20<ハッタリと、恋心>
真剣な顔の七緒は、私をまっすぐ見据えていた。
対する私は、予想外すぎる出来事に面食らい、なんとも間の抜けた声を出してしまった。
「……な、七緒、なんで、ここに?」
「──『なんで』?」
七緒がぐっと目を細める。
やばい、これは……。
嫌な予感が背中を走る。慌てて耳をふさごうとしたけど、もう遅い。
完全ブチ切れ状態の七緒の、特大の怒鳴り声が降ってきた。
「お前がホームで急に非常口のマークみたいな格好で固まって1人だけ電車乗り遅れてそれだけでも驚いてんのにやっと連絡ついたと思ったら単独行動したいとかわけわかんねーこと言い出して一方的に電話切ってしかも栗原が『なんか今にも死にそうな声してたわ』とか言うから何かただならぬことがあったのかと思って迎えに来たんだろーがバカ!」
これだけを息継ぎなしで言いきった彼は、またしてもゼェゼェと肩を上下させた。
スピーディで無駄のない説明だ。私はもう頭が上がらない。
「す、すんません。マジですんません……」
「バカ、すみませんで済んだら警察いらねーんだよバカ!」
うわ。なんかいつにも増して、とんでもなく口悪い。チンピラみたいな切り返しだし。バカってトータル3回言ったし。
七緒は呼吸を整えると、先ほどから掴みっぱなしだった私の右腕をようやく離した。そして、今までよりはかなり落ち着いた口調で言う。
「心配すんだろ。栗原も田辺も……俺も」
私はうつむいた。
本当に七緒の言うとおり、私はバカだ。自分の自己中心的な行動が恥ずかしい。
七緒からもらった大切なストラップを取り戻したくて、ついパニックになってしまっていた。いくら目的が達成できたとしても、それと引き換えに贈り主本人や美里たちに迷惑かけて良いはずないのに。
「……ごめん」
「まぁ、すぐ見つかったから良かったけど」
「……七緒、1人で来てくれたの? っていうか、よく私がここにいるってわかったね」
あぁ、と七緒が事も無げに言う。
「3人で引き返すより1人で行って走ったほうが早く済むし。心都の居場所は、電車降りてすぐ駅員さんに聞いた。制服姿で1人ホームに取り残されてる中学生見ませんでしたか、って」
「へ、へぇ……冷静だね」
少し、拍子抜け。
だってこの人、すごく息を切らせて登場したから。てっきり町中を手当たりしだい探し回った末に運命的にここで私の手を掴んでくれたのかなーなんてちょっと思っていたのだけれど、よく考えたらそんな効率の悪い探し方をしていたら、きっと私たちが出会うまでに相当な時間がかかっていたと思う。
「そりゃそうだろ。札幌、広いし。闇雲に探したって普通見つかんねぇよ」
「デスヨネー」
ドラマの見すぎか、私。
「駅員さんはお前のことよーく覚えてたぞ。『1人で絶叫したあとフラフラーっと大通公園方面に向かった』って。おかげで探しやすかったよ」
「……」
そんな覚えられ方、嫌だ。
私は自分の一連の行動を呪った。
「で、結局何してたわけ。心都」
ようやく本題、とばかりに七緒が向き直る。
「いや、ちょっと……探し物を……」
「探し物って?」
「……」
言えない。
私はむっつり黙り込んで視線を逸らした。
だって、探していたのは他でもない七緒からのプレゼントだ。きっと当の本人は何の気なしに贈ったであろうあのささやかなストラップを、団体行動の和を乱してまで血眼になって探していたなんて知られたら──なんというか、それって、その、恋心垂れ流しすぎじゃないだろうか?
いくら鈍感な七緒でも……私の気持ちに気付いちゃったりするんじゃないだろうか?
