『はなみずき』。君はクビです。
自転車の前後に夜を徹して荷台をつけるぼくたち。難民たちをピストン輸送するための方策である。『滅びの町』改め『夢の国』にはナイトパレードで普段使っているせいで誰も気に留めないが立派な軍港が存在する。
ここに砂漠王たちの水軍が集結しつつあり、あちらの物資をこちらに持っていく帰りに難民たちを自転車に乗せてあちらに送る。
エースたち曰く、あの町の周囲を戦時体制的に切り開けば難民に配る食料と仕事はあるらしい。
妖精たちの食料はかくも偉大だ。
「いっそのこと、遷都してしまうとか」
複雑な表情を浮かべる彼女に謝るぼく。
「いや、いい。ドサクサまぎれに難民を使ってあの都を占有しようとしていると非難されているのは事実だ」
戦時でも、戦時だからこそあの町の取り合いは激化するらしい。
「そもそも辞書を作る必要を感じたのは異世界の文化を吸収しきれず、混乱の世を予想しただけではない。……将来的に三国は統一されるであろうという予測がついたからでもある」
はぁ。そこまでお考えでしたか。
「三国の文化を『平和的』に統一しておいたほうが角は立たない。言語も似ているしな」
そうすか。
「内緒だぞ。辞書を作っているのは私たちだけだからな」
「隣国あたりは重要性に気づいて『最初の剣士の辞書』の写本を作っているみたいですよ」
「ふん。今更。識字率は我が国のほうが上だ」
怖い娘だなぁ。それよりは手を動かしてほしい。こっちは自転車の点検をしたいのさ。整備や修理を任せていいだろうか。
「わかった」
スポーク調整が彼女の特技だったが、こちらも少々事情が変わってきている。
この世界には鋼の針金を作ったり、スポークを止める金具である二ップルを作ったりする技術はないし、二ップルとスポークの先端からチューブを守るフラップというゴムは存在しない。
そもそもドワーフたちは鋼鉄を嫌い、何かにつけて封印しようとする。理由はわからないが。
「もう、スポークのあるジテンシャはなくなってきた」
○型をした板バネに近いサスペンション三つを装備した車輪をこの世界の人々は独自開発した。
元になったものは親父が持っていた折り畳み自転車のループホイールだが。
魔導強化を必要とするため高価だが、それだってドワーフに無理を言ってスポークや二ップル等を作ってもらうのと対価は変わらない。むしろ安い。
そして衝撃に強い。既存のスポークのある自転車のそれを性能で上回る。悪路により強いこちらに転換が始まっている。
ちなみに、車輪を挟み込む形で回転させる『Nuiia bicycle』という自転車もスポークがないが、こちらは見た目は良いもののこの世界における実用性は薄く、不採用になった。
まぁそれは大したことではない。
ぼくはそろそろ言いにくいことを言わねばならない。
彼女にはもっと大きな使命を果たしてもらう必要がある。
「『はなみずき』。君には右も左もわからないぼくに色々してくれて感謝している」
「なにをいまさら」
苦笑いする彼女。物を大事にする習慣がまだなかった人々に貸した自転車を必死で治して、手伝ってくれたのは本来皇女である彼女だ。
「従業員としてそれなりのことはした」
「まぁ監視とか、警戒とか野暮なことは無しで、君と君の騎士団は本当によくしてくれたね」
「ああ」
「……この店のシフトに入るより、君はやるべきことがあるだろ」
「……もう私は不要と言うのか」
そうじゃない。そうじゃないけど。
「そうだな。修理も魔道具を使う。不足していた資材も代わりの品がどんどん開発されている」
