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9<路地裏デンジャーと、鉄拳>

「ちょっと。さっきから存在無視してんじゃないわよ」

 ぬっ、と七緒の背後から顔を出したのは、もちろん黒岩先輩だ。

 腕を組み、目はぎらぎらと異様に血走り、口は立派なへの字。一歩前へ出た先輩は明らかに不機嫌な表情で、ヤンキーばりに私を睨んでいる。

 私はそのあまりの恐ろしさにビビってしまい、感動の涙も引っ込んだ。ゴーグルをはずし、ごくりと喉を鳴らす。

 女同士の不穏な空気に、うわぁ、と明らかにげんなりした顔の七緒。

 更にその後方、少し離れた場所には、口元に手をやりやたら楽しそうな表情の美里がいる。彼女の輝く瞳は、「これって修羅場の始まりなの?」と私に語りかけていた。そんなにわくわくされても困る。

 確かに、結果的に私は七緒と先輩の誕生日デートを邪魔してしまったことになるのだろう。2人がどんな経緯でこの大会へ足を運んだのか知らないが、やはりここは一言謝るべきなのかもしれない。

「す、」

「あんた、ちょっと顔貸しな」

 謝罪の1文字目をばっさり遮り、黒岩先輩は私の肩に手を回す。そしてものすごい速さで私を少し離れた路地裏へと連れ込んだ。

 暴力沙汰のにおいを感じ取りさすがに慌てて止めようとした七緒を、美里が羽交い締めにするのが、ちらりと見えた(「七緒くん、ここはあの2人に任せて!」と相変わらず楽しそうだ)。


 先輩は路地裏の奥の壁に私を追いやり、ぎろりと目を光らせた。そして逃亡を阻止するため、私の顔を囲うよう壁に両手をついた。怖い怖い怖い。まさかのタイマン再び、だ。

「あんたさぁ、一体どういうつもり?」

 地獄の底から響いてくるような声で先輩は言った。

「ど、どういうつもりと言われましても……」

 冬だというのに、体中から汗が吹き出るのを感じる。

「東くんとあたしの誕生日デートを、こんなあんたの意味不明な大会に邪魔されるなんて、マジムカつく! なんであたしが走らされなきゃなんないわけ?」

「そ、そのことは本当、申し訳ないと思ってます……すいません」

「ちょっとなに謝ってんの。よけいムカつくんだけど! バカにしてんの?」

「いや、そんな滅相もない……」

 もう私はしどろもどろ。

 黒岩先輩はしばらく無言で私を睨み続けていたかと思うと、そのまま視線は逸らさず、若干トーンダウンした口調で言った。

「あたしが1番ムカついてるのは、東くんに対してなの」

「え?」

 壁から離した両手をわなわなとさせながら、先輩は続ける。

「デートだっていうのにロマンチックなプランも言葉もムードも何もない、行きつけだって言う店についてってみればただのファーストフード、いやまぁ確かにキャンディのプレゼントは嬉しかったけど、それを打ち消すくらいことごとくデート感0だし、あげくの果てにようやく行きたい場所があるって言い出したかと思ったら全力疾走で変な大会に連れてこられて……! ほんと信じらんない! 隣にこんな美女がいるってのに、ちっともクラクラしてくれないし! こんなくそみたいなデート生まれてこのかた経験したことねぇっつーのよチクショウ!」

 これだけ一気に言うと、黒岩先輩はぜぇぜぇと肩で息をした。

「先輩、言葉遣いがすごいことに……」

「うるさーい! あぁムカつくー!」

 頭を掻きむしり、雄叫びをあげ、先輩は怒りを爆発させる。わかっちゃいたけどセクスィー黒岩、その見た目だけでなく、やはり内面までもがかなりデンジャラスなのである。

 確かに、あの七緒にロマンチックなデートを求めるなんて到底無理な話だろう。そもそも彼は、今日のお出掛けが男女のデートだということすらきちんと認識していなかったわけだし。

