跳ね上がるし、駅馬車ギルドはこの周囲の土地を必死で手に入れようとする。両替商ギルドはひっきりなしに暗殺者をぼくに送ってきた。ぼくの店の換金は常時同じレートだからだ。
「頼む。せめて十日間出入り禁止だけにしてくれ。そうしないとあの男は娘を売ると言っているのだ」
「この世界、娘の値段やすすぎだろ。人権意識ないのってホント野蛮すぎるから。アレだぜ? フェミズムが発達していない社会は飲んだくれおやじやニート息子の栄達の為娼婦になるみたいなふざけた行為が生存戦略になるんだぞ!? ぶっちゃけ現代人には理解不能だから!」
「……お前の世界では違うのか?」
不思議そうな顔をしている皇女さまにぼくは頭を抱えた。ドストエフスキーに該当する作家はこの世界にはまだいないらしい。