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21<春風と、大成功>

 左足首を包帯でぐるぐる巻きにされた私は、宿泊先である旅館の特別室(というか実際は先生たちの部屋。体調不良なんかで団体行動がとれなくなった生徒はここに隔離されるらしい)で、1人ぼうっと座っていた。

 10畳はありそうな広々とした和室。どっしりと渋い床の間に、立派な掛け軸。まさに古き良き日本の部屋って感じだ。掛け軸にはなぜか和服姿の老人が描かれている。最初は物珍しかったその繊細なタッチも皺のリアルさも、今はもうすっかり見飽きてしまった。

 七緒に背負われ宿に到着したのが3時過ぎだから、かれこれ4時間はここにいることになる。

 私はあまりの退屈さに、思わずため息をつく。

「あぁ……暇だ……」


 ちょっと前まではこの部屋も賑やかだった。田辺と2人の班行動を終えた美里が足音高くやって来るなり、私の肩を掴んだのだ。

「心都! 足! 怪我してたなんて!」

「ご、ごめん。ご迷惑おかけしまして……」

「虫が目に入ったなんて嘘ついて! もう! ちゃんと言ってよ!」

「ご、ごめん、本当、すんません……」

 どうやらかなり心配をかけていたらしい。美里は泣きそうな顔をして私を叱っていた。

 私は深く深く反省した。

 まあまあ相手は怪我人なんだし、と後ろから顔を出した田辺になだめられ、美里はようやく落ち着きを取り戻した。

 そして、こんな隔離部屋で暇だろうからと私の話し相手になってくれた。

 いや、話し相手というよりは──田辺が終始、楽しかった自由行動のことを締まりのない顔で喋って、美里がそれを信じられないくらい冷たくあしらう、というやり取りがほとんどだったのだけれど。




 そんなこんなで現在、午後7時。今頃、生徒の皆はもちろん先生たちだって食事中だ。私は1人味気のない時間を過ごしていた。

 やっぱり多少無理しても食事は皆と一緒にとらせてもらえば良かったなぁと、今更ながら後悔する。いくら一歩踏み出すごとに苦痛に顔が歪んで地の底から響くような呻き声を漏らしてしまうとしても、皆でわいわいご飯が食べられる楽しさと比べればそんなの些細なことだ。

 私は畳の上にごろんと寝転んだ。

 何の気なしに窓の外を見やる。開け放たれた窓の向こうには立派な桜の木あって、満開の花を咲かせている。もう5月なのに、この北の大地では今がまさに春爛漫なのだ。

 部屋から眺める桜は思った以上に綺麗で、私は「夜桜の良さがわかるなんて私もなかなか大人の女になってきてるじゃん」と1人ほくそ笑んだ。


 と、そのとき。

「失礼ー」

 ちっとも配慮の気持ちがなさそうな声とともに、扉ががらりと開かれた。

 慌てて飛び起きると、そこには食事が乗ったお盆を持った七緒がいた。

「なんだよ、寝てたのか」

 七緒が呆れ顔で私を見る。

「寝てないよ。ごろごろしてただけ」

「あっそ」

 そう言って、七緒が机にお盆を置いた。ほかほかの炊き込みご飯にお味噌汁、魚の煮付けとおひたしと、なんか小鉢の白っぽいやつ(何だろう?)。いかにも旅館のご飯って感じで、おいしそう。

「わぁ、ありがとう。七緒がご飯持ってきてくれたんだ」

「うん。先生が持ってくるはずだったんだけど、なんか下の階でケータイいじってるやつがいて、お盆持ったまま説教してたから代わった。飯、冷めるだろ」

 原則としてうちの中学は、普段の学校生活はもちろん、こういう行事にだって携帯電話の持ち込みは禁止されている。だけどほぼ全員が密かに持ってきているし、きっと先生たちもそんなこととっくに知っていると思う。だからこそ、現行犯を目撃したときだけは先生たちも思い切り説教せざるを得ないのだろう。

 ちなみに七緒はこのご時世、中3にもなって携帯電話を持っていないというわりと珍しい人種だ。本人曰く、今は必要ないけど高校入ったら買おうかな、らしい。


「じゃ、いただきまーす!」

 私はお盆と七緒の両方に手を合わせた。

 ご飯もお味噌汁もおかず(白っぽいのは、ごぼうのコールスロードレッシング和えだった)も、とてもおいしい。箸がどんどん進む。そういえば昼食のときは足の痛みに気を取られてお腹いっぱい食べられなかったんだ。

「……」

 なんとなく視線を感じ顔を上げると、七緒がじっとこちらを見ていた。

「……何?」

「え」

 はたと我に返ったような七緒が、口を開く。

「いや、今ちょっと思い出したんだけど……確かあのとき転んで喧嘩したよな、俺たち」

「あのとき?」

「さっき心都が言ってた、小学1年の、俺が心都を背負えなくて引きずって帰ったってとき」

「……あー」

 そういえば、そうだった。あのとき、怪我した私に肩を貸してくれた七緒だけど、結局彼は私の重みに耐えきれず、あと一歩で家というところで2人して派手にすっ転んでしまったのだ。

 そして私は、同じ箇所を二度擦りむくというこの世のものとは思えない苦しみを味わった。地面に伏したまま「うわああぁ七ちゃんのばかー!」と八つ当たり混じりに泣き叫ぶ私。その隣で、「おまえが重いんだよばーか!」と同じく尻餅状態のまま涙目で言い返す七緒。あれは、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「そんなこともあったねぇ。七緒、忘れたって言ったくせに結構覚えてんじゃん」

