13<デジャブと、宣言>
私はボウルの生クリームを泡立てながら、激しく後悔していた。
ただ今、週に3日の部活動中。本日のメニューは、外はさっくり中はとろーりのシュークリーム。
楽しい楽しいひとときにも関わらず、私の頭を占めているのは昨日の出来事だ。
いくら頭に血が上ったとはいえ、山上を力いっぱいうちわで殴ってしまうなんて。自分でもどうかしていたとしか思えない。
重めのため息を吐く。
どうしてあれほど感情的になってしまったのだろう。
山上に、七緒への恋は諦めろと言われたから?
──違う。
七緒はただの美少女顔の幼馴染みではなくて、私にとって最高に「かっこいい」男の子なんだということを、なぜだかあの瞬間、伝えずにはいられなかったからだ。
私はそのあと全速力ダッシュで家まで帰るという見事な言い逃げを果たしてしまったため、山上がどんな反応をしたのかはわからない。ただ、わざわざ私を待っていてくれた人とろくに話もせずあんな別れ方をすることはなかったと思う。自分の愚かさを悔やんだ。
道具で叩いて叫んで逃走だなんて、これじゃ通り魔と大して変わらないじゃないか。
生クリームを泡立てる手にもついつい力が入り、ガチャンガチャンと激しい音を立てる。
「今日は気合い入ってるね」と部活仲間に感心され、私はへらりと曖昧に笑うことしかできなかった。
* * * *
これは、デジャブってやつだろうか。
東七緒は目の前に佇む人物を発見した瞬間、そう思った。
なぜならここは自宅付近の公園前で、時刻は部活終わりの夕暮れ時。
そしてその小さな公園内にいたのは、
「よっ、東!」
笑顔で手を振る山上だったからだ。
これは昨日と全く同じシチュエーション。
唯一の相違点といえば、昨日はこの場にいた心都が、今日はいないということだ。
「山上……お前、2日連続でこんなとこで何してんだよ」
日の落ちかけたひと気のない公園で、山上は1人ブランコに座っていた。大柄で無骨な彼とカラフルなキッズ向け遊具の組み合わせは、なんともシュールだ。
七緒が近寄ると、山上は隣のブランコを指し示した。
「ま、座れよ」
「……はぁ」
七緒はわけもわからず腰をおろした。
がちゃん、とブランコの鎖が音を立てる。この乗り物は、もうとっくに対象年齢をすぎた自分には窮屈すぎた。座面部分も小さいし、足はすぐ地に着いてしまうので、逆にバランスを取るのが難しい。
よくこいつ平気な顔して座っていられるな、と七緒は自分よりだいぶ図体の大きな隣の人物を見つめ、妙に感心した。
山上はそんな七緒の視線に気付いてか、そのまま目を逸らさずに言った。
「今日はずっと東を待ってたんだ」
不覚にも鳥肌が立った。
「……俺、男と愛を語る趣味はないけど」
もちろん女性と語ったことだって一度もないのだが。
はは! と山上は豪快に笑うと、首を横に振った。
「何言ってんだ、ちげぇよ! 俺だってそんな趣味はない。東に渡したい物があったのと、あと、ちょっと話がしたくてな」
思わず怪訝な表情になる七緒に山上が差し出してきたのは、1枚のうちわだった。それも、そんじょそこらのうちわではない。
「これは……」
中央には力強い毛筆で『必勝』と書かれ、うちわ全体をきらめくスパンコールが縁取っているという派手すぎる逸品だ。
非常に見覚えがある。
「……こないだ心都が持ってきてた応援グッズじゃん」
「おう。昨日東が帰った後、杉崎にこれでぶっ叩かれて、去り際に落としてった。悪いけど東から返しといてくれよ」
「ぶっ叩かれた? このうちわで?」
七緒は驚いて聞き返した。
確かにあの幼馴染みはたまに少々暴力的な面を見せることもあるが、いくらなんでも数年ぶりに再会したばかりの友人を、こんな公共の場で道具を使って殴りつけるなんて。
