16<死神と、ピンクドット>
チョコレートにビスケット、ラムネにポテチに、グミ、クッキー。目の前にずらりとカラフルなパッケージが並ぶ。
商店街の一角にあるここは、安いと評判の小さなお菓子屋さん。夢と希望と子どもたちの笑顔に溢れる店内で私はキャンディの袋をひとつ手にとり、どんよりとそれを見つめた。
「……心都、死んだ魚の目になってる」
と、隣の美里がひとこと。
「……そうかな?」
「うん。目は死んでるし、顔は土色だし、声は暗いし、はっきり言って死神みたいよ。大丈夫?」
「……多分」
少なくとも今の美里の言葉は、私に決して軽くはないダメージを与えた。死神って。明らかに菓子屋にいてはいけない人物だ。
どうにか印象を変えたいと思い、ニィッと笑ってみせたら、美里に「怖い」と一蹴された。
ここ最近、私はずっとこんな感じだった。何をしていても気持ちがじっとり沈んでしまうし、心底笑顔になれない。
──あいつのせいだ。
陳列棚にキャンディを戻し、心の中で幼馴染みへの怨みを呟く。
あのシュークリームの夜から2週間が経った。七緒は依然、私に対してのぎこちなさを維持し続けている。会話が全くなくなったわけではなく挨拶や最低限のやり取りはあるだけに、よけい調子が狂ってしまう。
「あぁ、明日からゆううつだよ……」
重めのため息をつく。
時の流れは速いもので、気付けば今日は、修学旅行前日。それはつまり、その気まずさ満点の相手と明日から2泊3日、班行動を共にしなければならないということで。
想像しただけで私の胃は縮みあがる。
学校帰りに美里と旅行のお菓子を買いに来ているという本来なら楽しいひとときであるはずの今も、私はキャピキャピすることが出来ずについ暗い顔になってしまうのだった。
「ほんと、なんでいきなりあんな気まずい感じになってるのよ。班の話し合いのときも変な空気だしびっくりしたわ」
美里が呆れたように肩をすくめる。
「理由が私にも全くわかんないんだよね」
以前も七緒と数週間の泥沼状態が続いたことはあった(5ヶ月ほど前、クリスマスの時期だ)。しかしそのときはお互い怒鳴り合った喧嘩の後だったので、まだ原因も明確だった。仲直りも切り出せた。
それに比べ、今回のケースはあまりにも特殊すぎる。七緒は私と会話はするし、刺々しさなんかも感じないものの、とにかくぎこちなさすぎるのだ。目は泳ぎ、笑顔は引きつり、声にも覇気がない。しかも美里や田辺やその他の人々に対してはごくごく普通、いつも通りの態度をとり続けているものだから、ますます腑に落ちない。
「本当に何かまずいことしでかした覚えはないの? 心都」
「うーん……」
「無意識にお尻触っちゃったとか」
「それ完全に変質者だよ」
この良き友人は、一体私をなんだと思っているんだ。恋は人を狂わせるとは言うけれど、さすがにそこまでの末期患者になったつもりはない。
冗談よ、と顔色ひとつ変えずに美里。
「でも、あんなわけわかんない七緒くん初めて見たもの。理由がないわけないでしょ?」
「……そうなんだけど、色々考えてもやっぱり思い当たらないんだよね。一度『なんか怒ってる?』ってさりげなく聞いても否定されたし」
「いっそ完全に冷たくされたんなら問いつめようもあるのにね」
「うん……」
せっかくの修学旅行。こんなもやもやした気持ちで過ごしたくないのに。
私は再び棚に視線を戻すと、なんとか気分を晴らすために、色とりどりのお菓子を眺めた。
あぁ、きっとまた死神の顔になってるんだろうなーと、げんなり自覚しながら。
「よっ!」
帰り道の公園で山上が堂々たる態度で待ち受けていても、私はもう驚かない。
なぜならここ2週間、山上はほぼ毎日の放課後にここで待機して私の帰りを待つという妙なハチ公精神を発揮していたからだ。
