14<シュークリームと、悪い夢>
私は甘い物が好きだけど、さすがに大皿に積まれた十数個ものシュークリームをあらためて目の前にしたら、尻込みせずにはいられなかった。
ましてや今は夕食後。満腹虫垂がある程度満たされた状態でのこの光景は、正直、見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。
「すごい量ねぇ」
食卓中央にどんと置かれた私の部活動の成果を眺め、お母さんが感嘆の声をあげる。
「ちょっと今日は作りすぎちゃって……」
「部員の子たちで分けなかったの?」
「分けたよ。分けた結果の1人分が、これ」
「あらまぁ。本当にたくさん作ったのね」
正確に言えば、他の部員よりは若干多く私がお持ち帰りしている。なぜならこの大量のシュークリーム、私が勢いに任せてクリームを生産しすぎてしまったことが原因なのだ。
「生菓子だから早く食べないといけないけど……」
我が家は両親共に甘い物好きだし私もそうだけど、いくらなんでもこの量は一晩で食べきれそうにない。ただでさえ今、これ以上体重を増やしたくなくて節制中だというのに。
しかし料理部員の意地として、作ったものは残したくない(単に食い意地が張っているだけ、ではない。断じて!)。
あぁ、これ全部食べたら、何日分のおやつに匹敵するのかな。私、今度こそ美里に豚と呼ばれるようになってしまうのかな。うずたかいシュータワーを眺めながら眩暈を起こしそうになる。
そのとき、ポンとお母さんが手を打った。
「東家におすそわけしてきたら? 明美も七ちゃんも甘い物好きじゃない」
目の前に道が開けた気がした。
「それいい。お母さんナイスアイディア!」
「うふふ。でしょー?」
やっぱり甘い物を無理して食べるなんて間違っている。シュークリームたちも、無理無理胃に押し込まれるより、二家族に美味しくいただかれるほうが幸せに違いない。
「よしっ」
善は急げ。私は手頃なランチボックスにシュークリームを詰められるだけ詰めると、徒歩5分圏内の幼馴染みの家へと向かった。
がちゃりと自宅のドアを開けた七緒は、私を見るなり、驚いたように目を丸くした。
「こんばんは」
「……家出?」
開口一番それかよ。
「違うよ。家出少女はもっと大荷物でしょうが」
「……そっか」
「そうだよ」
「……うん」
「……」
「……」
あれ?
なんだろう。この沈黙、距離感、テンポの悪さ。いつもとは明らかに違う。
七緒はどことなくバツが悪そうに、斜め下あたりで目線を泳がせている。
なんだ、これ。
「……と、とにかく家出じゃないから。ね」
沈黙に耐えかねた私は、馬鹿みたいに先ほどと同じことを繰り返してしまった。
「だってこんな時間に心都がわざわざ1人で来るなんて滅多にないじゃん」
と、すっかり暗くなった空を仰ぎながら七緒。
ただ今の時刻、8時過ぎ。確かに幼馴染みが「あーそびーましょー」と訪ねてくる時間ではない。
私はランチボックスを差し出した。
「東家におすそわけしに来た。よかったら食べて」
七緒は中身を開けると、またしても驚きの表情を浮かべた。
「うわ、こんなにいいの?」
「どうぞどうぞ。……っていうか今日の部活で作りすぎちゃって絶対食べきれないから、むしろもらってくれると有り難いよ」
「そっか。サンキュ」
七緒が満面の笑みを浮かべる。
あぁ、やっぱりいつもの七緒だ。普段と何も変わりない。
さっきの違和感はきっと私の気にしすぎによるものだったのだろう。恋する乙女は些細なことにもついつい敏感になってしまうからいけない(反省、反省)。
「……あ」
と、七緒が小さく呟いた。
「何」
「……いや、ちょっと。30秒待ってて」
そう言って家の中へと入っていった。
一体どうしたというのだろう。
私は「待て」をくらった犬のように、開け放たれたドアの前で所在なげに突っ立っていた。
その間に顔を出してきたのは、赤茶のロングヘアがお似合いの東家の母、明美さん。
「お、心都。来てたんだ」
「こんばんは」