だんまりを決め込む私を見て、七緒は「あ」と手を打った。
「ひょっとしてこれ?」
そう言って彼が制服のポケットから取り出したのは──
「富士山くん!」
紛れもなくあのシュールで愛しいストラップだった。
「なんで七緒が……!」
「心都の居場所を聞くために駅員室まで行ったら、その真ん前の『落とし物BOX』に入ってた。駅員さんが改札で拾ったんだってさ。やっぱり心都が落としたやつだったんだ」
「お、落とし物BOX……」
なんだ、それ。そんなの目に入らなかったぞ。
反論しかけて、まぁ当然といえば当然だなと思い直す。私はとにかく「落とした富士山くんを見つけなきゃ!」と足元ばかりに注意を向け、ここまで道をさかのぼってきたのだから。
つまり富士山くんストラップは、私があの電車に乗り遅れる直前、改札口で携帯電話から外れ、駅員さんに拾われてずっと落とし物BOXにおさまっていたわけだ。こんな公園まで戻ってこなくても、あの場で冷静に辺りを見ていればすぐ見つかったに違いない。とことん、私、バカ。
だけど今はそんなことを後悔する気持ちより、再び彼が私の元に戻ってきた喜びのほうが何倍も勝っていた。
七緒から富士山くんを受け取り、確認する。
ストラップのヒモの部分の先端が切れているだけで他に大きな破損はない。結べば、まだ使える。
「……よかったぁ……」
思わず富士山くんを両手の平で包み込んで、ため息を吐く。
大切な、七緒からのプレゼント。
ここで一生お別れなんてことにならなくて良かった。
本当に良かった。
ありがとう、神様、仏様、駅員様。
ストラップをぎゅっと握りしめ、私は感謝の念を唱える。
そんな私を、七緒は心底驚いた表情で見ていた。
「心都……お前、そんなに富士山くんが気に入ってたのか」
「え?」
いやいや。
富士山くんが気に入ってたっていうか、重要なのはむしろそこじゃなくて……。
私の心の中の主張がもちろん届くはずもなく、七緒は「なーんだ」と無邪気に言った。
「そんなに好きなら、合宿のおみやげ、もっと買ってきてやれば良かったな。ストラップ以外にも富士山くんグッズ色々あったんだ。ボールペンとかメモ帳とかタオルとかペナントとか」
「……」
ペナント、心底いらない。
無邪気な笑みを浮かべる七緒を見つめ、私は「恋心バレちゃうかも?」なんて懸念をほんの少しでも抱いた自分を悔やんだ。
そんなこと、あるわけなかったんだ。
純粋で、のん気で、私を「女の子」としてなんか一ミリも見てやしない、この鈍感野郎だもの。
「……えっ。なんですげー睨んでんの」
「べつにぃ」
「あ、そ。じゃあそろそろ田辺と栗原のとこ向かうか。2人とも心配してるだろうし」
「……うん」
と、一歩踏み出した瞬間、
「ぐッ」
激痛に、思わず声が漏れた。
左足首がじんじんと痺れる。
あぁ、七緒が来てくれたことと富士山くんが戻ってきた嬉しさですっかり忘れていた。私、割と重めの捻挫の真っ最中なんだった。
驚いた表情の七緒が振り返る。
「な、なんだ今の、地の底からわき上がるよーな、暗くて低くていかついうめき声は……」
いかついは余計だ、ちくしょう。
そんな反論をする余裕もないほど、痛い。地面を凝視し唇を噛みしめ、涙を堪えるので精一杯だ。
固まる私の顔を、七緒が覗き込む。
「足、怪我してたの?」
「……う」
頷きかけて、止めた。
「………いや、いやいや、ちょっと捻っちゃっただけだから、ささいな捻挫だから、大丈夫。どうぞお構いなく」
単独行動して、心配かけて、迎えに来させて。これ以上迷惑かけたら本当に駄目な奴だ。
お願いだから少しくらい、私にも見栄を張らせてほしい。
七緒はじっと黙っていたかと思うと、突如、
「あ!」
私の肩越しの何かを指差した。
「えっ?」
反射的に体ごと振り返ると、左足に電気が走る。
「いってぇぇ!」
またしても、絶叫。もう「痛いでございます」をしぼりだす余裕もなかった。
振り返った先に特に変わったものはなく、ただただ公園ののどかな緑が広がっているばかり。この幼馴染みのこしゃくなハッタリに見事に引っかかってしまったわけだ。……なんだか以前、山上にも同じようなことをされた気が。
