8<5年目の恋と、待ちぶせ>
人間、予想外の事実を告げられたときの反応というのは様々だ。
冷静に受け止める人、慌てふためいてしまう人、なんとか平静を保とうと無理する人……十人十色だろう。
私の場合はまさに呆然、唖然、びっくり仰天といった感じで、思考が停止してしまったものだから、「うう」とか「ええ」とか「えっと」とか、情けない声を出すことしかできなかった。
もっと言うと、完全に体中の力が抜けた。
もっともっと言うと、腕の力を失って右手に握っていた物をうっかり取り落としたことにも気付かなかった。
そして、そのままふらふらと体育館を去ってしまったのだ。
「──で。結局、驚きすぎてあの恥ずかしいうちわを西有坂中の体育館に忘れてきちゃったってこと?」
呆れたように美里が言う。
私は深くうなだれた。
「……そういうことです……」
西有坂での試合から一晩が過ぎた。
朝一番の教室には窓から太陽が差し込み、だからといって暑すぎるわけでもなく、ぽかぽかの春の陽気がとても良い感じ。
そんな麗らかな空気の中、私は教室の隅で美里からの事情聴取を受けている。
昨日、体育館での一件の後、美里たちの元へ戻った私はずっと上の空で、とてもじゃないけど誰かとまともな会話が出来る状態ではなかった。
だから今朝、ずっと不審に思っていたらしい美里に尋ねられ、私は全てを打ち明けた。
山上から予想外の告白をされたこと、それを忘れろと言われたこと、うちわの裏側には『lovely☆smile☆nanao』と書かれていたこと、そのうちわを他校に置いてきてしまったこと──1日経った今だからこそ、多少は落ち着いて話せたのだ。
美里は私の言葉に、黙って耳を傾けてくれた(うちわの裏側の話の時だけ、妙に生温かい表情をしていたけど)。
「まぁ、忘れちゃったものはしょうがないじゃないの。幸いうちわには心都の名前は入ってないんだし。恥をかくのは『lovely☆smile☆nanao』くんだけよ」
さらりと、美里。
彼女は時に、可愛い顔でとんでもなくドライなことを言う。
しかしそんなあっさりとした意見は、色々なことが起こりすぎて既に頭がパンク状態の私にとってかなり有り難い。
「そっか、それもそうだよね」
私はひとまず、うちわの件を忘れることにした(許せ、七緒)。
「それにしても、まさか5年前の『いじめっ子ヤマザキ』くんが心都に告白するなんてねぇ」
「……うん。昔あんなにイビられてたのに」
「まぁ、好きな子をいじめるのは小学生男子の典型的なパターンだものね。で、これからどうするの?」
美里の問いかけの意味がわからず、私は間抜けな声をあげてしまった。
「へ? 何が?」
「だから、今後の山上くんとの関係よ。告白を受け入れるの? 断るの?」
美里が身を乗り出す。
「いや、とりあえずびっくりはしたけど……、結局山上は『今は忘れろ』って言ったから、ここは一旦なかったことに、」
「ちょっと、なに寝言いってんのよ。そんなの無理に決まってるでしょ! 一度愛の告白をされてるのに!」
そう言う美里は、キラッキラの目で明らかに楽しそうな顔をしていた。
彼女の瞳がこうやって輝くのは、何か「すごく素敵!」なことを考えているときだ。
「美里……なんかちょっと楽しんでる?」
「もちろん」
あまりにも躊躇なく肯定され、私はがっくりうなだれた。
わかっちゃいたけど美里さんよ、せめて、も少し隠してほしかった。
さっきは嬉しかった美里の『あっさり』が今度は胸に軽く刺さる。
そんな私を見た美里は、顔の横で小さく右手を振った。
「あらやだ。私は別に好奇心とか冷やかしで面白がってるわけじゃないのよ。むしろ、逆逆」
「逆?」
美里が今までよりも少し真剣な表情になる。そして教室内をきょろきょろ見回すと、私に顔を近づけ小声でささやいた。
「あのね、心都は5年間ずーっと追いかける恋をしてきたでしょ。しかも相手はあの、鈍感で柔道のことしか頭にない七緒くん」
どうやら今さっきの動きは、教室に七緒がいないことを確認するためのものだったらしい。
「うん、まぁ」
