水車の条約
「姉上ッ 何故ですかッ」
青銅で出来た私の愛剣は魔剣『あきかぜ』の一撃でラードのように斬られ、猟師の男とエルフの娘の奮戦むなしく二人の騎士が倒れた。
何とか生きているが早く『完全なる癒し』をかけてやらねば死ぬ。もちろんその使い手であるエルフ、『かんもりのみこ』もわかっているのだが『完全なる癒し』は接触しなければ発動しない。
鉱山の位置は国家機密である。この位置を知っているものがあろうはずがない。ましてやエルフや猟師が参加する我々に気づかれず待ち伏せを成功させるほど地理に詳しいものなど。
だが、国家を超えて全てを知るものもいる。各神殿や豪商。そして。
「『はなみずき』。昔はよく遊んだわね」
皇族。すなわちわたしたち自身だ。
国家間の争いなど私たちにとっては盤上の駒の動きのようなもの。私たちは各国の王族や貴族、傍系や落胤は豪商などに嫁ぐ。
各国の民が国の違いだけで憎みあう感覚は私たちには本質的に理解できていない。
全て親戚や、姉妹だからである。
隣国に嫁いだ姉。
歳は離れていたが忙しい父や母に逢えずにいつも泣いていた私の遊び相手をしてくれた女性。
彼女は艶然と微笑み、血の香りのする魔剣を私に向ける。
「この世界は、『血の絆より水の絆』よ。妹。『キリサメ』を抜いたらどう? 貴女が持っているのは知っているのよ」
「は? 霧雨?」
如何なる呪いも毒も穢れも洗い流すとされる魔導帝国の秘宝。『霧雨』そのオリジナルは失われて久しいとされる。
「なんのことでしょうか。姉上」
本当にわからず、交渉事をすっぽぬかして本音を語ってしまった。
キリサメと呼ばれる剣の伝説ならば勿論知識にある。その長さは軽く大人の男を超え、鋭い刃は岩をも羊皮紙のように切り裂く。そしてその表面は常に結露しており血の汚れを浄化し切れ味がまったく鈍らない。
「強情ね。鉱山で呪いが発生したといえばあの男も封印をとくしかないと思ったのだけど」
「父上に対しての暴言、わが姉ながら許せぬ」
私が叫ぶと彼女は冷たい笑みを向けた。
「皇族なんて、魔導帝国の血を引くだけの哀れな奴隷じゃないの。子供を生んで育てて、その子供たちも他所の国に」
「違う」
魔剣『あきかぜ』の一撃を半ばで斬られた剣でそらし、必死でしのぐ私。
「私のかわいい娘も、連中に奪われてもう二度と逢えないわ」
「それは」
無骨な私は論戦でも彼女に勝てないのは理解しているが、戦いにおいても姉は高度な魔力を使いこなす。剣では私のほうに利があるが、戦いの能力、指揮の腕もまた姉のほうが上だった。
もはやここまで。目を閉じ、最後の瞬間を待つ私の手を硬いものが掴む。
「へぷしゅッ」げほっ げほっ げほっ ……?