さすがに4日目あたりで戸惑いがピークに達し、「ほら、ね、私たちそういう関係じゃないんだしさ」と丁重なお断りを試みたこともあった。しかし、その「そういう関係」──私は「主人と忠犬」の意味で言ったのだが──を山上が「仲睦まじい恋人同士」と勘違いして受け取ってしまうという食い違いが生じ、「大丈夫だ! これからそういう仲になるために、俺は来てるんだ」と何やら聞きようによっては怪しい台詞を繰り出され、撃沈した。
いやそうじゃなくて、と更に否定しようとすると、彼は笑顔でこう言った。
「俺が勝手に待ってるだけなんだから。杉崎がこの公園を買収して持ち主になって『やめろ』って言ったらやめるよ」
「……」
まるで小学生のような切り返しだった。そう言われてしまうとこっちはもう何も言い返せない。その結果、こんなおかしな放課後の会合が2週間も続いているのだ。
「山上……そ、そろそろ飽きない? やめない?」
「えー、何言ってんだよ。飽きるわけないだろ」
子供用のブランコに腰掛け、山上は言う。
日も暮れ辺りは薄暗い夕食時だ。今ここには主な利用層であるはずの小さな子供はおろか、暇な小学生も、たむろする場所を求める不良も、のんびりお饅頭を食べるおじいさんさえも、それこそ人っ子ひとりいない。これは幸いだと思う。だって、こんなガタイの良い学ラン男がカラフルで可愛らしいブランコに乗ってぼうっと私を待っていたら、おそらく子供たちは怯えて泣き、下手したら通報されるだろう。
私がひとり安堵していることなんかつゆ知らず、山上は楽しそうにブランコを漕いでいた。
「有坂中は明日から修学旅行だろ?」
「うん。西有坂は?」
「俺たちは来週。場所は同じ北海道だけど」
「ふーん」
「お土産買ってきてくれよな」
「来週同じところ行くのに?」
呆れてそう言うと、山上は豪快に笑いながら立ち上がり、私の肩をバシリと叩いた。
「杉崎からもらった物だったらなんでも嬉しいに決まってんだろ!」
「……」
この人はどうして何のためらいもなくこういうことが言えてしまうのだろう。
以前なら抱きつかれようが手を取られようが平気だった私なのに、なんだか最近やけにこの手の言葉を意識してしまい、自分の免疫のなさを再確認するばかり。
つまり、私は自分の顔が赤くなるのを感じ、それをどうにか隠そうとうつむいた。
おもむろに、山上が私の肩越しに公園の入口を指さす。
「あ、東だ」
心臓が跳ね上がる。
「! どこ……」
振り返った先には、誰もいない。
「うっそぴょん」
しれっと宣う山上に、私は腹の奥底から物騒な感情が沸き上がるのを感じた。
ぴょんじゃねぇよ、ぴょんじゃ。
言葉遣いも荒れてくる。
「山上、あんた……そんな小学生みたいな嘘ついて楽しい?」
「楽しいに決まってんだろ! 杉崎のアホみたく素直な反応が見れんだからよ」
頭に血が上るのを感じた。
「この……ゴリマッチョ! バカマッチョ! 学ラン着てると古き良き時代の喧嘩番長風マッチョ!」
「あー、それそれ。うんうん」
山上がうっとりと目を閉じる。
その表情は幸福そうで、とてもじゃないけど激しく罵られまくっている最中の人物には見えない。
えっ、何この人。
今までの怒りとは一変、私は底知れぬ恐怖を感じ、その場から2、3歩後ずさった。
山上は目を開けて私との距離が少しひらいていることに気付くと、またしても笑いながら言った。
「俺は杉崎の大声が好きなんだって前に言っただろ。なのに、なんか最近変に恥じらってもじもじして全然叫んでくれないからさ」
「……だからってわざわざ挑発しなくても」
「ははは。でもまぁ、考えようによっては、もじもじするのは俺のこと好きになってきたってことか」
「いや違うからね」
そこはズバリと否定させてもらう。
