『つきかげ』
【前書き】
(『つきかげ』視点でお楽しみ下さい)
「もみゅ~」
お湯や水に浸かるのは苦手。耳もしっぽも重くなる。
「こら。『つきかげ』しっかり浸かれ。しぶきを飛ばすな」
そうやっていると『はなみずき』様が軽く叱ってくれる。
「……」
「何を見ている」
人間にしては鍛えている。胸もお尻もそこそこ。
年齢はさておき、きれいだと思う。こしつきも悪くない。
『おいしそう』
内臓はきっと新鮮で苦みと旨みがあっていいんだろう。胸が好きというのは人間のおとこだけどそんなに美味しいとは思わない。脂肪の塊だし。
美味しいものを適切に食べて、適度に運動していないとこういうからだと内臓にはならない。
ふわふわ。ふわふわ。
白いゆげが私たちの入る『温泉』からわきたつ。
私はこんなものは苦手だけど。
「きゃ~!」「やったな~!」
「こら。『むらくも』『つきのしずく』静かにしろ」
お湯をかけあってはしゃぐ少女たち(こちらは肉が若くておいしそう)を『はなみずき』様がたしなめる。結構。私はこの人たちがすきだ。
人間は私や『かげゆり』をいじめるけどこのひとたちは別。
からだがむらむらする。うずくからだを悟られぬように抑える。この人たちは鼻が利かないので気付かない。
「たべたい」
「先ほどコメの粥を食っただろう」
わかってない。私が食べたいのは『肉』だ。
でも食べるともうお話できないよね。残念だなぁ。
人間の世界は私にはすごしにくいけど、とても近くにいるだけでうれしい。
眼下の絶景に感嘆を上げる人間の乙女たち。
ああ。美味しそうだ。この人たちもコノセカイも美味しそうだ。
タベタイ。ゼンブタベタイ。
「耳。お湯で濡れているぞ」
それ、あんまりよくない。
しっぽが重い。お湯は苦手だ。
「ほら。しっかり浸かれ……む。また胸が大きくなっていないか」
皇女さまは私の『真の姿』を知らない。小柄な少女に狼のしっぽと耳が生えただけくらいの認識ではないだろうか。『つきかげ』は知っているけど、あの姿はだれにも見せずに一生を終えようと思っている。何年自分が生きるのかは知らないけど。
というか、物心ついたときより『犬』『犬』『混沌』『まざりもの』と言われ、矢もて追われ、奴隷になっていたのだからよくわからない。さらに古い記憶は『ごしゅじんさま』の味だ。
『とてもおいしい』と思った。たべる前に離されたけど。あの人は強い。
「お前、コメの酒呑むか」
嫌いではない。でもまだ早いと思う。
皇女様はほろ酔いで私に杯をさし出す。
湯あたりとお酒で火照った身体が芳香を放っていて彼女はとてもおいしそう。
がさ。ごそ。
私の耳がピンと立っているのに皇女様が気付いたらしい。
「侵入者あり。あちらの視野まであと100」
「そうか。御苦労」
皇女様が手を振り上げる。でばがめといってはだかを見ようとする男を撃退する女騎士を呼ぶ合図だ。
たべたければ食べればいいのに。見るだけでいいとか、抵抗されながら見るのがロマンとか人間はよくわからない。みるだけでは絶対がまんできないとおもうけど。
「『つきかげ』ちゃん」
皇女さまに濡れた耳やしっぽを弄られてすっかり疲れていた私に彼女が話しかける。
先日お店に来た女の人だ。この人はすごくおいしそうできれいだ。魔力にも恵まれている。本人は気付いていないと思うけど。
「なんか、覗かれている気がする」
「魔法かな」
今のところ、魔法でもこちらは見えないと思う。私には魔法の類は使えないけど、見られていたり聞かれていることには敏感。
明礬成分が豊富なことを示す湯の花(ゴミにしか見えない)を掬いながら教える。
「侵入者。今騎士団が撃退に行ったよ」
「なんですって?!」
彼女は予想外の行動をとった。
全裸で湯船から飛び出し、適当な棒をひっつかむ。
数日後、皇女その他の裸を覗こうとした愚か者どもを縛り首にするとお触れが出た。
私たちの仕事は減り、たくさんの女の人たちがお風呂を楽しむようになったそうだ。
あと、あのきれいな人は、後に『天使』と呼ばれるようになることを当時の私たちは知らなかった。
私はお風呂が苦手だ。
湯あたりする。しんどい。