不穏な空気を感じてか、子供たち、『かげゆり』と『つきかげ』たちが駆けだしてきた。
「私も、要らないのだな。
この自転車のスポークのように」
「違う。君は君しかいないかけがえのないひとだ。ぼくの、ぼくの為だけの人ではない!」
「どれだけ、どれだけ合間を縫って」
そうして口をつぐんだ彼女にぼくはあえて告げた。
「『はなみずき』。君はクビです。皇女としての義務を果たすのです」
目を閉じたら彼女との思い出が蘇ってしまう。
二人で盛り返してきたこの町が焼かれるのが迫っていることも。
子供のように泣き出す彼女も、他人に当たり散らして取り乱す彼女もぼくは今まで、一度も見たことが無かった。
頬に残った熱さを軽くさすり、殴られてもいないのにそれ以上に痛む胸を押さえてぼくはフラフラと仕事に戻った。
彼女のいない午後のお店は、戦乱を前にして避難民が争って逃げている事を考慮に入れても想像以上に広かった。その空間は冬以上に冷たくて。
「皇女様。本当に来なくなっちゃったね」
ふわふわのしっぽを地面に小さく揺らしながら『つきかげ』がぼやく。
「もふもふ」「やめてぇ」
そこに『かげゆり』がいきなり『つきかげ』に抱き付いた。慰めているつもりらしい。
「……」
気が付くとぼくは童謡を歌っていたらしい。
「おい。大丈夫か。ぼーっとして」
眼前で手を振って意識を引いていたオルデールがつぶやく。こいつも背が伸びたな。
「ああ。ダイジョウブ」
「大丈夫じゃねぇぜ」
あれなら一人二人いい娘を紹介するがと言われて苦笑い。
「お前そのうち女関係で酷い目に遭うぞ」
「モテるんだから仕方ない。俺は全員平等に愛しているぞ」
「ていうか、お前ら逃げないの? もう自転車も向うにほとんど逃げてない?」
うんそうだね。がらーんとした店内で半壊した自転車を魔道具で治すぼくら三人。借りに来るのも軍関係者や今更逃げ遅れたと称する怪しい人物くらいだ。
怪しい奴らは軍の奴らに通報することとして、あっちにある自転車はお前に任せた。
「いや、任せるのはいいけど、事務はさておき俺はアレの修理ほとんどできねぇぞ」
「パンク修理できたら上等だろ。とにかく任せた」
さっさと逃げるように促すオルデールを他所にふと足を止める。
「おい。『つきかげ』。お前と『かげゆり』が背くらべした線が残っているぞ」
「えっ? 恥ずかしいな。ゆり。みてみて」
美しく成長した二人が昔の思い出に浸る姿は少々ほほえましい。
「と、いうか。俺も領地もろくにないとはいえ今や『貴族』の端くれだよ? 逃げるわけないだろ」
オルデールはステッキ状の杖を嫌そうに弄びながらぼやく。
「ガウルは軍船に乗ったってよ」
弓兵は指を切られるという噂に対してピースサインしながら旅だったな。
元はイギリス弓兵の故事だが何を勘違いしたのやら。ガウルはなんかピースしながら一人軍船に乗った。……はずなのだが彼の妻にして相棒である『かんもりのみこ』もまた当然のように姿を消していた。
「ソル爺はなんか金属の鏡みたいなのを集めていたね」
秘密兵器だが、天候が大きな影響を及ぼす。それでも初歩的な光魔法でなんとか代用が効くが。
ちなみに、女騎士のほとんどが最近姿を見せないのは彼女たちが皆『夢の国』に移ったからだ。
「こっちの港は小さいから、守るには良いらしいけど、三国の海軍全軍を集めるには向かないよね」
まずこっちから攻めてくるのは間違いないって話だな。
「で、逃げないの? 『公爵』さん」
揶揄うオルデールに苦笑い。
「婚約破棄したからなぁ」
