プロローグ。始まりのお客さんは美少女騎士
「『カシジテンシャ』とはなんだ」
はぁ。『ぼく』はその完全武装の鎧武者にそれだけを言うのがやっとだった。
いつもどおりお店を夜一二時で閉店したぼくは、日報のつじつまあわせと計算を終え、さぁ家に帰ろうかとか思っていたが。
あれ? いつの間にか朝になっている。
というか、朝六時半って開店時間じゃないか。
今日のシフトからいえば酒巻さんと風鳴さん。佐川さんが出るはず。三人とも来ないけどどうなっているのだろう。
そう思いながら慌ててお店のシャッターを開けたぼくは、周囲の異臭に眉をしかめてしまう。
一言で言うとウ●コ臭い。
腐敗臭までする。
喉までやられそうな嫌な香りで舌にまでつく。
しかし、朝独特の清浄な空気と朝霧……って朝霧にしちゃ濃すぎるッ? コレは濃霧だッ?!
濃霧を吸いながらお店のシャッターを開けると、普段なら列を作って「さっさと開けろ」と叫んでいるお客さんたちがいない。
おかしい。
そう思うべきだったのだ。最初から。
だが、ぼくにとってその時は「ああ。寒い寒い」と震え、ストーブの電気を入れるほうが先だった。
電気が入らない。壊れているらしい。
まさか停電じゃないだろうな。
かしゃん かしゃん かしゃん かしゃん
変な金属音が遠くから聞こえる。ぼくは寒さに耐えかねてストーブを軽く蹴るが意味がない。
「御免。貴君はこの店の主かね」
ぼくが振り返ると。鎧を着た美少女がいた。朝っぱらからなんのコスプレだ。
その娘は何故か日本語で話す。ロシア人かな。
甲冑を身に纏っていて体型は解らないけど、凄く可愛いのだけは解る。
「カシジテンシャとは。なんだ」
「自転車を貸すお店です。
朝六時半の開店から、夜一二時で閉店するまでに返却すれば百円で自転車を借りることが出来ます。
身分証明を必要とし、保証金として千円を必要とします」
不思議そうな顔をする彼女に言葉を続ける。
この説明は慣れたものなので途中でつっかえたりはしない。
「自転車の状態を保持し、放置、破損、二人乗りなどを行った場合罰金がありますので注意してください。
十日以上の貸し出しは一日二百円の料金になるので、速やかにお返しくださいませ。
基本的に駅前を中心に利用する方に対しての貸し出しですので、毎日返却を前提としております」
酷い長台詞だが、慣れた発声でよどみなく答えたぼくに「ジテンシャとは。なんだ?」とその美少女は答えた。
自転車知らないのかな。珍しい。
「コレっすよ。コレ」
ぼくは彼女に自転車を出してみせた。というかなんでこの子自転車知らないの?
軽く乗って見せると、彼女は驚いたようだ。「転ばないのかッ」と驚く彼女。
転びません。
「速いッ?! 速いぞッ」
まぁ自転車は速いけど。
彼女は甲冑を着たままぼくの制止を聞かず自転車に乗った。
ああ。サドルが破れた。罰金を頂かなくては。
『がっちゃーん』
デスヨネェ。
「乗れないではないかッ」
いや、いきなり乗れるとはぼくも思いません。
文句をいう彼女に「それに、お金を頂かないとぼくだって乗せるわけには」と告げたら頬を赤く染めて恥じ入る。不覚にも可愛いと思った。
「し、失敬した。物珍しさに貴重な品に傷を入れてしまい、謝罪の言葉もない。この対価は家の者が望むままに」
い、いや、そこまで。たかが組み立て代含めても三万円あるかないかのボロ自転車だし。
しかし、ぼくに彼女が見せた『おかね』はぼくの予想外のものだった。
「銀貨ではなく、王国金貨しか持っておらぬのだ。今はコレで勘弁してくれ」
き、きんか?!
「おうこく。キンカ?」
ぼくは彼女の鎖帷子で覆われた手をじろじろと見てしまった。
鎖帷子の下は分厚い布と皮。ミトンの指先は分かれていない。コスプレにしてはあまりにも本格的過ぎる。親指しか自由に動かせる指がない彼女に代わり、ぼくは袋から自分でその中身を確認せねばならなかった。
「銀貨はないのだ。今は王国金貨で勘弁して欲しい」
ぼくがその金貨を調べていると、彼女は何を勘違いしたのかそういった。ニセモノかどうかは知らないが、金だと思う。重いし。ただ出来は良くない。金だからか傷だらけだ。
申し訳なさそうに呟く彼女にぼくは「なぜ銀貨より金貨のほうが価値に劣るのか」と質問。
質問すべきはそこじゃないだろ。ぼく。
そう思ったのは彼女が去った後だ。
「銀でできた武器でなければ倒せない魔物がいる。銀は魔法と相性がよい」
「はぁ」
マモノ? マモノって?
