貸し自転車屋さんのはんぐおーばー
「では。『ジテンシャ』は今日中に返しますので」
粗末な神官衣が逆に彼女の可憐さを強めているといっても過言ではない。
この世界で一般的な服はズタ袋のような布だが、デザイン性を追求する発想が無いわけではないらしく、彼女のように自分たちなりに見た目に気を使った着方をするものもごくごく稀にだがいる。
「慈愛神の神官と仲が良いな」
「顔を合わすと挨拶してくれるんだ」
この荒んだ世界では珍しい。
「人心を惑わす邪教の神官ではないか」
そういってむくれる『はなみずき』の鼻を軽くつまんでみる。
「……」
目をぱちくり。
怒りより不敬さに対する驚きに思考停止したらしい周囲にぼくは苦笑い。
「な、な、ナニをするっ!??」
はしたなくも唾を飛ばして怒る彼女に。
「いや、いつも『首を跳ねる』とかいうから先に理由を作ってあげたほうが親切かなと」
そういってウインクをしてみせる『俺』に彼女は真っ赤な顔を少し歪めて見せた。
「……ばか」
軽く青銅のすね宛のついたサンダルで蹴られる。
彼女は呻くように会話をかえた。
「慈愛神殿は王国の税収に逆らう不届きな女共の集まる神殿だ。駆け込み寺としても機能していて、貴族の婦人も少なからず在籍している。そういうことで公には言えないが、いくばくかの貴族や王族、……皇族もだが。信仰しているものもいるぞ」
ふうん。なるほどねぇ。
まだ若い神官さんの笑顔を思い出して思わずにやりとするぼくに『はなみずき』は呆れて呟く。
「連中は剣の腕に意外と優れていて面倒だぞ」
へぇ。あちこち汚れてにきびや吹き出物があることを差し引いてもあんなに可愛らしい子がねぇ。
「先の隣国との戦いでも、女子供を護って必死の抵抗をしていた。慈愛神殿の女といえば美女揃いと昔から評判で……真っ先に狙われることが多い」
……あの笑顔で、苦労しているのか。
数日後。
「あれ? 毎日時間までに返してくれていたのに」
「お姉さん最近こないね」
ふわふわの尻尾を左右にゆっくり振りながら『つきかげ』が呟く。混沌だの混ざり物だの言わずに『ふわふわ~♪』といってじゃれ付くお姉さんに辟易しながらも喜んでいた彼女だ。心配するのも無理はない。
「『かげゆり』が慈愛神殿に督促にいったから……あ。帰ってきた」
自転車に乗らず、ゆっくり手で牽いて持ってきた『かげゆり』は小さく呟いた。
「斬られた」
「??」
「お姉さん」
「え?」
「ゆり。いみわかんない」
『つきかげ』が小さく呟いた。
その耳は垂れ下がり、尻尾は股間にだらしなく。
「……」
どこか錆臭いフレームの曲がった自転車を手に、小さく震える『かげゆり』。
「『自転車を返しにいかないと』が最後のことば」
頭……いてぇ。骨が底冷えするんだが。
寒いとかそれ以前だろ。
意識を取り戻した『俺』はウンコと泥とゴミまみれになって全裸でスラムにいた。
うーん? 状況把握? むり。
とりあえず凍え死ぬ前にさっさと店に戻らないといけないが足元がおぼつかない。
確か『かげゆり』と『つきかげ』が止めるのを聞かずに久しぶりに呑んだのは覚えているのだが。
貸し自転車屋は基本酒を呑まない。朝早く、夜遅いことが結構あるので残るからだ。まさか酒が残ったまま接客するわけにはいかないだろう。
そーいうわけでまぁまず呑まないのだが。うん。しかし呑みたい日もある。
というか何故全裸だ。
身に覚えが全くないというか、どういうことか。
『ぼく』が頭を掻きながら進んでいると、周囲の空気がピリピリ。スラムの人間はよそ者を警戒する。騎士団と一緒に行動しているやつ、皇女と……だと吹聴されている相手ならなおさら。
閉まった廃屋の戸から、路地裏のゴミの隅から悪意と害意、敵意を感じる。
というか、よく身包み剥がされるだけですんだものだとフルチン姿で歩く。適当なゴミを拾って股間につけると、ぼくはそのまま店を目指す。
何故ついたかって? まぁくくった。ヒトに見せることができる姿ではない。
ん? 振り返ると見慣れた服と怯えた目。
ぼくの制服を着た子供がいた。
「こらまてぇッ」
「ひいっっ?!」
冷静に考えたら全裸の男が幼女(女だった)を襲っているようにしか見えない。
たちまちスラムの男たちが飛び出してきてぼくに襲い掛かった。
「まて。話せば判る」
「ナニ言ってるんだダボがぁああっ??!」
「とりあえず服を返せ」
「いやだああっ??!」
非常に醜い戦いになったのは言うまでもない。
服の件については一歩妥協し、ボロの端切れを男たちから頂いた『ぼく』は、確実にボロの代わりになる衣服を提供すると約束してその場を離れた。
あんなボロでも一張羅で、彼らはあの服一枚でほぼ一生を過ごす。
「この服、すごくすごく暖かい」
結局は少女の言葉を聞いて妥協せざるを得なかった。『はなみずき』が聞いたら貴重な制服をどうして無くすと叱るだろう。
というか、化学繊維の服なんてこの世界の人間にあげていいものだろうか。何か悪影響が出ないだろうか。
あ~。頭いてぇ。
質の悪い酒をがぶ飲みしてしまったらしい。変な薬も混じっているかも知れない。
ズキズキ痛む頭に吐き気に便意。正常に胃腸が動いている証明だが。
「『かげゆり』に『完全なる癒し』をかけてもらうしかないか」
『かげゆり』は魔族だが処女なのでエルフの乙女と同じく『完全なる癒し』が使えるらしい。
もっとも腕のいい精霊使いになれば処女性関係なく使えるそうだが。
「ん?」
ぼくはウンコだらけの道を半ばあきらめて進んでいたがとある思いに駆られた。
「『かんもりのみこ』は処女。『かんもりのみこ』は処女。『かんもりのみこ』は処女……」
彼女がガウルとヤッテいる姿が想像できない。いや、想像したらオカズだがNTRは『大地』じゃあるまいに高度すぎるだろう。
『大地』は親戚の腐れニートだが妙に親戚の子供たちに好かれる体質で、ある日一念発起して漫画だのゲームだののコレクションを全部捨てて就職。
こともあろうに超美人の嫁を貰いやがったラッキー野郎である。
口癖は『リア充死ね』だったが、お前がリア充だろうと突っ込みたい。主に嫁に。
「あの乳は反則だろ。あの乳は」
独り言を呟くぼくに、「ああんっ?! 公爵様ッ」とどでかい乳のおばさん……お姉さんが飛び出してきた。誰だ?