ぼくは店の柱に刻まれた彼女の残滓を指でなぞりながらつぶやいた。前の世界から一緒にやってきたこの店。
辛いことも悲しいことも嬉しいこともいっぱいあったな。
「ああ、そろそろお前ら二人は逃げ」
「ない」「のの」
二人の美しい娘はそうつぶやいた。
「じゃ、俺も逃げない」
オルデールはそうつぶやくと、杖を手に微笑んで見せた。
……壮観だ。これが『俺』たちの町を破壊するためにやってきた敵でなければ。
遂に彼らはやってきた。
ぼくらにとっての死神。彼らにとっては神の力。『悠久の風』の港。小さな湾の外には海を埋め尽くさんとする艦隊。
対するこちらの戦力はあまりにも頼りない。一応、砂漠王たちの海軍との挟撃を立案していたが。
情報戦、敵の水軍の飲料水用の樽の輸出制限や破壊工作などやるべきことはやった。
あとは砂漠王たちの軍が間に合うかだ。
だが実態はどうあれ『夢の国』の領有権を難民を使って既成事実化しようとする『悠久の風』に二国はいい顔をしていない。
つまり援軍を期待するのはとても難しい。
とはいえ、ここで『悠久の風』が滅びれば次は二国の存亡にかかわる。
鋭い衝角による船体ごとの体当たりによる衝角戦、突撃斬り込み戦を是とする『咲花の艦隊』に対して、こちらの戦力はあまりにも脆いようにみえたが。
……次々と『咲花の艦隊』の船が発火していく。今日は天気が良いからな。
あの反射鏡は絶大な火力を持っている。
それだけではない。『はなみずき』率いる艦隊は徴発した漁船に火を乗せ、魔法で風を吹かせ、どんどん相手に送り込んでいく。接舷しなければ兵士はただの無駄飯ぐらいの荷物に過ぎない。逆に接舷されるとこちらは終わりだ。兵力が違いすぎる。
「あ」
「あぁっ?」
街から火の手が上がる。敵が上陸したわけではない。こちらが火を放ったのだ。
「みんなもえていく」「……」
ぺたんと膝をついて嘆く『つきかげ』。
長い耳を垂らして呆然とする『かげゆり』。
「敵は罷免状を発行し、あらゆる暴虐を兵に許しているからな」
先にこちらから焼き払って士気を削ぐつもりらしい。
正直、守るべき街を、愛する街を自ら焼く彼女の気持ちは如何なるものかは、ただの自転車屋に図る由もない。
守るべき街を自ら焼くなどこちらの士気も落ちると思うのだが……こちらからは確認しようがない。
急に火の手が上がり軍船がぶっ飛んだ。
遅れて『ひゅ』という音が聞こえた。
音もなく『咲花の艦隊』の船体に次々と大穴が開く。ガウルだ。
「あの変な弓」
コンパウンドボウ。
現代の技術が生んだ異形の弓をこちらのミスリル銀加工の技術で再現し、魔導強化を施したという魔弓『銀の弓』。
「ワイバーンを一撃で仕留めたという話はマジだったんだな。おれびびったわ」
オルデールが驚き呆れそして畏怖している。
ガウルと『かんもりのみこ』の二人は膨大な不良債権化した花の手形代金を『銀の弓』の試し打ちを兼ねたたった一回の冒険で返済したからな。
質量を無視して空を飛ぶ竜族の魔力が込もった鱗から生み出された鏃は初速において実質無質量となり岩でも切り裂く。そして着弾時に質量兵器と化する。
まして『銀の弓』から放たれれば。
軍船が次々と沈んでいく圧倒的な破壊の力にがたがたと震える二人を宥めながら戦局を見つめるぼくたち。
都合のいい時に大量のチタンを手に入れることができた。
「幼女連れた変な二人組が『ミスリル製品を買い取れ』と謂うからワイズマン兄貴が家を傾けて買い取っていたけど」
「普通は大国の王が剣一振り持っていればいいほうなんだぜ。剣どころか短剣一振り。それだけで『最初の剣士』の末裔を名乗れる」