しかも殴られた張本人の山上は笑顔でそれを語っている、とは。
何やら得体の知れない恐怖を感じる。
「俺、怒らせたみたいだなー! いやぁ失敗、失敗」
山上は頭をかきかき言う。言葉とは裏腹に悪びれる様子はほとんどなく、あまり「失敗」とは思っていないようだった。
「何、喧嘩?」
「喧嘩っつーか、まぁ意見の食い違いだな」
「ふーん」
それで暴力に発展したのなら結局は「喧嘩」ではないのか。微妙な疑問を抱きつつ、七緒はとりあえず隣の彼を励ますことにした(もっとも、ハナからあまりへこんではいないようだったが)。
「大丈夫だよ。心都、喧嘩しても次の日にはケロッとしてること多いし」
「へぇ、ケロッとなぁ。でも昨日は相当ヒートアップしてたから、どうだろうな」
そう言いながらも山上はやはりそれほど心配していなさそうな様子だった。
「東は今までに杉崎と喧嘩なんかたくさんしてるんだろ」
「まぁ、割と」
山上が興味深そうに身を乗り出す。
「例えばどんなことで?」
そんなに期待されても、他人が聞いて面白いようなエピソードは特にない。
15年間、七緒と心都の喧嘩はいつだって些細なことが原因だった。
「例えば……小さい頃の話だけど、ゲームでズルしたとかしないとか、おやつのケーキの苺乗ってるほうをどっちが食うかとか。あと俺のほうが誕生日4ヶ月早いからってちょいちょい威張ってたら心都がキレたり、逆に、昔は心都のほうが背が高かったからそのことで偉そうな態度とられて俺がキレたり。最近のだと、朝っぱらからセンスないとか女顔だとか悪口言われて喧嘩したな」
山上は面白そうに七緒の昔話を聞いていた。
「へーぇ。色々争いが絶えないんだな。でも基本的には仲良いよな、お前ら」
そう直球で尋ねられると少々頷きづらいが、かといって『仲が悪い』わけでは、決してない。
「まぁ、幼馴染みだし……仲良いとか悪いとかの次元じゃないかも」
「そうか」
山上は納得したように笑った。やはり心都との喧嘩についてくよくよ思い悩んではいないようだ。それは良いことだと思う。
しかし、彼はこの話をするためだけにわざわざ自分を待っていたのだろうか?
七緒は疑問に思いながら、何の気なしに右手のうちわを裏返す。『lovely☆smile☆nanao』の文字が目に飛び込み、ブランコから落下しそうになった。
表面の『必勝』だけでも恥ずかしさでかなりのダメージを負ったのに、この悪ノリの集大成のような裏面の言葉はそんなの比にならないほどの破壊力だ。
心都は試合中これを振り回して応援していたのだ。げんなりと沈む気持ちを抱え、七緒はうちわを通学鞄にしまった。心都のこういったセンスはいつもよくわからない。
そんな七緒の一連の様子を見ていた山上は、ふっと楽しそうに笑った。
そして、そのままの笑顔で言った。
「実は俺、杉崎のことが好きなんだ」
七緒は一瞬、相手が何を言っているのか理解できなかった。
「『出先の午後は寿司なんだ』?」
「ははは、全っ然違うぞ東!」
山上は七緒の間違いを笑い飛ばすと、今度は先程よりもゆっくりとした口調で告げた。
「俺、5年前から杉崎が好きで、杉崎も今そのこと知ってて、まだ両思いじゃないけど、ゆくゆくはカップルになりたいから、今猛烈アタックしてるんだ」
なんとも簡潔で無駄のない状況報告。
「……マ、マジで?」
七緒はとにかく驚いた。
今までほとんど男っ気のなかった幼馴染みがモテているなんて。
そしてそれと同時に、頭の中で色々なことの辻褄が合った。
幼い頃心都に対してだけ意地悪だった山上、校門での待ち伏せ、昨日の『愛を語る』発言……全ては恋心ゆえの出来事だったのだ。
「お前らがただの幼馴染みだってことはよくわかってるけど、とりあえず東には報告しとこうと思って」
「……へー」
