橋の上のトロール
「娘を一年間タダで奉公させますので、王国大金貨一枚は勘弁してくださいっ」
だってさ。どうよ? さすがのぼくもドン引き。さっさと日本に帰りたい。
オッサンを一度追っ払い対策を練るため人を呼ぶ。
彼のことや娘の未来を思うと不愉快だ。ぼくは『はなみずき』とともに閉店を済ませ、珈琲を淹れた。
「そもそも一日で銀貨百枚、王国大金貨にして一枚の稼ぎがいい所の貴様が何故それほどの資金を持っているのだ」
ふわふわと珈琲の白い湯気がたなびき、爽やかな珈琲の香りが店を満たす。
唾液を飲み込み、カップを唇に咥え、黒い液体を口に含めば心地よい苦味と温かさがぼくの口を満たしてゆく。
この世界では『浄水』した透明で美しい水を毎日飲むのみならず、別の煮汁というか墨汁(※墨汁じゃなくて墨の汁)をあえて加えて飲むぼく等や『はなみずき』の部下はトンでもない酔狂だ。
ガタイが異常に良い大男が手を上げた。
「たしかに。不思議だわな」
この猟師、以前無銭で自転車を乗り回した挙句に破壊したのでしばらく『制約呪』で働かせており、森の中で自転車を見つけたら持ってくるように言っている。
確か、ガウルって名前だったと思うが。
「……」
「……」
この猟師と常に行動を共にしている『かんもりのみこ』とか言うエルフは『かげゆり』の敵対種族らしい。
「グルルッ!」
脅える『かげゆり』を守って店の隅で震えながら四つんばいで威嚇する犬娘に「おおかみっ!」ぼくは呆れるとともにある種の姉妹感情を二人が持ち出したことには好感を抱く。
「別に。……子供に何かをする気はないわ」
どこからか薫る森の香り。彼女の周囲は森の奥のような清涼な空気で包まれ喉を、舌を爽やかにする。
彼女の近くにいるだけで平衡感覚が奪われ、血液がドクドクと流れ、唾液の渇きを感じてぼくは舌で唇を拭った。
エルフって連中を初めて見たときはぶったまげた。光る。回る。音が出る。
後半二つは嘘だが、燐光を放ち、トンでもない美形で、表情がなく、笑ったり泣いたりしないのが逆にミステリアスな美貌を強調している。神と同等に扱われているのも無理もない。
「俺の女房だからな」
はい??! ガウルの発言にその場にいる全員が『この筋肉ダルマ、何言ってやがる』な顔になった。
「勝手に決めるな。まあかまわんが」
猟師に視線を向けるエルフと腕を組んでみせる猟師。ぼくは……周囲の男たちは絶望した。我々男性陣の様子に魔導士ギルドの長を名乗る爺さんが微笑む。
「ガウル君とドライアド君の仲については、まぁ疑問の余地があるとしてだ」
「なんでだよっ?!」
黙れ。ガウルのリア充。死んで良いぞ。
「店主殿はどうやって周囲を買い占めた?」
ああ。爺さんの言葉に返事をする。
「王国金貨一枚渡したら結構快く皆立ち退いてくれたぞ」
ほとんど浮浪者同然だったし。
頑固なヤツは王国大金貨で黙らせた。その手管を聞いて皆は頭を抱えていた。
「いや、だからその王国金貨一枚は何処から来たのだと言っているのだ」
全員を代表して『はなみずき』が質問してきたので答える。「前に言ったけど、自転車を返すまでは世の中に王国金貨が二枚あるのと同じ」
ここでボディランゲージの習慣のないエルフ以外の皆は首肯する。
「でも、お客さんが返すまではぼくの手元に自転車一台につき王国金貨が一枚あるじゃないか」
一日二百人借りれば、王国金貨二百枚だ。王国大金貨にして二十枚。
返すまでは如何使おうがぼくの裁量だからな。つまり、借りパクは絶対ダメなのだ。
金貨一枚をぼくが失っただけではなく、金貨一枚をぼくが、社会が金貨一枚を支払ったことになるからな。
そういうと、カネを使う習慣のない神族を除き、皆は頭を抱えてぶっ倒れてしまった。
そんなことよりトロールとやらをなんとかせねば。
「じゃ、俺と『かんもりのみこ』でとりかえしてくればいいのかな」
この猟師、やたらめったら腕っ節良いので頼りになるんだよな。ぼくは彼らに自転車奪還を任せることにした。え、ぼくがいけって? いやだよ暴力反対。
「がんばってね~!」
尻尾をぱたぱた。柔らかい三角の耳もぱたぱた。
この犬娘「おおかみっ 」この猟師に結構懐いている。それは『かげゆり』も例外ではない。どうも子供に好かれるらしい。羨ましいヤツだ。
「ロリコンの毛があるのか? 貴様」
最近ぼくより背が伸びてきた『はなみずき』は甲冑の胸をぼくに押し付け、甘い息をぼくに何故か吹きかけた。
腹に、短剣当たっているんですけど……。
「頼りになるのかのう」
魔導士ギルドの長、ソルは冷たい目でこれから旅立つガウルを眺める。
「失礼だぞ。爺さん。マジで」
「ふぉふぉふぉ。武運をいのっとるぞ」
この爺さん、結構おもしろくて好きなんだよな。子供たちも懐いているし。懐いて。なついて……。
「どうした」