オルデールがグチグチとぼやく。
「弓とか、『ホトケサマ』でも考えねぇ」
でも凄い威力だぜ。対艦ミサイルか椿説弓張月(※ちんせつゆみはりづき)の源為朝(※みなもとのためとも)かよ。
波を切り裂き、軍船を木端微塵にしていく爆音がこちらに聞こえるような空耳さえする。
「弓っていうのはあんまりいい目で見られない。エルフの武器ではあるけどな」
そのエルフも目を見張る破壊力だからな。マジで竜でも殺しかねない。
元々あった高性能赤外線対応スコープや射線予測機能を装備した『銀の弓』から逃れる術はこの世界にはまだないはずだ。
音もなく飛び出す。否、音より早く飛び出す矢は衝撃波を伴い、周囲の海面を巻き込んで軍船を次々と破壊していく。
大混乱に陥る敵軍を次々と魔道処理された『鏡』が焼いていく。
「あとは衝角戦に持ち込まれないようにするだけだね」
それは難しい。数の差がありすぎる。
海に設置された銀の鎖と小型船で構成された防衛鎖を突き抜け、衝角戦を挑もうとする『咲花の艦隊』。
応戦する『はなみずき』が指揮する三国海軍。
「結局、戦争が始まってしまえば一介の貸し自転車屋にできることは少ないな」
「ああ」「うん」
「……皇女は。死なない。運命の神ゲームマスターは彼女を生かす」
なんだそれ? 魔族独特の予知って奴かい? 『かげゆり』。
海が燃えている。
海から敵味方の怒声と悲鳴が聞こえてくる。『かげゆり』の魔法である『風のささやき』だ。
「神敵、三国連合の指揮官、『はなみずき』は絶世の美女と聞く!
捕えて犯せ! 手足を切り落として生きたまま衝角に飾り、愚かな三国の連中に見せつけろ!」
「……私は逃げない。
わが愛する民よ。勇敢なる周辺国の姉弟よ。
貴方たちは私に逃げろという。だが何処に逃げろというのだ?」
彼女の声が聞こえる。
彼女の怒りが、勇気が、怯えがわかる。
そして何より、優しさと強さ。倒れていく戦士に、絶望せず戦い続ける人々に捧げる愛が伝わってくる。
「『貴方は』危険な戦場に女子は出るなという。確かにこの身は無力な女子だ。
だが、私は神聖なる魔導皇帝の血を引く皇族の末端であり、貴君たち民衆の味方である『最初の剣士』の御剣であり、君たちと共に歩み、共に死ぬ王族でもあり、未来の希望を担う三国同盟の事務局長である。私はここにいる。私は自らの退路を断った。
愛する民よ。私を信じて手を差し伸べてくれた隣国の勇者たちよ。
私はわが身を案じる者たちから忠告を受けてきた。『謀反の恐れを持つならば武器を持った群衆の前に出るな』と。
だがそのような愚かな恐れは暴君だけが持てばよい。
彼らがわが身を穢し、命を奪うことで三国の民が救われるならば浅ましきわが身など喜んで捧げよう!
君たちが私を捧げ、生き残るというならば批判はしない。
だが、我ら三国の勇者は戦わずして女子供を捧げて生き残ろうとする卑怯卑劣の輩ではない!!」
「私は自信と誇りをもって神の前に宣言する。
私は貴方たちを疑って生きない。私は常に最大の力と知恵とを皆の善意と勇気にゆだねてきた。
今、無力なる腕を、震える脚を、力なき歌に喉を枯らして懸命に生きようとするあなたたちの為に!
それ故に私はやってきた! 遊びでも気晴らしでもなく、貴方たちと共に戦うために。
三国を守るために立ち上がった勇者たちよ! 私を、私を指揮官として、戦士として迎えてくれ!
最初の剣士の勇気を!
魔導皇帝の正義を!
君たちの未来を私に託してくれ!
君たちは……正しく報われる!!」