月影
「いぬじゃない」
わずかに揺れる『女神像』。千の剣が揺れ、更に激しく『俺』に襲い掛かる。
『俺』はハンマーのように振り下ろされた次元の歪みの攻撃を十字受けで正面から弾き、
剣を手刀受けで左右に散らし、衝撃波を気合で弾き飛ばしてしのぎ、必殺の貫手を『女神像』の喉元に叩き込む。
「いぬっ いぬっ いぬっころっ! 『つきかげ』のいぬっころっ! 戻ってこいッ 」
「いぬじゃない。|おおかみ(大神)」その声にはあくまで感情が宿っていない。
「みんな死んでしまえ。愛されず。愛さず。消えてしまえ。
わたしなんて消えてしまえ。壊れてしまえ」『歌』を咆哮で弾き飛ばし、蹴りを胴にブチ込む。
「それが答えかっ?! なめんなっ そんな娘に育てた覚えはないッ 」
血の味のする唾を吐き、震える足を大地に叩きつけ縫い付け、大きく構えを取って対峙する『ぼく』。
両手を合わせ、祈るように。正面から攻撃を弾く。両手を軽く広げ、愛しむように包み込む。
両手を大きく開き、弾き飛ばして散らす。そして一気に詰め寄って反撃。
奥義・『桜花』。未来を切り開き、緑の命を生み出す一撃。
『女神像』から漏れるのは絶望の歌。死の歌。嘆きの歌。その歌を切り裂いて俺の貫手は再び奴にぶち当たる。
俺の指先の爪が割れ、血が吹き出し、骨が見えるが俺は怯まない。
気合で傷を治し、息吹で絶望の歌を弾き、萎え往く脚を闘志で奮い立たせて立ち向かう。
「いぬ。ばか」
俺と『女神像』の間に美しい女性が立つ。
豊満な胸にほっそりとした体つき。黒い肌。怒りに立った長い耳。
「わたしだって。わたしだって。
皇女がいなければ。ごしゅじんさまがいなければ。騎士団のみんなや町のみんながいなくなれば。
魔族で。ずっと一人になる。皆が寿命で死んで、私一人になる。だけど」
その胸にすっと曲刀が突き刺さり、一〇〇〇の剣がその黒い少女を細切れにしていく。
「『かげゆり』ッ 」「……ばか。おおばか」
「『つきかげ』ちゃん! しっかりしてッ 」
その女性は首が次の瞬間なくなっていた。
「『つきかげ』は可愛いな。ほれ。肉。肉。骨もいいか」「しっぽの姉ちゃんだッ! 」
「耳の姉ちゃん。今日は自転車。道路に無いよ」「おーい。『つきかげ』ッ 『かげゆり』ッ 店主さんにコレ持って行ってくれ! 」
「『つきかげ』ちゃん」「『つきかげ』ッ 」
これは、『剣』が倒した人々の『記憶』?!
「姉上ッ 姉上ッ 」
神々の戦いがぼくの周囲で繰り広げられる。
世界が揺らぎ、海が沸騰し、大陸が吹き飛び、天が燃えて惑星を包む輪が消えた日の。
二人の創造神である女神は心せず両陣営に属して殺しあい、憎み合うことになった。
『慈愛の女神』の仕掛けた攻撃が一瞬早く、『彼女』の腐敗の術は遅れ、彼女は破滅を意識した。
良かった。姉上を殺さずに済む。心の内に残った僅かな思慕に怪しく微笑む彼女。
その微笑みは戸惑いの表情を浮かべる前に固まっていく。
姉の唱えた最後の術は石化の術。反して彼女の術は。
目の前で美しかった『慈愛の女神』が腐って崩れて滅びていく中、彼女は声なき絶叫を上げた。
「姉上ッ 何故ですかっ?! 何故私を殺さないのですかッ 」最後に『慈愛の女神』が浮かべた笑みは美しく。その笑顔は即座に醜く崩れ去った。
死ぬに死ねない身となった女神は絶望の声を、歌を歌いつづけ、この世界が生まれていく。
絶望と死と悪夢の冬の世界。
その中で生きる人々と抗う人々の伝説の世界。
ギルドカードと呼ばれるシステムは、人が世界に干渉するために生まれたのだ。
それが、世界を侵害する罪だとしても。絶望に沈む女性の涙を止めるために。
しかし、そのシステムは壊れた。愚かな領主連合がそのカギを握る少女を利用し、暴走させてしまったのだ。
ほんと。人間はろくでもないな。『つきかげ』。