うずくまっていじけるぼくに問いかける『はなみずき』の青銅の靴。
「子供たちが前ほど懐いてくれない」
「当たり前だ。年頃だぞ」『はなみずき』はそっけなかった。
そして数日後。
「まけますた」
ボロボロの猟師を引き摺るように自転車に乗せたエルフを見てぼくはため息。
「『かんもりのみこ』。二人乗りによる自転車破損。王国大金貨一枚な」
「??」
相方を助けてお金を取られたことに耳を曲げて不思議そうにしている『かんもりのみこ』にぼくはため息をついた。
「しかたない。ぼくが行ってくる」
人間、『話せばわかる』はずだ。たぶん。
「君がトロール君か。悪いけど自転車二台返して欲しいんだ。それはぼくのものだからね」
咄嗟に飛び跳ねた。
ぼくの立っていたところに巨大な棍棒、否、樹がめり込んだ。
周囲の鳥や獣が逃げ回る気配、ごうごうと唸る樹の固まりが摩擦熱で軽く着火して焔の香りを放つ。『トロール』とやらは岩で身体をコーティングした巨人だった。確かに強そうだな。うん。
「橋を渡りたければ、税を払えええッ?!」
唸りをあげて迫る蹴りを辛うじてかわす。
「まぁまて。今日は光曜日だ。仕事はなしにしようぜ」
「ふざけるなぁあああッ?!」
次々とぼくに降りかかる拳を必死で避ける。地面を殴ることで砕けた石が吹っ飛び、ぼくの身体を傷つけ、ぼくは呻いた。
「まて。話がある。もし君が光曜日に橋を無料にするならば、光曜日は君の橋は賑わう。いいか、そうなると……そうだなぁ人がいっぱい通るから市も立つようになるだろうな」
「阿呆がぁああぁっ!!」
「光曜日に橋を渡れば、山賊に襲われる事もないからね。トロールは誰だって怖い。……そして、橋税をもっと減らしても、やがて普通の日でも人が通れるから橋を維持できるようになるんだよ? そうしたほうがいいと『おもうぜ』」
残念だが彼は『ぼく』の提案を無視した。
ぶちきれた『トロール』は『俺』の言葉、否、『警告』を無視して新しい樹を引き抜き迫る。
「死ねェえええぇっ」
轟音を上げて樹の棍棒が『俺』に迫った。
そうか。ならば仕方ない。『話せばわからない』奴は『多少』世の中に『いた』。そういう奴は例外なく……。
どむ。
『俺』はその一撃をかいくぐり、逆にその勢いを殺さず利用してヤツの膝を蹴り拳を叩き込む。
ピピピ。ギャアギャア。鳥たちが飛び出し、蟲共がうごめく。
さわさわと木々が揺れ、草がざわめき、風が唸る。
『俺』の口元から笑い声が洩れた。
ああ。ヤバいヤバい。タイマンは辞めたつもりだったんだがな。
「てめえ……覚悟は良いな。『山形の狂犬』の片割れにタイマン挑む覚悟。しっかり受け取ったからな」
かつての相棒、『春川』以来の強敵の出現に『俺』は興奮を隠せない。
どすん。樹を放り投げて腰をおとし、手を振り回して命乞いをする『トロール』。
その振り回す手すら脆弱な人間の『俺』には致命傷だが。
「ナメてんの? さっさと拾えよ。武器をよ」
バキボキと『俺』は拳を鳴らし、『トロール』と対峙する。男が男を殴るときはなぁ。殺されてもいいときだけだぁ?!
他者を一方的に暴力で蹂躙出来ると考えるのは敬意が足りない。覚悟が足りない。
「いい事を教えてやろう。『俺』が使う『空手』って技はな。力も武器もない庶民が、武器を持つ官警や武士と戦うために生み出した世界最強の必殺技だ」
全身に巡る血液が一気に開放され、息吹とともに興奮が俺の身体を突き抜ける。
大きく踏みしめた両脚が武者震いを踏みしめ、大地を砕き。
予測される血の香りと味への期待に歓びと感謝を込めて『俺』は拳を握る。
「押忍! オネガイシマッス!!」
そしてぼくはゆっくり『手土産』をもって帰路についたのである。そのせいで現在『はなみずき』にSEKKYOUを食らっている。
「勝手に飛び出して、トロールに襲われたらどうするのだ」すみません。
「結構好意的に自転車返してくれたよ」
ぼくがそう述べると。
「たまたま機嫌が良かっただけだ。神族の一角である『巨人族』の眷属だぞ。相手は」
「へぇ。エルフとは別なんだ。参考になった」
「しかし、アレはどう国王に報告すべきか」
頭を抱える騎士団長補佐さん。
「どったんだろ」
「『はなみずき』様には言えないが、体中の岩を砕かれ、下半身丸出しでぐるぐる巻きにされて、大岩に括りつけられて泣いていた所を保護したらしい」
「不死性と再生能力を持つトロールをあそこまで追い詰める魔物が周囲に潜んでいたとは」
「たたりだッ! 橋の神の祟りを受けるぞッ!」
……ナンノコトデスカネ。
「ああ。そうそう。なぜだか知らぬが、光曜日は無料で通ってよいそうだ。普段の橋税も銀貨一枚で良いと」
『はなみずき』が不思議そうに小首をかしげる。
「そりゃいいことだ。きっと立派な橋になるよ。あのオンボロ橋は」
ぼくは微笑むことでごまかした。