罪人(とがびと)のつるぎ
「プリズンドックをやるんだ」
そういってごしゅじんさまは犬を連れてきたが。
「ぎゃあああああああ」
噛まれた。あたりまえだ。なにをしているのだろう。
「これはてごわい」
皇女が心配して駆け寄るがそれを制して。
またかまれた。
「ぐわああああああああ」
「……ばかだ」
まだ私の身体は小さい。
あるくとすたすたとなる。
「とまれ」
魔族の瞳に犬は尻尾を股間に挟む。
「駄目だ。『かげゆり』」
「……?」
なんで。こいつ殺す。いいよね。
「その犬は生まれたときから人間にいじめられたり、食べ物を奪って石を投げられたり、人間の死骸を漁ったり、あらゆる悪意の元に生きてきたんだろう。噛み付かれて当然さ」
なぜかその話を聞いて、焼払うのはいやになった。
「プリズンドックっていうのは、犯罪者にそういう犬の世話をさせ、人間の役に立つ犬に育てる犯罪者更正プログラムなんだ……俺も受けたからな」
ごしゅじんさま。このいぬと同じ?
私の瞳を見て彼はニコリと微笑んだ。
魔族の瞳を正面から見ても影響を受けない。不思議なひと。
「うん。誰かの役に立つ悪人だっているのさ」
あくにん。あくにんってなんだろう。
私みたいに害意を持った存在? 悪意を抱けばいい人でも悪人なの?
罪って言うのを犯すから悪人? 間違いばかりだから悪人なのかなぁ。
私の瞳の意味を彼は的確に見抜く。
唇すら奪おうとしないのに。私の心は筒抜け。
私が人と相容れない魔族と知りながら私の心を満たしてくれる『お兄さん』。
「さぁ。プリズンドック第一号を育てるぞ。『かげゆり』。あと『つきかげ』は何処行った? 張り切っていくからな」
張り切るのはいいんだけど。
たまには『けいり』の苦労もしってください。『店長』。うちは『かしじてんしゃ』のおみせなんですよ。
あの皇女の言うことホイホイと聞いちゃって。はらがたつ。やっぱりおおきくなったらふたりとも犯して殺す。
最近わたしばかり『けいり』やっています。
とくに『ぎんこう』業務なんて私にまるなげ。
まぁいいけど。
こういう『ひとのやくにたつ』わるいこと。
ちょっとだけ。私はすきになってきている。
話も日も変わるけどにんげんのやくにたつこと、さいきんはきらいじゃない。でも例外はある。
例えば。
「……」
「がうるるるッ」
恥ずかしい話だけど、私はこのえるふの女が怖い。
この女の持つ『光』は私の弱弱しい魂を吹き飛ばすほど強い。
意図せず耳は垂れ下がり、手足が震えて動けない。臓腑は裏返り、肺腑は呼吸を止める。
エルフ。神族とも呼ばれる妖精族。
ほのかな燐光を身体から放ち、精霊たちの加護を受けた存在。
私がいないときはい……「おおかみ」
……このおおかみ娘もこの女に多少の心は開いているが、私がこの女に怯えだしたらこうしてかばってくれる。この子は賢いしやさしい。
「……」
『かんもりのみこ』と呼ばれるエルフは一歩私から下がると、恐らくカフィの樹から『貰って』きたと思しき実の入った袋を無言で私たちの足元に置いた。
カフィの実は炒るとごしゅじんさまが『珈琲』と呼ぶものに近いものが出来るらしい。
「ただいま。ちゃんと戻ってきただろ」
にっこりと私に笑いかけ、ごしごしと頭をこする猟師。
「『かんもりのみこ』はお前たちのために無理を言ってカフィの樹から実を分けて貰ったんだぞ」
私はガウルが好き。死体になったりしているのを想像すると身体が悶えるほどに。でも他人や魔物や事故で死なれるのはいや。
にんげんは樹の恵みに感謝して実を貰うが、エルフは樹の許可を得てから実を貰う。
樹は己が種や花粉が世界に満ちるのを望む。相手の都合など考えないものだ。人間で言えば『異性は相手かまわず襲う困ったヤツ』になる。そんな連中の守護をするエルフは酔狂にも程があるというものだ。
先ほどいぬとおもったので毛を逆立てていた尻尾をしぼませ落ち込んでみせるいぬ。「おおかみだもん」耳までしぼんだ。ほおっておこう。
「しっかし大きくなったなッ 『かげゆり』ッ! もういっぱしのレディだぞ。こうして抱き上げることは今年で最後かもなっ!」
身体が急に持ち上がった。肩に私を乗せて笑うガウルにちょっとどきどきする。
彼の肩の上から見る光景は自転車の上の光景より更に高くて、暖かく感じる。
エルフの女の冷たい目を感じながら私はガウルの首筋に両足をいつものようにからめ、軽く抱きしめる。
