8<気持ちと、4年目の決意>
チャイムが鳴った。
校庭に出ている人なんてほとんどいないし、ましてや飼育小屋の前なんか静まり返って怖いくらい。
だけど突如、甲高い声でその静寂を破る奴がいた。
前にも少し触れたけど、飼育小屋のオウムはとにかくうるさい。そして下品。
あの七不思議のオウムが七緒を見つけてすかさず絡んだ。
「ヨォヨォ姉チャン、ベッピンサンダナーッ」
「姉ちゃんじゃねぇっ!」
「怒ッタ顔モチョー可愛イネー」
男子制服を着ているにもかかわらずオウムにまで勘違いされて本気で怒っている七緒。
そしてその隣には、正真正銘の女子生徒であるにもかかわらずオウムに完璧無視されている私。
…何だか微妙な心境だ。
オウムはすっかり七緒に夢中で、スケベさが滲み出た声色でしきりにわめいている。
「姉チャン、チョットケツ触ラセロヨ」
「焼き鳥にすんぞ!!」
七緒さん、鳥相手にキレすぎです。
「あははっ」
「そこ笑うな!…さっきまで泣いてたくせに」
あんた見てたら涙もひいちゃいましたよ。
ひと睨みしてオウムをようやく黙らせた後、七緒は唸るように言った。
「あのさぁ心都」
「は、はい」
真剣気味なその表情に、私は少しまごついた。
「えーと…お前さっき自分のせいとか言ってたけどっ、元々このゴタゴタは俺の問題だし。だから別に、心都のせいじゃないから。っていうかむしろ…巻き込んでごめん」
「えっ…」
そんな事ないのに。私が勝手に先輩を怒らせたせいなのに。
「でも私の代わりにビンタ…」
「あのな」
真っ直ぐな七緒の目が、私を見る。
「別に俺は心都のせいだなんて思ってないし、代わりにぶん殴られたのも、巻き込んだ責任感じてとかじゃなく…」
ここで七緒は、自分の中で言葉を整理するみたいに難しい顔になった。
「…心都も先輩も関係なくて、“俺が”嫌だと思ったから、だから動いたんだよっ」
少し怒ったような口調。
―――私はこの台詞を前にも聞いた事がある。
4年前、今と同じように七緒の口から。
「…七緒。前にもおんなじ事言ってくれたんだよ。覚えてる?」
「そうだっけ。全然」
と、きょとん顔のご本人はすっかりお忘れのようだけど。
「あっそ」
私はしっかり覚えている。
──そういうとこ、ずっと変わらないね。
「……」
「…心都。何思い出してんだか知らないけど、そうやってにやにやする癖は止めたほうがいいと思うんだけど」
「七緒」
「へぃ」
「…ありがとー」
「…?いえこちらこそ。」
七緒はちょっと困ったように眉を下げて笑い(これが可愛いお嬢さんっぽくてやけに似合っていた)、
「お前も昨日飛び出してきたじゃん?正直あの時、心都がいなかったらヤバかったかも」
「ヤバいって何が?」
「その…防げなかったかもって事だよ」
七緒が不自然に視線を泳がせた。
「よーするに唇奪われちゃってたかもって言いたいわけね」
「くちびるって…何か嫌な言い方だなオイ。でもあの先輩と目ェ合わしてると、体動かなくなるっていうか、頭空っぽで逃げらんなくなるんだよな…」
そういうのをフェロモンっていうのかもしれない。どっちにしろ、私とは縁が遠いものだ。
「それは…私も飛び出した甲斐があったよ」
私はへらっ、と頬を緩めかけた―――けど、ここでとんでもない事に気付いた。
今となっては思い出すのも恥ずかしい、ついさっき私が言った言葉。
『嫌です…!だって私、大好きなんだもんっっ!!』
そして、先輩の右手が動いて、七緒が飛び出してきて―――。
「…」
「何固まってんだよ」
「…ねぇ七緒」
「ん?」
嫌な感じの冷や汗が背中を伝う。
「七緒、どこから聞いてた?」
もしかして――あの「大好き」、聞いてたりする?
七緒は一瞬きょとんとしたけどすぐに「あぁ」と理解して、
「俺、今日朝練ないから遅刻ギリギリでさ。校門入ったら裏庭の方からすげー怒鳴り声が聞こえてきて、何話してんのかはわかんなかったけど何か危なさそうだったから。で、行ってみたらちょーど先輩が右手下ろそうとしてるトコで。」
「つまり会話の内容は聞いてないの?」
「うん」
よ、よかったぁ…。
私はホッと息をつき、思わずへたりこむ。七緒が不思議そうに尋ねた。
「どーしたの」
「いえ何でもないっス」
「そうっスか。ところで俺も1つ聞きたい事がある」
「な、何?」
心臓が跳ねた。なぜなら、隣の七緒が私の視線に合わせて腰を下ろしたからだ。
「俺、昨日から何回考えてもわかんないんだけど」
「だから、何?」
場合によっては黙秘権を行使する。
七緒はふざけた色なんて全く感じさせない表情で、言った。
「何で昨日怒ってたの?」
「──へ」
…何だ。そんな事。
私はてっきり、さっき先輩と何話してたのかとかそういう質問かと思っていた。
こいつそんな事を真面目に何回も考えていたのか、と思うと少し可笑しくて。
そしてやっぱり、外見じゃなく中身も、色んな意味で七緒には一生勝てないだろうなぁ、と思う。
「…七緒があまりにも素直だからだよ」
「は?」
「とにかくもう全然怒ってないしっ昨日はごめん、気にすんな!」
「強引な自己完結だな」
しっくりこなさそうな七緒だったけど、まぁいっかと呟くと校舎に目を移した。
「じゃー心都、そろそろ教室行く?」
そういえば本鈴が鳴ってからもうだいぶたっている。確実に1時間目は始まっているはず。
「うわ、うちら大遅刻じゃんっ!急ご!」
筋肉痛(昨日の裏庭ダッシュのせい)の体に鞭打ってパタパタ走りだすと、12月の空気が頬を撫でた。
心地いい冷たさを感じて、私の気持ちは落ち着いていく。
よかった。
「大好き」って、あんなふうに先輩に怒鳴った形で伝える事にならなくて。
『部活が1番楽しい』らしい今の七緒には、まだ気持ちは伝えらんないかな。
柔道より好きになってとか、七緒より可愛くなりたいとか、そこまで言わない。言えない。
でも私が頑張って、いつか。
いつか、ほんの少し――七緒がちょっと心臓速くなるくらいの「女の子」になれたら。
その時は。
「…伝えてみるか」
「何か言った?」
「や、1時間目って何だっけ?」
「橋本の理科」
「うぁ最悪…あの先生恐いんだもん」
「急げ」
「おー」
『いつか』がいつになるかはわからない。
けど。
その時は、伝えてみるか。