「もうアタシ惚れちゃった~~~!」
「……マジで誰?」
「昨日は寝かしてくれなかったくせに!」
うーん。記憶にゴザイマセン。政治家じゃないがそういいたい。
「貸し自転車屋のアンちゃん。助けてくれ……」
何処からかオルデールの声が聞こえる。
見ると露出度の高いお姉さん方(※明らかに上半身裸の娘もいる)にガッチリ囲まれて逃げられないオルデールが。
「お前、なんで娼婦と酒飲んで遊んでいるんだよ」
「アンちゃんが連れ出したんだろッ?!」
記憶にない。マジでない。
「幸せになれ。オルデール」
コイツは侯爵様だから玉の輿だというと彼女らは嬌声を上げた。
「ちょ?! 俺は領地も財産もない貧乏貴族(※はぐれ魔導士)だって?!」
あ~。絞られている絞られている。今のうちに逃げることにしよう。
「ねぇねぇ。次はいつ来てくれるの??」
巨大な胸だか腹だかを押し付けて懇願するお姉さん(推定年齢三十八歳)に苦笑い。彼女に頼んで水を持ってきてもらうと例によって泥水だった。ほのかにウンコ臭い。
うーん。こうして考えると『浄水』が使える『かげゆり』は類稀なる人材だ。
そこに騎馬の『蹄銀』の音がとどろく。
『キサマぁ?????! 王城に苦情が届いているぞッ 何をしたッ』
どうしたのだろう。『はなみずき』のほっぺたに赤いアザあるけど。
なにそれ? キスマーク?
「おまえ、昨日のことをおぼえていないのか?!」
覚えていません。『はなみずき』。
剣を持って凄む美女の頬には何故か赤いアザが。
「それ、キスマークかい」
誰につけられた。そいつ殺す。
指摘すると『やはり覚えていないのか』とマジギレした彼女は剣を抜いた。
「ちょ? 『はなみずき』ッ? 刃物はなしっ?!」
「うるさいっ! うるさいっ! 乙女の結婚適齢期を何だと思っているんだッ 今日と言う今日は許さんッ この手で異世界に送り返してやるッ」
いや。異世界っていうかそれは地獄だろッ?! やめぇ?!
「おとなしく観念すれば天国にいけるかも知れないぞッ!」
「いや、結構でございますっ?!」
「皇女様。私のいい人に何をするのですか」
果敢にもぼくとじゃれあう『はなみずき』の間に巨大な胸のお姉さんが立つ。
「……ナニをした」
視線だけで人が殺せるくらいにらむ『はなみずき』にふるふると首を振る。覚えているはずがない。
お姉さん(※あえてこう呼ぶ)を適当な理由で袖にしてぼくは店を目指すが。また見知った顔に遭遇した。
「ポプラ。お前新婚だろ。何故ケツ出して道端で倒れているんだ」
「騎士」
「わかんねえよ」
ポプラ曰く、なんとか両手両足が動くようになった祝いと称して『かんなづき』が止めるのを聞かずにポプラ宅から彼を自転車に乗せて浚っていったらしいが。
「ニワトリに襲われているし」
「騎士……じゃなかった。ええとですね。誰のせいですか。誰の。いててっ?!」
なんでも身体にニワトリの餌をたっぷり塗られて闘鶏のオリに突っ込まれたらしい。
尻も突っ込まれたのだろうか。だとしたらちょっと悪いことをした。
そーいえばソル爺さんとも呑んでいた気がするが。
「すーぱーまんじゃ~~!」
今、全裸のジジイが宙を飛んでいた気がするが、何も見なかった……と。
「とりあえず立てるか。ポプラ」
「足腰に力が入りません」
ポプラが動けるようになったのは最近だからなぁ。
ぼくの『脳の一機能が不調なので動けない』という知識を信じてくれた慈愛神殿の神官がいなければ回復などできなか……。あの子はもう。
「くそぉおおっっ?!」
ビクっとなるポプラ。
「お前の頭の怪我を治してくれたのにッ」
「……彼女は恩人です」
「もう許さんッ 正義神殿の連中をつるし上げだッ」「辞めてください。彼らがいなければ王国の騎士だけで治安活動は不可能です」
「許さんといったら許さんっ~~!!」
帰宅したぼくに『かげゆり』は告げた。
「今度……呑んだら親子の縁。切る」
「もきゅ……」
無理やり飲まされたらしい犬娘は伸びていた。
「おお……かみ……だもん」
ふわふわの尻尾が力なくパタンと倒れた。