おそるおそる目を開いてみると。
小さな小さな粉が姉の周りを飛び交い、彼女の呼吸と動きを奪う。
私の右手に絡みつくのは木の幹。
「姉妹で相争う。私には理解できないな」
音もなく優雅にその娘は私たちに割り込んだ。かのエルフの小さな唇がうごく。
「『ゆうたまぐさ』が泣いているぞ」
「なんだ? その名は?」
姉が涙を流し、烈しく咳き込みながら地面に倒れ、「姉上ッ?」敵味方であることを忘れてしまいかけよりたくても手脚に絡まる魔法の樹の幹で動けぬ私の耳朶をエルフの言葉が止めた。
「ただの花粉だ。大量に人間が吸うと有害だがな」
「花粉だと? 花粉ごときにこのような効果が?」
疑問と木の幹で縛られ動けぬ私と強烈に咳き込み、涙を流してのたうつ姉を見下ろし、エルフは淡々と告げた。
「ゆうたまぐさ(夕玉草)。竹の異名だ。タケについた水玉を字してそのように呼ぶ。
タケとは異国の植物でな。まっすぐ伸びて異国では定規の素材やその他さまざまな使い方をされる」
そして、"魔剣"『ゆうたまぐさ』は。私たちの先祖がその身を変えた姿だ。
エルフは『ゆうたまぐさ』を魔法で出してみせる。
「??! こ、これは『魔剣』なのかッ」
戸惑う姉にエルフは淡々と告げる。
「ああ。事情があって私達エルフが預かっているが、本来君達のものだ」
あまりにも争いを呼びかねないと言うことで、『ゆうたまぐさ』はエルフたちに預けた。『ゆうたまぐさ』を元に原器となった十の物差しと錘は秘宝として王家で保管している。
一般にはそれを原器として統一の物差しと錘として出回りだしたところである。
「刃もない……これは、何だ」
「モノサシとお前たちが呼ぶ品と同じだ。もっとも武器としても使えるぞ」
それは、彼女、『ゆうたまぐさ』の意思を冒涜する行為だが。姉の疑問に答えるエルフはさらに告げた。
「正しく人を治めるために、彼女はモノサシになったという」
黙り込む私たち。気づけば動けるものはいなくなっていた。戦えるものもエルフの静かな怒りにうたれたのか戦いをやめていた。
「姉妹で国を挟んで相争う。それはモノサシにあったことなのか」
咳き込む姉に『ゆうたまぐさ』を向けるエルフ。
「もっとも『正義』など人間の考えることだ。古き神『ユースティティア』の判断を『ゆうたまぐさ』に託してもかまわぬぞ」
繰り返すが、『ゆうたまぐさ』は武器としても使える。
後にエルフは語った。もし娘を授かったのならティア。ユースティティアと名乗らせたいと。その一柱は異界の古い女神で正義の狭間で揺れ動く天秤の神とのことだ。
「皇族とはなんだろうか」
歓声を上げながら自転車を立ち漕ぎ、水を浄化している騎士たちを遠目に自問する私と姉。
『貴きは青き魔力の血筋』
猟師のガウルは不遜にも私たちの頭をごしごしと撫でて呟いた。
「おじょうちゃんたちは難しいことを気にしすぎなんだよ。姉妹仲良く。それでいいじゃないか」
ガウルに無理やり握らされた姉の掌は記憶のまま柔らかくて、暖かかった。
さて、後に『水車の条約』と呼ばれるようになった『約款』について最後に述べよう。
「これはどういうことだ」
私と姉上は呆然としていた。
まず霧雨を奪うために姉と隣国が行った所業についてだが。元もとの原因は隣国の水が病気の呪いに汚染されていたことに由来する。
それは毒使いである『黒き針』の謀略と断定され、私が知らない間に我が愛すべき婚約者殿は隣国に向けて更に五台の水を綺麗にするジテンシャを送ったらしい。
つまり抜本的に解決してしまった。
「隣国には貸さないと言わなかったか」
問い詰める私に彼は涼しい顔であった。
「勝手に『つきかげ』と『かげゆり』とオルデールとソル爺が持ち出しただけだ」
大嘘つきめ。
そもそもあと一台はだれが持ち出したのだと問詰めたい。判りきっているが。
「あれだ。お前の姉貴はぼくの姉だろ。対外的にはそうなる」
まぁ反論はしない。無益だ。
銀山についてだが。結論だけ述べれば早くに嫁いだ姉の持つ情報は古いのだ。既に銀はほぼ掘りつくされ、銀山の村としては機能するが、国家として必要な量は確保できない。これ以上掘ったところでダイヤモンドに良く似たクズ石。そして水の乙女たちを激怒させる見えざる猛毒を吐き出すのみと判明しているのだ。結局、私と姉は『霧雨』を彼女たちに捧げることで水の乙女たちの怒りを納めることしか出来なかった。