山上が良い奴だってことはわかっているけど、もちろん“好き”になってはいない。ただ少し、ストレートな言葉にドギマギしてしまうだけ。私にあまりにも免疫がなさすぎるだけ、だ。
「なんだよ、残念だなー」
と、笑いながら山上。
はっきり言ってその表情は全く残念そうではなかった。以前彼がカラオケマイクを通して言った『しばらく経ったらきっと、東より俺のこと好きになってる』の台詞の有効期限の長さを感じさせられる。
そのとき、山上が再び私の後ろを指さした。
「東だ」
「まだ言うか! もうその手には乗らないって……」
そう言いつつも振り返ると、今度こそ心臓が止まりそうになった。
山上の人差し指の先にいたのは、正真正銘、公園の入り口に面した道を帰宅中の東七緒14歳しし座A型。
──迂闊だった。さすがに修学旅行前日はどの部活も少しは早めに切り上げるものだろうと勝手に思い込み、七緒と今日ここで鉢合わせることはありえないだろうとふんでいたが、バリバリ体育会系の柔道部にはそんなの通用しないらしい。
ただでさえ気まずいのに、こんな状況で会いたくない。不幸中の幸いか、七緒は公園内の私たちには気付いていない様子で、のん気な顔して歩いている。どうかこのまま通過してほしい。
しかし私の願いも空しく、
「おーい、東」
「!」
呼ぶなよ。私は山上を睨みつけたが、時すでに遅し。山上の元気な掛け声に、七緒がこちらを向いた。いかにも部活帰りらしい、少し乱れた髪にジャージ姿という出で立ちだ。
「あ、山上……と、心都」
私の名前を呼ぶとき、七緒の視線が猛烈に泳いだ。
「部活帰りか? 東」
「うん。山上は? お前も西有坂で柔道部入ったんじゃなかったっけ」
「おう、毎日練習してるぜ。そのあと猛ダッシュでここに来てるんだ」
「……ご苦労なこった……」
半ば呆れたように呟く七緒。
もちろん私のほうは、一度も見ない。
2週間経つのに、やっぱりこのときの寂しさと戸惑いには慣れない。
「……じゃ、またな」
会話もそこそこに、七緒は歩き出した。
隣の山上が納得したようにささやく。
「確かに……なーんかぎくしゃくしてるな、東」
でしょでしょ? と盛り上がる気には、もちろんなれなかった。
遠ざかっていく七緒の背中。
肩にかけられた柔道着が揺れる。そこにくくりつけられているのは、私がクリスマスにあげたチープな道着型マスコット。
初雪の中渡して喜んでくれたことも、それを身につけてくれているのを知って嬉しくなったことも、全部遠い昔のようだ。
マスコットが揺れるたび、一歩ずつ七緒が遠くなる。
私はぎゅっと拳を握りしめた。
やっぱり、こんなの嫌だ。
このままなんて嫌だよ。
七緒。
しばらくの逡巡の後、私は山上に向き直った。
「せっかく待っててくれたのに悪いけど……もう行くわ」
「えー?」
目を丸くする山上をよそに、私は走り出す。
「ごめん! 北海道のお土産、2つ買ってくるから!」
じゃあまぁ良いか、と山上が呟くのが聞こえ、私は心置きなく足に力を込めた。
運動不足気味な体にむち打って、全力疾走。
興奮しすぎたのか途中で左の足首を思い切りひねり悶絶するというタイムロスはあったけど、それでも走る。足首は痺れたままだったけど、走る。
基本的にあっさりとした性分のあの七緒が、あんなにも不可解で曖昧な態度をとり続けるなんて、普通なら考えられない。
きっと何か自分からは言えない理由があるのだ。
だったらもう、私がぶつかろう。
今追いかけなきゃ、多分、一生このままだ。
もうこの際、ひとまず「ただの幼馴染み」でも良いから。
「男兄弟」でも良いから。
前みたいに笑って話してよ。
七緒に追いついたのは、東家の真ん前。
今まさに自宅に入ろうとしている幼馴染みに向かい、私は先ほど買ったばかりのキャンディの袋を力いっぱい投げた。
いつだか彼が私にくれた、ピンクドットのいちごミルクだ。