「だからこうやって想われて、好きだー可愛いー愛してるーって言われて、追われる恋をしてみてもいいんじゃないかなって思うのよ。もちろん結局どうするのか決めるのは心都だし、私だってずっと応援してたんだから七緒くんとうまくいってほしいわよ。でも、やっぱり1番は心都に幸せになってほしいから」
美里はまっすぐに私を見ていた。その真剣な目は、私を本気で思いやってくれていることを明白に語っていた。
「美里……」
あまりにも感動的な親友の言葉に、私は鼻をすすり上げる。
美里が、私のことをこんなにも真剣に心配してくれていたなんて。
彼女は優しい声で続けた。
「つまりね、七緒くんに盲目的になるのも結構だけど……、ちょっとくらいは追われる恋も視野に入れてみたら? ってことよ」
正直なところ、山上からの告白が全く嬉しくなかったと言えば、嘘になる。
思えば私は今まで周りの男から、おせっかいおばさんだのジャージ女だのボサボサ頭だの変質者だの、あんまりな扱いを受けてきた人生だった(いや、大半は自分の日頃の行いのせいなんだけどね)。
だから山上が、何の間違いか知らないが「可愛い」だなんて言ってくれて、告白までしてくれて、驚くのと同時にやっぱり嬉しかった。
なんだか初めて、ちゃんと「女の子」になれたような気がしたのだ。
だけど────
「うん……。ありがとう、美里」
私は心からの感謝を込め、美里に笑いかけた。
「確かに七緒は並外れて鈍感で、柔道馬鹿で、気の利いた台詞もなくて、ホワイトデーのお返しのセンスも変で、顔なんかこっちの気が狂いそうなほどの美少女フェイスだけど……やっぱり私──」
「俺がなんだって?」
突如、背後から聞き慣れた声。
驚いて振り返るとそこにはしかめっ面の七緒が、通学鞄を持ったまま立っていた。
「な、なななななnanao! いつからそこに!」
「『な』多いし慌てすぎだししかもローマ字かよ」
ひと通りつっこみを終えた七緒が、私をじろりと睨む。
「今日は朝練ないから今来たんだよ。そしたら誰かさんが朝っぱらから馬鹿とかセンスないとか、俺の悪口べらべら並べ立ててるからよー」
「ち、違うよ! 悪口じゃなくて、むしろ……」
「は? むしろ?」
「……」
きょとん顔の七緒が私を見やる。
いやいやいや。
言えるかよ。
「う、うるさいなぁ、もう! 男のくせに陰口ごときでカリカリしちゃってさ」
「うっわ、出たよ、逆ギレ。陰険な奴ってやだよなー」
「ふん、ちっちゃい男!」
「ちっちゃい!? おい聞き捨てならねーな。俺、今にょきにょき背伸びてるって言ってんだろ!」
「そういう意味じゃない! 器の話だよ、馬鹿!」
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですーぅ!」
美里が「あーあ」と呆れたようにため息を吐く。
結局、本鈴が鳴り先生が教室に入ってくるまで、私と七緒の小競り合いは続いた。
……おかしいな。
私はさっきの美里の質問を経て、七緒への強い恋心を再確認したはず──なのに。
何が悲しくて、朝から好きな人とレベルの低すぎる口喧嘩を繰り広げなくちゃならないのだ。
* * * *
「よっ、杉崎ぃ!」
相変わらずの豪快な呼び声。
私は驚いて、歩みを止めた。
「山上……?」
今さっき5時間目の授業を終え、本日は部活もないので下校しようと校門をくぐった私。
そこへ現れたのは、制服姿の山上だった。
「な、何してんの?」
「決まってんだろ、杉崎を待ってたんだよ」
あっけらかんと山上は言った。
こんな人の出入りが激しい場所で、他校の制服を着た山上(しかも中学生とは思えないほどデカい)が突っ立っていたら、さぞかし人目を引くことだろう。現に今もちらほらいる下校中の生徒が、なんだなんだと私たちのやり取りに視線を送っている。
「こ、ここでずっと待ってたの?」
「おう。学校の違いなんてぶっ飛ばせ! 今から放課後デートだ!」
笑顔の山上は、私の手を掴んで走り出した。
割とハチャメチャな人だなぁとは、再会したときから思っていたけれど。
今のこの人は本当に理解不能、一体何を言っているんだろう?