4<乙女と、身体測定>
入学当初は縮こまっていた新入生も、一週間も経てば徐々に伸び伸びとしてくる。
昼休み。出来たばかりの友達同士グラウンドで遊ぶ1年生たち(制服も運動靴も真新しいのですぐにわかる)を眺めながら、私は隣の美里に尋ねた。
「もう新入部員入った?」
今日はとても天気が良いので、美里とグラウンド脇のベンチでお弁当を食べている。ぽかぽかとして気持ち良い。ちょっとしたピクニック気分だ。
美里は卵焼きをきちんと飲み込んで、口を開いた。
「今のところ5人。そっちは?」
「うちはまだ全然。そもそも2、3年生合わせて10人いかないくらいだしなー」
家庭科の授業の延長レベルである料理部では、なかなか人も集まらないのだ。私に言わせてみれば、放課後の校内で堂々とご飯やお菓子が食べられるなんてとても魅力的なことだと思うのだけど。
「まぁ、でもこれからよね。まだ新学期始まって一週間ちょいだし」
「そうだよね」
桜はすっかり散ってしまったけど、季節はまだまだ春だ。
「ねぇ心都。あんまりお箸が進んでないけど、具合悪いの?」
美里が私の手元を覗き込んで言う。さすが鋭い。
私は頭をかきかき答えた。
「いやぁ、実は午前中の身体測定でちょっと目方のほうが……」
「あ、太ったの?」
ずばりと、美里。
基本的にとても優しい彼女だけど、たまに驚くほど容赦ない。
「……4キロほど」
春恒例の身体測定は、その結果次第で、思春期真っ直中の中学生を天国へも地獄へも連れてゆける。昨日から食事の量を減らしデザートも控えるという万全の状態で挑んだにも関わらず、私は去年に比べて体重が4キロも増えていた。身長は大して伸びていなかったのに。
やはりというべきか、前述の「校内で堂々とご飯やお菓子が食べられる」現状がまずいのだろうか。
美里は明るく笑い、その白く細い手を私の肩に置いた。
「なぁんだ、そんなこと気にしてたの。大丈夫、心都はどう見ても中肉中背の標準体型よ」
「ちゅうにく……」
下手に「平気だよぉ、細いよぉ」などと気休めを言わないからこそ、美里の言葉は頼もしかった。
「そのくらいの体重の増減はよくあることよ」
「……そうかな」
「まぁ、気にしちゃうのもしょうがないと思うけどね。恋する乙女だもん。だからもし本当に心都の体型がやばくなってきたら、私が心を鬼にして『豚ちゃん』って呼んであげる」
だんだん気持ちが明るくなってきた。
そもそも、ランニングや食事制限までして本格的なダイエットに臨む決意も根性も、私にはまだない。だったらもうそこにあるのは「気にしない」という選択肢のみだ。
「うぅ。美里、ありがとう」
「え、やだ涙ぐんでる?」
「持つべきものは優しくて時に容赦ない親友だよ……」
それ誉めてるの? と美里が顔をしかめた、その時。
「危なーい!」
突如聞こえた大声。
驚いてそちらを向くと、私をめがけて勢い良く飛んでくる、白黒のコントラスト眩しいサッカーボールが見えた。
このままだと顔面直撃は免れない。
しかし、かなりのスピードがついているボールをキャッチするのはさすがに無理だ(だって乙女だもん)。
だから私は、ゴッと鈍い音をたて、拳でそれを跳ね返した。
「あぁ、杉崎。わりーな!」
ボールを追ってへらへらと現れたのは、田辺だ。
「危ないじゃん、気をつけてよ」
「わりーわりー。でも当たらなくて良かった。咄嗟にパンチが出る奴なんてそうそういねーよ」
失礼な奴だ。もしボールがぶつかりそうになったのが美里だったら、きっとその場で手首を切りかねない勢いで謝るんだろう。
私はやさぐれたい気持ちになって、田辺を睨んだ。
「今日は皆で仲良く楽しくサッカーですか。バスケ部員さん」
「別にバスケ部がサッカーやったっていいだろ。ボールは友達だぜ」
サッカーボールを小脇に抱え、なぜか得意げな田辺。
「ドライブシュートの練習してたらボールが変な方向いっちゃってよ。まぁ杉崎の顔面直撃しなくて良かったよな、わはは!」