「やっぱり。大したことなくないじゃん」
「……」
肯定も否定もできず黙り込む。
七緒は私に背を向けたかと思うと、その場にしゃがみ、
「はい」
と顔だけ振り返り、ナチュラルな仕草で「何か」を促した。
これは、まさかの、いわゆる、「おんぶ」ポーズ。
「ええ! そ、それはさすがに……!」
「だって歩けないんだろ」
「で、でも……」
恥じらってポポポと頬を赤らめる──のではなく、私は全身の血の気が引いて顔が青ざめるのを感じた。
ただでさえ今回の旅行、私の身勝手さにより諸々の負担をかけまくりなのに、このうえ重量的な負担までかけるなんて有り得ないことだ。
更に言えば、元々すごく体格差があるわけでは決してないのに、最近の私はまさかの4キロ増。彼が楽々背負って歩けるとは到底思えない。
なかなか動こうとしない私を、七緒はイライラと横目で見遣る。
「アタシお姫様だっこじゃなきゃイヤン、なんて頭沸いたこと言うんならこの場に置いてくけど」
なんなのよ、その顔に似合いすぎる前半の「女子っぽい裏声」は。鳥肌が立ちそうだ。
「……そんなこと言わないよ」
「じゃ、早く乗れって」
どうやらこのままグズグズと渋っているほうが、彼にとっては迷惑になるらしい。
私は覚悟を決め、七緒の背中に近付いた。
「し、失礼いたします……」
慎重に体重をかける。
すると意外や意外、七緒は私を背負ってひょいと立ち上がった。
「……おぉ」
と、思わず私は呟いた。
「何?」
七緒が怪訝そうに振り向く。
顔が近い、顔が。
「い、いや。オメーやるじゃねーか的な感嘆詞?」
「意味わかんねー」
七緒が顔を前に向け歩き出したから、私は少しホッとした。この距離でこちらを向かれたら、いくら生まれた頃からの付き合いでついには先日『おっさん』と言われてしまった私だってドキドキせざるを得ない。
そう、おっさんにだって、恥じらいはあるのだ。……ううん、なんか違うよな、この台詞。
「ねぇ。重くてもう限界! ってなったら言ってね。私、地面を這ってでも帰れるから」
「ならねーよ。どんだけバカにしてんだよ」
「いや滅相もない。ただ、私のせいで柔道部期待の星の腰がボロボロに砕けたらたまんないなと」
「……」
七緒の背中のぬくもりを感じながら、私はなぜか少しだけ、懐かしい気持ちになる。
「あのさ、小学1年生の、2人で学校から帰る途中のときのこと覚えてる?」
「なんだっけ?」
「私が派手に転んで、ひざ血まみれで泣き叫んで歩けなくなって。七緒、おんぶしてくれようとしたんだけど無理で、結局肩かしてくれて……っていうかほとんど引きずるみたいな感じでさ」
「全然覚えてない」
「そういうことがあったから、七緒が私のことおんぶできるイメージなんてないんだよね」
「そんなん何年も前の話だろ。……っていうか、俺、去年のクリスマスイブの日も眠りこけてる心都を背負って杉崎家まで運んだんだけど。覚えてねーのかよ」
「え! 何それ、全く記憶ないよ! 怖い!」
「うわ、うるさっ。耳元で叫ぶな」
人の記憶は曖昧だ、とはよくいうけれど、いくらなんでも去年のことをここまで覚えてないなんて、一体私はどうしたのだろうか。確かにあのイブの日は葡萄ジュースを飲んだあとから記憶がなくて気付いたらソファで寝ていた、というなんともミステリーな体験をしたけれど。
っていうか、半年以内に2回って、どれだけ背負われているんだ私。穴があったら入りたい。
「……ま、いーけど。とりあえずその足じゃもう観光は無理だろうから、宿に向かうぞ。待機してる先生もいるだろうし」
「……ごめん」
「別に謝らなくてもいいって」
「うん……ありがとう、七緒」
こくりと無言で七緒が頷く。
私はやっぱり、バカでしつこくてとことん諦めが悪い奴だ。
もうこの恋も終わりにすべきかなぁだなんて、どうして一瞬だって思えたんだろう。
「……やっぱり、ごめん」
ごめんね、七緒。
諦められそうにないよ。
「……だから、別にいいって」
1年女子からモテていようが、死ぬほど鈍感だろうが、私に望みが全然なかろうが、
こんなに好きで好きでどうしようもないんだから。