「国家の秘宝を失ってしまった」
落ち込む私にいけしゃあしゃあと「しかし、『ゆうたまぐさ』は手に入ったではないですか」と今までの修羅場を忘れたかのように告げる姉上。例の自転車を借りることが出来ると知って彼女は一も二もなく夫を説得したのだ。
「姉上。私は貴女に殺されそうになったのですが」
「皇族同士では良くあること」
ケラケラと笑う姉上を見ると人間不信になりたくなる。
「ところで、あの男の貸し出し条件が揮っているのですが」
良い『夫』を持ちましたねと姉がのたまうので、その『条件』を見て私は驚いた。
一 『悠久の風』『立夏の嵐』『艶月の雪』三国および各貴族領は恒久の平和を王同士で誓う。
二 これは我々が古きよき魔導帝国の皇族の血を引く『姉妹』であることから容易なことである。
幼子が姉妹で庇いあうのに我らに出来ぬ道理はない。
三 誓うのみならず、『悠久の風』国内に監視機関である『事務局』を設ける。
この誓いに反する者、国家、都市は事務局からの警告を受けた場合、速やかに是正すること。
是正なき場合、三国及び各貴族領全てを敵に回すものと心得ること。
三国及びその貴族領は『最初の剣士』及び魔剣『ゆうたまぐさ』の名の下に、公平、公正に民を治めることを誓う。
四 大国である『立夏の嵐』ではなく、弱小国『悠久の風』に事務局を置くのは公平性を考慮してのものである。
なんだこれは。
驚く私の気持ちとうわはらに私の視線は文書を黙読していく。
五 事務局長として『我々』の最も幼き娘『はなみずき』を私は支持する。
彼女の有能さ、公平性は郡を抜いている。
賄賂を受け取る性格ではなく、またいまだ『独身』であり、特定の国家・特に『悠久の風』のみに加担することは無いと私は確信を持って推薦する。
ムリ。
私は首を振って否定するが。
「もう決めた」「ワシも」「俺もだ」
父上が首を振る。隣国の王たちまでいる。何時の間に敵対する三国の王が我が国にそろったのだ?!
「いや、リカンベントっていいな。風になった気分だ」「あの一輪の変な乗り物。小回りが利いて早くて最高だ。あれは一日大金貨十枚でもいいから貸して欲しい」
貴方たちはそういう性格でしたか?!
「私も異存なしですね」
私の苦手な声が。久しぶりに再会してすっかり色黒になられた中の姉君は能天気にそうおっしゃられた。
「大雑把な案は出来ていますから、あとは調整を決めて、さっさと履行しましょう。民のためにもなります」
中の姉上が明るく仰られているが。
「いえいえ、私には過ぎた大役です」
首を振る私に姉たちは。父たちは冷酷だった。
「あの水を綺麗にするジテンシャをタダ同然で借りることが出来るなら何でもするわ」
合理的である。私の意思は何処にいったと姉たちや姉の嫁ぎ先の王たち、わが父に問いただしたいが。
そして姉たちが止めを刺す。
「ふぁいと。『はなみずき』」
「凄いですわ。二〇〇年の戦乱に戦わずして終止符を打つなんて。私たちの妹は傑物ですね」
「うーむ。わが娘ながら誇らしい」
「是非子供が生まれたらこっちに」
「いやこっちにも」
これはあの男を激しく問い詰めねばならぬようだ。
「……『……』~?!」
魔剣『ゆうたまぐさ』を手に、私は『名前を呼びあう』と婚約が成立する因習を持つカシジテンシャ屋の店主を探す、店にいない。なぜだ。
『三国が平和になりそうだから、久しぶりに親子水入らずの旅行に出る。水を綺麗にする自転車は貸しておくから姉妹で仲良くやれ』
手紙が店に残っているのみ。やられた。
「いつもいつも私だけおいてけぼりにして~~!」
「皇女さま。ふぁいと」
私は『最初の剣士』の再来が起きる事。その時こそは剣の力で正義と平和が成されると信じていた。
しかし、水の絆がもたらす平和と言うものも悪くは無いと腑に落ちるようになってきた。
最後に。
今回の事件の元凶。封印した件の鉱山から産出する偽ダイヤモンドのクズ石についてだがひとつだけ魔導強化した石を姉たちから譲られた。望んでも願ってもダイヤモンドになれない石ではあるが、未来と言うダイヤモンドを守る石だとして。
その名を『希望石』。
夢を追う者たちの守護石。