なんだこいつ。どこぞの翼くん気取りか。
「東がいればスカイラブハリケーンでも練習するんだけどな。あいつ身軽そうだし」
「七緒は参加してないんだ?」
「おう。あいつスキップで昼練に行ったぜ」
衝撃を受けた。嬉しくてスキップする人間なんて本当にいるのか。
「なんか午前中の身体測定の結果でハッピーになっちゃったらしくて。ここ最近で身長4センチ近く伸びたんだってよ」
「よ……4!?」
再び衝撃を受けた。
今までずっと、ほぼ同じくらいの背丈だった私と七緒。
最近だって彼の隣にいて、そんな大幅な伸びを感じたことはなかった。
いくら一緒にいる機会が多い幼馴染みだからって、4センチの目線の差に気が付かないなんて、有り得るのだろうか。
──と、ここまで考えて気が付いた。
春先になって感じた七緒の違和感を、私は久しぶりに見る彼の制服のせいだと思っていた。
しかし今考えればきっと、違う。
もちろん多少は制服のせいでもあるだろうけど、違和感の大半はその4センチが生むものだったのだろう。
「嫌だ! ムカつく!」
たまらず叫んだ私に、美里が驚いたように目を向けた。
「えぇ? そこは『いつのまにかそんなに背が伸びてたんだ……やっぱり男の子だなぁ……とくんとくん』でしょ」
美里の意見ももっともだ。私だって、それやりたかった。少女漫画ばりにとくんとくんしたかった、けど。
「タイミング最悪だよ。私は4キロ増えてヘコんでるのに、七緒は4センチ伸びてスキップルンルンだなんて……同じ数字なのに……。あぁ、なんかすっごいムカつく!」
「心都……」
美里がなんともいえない表情で私を見やる。
「へぇ、杉崎は太ったのか! 言われてみりゃーそんな気も……」
どこまでも無神経な田辺が、両手の親指と人差し指でカメラのファインダーを模した四角を作り、私を眺めながら言った。
私は彼を睨みつける。
「田辺うるさい。早く戻ってサッカーの続きしてきなよ。技の練習途中なんでしょ」
「あぁ、そうだった。なっ、栗原も良かったら一緒にサッカー……」
美里がにこやかに微笑む。
「遠慮しとく。っていうか、田辺くんってバスケ部なのね。知らなかった」
彼に何度も浴びせてきたであろうこの言葉を、恐らくわざと美里は言った。
膝から崩れ落ちる田辺の心が音をたて折れたのが、はっきりとわかった。
私は、斜め前の席に座る七緒を下から上までじっとりと、蛇の如く睨みつけた。
帰りのホームルームも終了し、放課後の部活に行く準備をしていた七緒はその視線に気付き、
「……なんだよ、心都。喧嘩売ってんのかよ」
と、にこやかすぎる笑顔で言った。
「浮かれてるなぁと思って。身長伸びたんでしょ」
「あぁ、気付かれちゃいました? まいっちゃうなー」
本当にすごい浮かれようだ。辺りにお花が飛んでいるのが見える。
「いや、私は全く気が付かなかったんだけど、さっき田辺に聞いたから」
「そうなんだよ。今年の正月に自分で測ったときはまだ159だったんだけど、それから急に4センチも伸びたみたいでさー」
「ふぅん」
「このペースでいけば来年の今頃には山上くらいにはなってるな。我ながら恐ろしいよな、成長期ってやつはよ」
ははは、と楽しそうに七緒が笑う。私は全然楽しくない。
「くそっ。ムカつく」
「え、なんか言った?」
阿呆面の七緒をじっと見つめ、私は右手を伸ばした。
「……私だってここぞとばかりにとくんとくんしたかったのに」
そのまま右手を七緒の頭に置き、下へ押し込めるように、ぐいぐいと力をいれた。
「え? え?」
「……縮め! ていうかお前も横に伸びろっ」
「は? 何言って……」
「道連れにしてやる! 今日から毎日ピザをおかずにご飯3杯食え!」
「いて! やめろ、ばか!」
結局、ぶち切れた七緒から頭に重めのビンタをくらうまで、私は彼のつむじに圧力をかけ続けた。
「心都……そんなの恋する乙女の行動じゃないわ」
ぽつりと悲しそうな美里の声が、耳に届いた気がした。