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2<ジンクスと、春のせい>

 始業式のあとは新クラスでの短いホームルームのみで、その日は下校となった。

 学校前の交差点で美里と別れ、そこから私はひとり家路につく。

 通学路の桜並木は相変わらずの満開だ。私は自宅近くの公園前までやってきたところで足を止め、咲き乱れる桜を眺めた。

 ひとたび強めの春風が吹くと、まるで演歌の花吹雪みたいに辺りがピンクに染まる。すごく綺麗。

 ふと、小学校低学年の時に流行ったジンクスを思い出した。

 ──桜の花びらを空中でキャッチできたら願いごとが叶う。

 こんないかにも嘘くさい噂がまことしやかに流れ、当時は春になると通学路で舞い散る桜を掴み取ろうとする女子の姿があちこちで見られた。もちろん私も無邪気にチャレンジしたくちだ。しかし鈍くさいのか運がないのか一度も成功しないまま、いつのまにかこのジンクス自体綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 だけど今なら、散っている花びらの量もかなり多いし、何より、数年を経て少しは私の身体能力もアップしているだろう。

 よし。

 私は神経を集中させ、狙いを定める。

 ここだ! と素早く右手を動かし、見事、花びらを掴んだ──と思ったのだけど。期待を込めて開いた手の中はすっからかん、花びらどころか埃ひとつない。

 今度こそ、と再びチャレンジするも、やはり桜は捕まってくれない。

 おかしいな。こんなはずじゃなかったのに。

 私はやっきになって、何度も何度も空中キャッチを試みた。

 しかし、数を重ねても結果は同じ。

「くっ」

 こうなったらもう意地だ。

 段々と手付きも鼻息も荒くなってくる。私は一心不乱に桜の花びらへ挑み続けた。

 そう、とにかく必死だった。

 だから、すぐ傍に同じく下校中の七緒がいると気付くのに、こんなに時間を要してしまったのだ。

「…………」

 七緒はほんの少し離れたところから、「うわぁ……」と変質者に向けるかのような表情でこちらを見ていた。

 右の拳を大きく突き上げた状態のまま、私の体が凍りつく。

 しまった。自宅近くのこの公園前、私の通学路であるのと同時に、七緒にとってもそうなんだった。つまり、この時間に彼が通るのも当然のこと。

 青ざめる私をよそに、七緒は対変質者用の顔を崩さないまま、そそくさと自宅方向へ歩き出そうとした。

 まさかの無視だ。

「あの、こういう時その反応は1番きついんですけど」

「……いやー、お構いなく。道端で1人シャドーボクシングしてる奴に話しかけるほど、俺、好奇心旺盛じゃないから」

「シャドーボクシング!?」

 大いなる誤解だった。

 私は自分でも驚くほどの瞬発力(桜キャッチのときに発揮したかった)で七緒の元へ近付き、

「違う!」

 がっしりと腕を掴んだ。

「桜見てたらちょっと乙女気取りたくなっちゃっただけであって、昔流行ったジンクス的なものを思い出して試してただけであって! 決して女ボクサー目指してるわけじゃない!」

「ジンクス?」

 七緒は胡散臭そうに目を細めた。

「桜の花びらをキャッチできたら願いが叶う、って。知らない?」

「知らない」

 やはり大ブームといっても女子児童の間だけのことだったらしい。

「だからって1人でそんな鬼の形相でやらなくても……」

 呆れたように七緒が言う。

 確かに小学校低学年ならともかく、十代も半ばである私が公共の場で人目も気にせずフィーバーしてしまったのは恥ずべきことだろう。

「……以後気をつけます」

 もう少し落ち着きと思慮深さを身につけよう、と私は反省した。

「心都が教室でまで奇行に走ったら、今度こそ俺、つっこみきれずに他人のふりするよ。せっかくまた同じクラスになれたのに、そんなん勘弁だからなー」

 冗談めかして言う七緒は、少し意地悪く笑っていた。

 しかし私は、今の彼の発言に異常ともいえる程ときめいてしまっていた。

『せっかく同じクラスになれたのに』?