 私自身、そんな七緒の鈍感加減にはこれまで数え切れないくらい撃沈してきた。だから黒岩先輩の怒りも痛いほど理解できてしまう。


「いや、でも先輩、なんでそれ私を呼び出して言うんですか?」

「八つ当たりに決まってんでしょ」

 まぁ、ちょっと予想はできましたけど。

 黒岩先輩は一通り怒りをぶちまけきると、乱れたヘアスタイルを整えた。ウェーブがかった髪が肩の下でふわりと舞って、とても綺麗。

「東くんのこと好きなんだけど、好きだからよけいムカつく」

 舌打ち混じりの黒岩先輩の言葉に、私はまたしても共感を覚えた。

「……わかります。あいつの恋愛における鈍感さとか空気の読めなさはもう何かのビョーキなんじゃないかって最近真面目に思うんですよね」

「言うね、あんたも」

 ふん、と鼻を鳴らす黒岩先輩。

「そういう人を好きになっちゃったんだからもうしょうがないなぁとは思うんです。でもどーしても納得できないときってあるんですよね。それで喧嘩になっちゃうんですけど」

「そうそう、しかもあのベリースウィートな笑顔で屈託なく言われると、よけい刺さるっていうかさー」

「あぁ、わかりますー」

 うんうんと頷き合いながら、私たちは思いがけずに意気投合する。やはり同じ人間に恋をする者同士、共感できることがとても多い。

 黒岩先輩の表情は先程より少しすっきりしているように見えた──が、それも束の間、またしてもぎろりと私を睨みつける。

「──そう、あたしはムカついてんの! だからあんた、いい気にならないでよね」

「は?」

 再び矛先が向けられた意味が分からず、私は固まった。

「あんたどうせ『デート中なのに七緒が私のほうを選んで駆けつけてくれるなんて感激っ(泣)』とか調子に乗ってんでしょ? 言っとくけど東くんは律儀に約束を守っただけなんだからね。そこにあんたへのラブはないんだからね!」

 私はただただ先輩のペースに飲まれるばかりで、反感だとか落胆だとか、そんな感情を認識する余裕もなかった。そのくらい、今日の先輩のテンションはとんでもなく高かったのだ。

「しかもあたしは別に、あんたのこと1パーセントも羨ましがったりしてないから。むしろ東くんに怒り爆発だから。ナメんじゃないよ」

「……はぁ」

 よくわからないが、とりあえず黒岩先輩は今日の七緒に怒り心頭であるものの、彼に対するぞっこんラブは変わらないらしい。それは同時に、私への敵対心が変わらないことも意味する。つまりこの闘いはまだまだ終わらないのだ。


「それにあたし、手ェつないじゃったしね」

 と、不敵な笑みの黒岩先輩。その言葉に私の心はようやく激しく揺さぶられた。

「手!? う、うう、嘘ですよね、本当ですか、なんでですか!?」

「嘘なわけないでしょ。10分間くらいかなー、東くんからあたしの手を取って、そりゃもうギューッと」

「そ……そんな……」

 私は愕然と膝をついた。

 七緒がお手々つないでデートだなんて、信じられない。一体どんな天変地異の前触れ?