「夕食後に密会なんて、ついにアベック成立か?」
「いやいや、成立してないない」
しかもアベックって。古い、古すぎるよ。そしてインターホン鳴らして玄関から堂々訪問したんじゃ密会になってないよ。
明美さん相手にそんな細かい突っ込みはキリがないので、私は苦笑いとともにそれを飲み込んだ。
それにしても、明美さんといいうちの母親といい、やっぱりこれは……バレてしまっているんだろうか。私の恋心。
昔からこういうノリの多かった明美さんだからこそ私は今も笑って流せる。しかし確信はないけど、何となく最近、色々と見透かされている気がするのだ。
突っ掛けサンダル(なかなかお目にかかれないような、濃い赤紫色)で玄関へ出てきた明美さんは、軽く笑って言う。
「んじゃ、うちの馬鹿息子が学校に忘れ物か」
「ううん。今日は部活でシュークリーム作ったから持ってき……」
「だ、れ、が、馬鹿息子だよ」
ぬぉん、と最高に不機嫌そうな顔で七緒が現れた。明美さんは全く悪びれることなく、ぐしゃぐしゃと乱暴に七緒の頭をかき回す。
「お前以外に誰がいんだよ馬鹿息子ー。玄関先で女の子待たせるなんて最低だぞ」
「馬鹿息子言うな!」
七緒はそれを振り払うと、明美さんを睨みつけた。
「ちょっと心都に渡す物があって、部屋まで取りに行ってたんだよ」
「え?」
私に?
確かに七緒は右手に持った何かを背後に隠している。
誕生日でもなければホワイトデーでもないこの時期に七緒から物をもらえるなんて、全く身に覚えがない。予期せぬ事態に、胸の鼓動が速くなる。
明美さんが私の肩に手を置いた。
「おい心都、むやみやたらにプレゼントしてくる男は危険だぞ。物で釣るだけ釣っといてそこに真心はないからな」
「プレゼントじゃねーよ! もう、放っとけ! 話がややこしくなるから!」
と、青筋を立てる七緒は、まるで飼い主に逆らってキャンキャンうるさいチワワみたいだ。
七緒はドアの内側に明美さんを押しやると、一切を遮断するようにバタリと閉めた。
閉まり際に、「なんだ、やっぱり密会か。生意気だなー」と明美さんの声が聞こえた。ひょっとしたら明美さん、『密会』の意味を根本的に間違えているのだろうか?
屋外に出た私と七緒は、再び妙な沈黙に包まれた。
七緒は叫び疲れて肩で息をしている。
「……えっと、七緒、渡したいものって?」
「あぁ、これ」
七緒の右手には、見覚えありまくりの派手なうちわ。
「えっ!? なんでこれを七緒が! ……っていうか裏! 裏面見た!?」
軽いパニックを起こす私に対して、七緒は至極あっさり頷いた。
「見た。すげー悪ノリ全開だった」
あぁ、『lovely☆smile☆nanao』がついに本人の目に触れてしまったのか。
怨むべきは、制作時の深夜の異常なハイテンション。もう恥ずかしさで消えてしまいたい。
「で、どうしてこれをnanaoが……?」
「その表記やめろよ。──今日の帰り道、山上が届けてくれた。昨日これで山上のことぶん殴ったんだって?」
呆れたように、七緒が目を細める。畜生、喋ったな山上め。
「ぶ……ぶん殴ったっていうか、軽くハタいたっていうか……」
「まー想像つくけど」
うっかりしていた。私はあのとき頭に血が上りすぎて、うちわを置き去りに帰ってしまったことにも気付かなかったのだ。
「……なんかすんません、色々と」
頭を下げつつ、うちわを受け取る。
「あとで山上にも謝っとけよ。下手したらお前、傷害沙汰だぞ」
「だからそんな強く殴ってないって」
か弱い女子中学生の腕力を一体何だと思っているんだ。
しかしそれに対する怒り以上に私の胸を占めていたのは、ある種の嫌な予感だ。
「あのさぁ七緒……」
「ん?」
情けなくも、声が震える。できればこれは悪い夢であってほしい。
「……や、山上、他には何か言ってた……? 私が叩いたこと以外に何か……」
例えば私の片思いの相手とか、山上の恋愛事情とか。
七緒は何やら考え込むように、少し目を細めて黙り込んだ。
それは不思議なことに、私の全く知らない表情に見えた。