「だから今思い出したんだよ」

 確かそのあとは、家の前で2人で泣きながら言い争っているところをお母さんに発見されて、ホットケーキを作ってもらって、すっかり機嫌も直ったんだっけ。うーん、単純。

 思えば、私たちの喧嘩なんていつもそんな感じだった。始まりも終わりも本当に単純で、些細なこと。

 今回だってそうだ。昼間まではバトルの真っ最中で険悪極まりなかったのに、富士山くん紛失事件をきっかけに、もういつも通りに戻っている。


 私たち、こんなことを15年間で何度も繰り返してきたんだ。


 なんか、それって──


「山上にさ、ちょっと前に『杉崎とどんなことで喧嘩してきた?』って聞かれたんだよ」

 と、七緒。

 その唐突さに、俯いて物思いに耽ってしまっていた私は、少しびっくりして顔を上げた。

「山上に?」

「うん。そんな話まで聞きたがるなんてあいつ、そーとー心都にぞっこんだよな」

 私をからかうように七緒が笑う。

 だけど私はなんとも返答できずに、ぎこちなく目をそらした。その話題、非常にコメントしづらい。

 七緒は私の挙動不審っぷりを気にもとめず、続ける。

「だから小さい頃の喧嘩のネタとか話したんだけど、なんかあまりにもくだらないことばっかりで、思い出しながら我ながらびっくりした」

「……私も今さっき、同じこと考えてたよ。しょーもない喧嘩ばっかりだなって」

「あ、やっぱり?」

 ちょっと笑えた。

「なんかおかしいよね、本当。今日だって数時間前まで喧嘩してたのに」

「うん」

 物心ついたときから繰り返している、くだらなくて馬鹿みたいな喧嘩。今まで特別に考えたこともなかった。

 つまりそのくらい、七緒との日々は「当たり前」で「日常茶飯事」で──やっぱりどこか居心地がいいんだと思う。


 それって、もしかしたら、私にとって「幼馴染みの七緒」の存在は自分の認識以上にとんでもなく大きいってことなのかもしれない。



「……だから、『関係ない』っていうのは、違うよな。やっぱり」

 ふいに、真面目な顔で七緒が呟いた。

 数日前の喧嘩でのやりとり──『私のことはあんたに関係ない』『そうですね』──のことを言っているのだとすぐにわかった。

 どうやら七緒もこの数秒間の沈黙で、私と同じことを考えていたらしい。それがなんだか、すごく嬉しい。

「頭に血が上ってたからね。あれは……取り消しだね、お互い」

「……ま、一応、それなりに重要な『幼馴染み』ってやつだもんな」

「一応とかそれなりとかは余計だよ」

 それに「重要」じゃなくて、「大切」とか「かけがえのない」とか、もう少し色気のある言い方をしてほしい。……まぁ、この男にそんなものを求めるのも無理があるけど。



 開けっ放しの窓の外で、強い春風が吹いた。

 満開の桜の花びらたちが舞って、数枚この部屋にも入り込んでくる。

「あ! ジンクス!」

「は?」

「こないだも言ったじゃん! 桜の花びらを空中でキャッチできると願い事が叶うって」

 私は頭から捻挫のことも吹き飛び、勢いよく立ち上がってしまった。

「いたたたたた!」

「うわ、アホか」

 七緒が心底呆れた顔で私を見る。

「だって、いまだに桜咲いてるのなんて北海道くらいだもん! これ逃したらもう来年の春までチャンスはないんだよ!」

「だからってそんな……」

 そう言いかけた七緒の目の前に、ひらひらと風に遊ばれた一枚の花びらが落ちてきた。

 彼は反射的にそれに手を伸ばし、掴む。ゆっくり手を開くと、中にはちゃんと一枚の花びらが収まっていた。

 キャッチ大成功。

「すごい! 七緒、箸で虫とかつかめちゃう系の人になれるよ!」

「偶然だって」

「ほら、早く願い事しないと!」

 そうは言ったものの、私は七緒がこのテのジンクスやらおまじないやらを信じるとは到底思えず、こいつきっとまた夢のないことを言い出すんだろうなぁと覚悟していた。

 だけど予想に反して、七緒は手の中の桜を見つめ、呟いた。

「願い事かぁ……」

 あら、意外と素直。

 私は少し驚きながら、神妙な顔で悩む幼馴染みを眺めた。




 家族でもないし友達とも少し違うし、もちろん恋人でもない。

 私と七緒は、幼馴染みだ。

 彼に恋をしてしまった私にとって、この肩書きが呪縛となるのか嬉しい絆となるのかは、正直、いまだによくわからない。

 だけどもし万が一、私の思いが通じて晴れて恋人同士になれる日や、残念ながら大玉砕してしまう日なんてのが来たとしても、絶対に「幼馴染み」の関係だってなくならない。いや、なくせないに違いない。

 私はそれをあまり悲観的には思わなかった。

 なぜなのかは、やっぱりよくわからないけれど。










「決まった?」

 私の問いかけに七緒が顔を上げた。

 ばっちりと、目が合う。


「……どうしような」


 少し困ったような笑顔。

 気のせいだろうか。それはなんだか最近増えてきた、知らない人みたいに見える七緒の表情だった。












6章はこれにて終了です。ありがとうございます。

だらだらやっているこの連載ですが、次の7章は、大きな転機があるとか、ないとか、あるとか…(すみません。こういうのやってみたかった;;)


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