「銀貨は、各国全て同じ純度、同じ重さを採用しなければならない決まりがある。そうしなければいざ鋳潰して武器とするときに問題が生じるのだ」
彼女は何故知らないのだという顔をぼくにしているが、それはぼくがさっきまで浮かべていた表情である。
「金貨には価値がないのかい?」
「あるとも。王国金貨はその日の相場や両替商の機嫌にもよるが、銀貨七枚から時として十一枚の価値がある」
おい。テキトウすぎるぞ。
「だから、支払いは銀貨が最も信頼があるのだが、生憎持ち運びの都合で私は現在金貨しか持ち合わせがない」
ああ。理解できました。
「じゃ、金貨一枚を預かって、この自転車をおかししますから、あとで銀貨一枚を下さい」
ぼくは営業スマイルを浮かべて呟いた。
「あと、サドル代をあとで請求しますので、それ以上のお金は結構です」追加で更に一言。「相場は良くわからないので、どのレートの日でも十日までなら一日銀貨一枚。十日で金貨一枚にてお貸ししますね」
その台詞を聞いて彼女は顔をほころばせた。
「なんとっ?!
転んだ拍子とはいえ、貴重な宝物に傷を入れた私にそれだけの処遇で済ますとはっ 貴君はなんと寛大なのだッ」
何故か泣いていらっしゃいますが、朝霧が目に染みたのでしょうか。
「しかも。しかも相場に関わらず。金貨一枚を銀貨十枚として私に貸してくれるだとッ?」
聞けば、急を要する仕事があるのに、馬の体調が芳しくなく、今まで馬の世話をしていたらしい。
うま? なにかの撮影かな。
「なら、今すぐ、その自転車にのって、用事を済ませて帰ってきてください」
「恩に切る。たかが王国金貨一枚でこのような宝物を貸してくれた貴君の恩義に必ず報い、本日中に返却すると騎士の身命に変えて誓おう」
いや、さっさと行ってね? ぼくだって暇じゃないのだから。
「いってらっしゃいませ~~」
「行ってくるッ! 必ず帰ってくるからなっ?!」
ぼくはため息をついた。
「あんなオンボロ自転車如きで、大げさな外人さんだ」
というか、可愛かったな。あと、日本語上手かったな。
ぼくはもう一回、レジをひっぱ叩いた。まだ電気が入らない。レシートが打てないと気がついたぼくはレシート用紙をハサミで切って割符代わりに彼女に渡しておいた。
朝もやはまだ晴れない。
そしていつもは列を作って待っているお客さんもいない。しかたない。珈琲でも入れようかな。
あれ? ガスが出ないぞ。
どうなっているのだろう。
ガスが入らない。
ぼくはホトホト困り果てたが、ガスボンベとコンロがあることを思い出し、ボンベをセットして珈琲を入れることにした。
って。水が出ない。何故だ。
仕方ない。冷蔵庫の中のミネラルウォーターを出すしかないか。
「♪ ♪ ♪」
機嫌よくお湯を沸かすと、珈琲の香りが店内を満たす。香ばしい香りに暖かな空気。
湿った湯気が広がり心を満たす。
うむ。朝はやっぱり珈琲に限る。
朝霧が晴れていくと店の前の道路がアスファルトではなく石畳になっていることに気がついた。
「なんじゃこれ?」
思わず石畳を踏みしめると、土だと思っていたものが……だったことに気がついた。
汚いっ?! 汚いッ?! どうなっているの?! えんがちょ?!
というか。
ぼくはきがついた。ぼくのお店の前はいつも車が通っているが、朝からまったく一台も見かけていない。
そして、周囲を歩く人々。
木の繊維で出来たズタ袋を貫頭衣のように着ていて、下着らしいものは着ていない。というかいま、見えたっ?! おばちゃん何みせているのっ?! ちょっと勃起っちゃったじゃないっ? ババア自重ッ?!
