18<修学旅行と、負の連鎖>
いくら幼馴染みと激しい喧嘩をしようが、彼と険悪極まりない雰囲気だろうが、左足首の捻挫がちょっと無視できないレベルの痛みになっていようが、お構いなしに修学旅行の日はやって来る。
やって来るったら、やって来る。
時計台、旧道庁赤レンガ、そして大通公園。初めての札幌を満喫できる、理想的な観光コースだ。
中でもここ大通公園は、広大な園内に様々な花が咲き乱れ、各種銅像にテレビ塔まで望める素晴らしい観光スポットである。
「緑がいっぱいで気持ちいいわねー」
美里が感嘆の声をあげた。
私も頷いて、辺りを見回す。
緑の木々の中に、所々鮮やかな桃色を発見できた。
「「まだ桜咲いてる」」
……ハモった。
言葉にならない苦々しさを感じながら、声がした背後を振り返る。
相手は奇しくも絶賛喧嘩中の七緒だ。
不本意なハモリを披露してしまった私たちは、ヤンキーばりの睨み合いの末、「けっ」てな感じでお互い顔を背けた。
「不穏よねぇ」
「不穏だなぁ」
と、美里と田辺が囁き合う声が小さく聞こえた。
2泊3日の修学旅行、本日2日目。
初日である昨日は、現地までの移動と学年全体の観光のみで終了したが、今日は違う。私と美里、七緒と田辺の4人の行動班による、1日がかりの札幌観光中なのだ。
5月の北海道はとても暖かな春の陽気で、まだ桜も咲いている。とてもじゃないが美里の「末端冷え性大作戦」は無理だ。
もっとも気温が高かろうが低かろうが、今の私にはそんな作戦を実行する余裕はないのだけど。
きっと今とんでもない仏頂面になっているだろうことを自覚しながら、私は天を仰いだ。
おとといの東家門前での言い争いは、私と七緒の間に深い亀裂を作っていた。
せっかくの修学旅行。このギスギスした雰囲気を持ち込むのは同じ班の美里と田辺にも忍びないので、なるべく楽しく過ごそうとは思っているし、私も七緒もお互い以外とはもちろん普段通りに明るく話す。
しかしやはり、一瞬でも目が合うと、無言の中にバチバチと火花が散るという不穏すぎる空気になってしまうのだ。
それに加え、喧嘩前に七緒を追い掛けてひねった左足首の状態は今、最悪だった。
負傷した当日は軽い違和感程度だったけれど、昨日1日歩き回ったせいか、今朝起きるとさらに痛みが増していた。
足を引きずるほどではないものの、やはり無意識にほんの少し、左をかばって歩いてしまう。
おそらく走ったりしなければ傍目にはわからない程度ではあるのが不幸中の幸いだろうか。
だって、ただでさえこんな変な空気だというのに、さらに怪我まで伝わってしまったら気を使わせすぎて美里たちに申し訳ない。
七緒との仲の改善はもはや難しい。だからせめて捻挫だけでも隠し通して、できる限り楽しく班行動を終えたい。
それが私の今日の目標だった。
「えっと、次は白い恋人パークね」
大通公園を抜けたところで、パンフレット片手に美里が言う。
事前に班で決めていた観光ルートによると、次の目的地へは電車に乗って向かうことになっている。
私たちは駅に向かい歩き出した。
私はやっぱり左足が気になって、遅れをとらない程度に最後尾につく。
先程のむかっ腹がおさまらずに七緒の背中を睨みつけながら歩くと、その殺気を察したらしい彼は負けじとこちらを振り返った。
またしてもバチバチと激しく視線がぶつかる。歩きながら無言で火花を散らすなんて、こんな器用なことができる2人はそうそういないだろう。
しばしのガン飛ばし合戦の後、「けっ」とお互い顔を背ける。
すると、美里が私を肘でつついた。
「ちょっとぉ、本当にいつまで喧嘩してんのよ。この旅行が2人の距離を縮める大チャンスだって言ったじゃない」
小声で囁く彼女は、少し怖い顔をしていた。
「うぅ……ごめんね」
「謝罪は良いから、早く仲直りしちゃいなさい。こういうのは長引けば長引くほどめんどくさいんだから」
相変わらず姉のように頼もしい口調で、美里が言う。
そんな彼女に対して、私は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
ごめんね。
心の中でもう一度謝る。
美里、たくさん応援してくれたのにごめん。
私、もしかしたらこの恋、諦めるかもしれない。
だってもう望み0なんだもの。
どう考えても七緒とは、今後も「ただの幼馴染み」として付き合っていったほうが上手くいく気がしてならないのだ。
駅のホームに到着するやいなや、
「うわ、もう電車出るぞ」
先頭を行っていた田辺が大声をあげた。
一行はパタパタと走り出す。この電車を逃してしまっては、今後の予定(白い恋人パークでお菓子作りを体験する、お菓子を食べる、お菓子を大量に購入する等)が大きく狂ってしまう。
私もとっさに一歩、足を踏み出した。
──その瞬間。
左足首に激しい痛みが走った。
「うぐ」
小さく声が漏れる。
手を大きく振り上げ右足は引き気味という、走り出す気満々の体勢のまま、私は固まった。
全身の血が一気に引く。
なったことないけど、ぎっくり腰の瞬間ってこんな感じなんだろうか。魔女の一撃、とは言い得て妙だ。
美里と田辺、そして七緒が驚いて車内で振り返るのと、無情にも私と彼らの間のドアが閉まるのは同時だった。
「えっ……ちょっと、なんで!? 心都っ」
と、珍しく慌てた顔の美里が言った。いや、正確には、そう言っているような口の動きをしていた。だって私たちは頑丈な電車のドアに隔てられていたから、到底声なんか聞こえっこないのだ。
無駄に躍動感溢れる変な体勢のまま、私はこくこく頷いた。一応「大丈夫、心配しないで」の意味だったのだけど、きちんと伝わったかどうかは定かでない。
びっくり顔の3人を乗せて、電車は発進してしまった。
ホームに1人取り残された私は、なんとも虚しい気分でそれを見送る。
あぁ。何をしているんだろう、私。
楽しい旅行のはずなのに、うっかり駅で孤独だなんて。
なんだか私このまま1人、センチメンタルジャーニーにでも出かけたい気分だ(心都はまだー14だーからー……と歌ってみる。笑ってね)。
ずきずきと疼く左足の痛みを噛みしめながら、私はうなだれた。
悪い出来事は重なるというけれど、何もここまで大サービスで重ならなくても。
ううん。もしかしてこの場合、重なっているわけではなく、全て繋がっている?
あの日七緒を追いかけなければ激しい喧嘩にもならなかったし、足も捻挫しなかった。足を捻挫しなければ、こうして電車に乗り遅れることもなかったのだ。
まさに負の連鎖。ネガティブスパイラル。
よかれと思っての行動がこんなにも裏目に出るなんて、いくら私でも、ちょっとしばらく動き出したくないくらいにまで落ち込んでしまう。
しかし、いつまでもここで1人たそがれているわけにはいかない。
ただでさえ足手まとい気味なのだ。早く美里たちと連絡をとって合流しなければ。
私は制服のスカートのポケットから、携帯電話を取り出した。
「……あれ?」
少しの、違和感。
数秒後にその正体を理解したとき、私は今度こそ、抜け出せない負の連鎖を確信した。
年内最後の更新です。
良いお年を!