「ふふん、悪いわね。あたし一歩リードって感じ?」

 私を見下ろす黒岩先輩の声が、頭上から降ってくる。徐々にショックを上回る悔しさが湧き上がり、私は先輩を見上げた。

「わ、私だって! 七緒と手つないで歩いたことくらい、ありますっ」

「どうせ幼稚園の頃とか言うんでしょ」

「ぐっ」

 完全に見抜かれている。私は再び肩を落とした。

「ふん。そんな目の周りにゴーグルの跡をがっつり残してるあんたなんかに負けないから」

 私を見下ろしながら、黒岩先輩が高らかに言い放つ。あぁ、やはりこの人との口喧嘩には、いつになっても勝てない。完敗だ。

「卒業するからって安心しないでよね。学校が違うくらいで恋を諦めるあたしじゃないわよ」

「……」

「何ガンとばしてんの」

「……先輩。これ、どうぞ」

「何よ」

 立ち上がった私が差し出した物体を、黒岩先輩は怪訝な表情で見つめた。

「3位の賞品でもらった鍋掴みです。誕生日と……あと卒業祝いに」

 少し忘れかけていたけど、卒業式は来週なのだ。いくらこの恐ろしい黒岩先輩でも、もう学校で会わないかと思うととても寂しい。

「お祝いに賞品渡すなんて……なんかとってつけた感じ」

 そう言いながら、先輩はぶっきらぼうに鍋掴みを受け取った。

「うっわ何これ、玉ねぎの刺繍入ってる。ださっ」

「……」

 やはり「とても寂しい」は撤回だ。

 少し寂しい、にしておこう。うん。


「あぁ、八つ当たりしまくってちょっとすっきりしたー」

「……そうすか」

「さ、そろそろ東くんのとこ戻るよ。また暴力ふるってんじゃないかって誤解されても困るし」

 もうじゅうぶん言葉の暴力は受けている気がする。

 黒岩先輩はずんずんと歩き出した。

 本当に怒りを発散するためだけに私を呼び出したようだ。私はさしずめ人間サンドバックか。

 私はとぼとぼとその後ろをついていった。

 ふと、黒岩先輩が振り返る。

「……あんたのことなんて言ってたか、教えてあげようか」

「え?」

 先輩は今までよりもほんの少しだけ優しい顔だった。

「あたし今日聞いたの。あんたが東くんにとってどういう存在なのか、って」

 突如、私の心臓は激しく脈打ち始めた。

 七緒にとっての、私?

 そんな、私がこの5年間聞きたくても聞けなかったことをズバリと切り込むなんて──

「せ、先輩……なんてことを……!」

「教えてほしいの? ほしくないの?」

 足が震える。呼吸が苦しい。心臓が破裂しそうだ。

「……ほ、ほしい……です」

「うん」

 先輩はおもむろに目をつむり、腕を組んだ。

 そしてたっぷりと間を置いた後、ぽん、と私の肩に手を置く。


「男兄弟」


 語尾にハートマークさえ付きそうな口調で、黒岩先輩は言った。

「…………は?」

「東くん、あんたのこと、男兄弟みたいだって」

 頭を鉄パイプで殴られたような強い強い衝撃を受けた。張り詰める緊張感と、ほんのりあった甘い期待が、みるみるうちに消え去る。

「……お、おとこ……?」


【男】意味:人間の性別のひとつで、女でない方。(広辞苑より)


 私は七緒が好きだ。幼馴染みの関係だけでなく、恋として大好きだ。

 だから「兄弟」の認識だけでも凄まじいダメージなのに、更に「女でない方」と性別まで否定されては、もう……笑うしかない。

「……ふ、ふふ」

「まぁドンマイって感じね」

 今日一番の爽やかな笑顔で黒岩先輩が言う。

 元いたステージ裏に戻るやいなや、私は無言で拳を固め、七緒の頭を殴った。

「いて! 心都、何すんだよ?」

「うっさい馬鹿。誰が男兄弟だ」

「はぁ!? なんだよ急に……」

「あ、それ遊園地のときにも七緒くん言ってたわよ。心都は男兄弟だー、って」

 と、いち早く事態を理解した美里が横からひょっこり顔を出す。

 その発言によって、私は自分の堪忍袋の緒が完全に切れたのを感じた。

「きぃぃ! あちこちで吹聴してんのかこのやろー! 馬鹿! 女顔!」

「いてっ! ちょ、おい、よくわかんねーけど重めのグーパンチやめろよ! あいたたたた」










 * * *











 七緒を殴り続ける心都を、黒岩は少し離れたところから眺めた。

 男女問わずファンが多い七緒に容赦なく拳をふるう(しかも首から上を狙う)なんて、きっと学校の人間に目撃されたら心都はたくさんの敵を作ることになるだろう。

 さっきの自分の発言は、半分が本当で、半分が嘘だ。

『あの子は東くんにとって何?』

 手をつないでの疾走の最中、その質問に対し、七緒はゆっくりと振り返り足を止めた。



 ──生まれたときから一緒だし、余計な気ィ使わないから、前までは男兄弟みたいだと思ってたんです。けど、最近ちょっと違う気がするんです。



 少し困ったような苦笑い。そんな七緒の表情を、黒岩はそのとき初めて見た気がした。



 ──まぁ、昨日みたいな喧嘩も多いけど、実際けっこう心都には色々感謝してて……。だから怒らせるよりは笑っててほしいかなーと思う、なんだかんだそれなりに大切な幼馴染、ですかね。……なんかあらためて言うとすげー背中ムズムズしますけど。



 はは、と七緒は屈託なく笑った。



 その「男兄弟」の部分だけをピックアップして伝えた結果、今、心都は怒り狂い、七緒は理不尽な鉄拳を受けている。

 しかし黒岩は罪悪感など微塵もなく、そんな2人を眺めていた。

 今日はせっかくのデートを玉ねぎごときに邪魔されてしまったのだから。

「これくらいの意地悪は許しなさいよ」

 ふふん、と薄く笑いながら黒岩は呟いた。











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