衝撃のあまり、つい間の抜けた声になる。
「……なぁ、それ聞いて俺どうすりゃいいわけ。協力しろってことか?」
もしそうなら、申し訳ないがそれは出来ない。なぜなら、心都は以前「好きな人がいる」と発言していたから。
片思いは個人の自由だが、外野の自分が余計な操作を働くことは明らかにルール違反だろう──七緒はそう思っていた。
しかし予想とは裏腹に、山上は軽く笑ってそれを否定した。
「協力なんていらねぇよ。ただ、今現在、東が杉崎に一番距離が近いじゃん。だからまぁ一応報告っつーかプチ宣戦布告っつーか」
「せんせんふこく?」
ますます訳が分からなかった。
そんなものを布告される覚えは全くない。
「こいつわけわかんねぇ、って顔だな、東」
「だってそう思ってるし」
「だよなぁ」
勢いよくブランコから立ち上がった山上は、あらためて七緒に向き直った。
「俺が勝手に伝えたかっただけだから。東に知っといてほしかったんだ」
「……わりぃ。今回ばかりは本当に心からわけわからん、本っ当に」
本心だった。今日の山上との会話は、わからないことが多すぎる。
山上は楽しそうに頷くと、片手をあげた。
「気にすんな。じゃ、俺はそろそろ帰る」
「は?」
一方的に言いたいことだけ言われても、非常に困る。
「おい、山上、ちょっと」
七緒の思いが通じたのか、歩き出した山上の足がぴたりと止まった。
「そうだ、東」
おもむろに、山上が振り返る。
「昨日言ってたこと──毛虫のこと、思い出したか?」
少しのあいだ宙を見て、やがて七緒は答えた。
「悪いけど、全く」
昨日ここで交わした冗談まじりの約束──『この公園で山上と毛虫を探して遊んだという幼い頃の出来事を、次に彼に会うまでに思い出す』──は実現できなかった。あのあと必死で記憶を辿ったが、自分はそのときのことをすっかり忘れてしまったらしく、断片的にさえ思い出せなかったのだ。
山上は快活に笑った。
「忘れっぽいな、東! 再会したときも最初なかなか俺のこと思い出せなかっただろ」
「昔のこととか、細かく覚えてるほうじゃないんだよ」
「ふぅん」
小首を傾げた山上は、何やら考え込むように顎に手を当てた。
そしてこの日初めて笑顔を引っ込め、真面目な表情で七緒をじっと見据える。
「なぁ、東。俺は、杉崎がうちわにデコレーションしてる時間も、東の試合の応援してる時間も、東と喧嘩してる時間も、今後は全部俺のこと考える時間に変わったらいいなと思ってる」
「……つまり?」
「もう今年で15なんだし、男女の仲良し幼馴染みとかそういうのは卒業していい時期だ。それよりお互い恋なり部活なりに励もうぜ」
穏やかな口調ではあるが、今までよりもだいぶ明確な宣戦布告だった。
幼馴染みの自分と心都の過ごす時間を、山上は勿体ないと感じている──もっと言ってしまえば、『その時間を俺にくれ!』ってとこだろうか。
七緒は意訳を終えると、あらためて驚きを噛み締めた。
杉崎心都の幼馴染みという自分の肩書きの1つが、まさかこんなふうに誰かの悋気の対象となる日が来るなんて夢にも思わなかったことだ。
「……山上、あのさ、」
「そんだけだ! 呼び止めて悪かった! じゃーな!」
そう言って山上は、ひらりと手を振りながら、なんとも上手に、チャーミングに片目をつぶった。
「えぇぇ……?」
呆気にとられる七緒をよそに、ずんずん遠くなる山上の背中。
夕闇の中、一方的な報告の末に取り残された七緒は、強く強く思った。
──ウィンクは、なしだろ。
いくらアメリカ帰りといえども、大の男がこんな状況で、普通の感覚なら有り得ないだろ。
うん。ないない。
思わず喉がごくりと鳴った。
世の中には色んな人間がいるのだ。
世界の広さをあらためて実感し、気が遠くなるような、東七緒14歳の春であった。