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ほーるどみー おあ だい

「私を娶れ。さもなくば死ね。今すぐだ」

 おいっ?!


 珈琲の中に入った熊にも効く痺れ薬を飲んでダウンしている犬娘。「おお……かぁみぃ……」寝とけ。

 毒も病気も通じない魔族故に痺れ薬は回避したが、縛り倒された魔族の娘の目の前で。


 俺……ぼくは深刻な危機に瀕していた。


 ぼくは男の中では小柄なほうだが、それだってこの世界の男性の中では平均的な部類だ。

 むしろ目の前で豪奢な花嫁衣裳(あくまでこの世界基準)を身にまとって殺す気で迫る娘のほうが。


「まて、『はなみずき』。話し合おう」


「五年以上待っている! 皇族として一八以上は行き遅れだ」

「いやいやいや。子供の前でこれ以上は十八禁」


 必死でかわすぼくに迫る彼女。かくも彼女は美しく賢い皇女さまに成長した。問題は相手がぼくだということでこれはものすごくこまる。


「何をわけのわからないことをッ?!」


 ぼくは貞操の危機に瀕している。



 いや、童貞じゃないから素人童貞か。


『皇女様ファイト』


 騎士団の女性騎士一同がいつの間にか書いていた架け幕が目に入った。お前等、貴重な布を無駄遣いするなッ?!


 このお店は元々自転車やバイクの問屋倉庫だったのだが色々あって(自転車関係は既得権益の塊だとだけ述べて置こう)俺の親父のものになり、親父が若くして引退するというので息子の俺が引き継ぎ、貸し自転車屋としてリスタートした。


 その際、仮眠用に居住エリアを何部屋か用意している。その一室をぼくと夜泣きの治らない『つきかげ』と『かげゆり』が利用している次第だが。


「まてまてまて。結婚は出来ないし、お前とは手ひとつ握ったことない」


 皇女を指してお前呼ばわりなど打ち首ものだが、それどころじゃない心境がわかっていただけるだろうか。


 そうしてぶんぶん振るぼくの手を甲冑着た娘が掴む。


「握った」

「……な、なんかちがうぞ。『はなみずき』」



「お前は公爵扱いだ。王族の親族に等しい。結婚にはなんの問題もない」

「俺日本人で異世界人ッ?!」


 しかし彼女はこの倉庫にある書籍や資料をいつの間にか完全に頭に入れていたようだ。


「帰化制度だかなんだかがあるそうではないか。もう日本に帰るな。私と暮らせ」

「無理ッ?! サトシッ?!」


 誰だサトシって。俺の旧友だ。


 必死で逃れるぼくを怪力で押さえ込んだ『はなみずき』は一言告げた。


「で。夫婦の契りはどうすればよいのだ」

「とりあえず甲冑を脱げ」


 まぁ過激と頬を染める女性騎士たちだが完全になにか誤解している。


「これで私たちは夫婦だ」


 こちらも盛大に勘違いしている。皇族の性教育は大丈夫だろうか。何もしていません。潔白です。顔を赤らめて嬉しそうな『はなみずき』の横で俺は滂沱の涙を流していた。



『山形の狂犬』と呼ばれた俺が何故こんな小娘に振り回されなければならないのだ。……そうだ。


『椅子に座って珈琲カップをくるくる回して婚姻の儀とする』


 考えてみれば馬鹿でもわかりそうなとんでもなくバカバカしい嘘を本気にする彼女に少しかわいいと思ってしまった。

 こんなバカ話を『異世界の儀式だと信じた』として真面目にとらえていた彼女に真実を告げると相当に荒れたのは言うまでもないが、結局『名前を教える』ことになっているので自分もヤキが回ったのかもしれない。しかし『はなみずき』はそれでも不機嫌なままだった。


 騙されたこと自体がイヤだったらしい。


 春川や俺の家は奇妙な風習があって、姓以外で呼びあうことは……まぁいいや。


 ぼくの足元でのたうつ子供たちを解放してやりながら、甲冑をガチャガチャ鳴らしながら暴れる残念な皇女様(推定年齢一九歳)をぼくは呆れてみているしかなかった。


「そうか。ぼくのお店はそんなに今重要な存在になっているのか」



 まぁ大臣連中や『はなみずき』との婚約を狙う連中、金貸しどもや両替商ギルドやら時々馬関係の連中がひっきりなしに暗殺者送ってくれていたけど。


「王国の法より、貴様の店の約款とやらに拘束力がある……このままではお前を殺さなければいけない」


 そうなるくらいならこの手でと嘆く彼女の肩を思わず抱きしめそうになって辞めた。俺は異世界の人間だ。この世界の女性に惚れられる資格はない。儲けさせていただいているだけで充分だ。それより。