私の胸には少しやわらかいものがついてきた。そして脚の間。ガウルが他の魔物などに倒されないか心配しているうちに。できた。
エルフの女がなにか言いたげに私をみている。お前には『嫉妬』という感情がまだないのだろう。ざまぁみろ。
「私もッ 私もッ」
「おうさッ」
いぬ。くうきよめ。
私が愉悦に浸っているとも知らず、いぬがうるさい。
「おおかみだもん」
そう落ち込む彼女もガウルは片腕で抱き上げてみせる。このいぬめ。お前も私が大きくなったらひどいぞ。
「来年になったらお前らもいっぱしのレディだろうなぁ。月日が経つのは早いもんだ」
私たちを抱き上げ、『おみせ』の天井の上から寂しそうに呟くガウル。
出入りする『じてんしゃ』に乗った貴族や貧民や兵士や商人を見おろしながら私は思った。『おとなにならないなら、この瞬間がつづくのだろうな』と。
でもそれは無理な話だ。神と呼ばれるエルフの女でも出来ないことだ。頼まないけど。
私たちの眼下で美しい笛の音を鳴らしてお客さんの脚を止める迷惑なエルフに苦笑いしながら私は思った。
「……永遠なら」
「うみゅ?」
「おじょうちゃんは難しいこと考えているんだなぁ」
ガウルの楽しそうな声が聞こえる。
難しくはない。永遠なんかないのだ。私は所詮魔族。
エルフ以外の皆は老い、崩れ、糞尿を撒き散らして死ぬか、殺される。それくらいなら私が犯して殺す。
早いほうがいいだろう。どうせ犯して殺すなら幸せ一杯のときがいい。いまがいちばん幸せだもの。
夕焼けの下、赤く輝く『じてんしゃ』たちの流れを見ながら私は呟いた。
「みんながいなくなっても、私かエルフの女は覚えているよ」
「……!」
肌がざわめき、『死の香り』を嗅ぎつけた私は股間から燃え上がるような愉悦を感じて目を覚ました。
『女』になってから能力が向上した。いいことだ。今なら前よりずっと殺せる。
ごしゅじんさまはまだ夢の中。
ごしゅじんさまは強いけど、闇の中では目が見えないし、暗殺者に対しては私たちのほうが上だ。
「『つきかげ』。きた」
「うん」
私たちは魔族の力や狼の本能で危険を察知し、闇にまぎれて暗殺者を迎え撃つために皇女に『買われた』。こと暗殺者相手ならば普通の騎士の十倍は役に立つと自負している。
今の私ならば十五倍は役に立つはずだ。殺戮の愉悦に身体がうずく。
「『つきかげ』。たべるな」
この娘の場合は別の方向に愉悦が向かう。
犯すなたべるな。うちのごしゅじんさまは無理ばかり。『でも、すきだもんね』しっぽの動きが細かな感情を表す。『うん』首を縦に振って同意。
今夜の襲撃者は暗殺者たちよりずっと手荒で、杜撰だが非常に面倒な手を使ってきた。
火をつけに来たのだ。たまにある。これが一番困る。自転車は壊されるわけにはいかない。
「出てきやがれッ! 狂犬野郎ッ!」
勝ち誇る男共を倒す私たち。『狂犬』はごしゅじんさまのあだ名だ。『かげゆり』と違って狼になったりしないのに。
「……」
肌があわ立つ。どうもごしゅじんさまが出てきたらしい。ああ。可愛そうに。
私といぬ「おおかみだもん」……は抱き合って怯える。ごしゅじんさまが怒ると私たちからみても怖い。
「こんなナマクラの剣で俺に勝てるかッ?!」
ぼかっ。素手なのに強い。
ひとしきり暴れ終わったごしゅじんさまは至極あっさりと火を消してしまった。
『ショウカキ』という道具がまだ残っていたらしい。便利だと思う。火をつけるのは大罪だが、ご主人さまは彼らに笑いながら呟いた。
「おまえら。俺に勝ちたいなら思いをこめて自分で剣を作ってみないか? 協力するぜ?」
なーんせ最近からだがなまって仕方ない。歳だからかなと笑いながら彼は微笑む。そういえばこのおとこたちは鍛冶屋くずれだった。顔を覚えている。
また厄介事を。
私はそう思いながらお店のお金を脳裏で計算する。多分いい稼ぎ。
「じゃ、決まりだな」
ごしゅじんさまが楽しそうに笑うの。私は好きだ。
この微笑の鎖がある限り、私は『罪人』にはなれないと思う。
このやさしく暖かな腕の束縛が。私には嬉しいのだ。それはニンゲンが『恋』と呼ぶものに近い。
しかし、ごしゅじんさまの心はあの皇女にあるのだ。
自分では否定しているけど、態度でわかる。
私を残してニホンに帰るのは仕方ないけど、
本当は嫌だけど皇女だけは連れて行って欲しい。こういう気持ちはなんというのだろう。
私はあのエルフのこと、『悪く』いえないのかもしれない。