 何とはなしに放たれたこの言葉だけど、心でリピート(エコーつき)してしまうくらい、私には大きな意味がある。

 これ、少しは私と同じクラスを嬉しいと思ってくれている──と解釈してしまって、いいだろうか。いいよね。

 恋する乙女は皆、自意識過剰の妄想族だ。

 一度軽くヘコまされているだけに喜びもひとしお。あぁ、手足が震える。今すぐ走り出したい気分。

「自分もっ! 七緒と同じクラスで、良かったっす!」

「何その体育会系」

 またまた七緒の表情がげんなりとし始め、私は慌てて感情の高ぶりを抑えた。

「い、いやいや。ふざけてるわけじゃないよ。2クラスしかないとはいえ運が良かったなぁって」

「そうだよな。ほんと、また一緒で良かったよ」

「……うんうん」

 ときめきは最高潮だ。

「3年生のときのクラスって重要だよな」

「うんうん」

「同窓会で集まるのって大体このクラスになるんだもんな」

「うんうん。……ん?」

 若干の引っ掛かりを覚える。

 恋する乙女は皆、自意識過剰の妄想族であるのと同時に、自分にとってよろしくない意味の言葉に敏感だ。

「これで心都と、10年経っても20年経っても、同窓会で会えるもんな」

 舞い散る桜を背景に、爽やかな笑顔で七緒は言った。

 同窓会で会える。

 これは、同窓会以外では会えない、という意味にも取れるような気がする。

 つまり七緒が描く20年後のビジョンに、「同窓会」のシーン以外で私は登場しないのだろう。

 間違っても今現在恋人同士ではない私たちだ。当然といえば当然のことだけど──七緒に想いを伝えて幼馴染み以上の関係になりたいと願う私にとって、それはあまりにも直接的で破壊力が強すぎた。

 例によって例の如く、七緒は一切屈託のない笑顔なものだから、よけい始末に負えない。

「……そりゃないぜ、おい」

 妄想という名の私の未来ビジョンには、10年後も20年後も七緒が登場しまくっているというのに(主に素敵な教会とか、幸せなキッチンとかが舞台だ)。

「え? 心都、なんか言った?」

「……なんでもない」

 この鈍感男のおかげで、ここ最近、私もだいぶ強くなった。この場で落ち込むよりもとにかく気持ちを切り替えたほうがいい、ということもよくわかった。

 ここはできる限り深みにはまらないようにしよう。

 そしてあとで家でゆっくり落ち込もう。

「……それにしても、七緒がこんな時間に下校なんて珍しいね。いつも遅くまで部活なのに」

「今日は顧問の都合で休みなんだ。明日からまた連日の特訓スタートだけど」

「大会とか近いんだっけ?」

「大会じゃないけど再来週、隣の中学との練習試合」

「そうなんだ。じゃあ今度こそ一本背負いで大勝利だね!」

「……簡単に言うなよ」

 そう言ってさっさと歩き出す七緒が、私とは目を合わさず、

「……まぁ絶対勝ちたいけど。ていうか勝つけど」

 と、呟く。

 前回の大会後に七緒が言ってくれた「次は勝つから見とけ!」という偉そうな言葉を、私はまだしっかり覚えているし、きっとそれは彼にとっても同じなのだろう。

 そのことがなんだか嬉しくて、私はつい締まりのない顔になりながら、七緒に並ぶ。

「頑張ってね」

「おー」

「試合、見に行っていい?」

「うん、来て。俺はエントリー取り消したとか嘘ついたりしないからさ」

「ちょっとそれまだ引きずってんの?」

「冗談だよ」

 私が七緒をぎろりと睨んだ、その時だった。


 向かいから歩いてきた学生服の少年が、私たちの数メートル先で足を止めた。


「──杉崎?」

 急に名前を呼ばれ、私は驚いて少年を見た。

 彼の黒い学ランと濃紺の通学鞄はよく知っている、隣の中学校のものだ。なので間違いなく同い年、もしくは年下である。

 しかし、175以上はあるであろう長身に、黒い短髪、マッチョともいえるがっちりとした体格のせいで、とても大人びて見えた。

「うっわぁ、すげぇ偶然! 久しぶり! 俺だよ、俺俺!」

「えっと……」

 困った。

 オレオレ詐欺のように話しかけてくる彼を、私は全く知らない。

「4年? 5年ぶりか! 懐かしいなー! 杉崎!」

 彼はきらきらと瞳を輝かせ、私たちの元へ歩み寄ってくる。

「心都の知り合い?」

「いや、全く」

 怪訝そうな七緒に、小さく耳打ちする。そんな私の言葉を受け、

「あぁ、春は変な奴が多いからな」

 と、七緒。

 そうなの? これって春のせいなの?

 しかし謎の学ラン少年はさっきから私の名前を連発している。

「あれ? 隣、ひょっとして……あずま?」

 突如名前を呼ばれ、七緒は目を見開いた。

「あぁ、やっぱり東か! 相変わらず女顔だなー!」

「……はぁ?」

 七緒の声がワントーン低くなり、眉間にしわが寄る。非常に危険だ。

 しかし学ラン少年はそんな不穏な空気もなんのその、明るい口調で続けた。

「なんだよ、まさか2人とも忘れてんのか? 俺だよ。昔、同じ道場だった──」

 彼の言葉をここまでで遮り、私は思わず言った。

 ある人物が突如として脳裏に浮かんできたからだ。


「──ヤマザキ?」


「惜しい! 山上(やまがみ)だ!」

 彼は豪快な笑顔のまま、ばしりと私の肩を叩いた。


 5年前に大嫌いだった人間の名前を、どうやら私は間違って覚えていたらしい。












あんた誰状態、すみません。

山上は1章-10でけっこう出てきた人です。

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