「『はなみずき』。お前、何枚か約款を持ち出しているだろ」


 気付いていないと思っていたのか? 紙はこの世界では貴重と悟った瞬間からぼくは一切の紙類を片付けている。


「成文法を作れ。そうすれば王家の権威は高まる」

「せいぶんほうとはなんだ」


 この世界、ハンムラビ法典もないのか。


「ほら、ぼくの店では石版に大きく約束事を書いているだろ」


「ああ。アレは不思議に考えていた」



 貴様は商売人の癖に傍若無人ぼうじゃくぶじんだが、なぜか大きな争いにならないと不思議がる彼女。まぁ、争いになったらお前等騎士団が出てくるけどな。


「あれはな。紙……石版に双方約束事を明記することで、こちらも約束を守ることを約束している」


 想像してみよう。

 もし成文せず、店主のぼくの気分次第でコロコロ対応が変わったら偉いことになる。


 そりゃ古代の、この世界の商売人なら知らないが、日本人はモンスタークレーマー集団だ。

 例えば『お釣りを出さない』ルールをぼくが曲げたら、『前回は出してくれた』と揉めるようになる。


 貸し自転車屋ならそれでいいが、『奴隷に殴られた。奴隷は死刑』から、裁判を司る王の機嫌次第で『奴隷の家族も死刑』じゃ大分違う。


 ましてや『奴隷が殺されて大損害だ保障しろ』と決闘騒ぎになったら収拾がつかない。


「つまり、紙に書いて、民に約束することが重要なんだ。民はいつでもその紙の内容を確認し、約束を違えば責を問えるようにする必要があるんだ」


 『はなみずき』はしばし考えていた。



「そんなことをしたら、民が調子付かないか」


 成文化されるのが百年後とかそういう世界だしなぁ。


 確かにこの世界の感覚ではそうだが、信用度が違いすぎる。


「ぼくの世界でも婚姻届といって双方合意で……」


 喜色を浮かべる『はなみずき』を見て、ぼくは『しまった』と感じた。



 ~~鄭は春秋時代の初めごろは強国であったが、子産が生まれた頃には弱小国となっており、しかも鄭の地は北の晋、南の楚の2大国に挟まれた戦略的重要地であるので、度々侵攻を受けて、軍事面でも経済面でも圧迫されていた。(ウィキペディア日本語版 『子産』の項目より)~~


 婚姻の話は後日にしてだ。

 ぼくは荒れる『はなみずき』をなんとか宥め、子供たちの拘束を解くと、簡単な説明を続ける。


「この世界では年代記の一貫で成文法が紹介されるに過ぎないけど」


 だから成文化が遅れる。



 基本的に記憶力に優れた人々が重用されるのは言うまでもないし、施政者には経験が重要だ。


「『慣習法』『成文法』『憲法』って知っているか」


 三人はくるくると首を左右に振った。知るわけがない。というか、約一名は尻尾を自信なさそうにたらし、もうひとりは黒くて長い耳をぺったりと垂らしている。


「王が統治している間は、彼の基本方針や腹一つで物事が決まる」


 三人は首を縦に振る。


「しかし、人間には寿命があり、当然ながら王が変われば周囲の国は警戒する。愚王なら愚王で好戦的だと面倒だし、賢王なら賢王で周囲の国は困る」


 これは王族でもある『はなみずき』にはわかりやすかったようだ。しきりに頷いている。


「と言うわけで先に国の基本方針、統治方針を決めておく。これを法律の法律。即ち『憲法』と言う。憲法は制定を変えるときは国民皆の同意を必要とする。王の都合だけでかえることは出来ない」


 ぼくは半ピラの紙、お店の『約款』を三人に見せて「この文章は変えられないわけだね」と簡単に解説。



「『つきかげ』。御菓子を皆に。『かげゆり』。珈琲を全員に」


 可哀相に、痺れ薬の効果がまだ残っているらしい少女に反して、毒も病気も効かない魔族の少女の動きは機敏だった。


「皇女様。どうでしたか。バッチリだったでしょう」


 余計なことを言う女騎士の珈琲には尿塩を入れておこう。


「皇女様が~。皇女様が~。こ、これもお国のために」


 余計な心配をする男は軽く殴っておいた。

 そういうことはしません。



「成文化の弊害は既に皇女様が指摘したとおりだ。よって省く。

『憲法』は国の基本方針。これをコロコロ変えるためには国民の同意を必要とする。

 まぁぼくのお店は自分で約款を変えれるけど、これは周知徹底させないとダメだよね」


 変わったということを知らない人間がいちゃ話にならん。もっとも大きく張り出していても文句を言う人間はいる。



 約款だけでは対応しきれない事例もある。

 よって店内に大きく基本方針を張りなおす。『付則ふそく』と言うヤツだ。というか、朝起きたら異世界に店ごと転移なんてどんな状況だよッ?!


 更に、約款や付則で対応できない場合は店主の腹で決まるが、これは約款>付則>店主の腹という力関係があることで店主の暴走を防いでいるのだ。

 これこそ信用を得るための最低限のシステムである。

 貸し自転車屋程度でもこうなのだから、民の力が強まっている現在、王国が成文化せず権力者の腹一つで物事が決まればそりゃ揉める。


「この世界は不文法。王の意向で治められている。裁判も法律の作成も実際の統治も、時として神権まで王が行うけど」


 『かげゆり』が入れる珈琲の香りがこちらにも漂ってきた。

 ふわりと鼻を優しく刺激する香りは彼女ならでは。

 苦くて旨みのあるいい味の珈琲を彼女は淹れることが出来る。良い嫁になるだろう。


「『慣習・条理・判例』大雑把おおざっぱに不文法を説明するとこうなる。これらは成文化しても法の抜け目を超えて悪事を行う馬鹿をやっつけるために必要だ。あえて成文化せず裁判の判決の前例を重視する『判例主義』を取っている国もぼく等の世界にはあるが」



 この世界。紙がないからな。


「『紙』があって可能な概念だ。よって今回は省く。

 王の判断材料は条理、つまり彼の良心であり、慣習だね」


 あ、騎士たちの目がマジで殺す気に。

 これは不敬になっているな。首が飛びそうだ。


「今の王様は周囲を敵に囲まれ、小国をなんとか回している名君だけど」


 どこぞの自転車屋が下層民を無茶苦茶元気に経済活動させているのが問題で、治安はいいけど身分制度が揺らぎ始めているからな。


「法律を成文化し、一貫した行動で民を引っ張る。王家の信用度を跳ね上げるのさ」


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