そんなことはどうでもいい。
ぼくの店の周りには、明らかに日本とは異なる空気と、光景が広がっていたのだ。
からん からん。
恐らく時を告げる鐘の音が鳴り響く。きっちり八回鳴った。
ぼくの周り。店の周りに集まる人々。
破れたズタ袋のようなモノを身にまとった人々はぼくと、お店を遠巻きに見ていた。
皆歩いている。歩いているという事は。
「これは。ビジネスチャンスかもしれない」
この時点のぼくに状況は良くわかっていなかったが、何故か『儲かりそうだ』ということだけは解っていたのだった。そこに子供の声がした。
「あのう。いつのまにか空き地にお店が出来ていたのですが、このお店はなんのお店ですか」
遠巻きに見ていた子供の一人が、ぼくにはなしかけてきたらしい。暇なので相手をする。
「貸し自転車屋ですけど」
「貸しジテンシャ?! お前、金貸しかッ?! 金貸しは死ねッ?!」
なんなんだよ。いきなり……。
「違います。自転車を貸すお店です」
「金貸しは死ねっ! 地獄に落ちろッ」
頭が痛い。なんなのこの子たち。
金貸しと泥棒か何かを混同していないか。
「だから、カネを貸すわけではなくて、ぼくは自転車を貸す仕事の人間だ」
「ジテンシャってなんだ」
またか。ぼくは自転車を店の奥から出してくると、彼らの目の前でくるくる回ってみせた。
「うわああ!?」「なんだこれ!」「鼠みたいにクルクル動くぞッ?!」「すげぇカラクリだっ」「こんなカラクリ、ドワーフだって作っているのを見たことないぞッ?!」
子供はどこでも大はしゃぎ。外人さんでも同じらしい。というか日本語上手ですね。
まぁボロ自転車とは言え、日本の企業が作ってるもんだしなぁ。ぼくの住んでいた町はいつの間に外人さんに占領されたらしい。家はどうなった。
「これを貸してくれるのかッ?!」
「うん」
「じゃ、借りる借りるッ」
「まて。タダじゃない」
そのまま乗って行こうとする彼を全力で止めた。
「はぁ?! 借りるって言ったらタダだろッ!」
「あのなぁ」
呆れかえるぼくは彼にルールを説明。
「とりあえず、持ち逃げされないように王国金貨を預かる。もどってきたら返すが、その際には銀貨を一枚くれ。ただ、今日の夜一二時まで。営業時間を過ぎての返却やどこかに放り出していたら別料金だ」
「高いぞ」
即答かよ。
「だからタダではないと言った」
「せこいぞ」
「五月蝿い。ぼくが店主だ。つまりぼくがルールだ」
子供たちは何事か呟いていたが。「まぁ、いい。借りてやるよ」といっていずこかへ。そこらに放り出すなよ。回収大変なのだからさ。
しばし待つ。
半刻後、彼らは上機嫌で銀貨を払ってくれた。帰ってくるのが速すぎることに不審を感じて問うと彼らはこう述べた。
「こんな速くて面白いものははじめてだ」「柵から柵まで一瞬だぜ」「また金貯めたらくるよっ」
柵? 柵ってなんだろう。
この時点のぼくはこの街のあちこちに貧民とそれ以外を分ける柵が存在していることを知らない。
そういえばもう一人の子供はどうなったのだろう。心配して待っていると夕方過ぎに彼女が帰ってきた。
子供とわかってはいるが、美しい金髪を振り乱し汗にまみれたその顔は疲れを残しつつもかえって美しい。残り少ない陽の光を背に輝く青銅の甲冑はコスプレ衣装にしては本格にすぎた。
戻って早々お金も払わず彼女は叫ぶ。
「貴君のおかげで、無事間に合ったッ! 感謝しても仕切れないッ」
ぼくの手を握ってぶんぶん振りまわす美少女にぼくは戸惑いを禁じえない。
「あ、あの。サドル代と、あと銀貨一枚くださいね」
サドル代。いくらだろ。とりあえず金貨一枚もらっとこう。 触る必要もなく甲冑で傷ついたサドルは廃棄確定。
「う、うむ。銀貨だ。ちゃんと持ってきたぞッ!」
「ありがとうございます。あと、サドルが破れているので追加料金を頂きます」
「この座席はとても快適だった。如何な魔法の産物だ」「魔法ではありません。バネがついているでしょう」
「王国大金貨を持ってきたので、これで支払ってよいだろうか」
ダイキンカ? ……でっかい金ぴかをもらって戸惑うぼくに彼女は続ける。
「各国は大金貨には金貨十枚の価値があるとしている」「はぁ」
「金貨よりは信用があるぞ」
「そうなのですか」
「よって、支払いは銀貨、若しくは大金貨が好まれるな」
「ほう。でも金貨でいいです」
「なんとっ」
いや、ボロサドルだし。替えようと思っていたからね。
「貴君の貢献は素晴らしいッ! 今日から貴君は王国公認とするッ」
はぁ。
「わが名は。『はなみずき』。知っておろう」
そういって胸を張る美少女だがもちろんぼくはそんな女性に知り合いはいない。アイドルなのかな。
「いんや。誰っすか」
「無礼者。この国の第三皇女だ」
「ウソツケ」
こうしてしばしもめたぼくら。
物語はこうして始まる。
ファンタジー世界で貸し自転車屋さん。
はじめますた。
テーマソング
いちばん近くに
(NHK連続テレビ小説「純と愛」主題歌)
作詞 新里英之,仲宗根泉
作曲 新里英之,仲宗根泉