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8<真剣勝負と、偽装工作>

 高らかに鳴り響くホイッスル。

 それを合図に、横一列に並んだ参加者が一斉に玉ねぎを刻み始める。

 私も一心不乱に包丁を動かした。

 高さ30センチ程度のステージ上は静かな熱に包まれる。

 BGMも実況もない、辺りを支配するのは、包丁がまな板に当たる軽快な音だけだ。

 参加者の贔屓目で見てもこれはもう紛れもなく珍妙、異様、シュールである(美里を含む、ちらほらいる観客の皆さんの表情も若干引き気味だ)。

 しかし、あぁ何やってんだろ私、とか思い始めてはそこで全て終わりだ。

 3分間の真剣勝負。集中力が途切れた者が負ける。私は全神経を右手に集めた。

 トン、トン、トトン。リズミカルな音で、練習通り玉ねぎを刻み続ける。

 今のところはなかなかの好調だ。競泳用ゴーグルと花粉症用マスクのおかげで、涙が出る気配はない。見栄えを全く考慮しないこの私の作戦は大成功だった。

 周りの参加者はお料理玄人っぽい主婦の方々だらけだけど、この調子ならひょっとして、まぁまぁ良いところまでいけるかもしれない。

 気合い一発、私は下っ腹に力を込めた。

 いける。いける。

 頑張れ私。

 輝け私。

 自分を鼓舞する言葉をぶつぶつと呟き、右手を動かす。

 しかし。

 まな板の上に刻まれた玉ねぎが溜まれば溜まるほど、心の中に寂しさが広がる。

 おかしいな。みじん切りは自分でも驚くほど順調なのに、どうしてだろう。……なんて白々しく気付かない振りをしてみても、無駄だった。

 私は、今ここに七緒がいないことが、どうしようもなく寂しい。

 何かに夢中になりたくて、頑張りたくて、この大会に応募した。七緒の輝く姿を見たのがきっかけだ。

 だから、応援に行くよ、と笑って言ってくれてとても嬉しかった。

 だけど私は嘘をついた。

 子供じみた嫉妬で、喧嘩も売った。

 嫉妬深くて口が悪くて可愛くない私に、今回ばかりは幼馴染みも愛想が尽きたかもしれない。

 全部、自分のせいだ。

 それなのに寂しいだなんて。

 今日の私を七緒にも見ていてほしかっただなんて。

 とんでもないわがままだ。

 ──もう、我ながら呆れるよ。

 心で小さくため息を吐き出すと同時に、微妙な寸分で手元が狂った。

 左手すれすれの所を包丁が掠める。

「あ……」

 かろうじて指は切れなかったものの、動揺が抑えられず、私は思わず手を止めた。

 どうしよう。

 なんか、駄目かも。

 頭が真っ白になる。


 その時だった。


 ──頑張れ心都。

 と、聞き慣れた声が耳に届く。

 顔を上げると、まばらな客席の後方に、まるで全力疾走した直後のように息を切らせた七緒がいた。

悲しみが募りすぎて、とうとう頭がおかしくなってしまったのだろうか、私。幻聴のみならず幻覚まで見えるなんて。

 だってあなた、黒岩先輩とデート中では?

 私はぽかんと客席の彼を見つめた。

「あぁ、よそ見すんなよ! 手ぇ動かせ、手ー!」

 慌てた様子で七緒が言う。

 後ろには、この風変わりな大会にドン引きしている黒岩先輩。

 なんだ、この状況?

 全く理解はできないが、とにかく今は彼の言う通り、手を止めている場合ではない。

 私は包丁を握り直し、みじん切りを再開した。

 動悸が速い。だけどそれは、指を切りそうになった時の動揺によるものとは明らかに違う。

 先程までとは比べものにならないくらい、私は心に温かさを感じていた。

 不思議だ。

 あんなに悲しい気持ちだったのに。

 右手が軽い。

 玉ねぎの粒も輝いて見える。

 七緒が来てくれただけで、全く違った世界にいるみたい。



 本当に単純だよね。

 笑っちゃうよね、七緒。















 * * * *













「3位おめでとう」

 七緒がにこやかに言った。

 私は、ステージ裏手にある料理教室の建物の影にしゃがみ込んだまま、それに答えた。

「……5人中の3位だけどね」

「その抱え込んでんの、何?」

「賞品。鍋掴みだって」

「へー」

 と、そこまで笑顔で会話を続けていた七緒が突如、

「────っていうかさ」

 一変、ぎろりと私を睨みつけた。

「言えよ!」

 私は思わず首をすくめた。

「面倒になったとかエントリー取り消したとか、大嘘じゃねーか! 今日本番だって言ってくれりゃ普通に見に行ったのに」

「……だって」

「どうせ、黒岩先輩の誘いと重なったからーとか言うんだろ」

「うっ」

 なんだか今日はやけに鋭い。

 昨日はあんなに鈍感全開、ボケ連発だったのに。たまに妙な読みの深さを見せるから、そのたび私はドキリとしてしまう。

「だからって嘘つくなよ。俺、本当に応援したいと思ってたのに」

「……すんません」

「本番前日だから、昨日変にピリピリしてたんだ?」

 いや。それは、違うんだけど。まさか今さら嫉妬だとは言えずに、私は肯定も否定もしなかった。

 七緒は寒そうに上着のポケットに手を突っ込み、ため息を吐いた。

「まぁ、良かったよ。間に合って、このシュールな大会での心都の勇姿も見れたし」

「……ステージから見えたけど、七緒、走ってきてくれたの?」

「おー」

「なんで?」

「だって応援行くって約束したじゃん」

「なんで今日大会って気付いたの?」

「偶然とか、ご町内の狭さとか、あとまぁ俺の冴え渡る推理力とか? 色んなことが重なって」

 ふふん、と得意げに七緒が言う。

「七緒」

「ん?」

「ありがとう」

「……とりあえずゴーグル早く外せば?」

 それは無理だ。

 だって今ゴーグルをとったら、玉ねぎとは無関係な涙で目が潤みきっているのがバレてしまうもの。












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